オズと案山子13
ああ、そうだ。そんなこともあった。これはその時の写真だったか。懐かしいな。あの後結局いろいろな名前を考えてやったのだが、最初に私が悪ふざけしたがためにスケアというのが名前として定着してしまったのだ。今更ながら少々申し訳ないことをしてしまった。
それからも私は、そこに映し出される写真を見守っていた。こんな良くわからない空間のなか悠長なものだとは思っているが、今はどうしてだろうか、この行動が正しいと直感できる。そこに描き出されているのはすべて懐かしい光景だった。たわいもない日々の間、私が彼女を見守ってきた記録。そして、それと同じくらい、彼女が私を見てきた記録。
ただただ無言で、その写真をみていると、その中に引っかかるものがあった。それは、私が時計を修理している写真だった。この時計、今うちに置いてある据え置き式の魔力時計だ。そういえば一度、彼女がミスをしてこの時計を落としてしまったことがある。この時計は存外重く、ぶら下げているのも高い位置だ。彼女がまだ小さいときのことだし、仕方がないことだった。私もそんな小娘に過ぎない彼女にぐちぐちと文句を言うようなことはなかったと思う。しかし、彼女はずいぶんと落ち込んでしまって、鬱陶しかった。いや、そうじゃない、見ていられなかった。その時計は私にとって、たいして大事な物でもなんでもなかった。そんなもののために彼女が悲しい顔をしているのが、見ていられなかったんだ。私は、そんな風に考えながらもぶっきらぼうな態度をとってしまっていた。
そうした態度が彼女をひどく気ずつけているかもしれないということには、私は目をつぶって、ずっと勝手なことをしていた。今こうして傍から自分のことを見ると、ひどく情けない気持ちになってしまう。だが、そんな私の思いとは別に、真剣に時計の修理をしている私をどこかバツが悪そうに、しかしその一方でどこか嬉しそうに眺めている。
「…」
私は見入られたかのように、写真立ての中で移ろい変わる彼女を眺めていた。最初は全く笑わない可愛げのないがきんちょだと思った。しかし、生活を共にする間にいつの間にかスケアは表情豊かになっていった。
いつもおどおどして、世界には恐怖と絶望しかないとあきらめた表情ばかりしていた。そんながきんちょがいつの間にか不器用な笑顔を作れるようになった。庭を荒らしに来る子猫供と戯れ、育てる果実の生育に頬を緩める。
どんなに面倒なことや嫌なことが起きても眉一つ動かさず、当然のことのようにこなしていた。それが、面倒なことや辛いことがあるとこっそり眉を顰めるようになった。いつの間にか上品に気取った皮肉なんかも言えるようになった。
どんなに腹の立つことがあってもただおびえるだけだった。いつの間にか自分のことどころか、私に投げかけられた不名誉にすら本気で憤慨してくれた。
骨ばっていて何の魅力も感じられなかった子供がいつの間にか丸みを帯びた女性らしい体つきになり、美しいと形容して差し支えないほどになった。
どれもが当たり前で、どれもが退屈な毎日で、私にとってはかけがえのない大切なものだった。
そしてそれは、彼女にとっても…そうであってほしい。
「…。」
最後の写真は私が彼女にペアの時計を渡した時の彼女の笑顔だった。その写真が現れたのを機に、私が手に持っていた写真立ては煙のように立ち消えてしまった。
気が付くと、我が家にはないはずの鋼鉄の扉が立ち現れている。奥からは今まで感じられなかったのが不思議なほどの異様な魔力が漏れ出している。
私は、椅子から腰を上げ、迷うことなく扉へ向かった。今度は何の封印もない、ただの扉。私は思いっきり力を籠め、扉を押し開けた。
最初に抱いたのは趣味が悪いという感想。次に感じたのは、えも言えぬ高揚感。
この部屋には壁がない。天井もない。いやいっそ床もない。この空間を埋め尽くしているのは、私が目を覚ました部屋の天井にあった虹色の何かだ。ないはずの床の上に立つ、何とも形容しがたい気味悪さがある。このままこうしていてはここに縛り付けられ、動けなくなってしまう。というか、この虹色はやはりよくないものなのだろう。長居すべきではない、本能がそう告げている。そう思うのだが同時に、この虹色の中に埋没してしまいたいとさえ思うほど心が浮き立っているのも確かなのだ。まるで蜂蜜のように甘美で、麻薬のように怪しい魅力に満ちている。
戻れなくなる前に、さっさと本題を済ませるのがよさそうだ。私は正面に向き直り、おそらくこの空間の中心に位置するであろう場所に鎮座している犬の金属像をにらみつける。
犬の像。いや、それはそもそも犬といっていいのかもよくわからない奇妙な形だった。四足歩行の獣で、強いて言うならば犬に近い物を表している。構成する金属は銅に近いが、明らかに銅とは金属密度が異なる。いろいろ考えてみるが全くの未知としか言いようがない。ただ、この未知の存在の中で、特に奇異であり、理解しがたいのは、この生物のちょうど腹の部分に丸い時計が埋まっていることだろう。
「時間旅行の方法、か。」
馬鹿は馬鹿であるがゆえに馬鹿にはできぬ。世の中の真理とは、何とも釈然としないものだ。
苦笑を禁じ得ないがひとまず、ふぅ、と小さくため息をつき、私は犬の腹に触れる。
突然、私の脳内にさまざまな思い出があふれてくる。幼少のころ、懐かしい生家で過ごした日々。青年時代の、学び舎の日々。そしてそこから逃げ出た後の日々。これが時間旅行の選択肢ということなのだろう、まるで一冊のアルバムを繰っているかのように頭の中にその情景が浮かんでくる。きっとこの中の何かを選べば私は私の今を変えることができる。
しばし目を閉じ、しかしそれほど悩むでも無く私は再び目を開く。
「私の選択など、最初から決まっていたではないか。」
がたっと大きな音がする。何もなかったはずの虹色の中にすっかり見慣れた鋼鉄の扉が現れる。私は、確かな歩みで扉の前に行き、その取っ手に手をかける。扉を開くと、そこには真っ黒な闇が待ち構えていた。どろどろと、まるですべてを飲み込んでしまわんとするような底なし沼のようだった。見つめていると、おぞましい、おぞましい、吐き気がするような恐怖に眩暈がして、しり込みしてしまう。まるでそれは、得体のしれない存在の口の中で永遠にもてあそばれているようであり背筋がひゅっと寒くなるようだった。それでも私の気持ちは変わらない。大きく一歩、踏み出した。未だ見ぬ深い深い、闇の奥へと。




