アンリの心配事 1話
乙女ゲームのヒロインと~の攻略対象者の一人、ルルドの息子のアンリ視点のお話です。
本編最終話の後のお話です
「む…息子ですって!?」
分かりやすく狼狽えながらそう叫ぶ女性が今、目の前にいる。彼女はまじまじと僕を見ながら涙目になっている。
数分前のことだ。その女性は父さんを見つけると早足で駆け寄り、頬を赤くさせながら話しかけてきた。父さんは、近寄って来た女性にごく一般的な挨拶をした後、隣にいる僕を自慢げに紹介したんだ。その瞬間、目の前の女性の態度が急に変わって今に至る。父さんは何が起こったのか訳が分からない様子でオロオロしている。
「すいません!急いでいるのでこれで失礼します!」
僕は父さんを引っ張るようにその場から立ち去った。
今年7歳になる僕が王都の学校に通うようになるまで、まだ少し時間がある。だからその間、父さんの仕事の手伝いをしている。そんな理由で、こうして一緒に行動する事が多いのだ。
父さんは、うでの良い治療師で、仕事の内容は日によって色々だ。学校の先生、外から来た患者さんの診療、重病や怪我で動けない人のための往診、薬の研究なんかをしている。
今日は午前中は街からやって来る患者さんの診療で、午後からは学校で先生をする予定だ。
僕達一家が王都にやって来た理由は母さんの記憶をよみがえらせる為だった。あの日あの食堂に足を踏み入れた瞬間から、本当に色々な事があった。最後はあんな大事件が起きて僕達の生活は一変した。森の中での静かな暮らしから都会での慌しい生活に変わった。
でも、ここにきて沢山の人と出会って、新しい友達もできた。僕は毎日とても楽しい。
あの事件の後、父さんは国王様から直接、りっぱな職と地位を賜った。
家も用意された。最初はとても大きな屋敷が用意されていたらしいけど、父さんと母さんがそれを断ったのだ。自分達で掃除や管理が出来きない家は身の丈に合わないと辞退したのだ。代わりに宮殿の敷地内にあった一番小さな邸宅を借りた。小さいといっても山小屋のあの家より、もっとずっと広くて綺麗な家だ。初めて入った時、綺麗過ぎて驚いてしまったくらいだ。
そんな毎日を送りながら僕は、大切な使命を見つけた。父さんの仕事を手伝う事ともうひとつ、父さんを守る事だ。
こんな事を言えば普通、子供が、しかも父親を守るなんて変な事を言い出すと思われるかもしれない。普通の家の子供はきっと特別な事情がない限りそんな事はしないと思う。
でも僕は父さんを守らなければいけない。そう決めたきっかけは数週間前、ある人に会ったからだ。
その人はノアさんといって、王太子になった僕の友達の護衛をしている。
宮殿に出向いた時の話だ。その日も父さんを見て頬を赤らめている女性がいた。父さんがその女性に話しかけられている様子を見てノアさんは唖然としていた。
『君の父さんはすごいね…。あの顔であんなふうに対応されたら女性は一発で落ちるだろうよ。それを下心ゼロで、まったくの素でやってるんだから。あいつも、あんな手強い相手じゃ勝てないわけだ。そりゃあ、傷心旅行に出かけるわけだよな…。まったく…。いつになったら帰って来るのやら』
なんだかよく分からない事をいっていた。
ノアさんが言うには、ああいう表情をしている女性は目の前にいる男に好意をもっているんだそうだ。
そう、父さんは色んな女性をそんな顔にさせてしまうのだ。
王都は人が多い、その分色んな人がいる。顔がいい僕の父さんは治療先や学校、いろんな場所で出会う女の人に気に入られてしまう事が多い。
でも一方で父さんは母さん以外の女の人にまったく興味がない。自分がモテているという事もたぶん全然分かっていない。
学生の頃はひたすら勉強だけをして過ごして、その後すぐ、森で引き籠って生活をしていたんだから仕方ないのかもしれない。
でも、自分が実はとてもモテている、という真実を知ったところで父さんは変わらないと思う。
いつだって大好きな女の人は母さんだけなんだから。
『いつか厄介な女性に粘着されて面倒な事を起こされないといいんだけど…』
ノアさんは、そんなふうに父さんを心配していた。
だから僕はノアさんに言った。そんな事がないように僕が父さんを守るって。あの事件の時だって捕まったり閉じ込められたり、危なっかしい事が多かったのだから。でも、父さんは、僕やアリスの事はよく見ていて、いつだってどんな些細な事でも気にかけてくれる。僕がこの世界で一番尊敬する大好きで自慢の父さんだ。
あの日から僕はいつも父さんの仕事についていって、そんな女の人達に僕自身の存在を明かしている。そうやって父さんの事を諦めてもらっているんだ。
僕が一緒にいると、いつも父さんはとっても良い笑顔で彼女達に僕を紹介する。そうして母さんの事をどれくらい好きなのか、どれくらい綺麗なのかをニコニコしながら話す。その後、どうして女性達が決まって悲しい顔や不機嫌な顔をするのか、いつも不思議がっている。それくらい母さん以外の女性の気持ちにとても鈍感なのだ。
「じゃあ、行ってくるよ、フローラ」
「ええ、行ってらっしゃい。気を付けてね。ルルド」
朝、父さんが仕事へ行く間際、母さんは必ず見送りをする。
父さんはそんな母さんに優しく微笑むと頬に軽くキスをする。毎朝見慣れた光景だ。
いつものように名残惜しんで母さんに抱き着いて離れない父さんの姿もまたいつもの光景だ。
でも、今日は一段とそれが長い。母さんはいつも以上に中々離してくれない父さんにオロオロしている。
「父さん、もういい?母さんが困ってる。また帰ってきたらすぐに会えるんだからさ。もう会えないわけじゃないんだよ?だからもう行くよ!」
母さんに抱き着いて離れない父さんを、妹のアリスと一緒に引きはがして僕達は家を出た。
名残惜しそうに振り返りながら歩き出した父さんは、今日の予定の確認を始めた。
「アンリ、昨日の晩も少し話したけど、今日行く場所は隣国から来ている王族のところなんだよ。くれぐれも失礼のないようにね。今の国王の親族が隣国の王族に嫁いでお生まれになった方で、サラ様という名のご令嬢だ。前に王宮で見ただろう?覚えている?こっちの国が好きでよく遊びにくるんだそうだ。
昨日、隣国からこちらに到着してすぐ、原因不明の病にかかったようなんだ。僕じゃないとダメなんだって。そんなに重い症状なんだろうか…。でも…、向こうから時間を指定してきているから至急治療をしないといけない訳ではなさそうだし…。あっ!納屋に忘れ物した!取って来るからちょっと待っていて!」
父さんは急いで忘れ物を取りに行った。
隣国の王族のサラ様かあ。どんな人だったっけ?そんな事を考えていたら突然耳元でバサリという音がした。僕の左肩にポチがとまった。
黄色くて赤い足が特徴的な、すごくかわいい小鳥だ。口に紙を加えている。エルからの手紙だ。僕達はよくこうして文通をしている。
初めて会ったあの日から王族なのに全然偉そうじゃなくて、優しくて明るいエルとはすぐに仲良くなった。王太子になって忙しくなったエルと中々会う事ができないから何か話したい事があると、こうやって手紙のやりとりをしている。
「ポチ、お手紙届けてくれてありがとう」
ポチの口からそっと手紙を受け取る。名前が無かったその小鳥にポチと名前を付けたのは僕だ。
口笛を吹いて呼ぶと、すぐにどこからともなくやってくる、とても賢い小鳥なのだ。
前に一度エルに、どうしてポチなんて変な名前をつけてるのかと聞かれた事があった。
その答えは山小屋に住んでる時、母さんが自分に懐いていた鳥をポチと呼んでいたからだ。その鳥によく似ているからポチと名付けたと答えたら、その日からエルもそう呼ぶようになった。
手紙に書かれていた内容を見てつい笑ってしまった。毎日が忙しすぎる事への文句がつらつらと書いてあった。窓からこっそり抜け出して、虫取りに出かけようか、隠れて昼寝でもしようか迷っているんだとか。エルは儚げで綺麗な外見からは想像ができないほど、わんぱくだ。
「これ、お願いね」
もってきた紙とペンですぐに返事を書いてポチに渡すと颯爽と飛び立っていった。その姿を見守っていると、父さんが戻ってきて一緒に馬車に乗った。
馬車に揺られながらサラ様について考えていると、ようやく思い出す事ができた。
でも、その記憶は僕をとても憂鬱にさせた。