虫のダンジョンに臨む
虫のダンジョンというのが存在する。
そこにはモンスターは出没せず、気味の悪い虫が大量に出現するのだ。厄介なのはその虫たちが媒介する病気があることだ。そのダンジョンに入った冒険者は、高熱を出し虚脱感と皮膚の湿疹、下痢、嘔吐に見舞われるのだ。
小さな虫には剣も弓も槍も意味がない。魔法による火炎攻撃や冷凍攻撃は効果があるが、大量に現れる虫にはコストパフォーマンスが悪く、このダンジョンに挑戦する冒険者はいなかった。
「イトーさん、このダンジョンに挑戦してみませんか?」
そう誘ったのはバロック子爵。イトーはと言うと、バロック子爵家の好意に甘えてだらだらと滞在している。この虫のダンジョンの攻略に手を焼いていた冒険者ギルドがイトーのことを聞いて、理事の子爵に依頼をしたのだ。
「虫のダンジョンですか?」
「正確に言うと、とあるダンジョンの地下9階エリア。8階までは攻略済みなのですが、この9階エリアが大量の虫が行く手を阻んでいるのです」
「それを俺に?」
「イトーさんなら、アイテムを異世界から取り出す能力でなんとかなるのではなと……」
「う~む……」
イトーは考えた。出てくる虫が何なのかは分からないが、虫よけや虫退治のスプレー等、イトーが手に入れることができるアイテムがないことはない。
だが、イトーにはそれをやるという強い動機がない。ただ、世話になっているバロック子爵の頼みだから無下にできないということはある。
「一応、冒険者ギルドに行ってきますけどね」
イトーはそうやって言葉を濁した。できることならそんな面倒なことはしたくない。だが、事態はイトーのやる気とは反対方向に進んでいくことになる。
ダンジョンにはそれを統括するダンジョンマスターというのが存在する。いわゆる中ボスという存在だ。この虫のダンジョンにもダンジョンマスターは存在する。
このダンジョンマスターは中位の悪の魔法使い(ソーサラー)で、町で悪事を働いてはこのダンジョンに逃げ込んでいるのだ。力的にはさほど強くないものの、危険を感じるとすぐに10階へ戻る逃亡魔法を使うために、討伐できないでいたのだ。
虫が跋扈する9階を突破すれば、この悪の魔法使いを討伐できる。しかし、この片田舎の町の冒険者ギルドに高位の魔法使いが来るわけもなく、また、悪の魔法使いの所業がしょぼいこともあって、討伐のための報奨金が少なく、未だに討伐ができていないのだ。
「それで出てくる虫はどんなものなの?」
イトーは冒険者ギルドに行って詳細を聞く。担当の職員はガラスの瓶をいくつか持ってきた。
「これがそのダンジョンで採取した虫です」
「……蚊と蠅とゴキブリ……」
イトーが見たのは日本でもよく見た定番の害虫であった。特にゴキブリはいつも部屋で目撃していた。
「他にも出ますが、この3種の虫たちは挑戦する冒険者たちの行く手を阻むのです。まずは蚊ですが、こいつらの吸血攻撃はまだマシですが、吸血された後の感染症が脅威です」
「ふむ……それは分かる」
蚊は吸血だけではない。外国ではマラリアやデング熱等の恐ろしい病を媒介する。このダンジョンの蚊も急激に症状が進む病を持っているらしい。
「さらに蠅ですが、ここの蠅は噛んで傷をつけると、そこに卵を産むのです。それは1日で幼虫となり、肉を食うのです。死んだ冒険者は3日もあれば食い尽くされてしまいます」
「うげえええっ……それは見たくない」
「さらにこのゴキブリですが……」
このダンジョンのGは半端ない。肉食ゴキブリで動く生物を見つけると集団で襲い掛かり、鋭い歯で噛みつき、食べてしまうと言う。鎧の隙間でも入って来るので防御のしようがないのだ。
(……やめやめ、そんな恐ろしいのパス)
心の中で激しく拒否るイトー。ベテラン冒険者でも無理なのに素人のイトーがそんな虫たちに対抗できるはずがない。ドラックストアの虫退治グッズを使えば可能化もしれないが、危険は伴う。そんな危険なことをする義理はイトーにはない。
だが、ただ飯を食わせてもらっているバロック子爵の手前、演技をする必要があることは要領のいいイトーは心得ていた。
「少し考えさせていただきます。仲間も集めないといけませんし……」
「それもそうですね……。今日、ギルドでクエストを捜しに来ている冒険者にイトーさんと同行できないか聞いてみましょう」
「ほえ?」
イトーは「考えてみましょう」と不用意に口にしたことを後悔した。どうしてもこの仕事を受けてほしい担当者は積極的だ。イトーのために仲間を集めようと動き出した。
(まあ、これまでもこのクエストを引き受ける冒険者はいなかったことだし、捜してもむだだろう……。仲間がいないってことで、このクエストは引き受けられないという結論になるだろうし……)
とりあえずイトーは成り行きに任せた。
「何、あの虫のダンジョン攻略だと。やるわけないだろう。報酬も少ない割に危険度が地味に大きい」
担当者に勧められた戦士は即座に断った。プレートメイルを身に付けた大男だ。年齢は40代過ぎ。ベテラン冒険だから、そこそこ強いと思われた。
「それにだ。虫を退治しても威張れないしな」
「そうそう……虫は厄介ですよ。私のファイア系の魔法を連発しても多少は退治できるでしょうが、数が多すぎてきりがない。ダンジョンですから、下手に火を使えば、こちらが窒息死してしまいますし」
これは戦士とコンビを組む魔法使い。この男も中年のおっさんで、短髪に刈り込んだ髪はところどころ白く、50歳くらいに見える。中位の火炎魔法が使えるらしい。魔法使いは目をしょぼしょぼさせている。よく見ると目がかなり充血している。
「いや、年を取ると目が疲れてね。いつも魔導書を見ると目が疲れるし、ぼやけてくるんのですよ」
不思議そうに魔法使いの男を見たイトーに、そう男は答えた。いつも気にしているんだろう。そういうと水で濡らしたタオルを目に当てた。先ほどの戦士はクエストの養成を断ると、椅子に座ろうとするがその様子がぎこちない。
「うっ……」
椅子にお尻をつけると戦士はそんな声を上げた。目を閉じて痛みをこらえているようだ。
(なるほどね……)
イトーは納得した。この戦士、おそらく、痔を患っているらしい。座るときに躊躇しているくらいだから、かなり痛みをともなうのであろう。
(疲れ目の魔法使いに痔持ちの戦士か……あまりご一緒したくはないなあ)
イトーはそう思ったが、ギルドの担当者はこの2人を説得する。虫はイトーが退治するから、受けてほしいと言ったのだ。
「虫を退治だと……このあんちゃんが?」
戦士は明らかにイトーのことを馬鹿にしている。魔法使いにいたっては完全に呆れ顔だ。これにはイトーも少々イラっとした。
(やろうと思えばできるんだよ……たぶんだけど)
全く見込みがないのなら、イトーもイラつくことはなかったのだろうが、ドラックストアから虫退治グッズを取り寄せて対抗できなくはないのだ。
「このイトーさんは、当ギルドの理事のご推薦の薬師でいっらっしゃいます。異世界から召喚されたお方ですので、虫退治の薬もお持ちのようなのです」
そう担当者はイトーのことを紹介した。これに戦士と魔法使いは食いついた。
「薬師……異世界の?」
「異世界から召喚って、勇者じゃないのか?」
2人とも改めてイトーを見る。平凡な若者である。2人とも同時に鼻で笑った。
「冗談だろ」
「どうみても田舎から出てきた抜け作だろう」
これにはイトーの堪忍袋が切れた。アイテムを召喚する。
「出でよ、目薬とホットマスク」
イトーはドラックストアから疲れ目の目薬を取り寄せた。念ずると空間に注文画面が現れ、目薬をチェックして買い物かごボタンを押せば、目の前に目薬が現れる。
呆気にとられる魔法使いに目薬を差す。ビタミン入りの爽快感のある薬だ。
「おおおおおおおっ……」
あまりの爽快感に驚きの声を上げる魔法使い、目の充血はいっぺんに解消する。
「それだけじゃないよ。これを使ってよ」
イトーがパッケージを破いて取り出したのは、アイマスク。付けると温かくなり、目を休めるアイテムだ。じんわりと温められる快感に魔法使いはうっとりする。
「そしてあなたはこれ」
イトーは痔の薬を取り出す。おしりの穴に入れる座薬である。
「なんだ、これは?」
「これを使えば、おしりの痛さは一挙に解消しますよ」
イトーはギルドの担当者に医務室へ戦士を連れて行くようにお願いする。わけもわからず、医務室へ連れて行かれる中年戦士。
「ち、ちょっと、待て、なぜ、下を脱がねばならない」
「いいから、いいから、上向きに寝て両足を両手で抱えて」
目の前にある汚いものをなるべく見ないようにして、イトーは座薬を突っ込んだ。
「うひょー」
奇妙な声を上げる戦士。だが、入れた途端にお尻全体から感じていた不快な痛みが徐々に溶けていくのを感じる。
「こ、これは……」
「薬ですよ。痔によく聞きます。治るまでお酒や辛い物は控えてください。あと、トイレでいきまないようにお願いします」
「お。お前は本物だ。どんな医者にも薬師にも治せなかった病が……」
戦士と魔法使いの心は決まった。
「われら2人。イトー殿と一緒ならあのダンジョンに臨もう」
「いやいや、俺は馬鹿にされたのが悔しかっただけで……」
イトーは思わぬ展開に慌てて流れを変えようとする。このままだと、このおっさんたちと気持ち悪い虫ダンジョンに突入することになる。
「た、大変だ……」
そんな中、突然、話に割り込んできた男がいる。バロック子爵である。
「ど、どうしたのです?」
イトーは慌てている子爵を見る。その後ろにはあのエルフのレンジャー、ジゼルもいる。
「ナディアがダンジョンマスタにさらわれた」
「ええええ!」
イトーはショックを受けた。ナディアはバロック子爵家の使用人。いかにも田舎からできたという丸眼鏡をかけた女の子だ。純朴な感じでおしとやか。そして、この1か月の間、子爵家でゴロゴロしていたイトーの世話を焼いてくれた娘なのだ。




