廃列車の車窓から 2
「まあ、落ち着いたかね兄ちゃん。」
「はい。」
あれからひどく取り乱し、過呼吸に陥った僕を見かねて衛兵は、最低限の拘束具を残して体を自由にさせ、ミルクを入れてくれた。ようやく少し落ち着ける環境になり、僕の頭も冷え、冷静に自分自身の体に起こったことを理解することができた。
「まあ、つまりはあれかい。兄ちゃんはさっきまでそこで倒れていたひょろっこい兄ちゃんの中身で、その体の持ち主と中身だけ入れ替わっちまってんでねぇかっつーことだな。」
「はい。」
精神と肉体の入れ替わり。正直かなり非現実的なことを言っているのは自分でも理解しているわけだが、自分自身の体に生じたことを考えると、こう理解するしかない。
「しっかし、魔法にしてもそんな無茶苦茶なもんあるのかねぇ。わし、魔法なんて高級なもんよくはわからないが、そんなもんがあるなら今頃世の中大混乱なんじゃあねえのかいな。」
「ええ、通常ならそうですね。その通り、そんなものすごい魔法、ふつうはあり得ません。」
魔法、年て言葉を当てはめては見ているが、この世で用いられるものは決して不思議な力を使って不思議なことを何でも起こすことができる奇跡のようなものではない。自然の精霊の力を借りて、炎や氷、風といった自然現象や自然の力を行使することができる程度のものなのだ。こんなどの精霊の力を借りたのかさえよくわからない魔法、通常ありえない。そもそも、魔法は精霊の力を借りるための儀式や祈祷法の習得、そのうえで触媒と代価を用意してようやく発動することのできるといったものだ。一般人の、それも町で狼藉を働くような無鉄砲の男がなしうるものではない。しかし。
「心当たりがあります。」
世の常道と常識には抜け道と例外はつきものだ。僕はその抜け道に心当たりがあった。その抜け道を残した精霊は、いたずら好きで、気前が良くて、お兄ちゃんみたいな、僕のたった一人の家族だった。
「よう、元気ないな。」
ある時僕の部屋の前に小さな男の子がいた。男の子とは言うが、その当時は僕のほうが幼く小さな男の子に過ぎなかったけれども、とにかくその男の子が立っていた。僕はその光景に字ひどく狼狽したのを覚えている。理由は単純明快、僕の部屋は二階の角部屋で、その前には上ることのできる街灯や街路樹といったものもおよそ見当たらない。其れなのに男の子は僕の部屋の窓から少し離れた位置で気さくにこちらに声をかけてきたのだった。
僕は慌てて窓を開け、男の子の様子を見る。すると、男の子は空に浮いていた。それは、風の魔法の応用であり、非情に高度な技術を要するものであると子供ながらにわかった。
「すごいね!」
僕は、興奮して男の子に話しかけた。そうすると男の子は、少し照れたように、それでいて得意げに僕に笑顔を向けた。
「なあ、そんなとこにいてもつまんないじゃん。遊ぼうぜ。」
男の子はそういって僕の手を引く。僕はあっと声を上げて、それから抵抗する間もなく彼の手で空に引き上げられていった。僕はまるで風船のように自分の体がふわふわと空に浮かぶのを感じ、驚きのあまり抵抗することを考えさえしなかった。そのまま彼に引き連れられて、僕らはいろんなところを回った。もともと同年代の友人というものにあこがれていたうえ、空を飛ぶ、などといった非日常的な体験を共にしたという興奮も相まって僕は彼とすぐに打ち解け、いろいろな話をした。その当時僕は、家の中に半ば軟禁状態にされていた。父も母も僕に興味がないのだろう、僕を連れて遊びに行くこともなければ、二人が家にいるときさえ口もろくにきいてもらえなかった、かといって僕は何かあると面倒だからといって、家の外に出ることも許されなかった。僕は、食事の時や入浴の時間等以外は外から鍵を掛けられる部屋に閉じ込められていた。
当然そんな状態の僕には親しい友人などいるわけがなかった。ただ翅の壊れた蛾のように部屋の中から外のキラキラを眺めてばかりいた。楽しそうな笑顔を浮かべる家族。元気な笑い声をあげて遊ぶ同じ年ごろの子供たち。そんな宝石のようなキラキラを眺めては、それがあまりに綺麗で、うらやましくて、どうしようもなく憧れて。そんなことだから最初は彼も僕の作り出した妄想なんだと、夢なんだと思い込んでいたのだ。
しかし、そういうと彼は噴き出して、まさしく抱腹絶倒していた。
「ナーんだよそれ。暗いやつだなぁ。」
「だ、だって。」
「ほら、俺はしっかりいるだろ。」
彼はそう言って、証明するかのように僕の手を引き、走り出した。
「ルティス!」
彼は突然僕にそう叫んだ。普段の運動不足がたたって走り出してからものの数十秒ですでに息が上がっている僕は、彼の声にまともな返事をすることもかなわず、かすれた声で「え?」と聞き返すことで精一杯だった。そんな僕に彼はもう一度大きな声で呼びかける。
「俺の名前だよ!ルティス!」
そうして、僕はその夜の間ずっと一緒にいた相手の名前を聞いていなかったことに、そして僕もまだ名前すら名乗っていないことに気が付いた。僕はかすれた声で思いっきり叫ぶ。
「ハロルド!僕の名前!」
そういうと彼はにっと明るい笑顔をこちらに向ける。
「よーし、それじゃあ俺たちは友達だ!遊ぼうぜ、ハロルド。」
友達、とこともなげに彼はそう言い放った。僕はそれがどうにもこうにもうれしくって、胸がはちきれそうになる。彼のそんな言葉に僕はうん!と大きな声で返し、僕らは満面の笑顔を咲かせたのだった。
それから毎日毎日、夜が来る此度に僕らは遊びまわった。それは、当時の僕にとってかけがえのない、大冒険の記憶だった。




