懲りない女
タッドとリアンスが館から出た途端、後ろでガラガラと天井や柱が崩れる大きな音が響いた。熱風が追って来るが、二人には届かない。まさに間一髪で逃げ切ったのだ。
燃える物はもうほとんどない。倉庫が残っているが、そこまで延焼する様子もなさそうだ。タッドが館を焼き尽くすまでは消えないだろうと言っていたが、その館は焼けた。普通ではないこの火事も、じきにおさまるだろう。
館から離れ、安全だろうという所まで来るとタッドは力が抜けて立っていられなくなり、崩れるようにしてその場に座り込んだ。
「タッド! タッド……やだ、しっかりして。ねぇっ」
タッド達のそばへ、ティファーナが駆け寄って来た。置いて行かれたフェオンが、遅れて走って来る。
「うん……大丈夫だよ。ちょっと……気が抜けたみたいだ……」
荒い息をしながら、タッドは何とか応える。
「本当に気が抜けただけか? どこか具合が悪くなったりしてないのか」
倒れるまでにはならなくても、完全に力が抜けてしまった。それでも、何とか笑ってみせるタッド。
「うん。こんなに連続で魔法を使うなんて、やったことがないから……」
魔力を使い果たした状態で、さらに体力も消耗してしまっているのだ。さっきまでは汗をかいて赤い顔をしていたが、火から遠ざかった今はどんどん青ざめていく。
「なかなか出て来ないんだもん、すっごく心配したんだからねっ」
言いながらひざ立ちしたティファーナは、座り込んだタッドの頭を抱きしめた。
フェオンと一緒に館から先に逃げたはいいが、振り返れば館を包む火がどんどん大きくなる。それなのにタッドとリアンスがなかなか出て来ないので、泣きそうになるくらい心配していたのだ。
消火器を探そうかとも思ったが、一本や二本で消せる火ではない。かと言って、今から消防に連絡しても、絶対に間に合わない。今ここで自分にできることは何も見付からず、悔しい思いをしながら燃える館を睨むしかできなかった。
壁の一部が突然破られ、そこから女の子達が出て来たことに気付く。だが、後に続くと思われたタッドとリアンスがすぐに出て来ない。その状況に、血の気が引いた。
「ごめん。ちょっとへたっちゃって。リアンスがいてくれて、よかったよ」
普段のタッドなら、こんなふうに抱き締められれば戸惑いまくる。だが、今は意識が少しもうろうとして自分の状況をしっかり理解できず、経緯を話してティファーナを安心させないと……という気持ちだけがあった。
「……さてと。俺はあちらのお嬢さん達を落ち着かせにでも行くかな」
リアンスは気を利かしたのか、ティファーナのそばにいたフェオンを連れてその場を離れる。助かったものの、事情がわからないで泣いている少女達の方へと向かって行った。
そんなことをされると意識してしまうところだが、タッドは気付いていない。ティファーナもそんなことには構っていない様子だ。
「タッド、本当にどこもケガしてない?」
さっきリアンスも聞いていたが、何度も聞かずにはいられない。大きな建物が一棟、完全に焼け落ちたのだ。そこから出て来た人が本当に無傷なのか、不安だった。
条件はリアンスや捕まっていた女の子達も同じなのだが、今のティファーナにはタッドしか見えていない。
「うん。本当に力が抜けただけだから」
どうにか防御の壁は持ちこたえてくれたので、ススなどの汚れはあってもケガはしていない。
防御魔法って、うまくいったら本当にすごいんだなぁ。
今更ながらに、タッドは魔法のすごさを実感していた。最後に倒れてきた燃える柱は、魔法がなければ確実に死んでいる。
「……ねぇ、タッド。あなたは落ちこぼれなんかじゃないわよ」
魔法使いの耳元で、ティファーナはそうささやいた。
タッドは、自分のことを落ちこぼれだと言った。六回も追試を失敗するのは落ちこぼれ以外の何ものでもないし、誰が見たってそう言うだろう。
でも、ティファーナはそんなことなど気にしていない。と言うよりは、その言葉を信じていなかった。
竜と会話をしている魔法使いが落ちこぼれであるはずがない、と思ったのだ。
そして、自分の考えは正しかったのだ、と今確かめられた。
あの性悪魔法使いの力を防ぎ、さらわれた少女達を助けた。あの火事の中から全員が、恐らくほぼ無傷で脱出。
これだけのことをした魔法使いが落ちこぼれなんて、絶対おかしいではないか。むしろ、超優秀だ。本当にタッドが落ちこぼれなら、ティファーナは今頃、あの女の子達と一緒に何をされていたかわかったものではない。
「タッドはすごい魔法使いよ。他の人が言わなくても、あたしが認める」
言いながら、ティファーナはタッドの額に優しくキスをした。
何をされたかわからず、わかった途端、タッドはめちゃくちゃ焦る。普段の感覚が戻って来たようだ。
「え、ティ、ティファーナッ?」
「よくできました、のこぼうび」
赤くなるタッドを見て、ティファーナはいたずらっぽく笑った。
「本当。素晴らしい腕ですわ。お若いからと下に見ていましたのに、こんな才能をお持ちでしたのね」
聞き覚えのある声に、二人はそちらを向いた。
逃げたと思っていたクオーリアが、いつの間に来たのか、すぐそばに立っている。倉庫にでも隠れて、館が焼けるところやタッド達が逃げて来る様子を窺っていたのだろうか。
白いドレスはどこも汚れていない。髪やメイクも全く崩れてはいなかった。こういった災害時に使う通路でも通り、何の苦労もなく出て来たのだろう。貴人の使う建物には、そういったものがあると聞いたことがある。こちらはあんなに大変な思いをしたのに。
それにしても、あんなことがあった後なのに、よく顔を出せたものだ。驚くよりもそのことの方に感心する。
そして、出て来たこのセリフには首をひねるばかりだ。館をあんなにしてしまって、と怒鳴られる方がまだ理解できる。
「ねぇ、魔法使い。わたくしの元で働きませんこと?」
「は?」
あげくに出て来たセリフがこれだ。二人はあきれてしまい、すぐには言葉が出ない。
「あんた……自分が何を言ってるか、わかってるのか。自業自得かも知れないけど、半分はあんたのせいで人が……ドゥードルは死んだんだぞ。館だって完全に焼け落ちて。なのに、懲りもしないでよくそんなことが言えるな。少しは状況ってものを見ろよ。自分がやったことを考えろよ」
タッドは怒りをあらわにして怒鳴るが、クオーリアは応えていない。
「あれはドゥードルの実力がなかったせいですわ。さんざん超一流の腕がある、などと言って自慢していましたのに。過大評価でしたのね。やはりお尋ね者は使えませんわ」
わざとらしいため息をつくクオーリア。
「館のことなら、気になさることはありませんわ。たかが田舎の別荘一軒ですもの。それに、ちゃんと保険には入っていますから。全てを失った訳ではありませんわ」
どこまで常識から外れているのだろう。彼女に「普通の感覚」というものはないのか。
クオーリアはそばにいるティファーナの存在など完全に無視し、座り込んでいるタッドにどんどんすり寄って来る。親子程もある年の差などまるで気にしない様子で、明らかに自分の容姿を武器にした仕種だった。
「ねぇ、あなたにとって、絶対悪い話ではありませんことよ。わたくしの元へ来てくださるなら、ドゥードルと契約していた額よりさらに上乗せしますわ。あなたの年齢では到底手にできないような大金が、自分のものになりますのよ。いかが?」
この言葉に、タッドは自分の中で我慢の線が切れた音を聞いた。
「いい加減にしろよっ。あんた、本当に人間なのかっ」
タッドは怒鳴りながら立ち上がりかけたが、めまいがしてまた座り込む。
その直後、何かにぶい音がした。
「……え?」
「ふんっ」
タッドが顔を上げると、クオーリアの姿はそこになく、代わりにティファーナが仁王立ちしていた。にぶい音がしたと思ったが、どうやらティファーナがクオーリアを殴った音らしい。
そして、殴られた哀れで愚かな貴婦人は、すぐそばで大の字になって倒れていた。片方の頬は赤くなり、微妙にへこんで見える。聞こえた音と彼女の顔の状態からして、ティファーナは平手ではなく拳で殴ったようだ。でも、同情はできない。
「タッドに色目を使うなんて、二十年遅いのよ、おばさんっ」
今の騒ぎ(?)に気付いたリアンスとフェオンが、どうした? とこちらへやって来た。
「この強欲色ボケばばぁがタッドにモーションかけてきたから、殴ってやったのよっ」
「はぁ……そりゃまた、ずいぶん節操のないことで。もう誰でもよくなったのかな」
「リアンス、車に携帯があったわよね。警察に連絡入れて来る。このおばさん、吊し上げといてちょうだい」
「吊し……って」
ティファーナは見るからに不機嫌そうに、車が置いてある場所へと歩いて行った。ドスドスという音が聞こえてきそうな歩き方だ。
「気を付けろよ、タッド。ティファーナは普段元気だが、怒った時も思いっ切り元気だからな。浮気なんかしたら、彼女自身の手で本当に吊し上げられるぜ」
「な、何だよ、リアンス、その浮気ってのは。ぼくは別に……」
赤くなって否定しても信用できないぜ、などと言われ、タッドは言い返せない。
あきらめのため息をついていると、フェオンが竜珠を持ってそばへ来た。
「タッドのおかげで、竜珠が見付かった。感謝する」
竜珠は、フェオンが持つと妙になじんで見えた。竜珠に感情があるとは思えないが、フェオンに持たれて喜んでいるように感じる。
「感謝するなら、ティファーナやリアンスに言ってよ。ぼくは特に何もしてないし」
「タッドはタッドのできることをしてくれた。もちろん、あの二人にも感謝する」
今回のことは、誰一人欠けてもここまで来られなかった。
「そう言えば……どうしてあの時、防御壁を張れ、なんて言ったの?」
ドゥードルがタッドとフェオンを殺そうと、魔法をかけようとした時。それを見て、フェオンは防御壁を張るように言った。逃げるのではなく、相手の力を真正面から受けろ、と言っているのと同じだ。
あの時、狙われていたのは明らかにタッドとフェオンだけだったのだから、できたかどうかは別にして、一時的にあの場から逃げてもよかったはず。
それなのにフェオンは、防御しろ、と言ったのだ。
「タッドなら、あの魔法使い程度の力は持ち堪えられると判断した」
タッドは一度、竜珠の力を受けた。その後で倒れてしまったが、そのおかげで耐性がある程度はできているはず。タッドに足りないのは経験と自信だけ。ドゥードルがどんな腕だろうと、ひけは取らない、とフェオンは確信していたのだ。
「だから……そんなに大げさな評価をしないでよ」
「あの燃え盛る火の中で、タッドは全ての人間を救っている。そのことをちゃんとわかっているか?」
自分達はもちろん、さらわれた女の子も全員外にいる。みんな無事だ。タッドが逃げる道を作ったから。
フェオンは自分が逃げた後に館の中で何があったのか、まだ経緯を聞いていないので知らない。だが、結果はここにある。
「大げさではない。これは正当な評価だ」
フェオンはきっぱり言い切った。
「それに、竜珠の怒りを静めてくれたではないか」
「静めた……って言うのかなぁ、あれでも」
必死だったので、よく覚えていない。あんな状況の中で、火を消す以外の魔法をよく使えたものだ。
「実際のところ、あそこまで静まるとは私も思っていなかった」
フェオンはタッドの実力を見抜いているつもりだったが、この少年はフェオンの想像以上の力を持っているのかも知れない。この先、必ず大成するはず。
「まだ一つ、仕事が残っているぞ、タッド」
「仕事……ああ、竜にそれを届けないとね」
一番肝心な仕事だ。一刻も早く戻って、竜に見付けた竜珠を届けなければならない。
「こんな所でへたってる場合じゃないな。ドリープ火山へ戻らなきゃ」
立ち上がるとまだふらふらするが、そんなことは言っていられない。
「リアンス、車を頼むよ。それと、艇。レクシーまで大至急!」





