更なる出会い
ボルスの酒場の客層、それは大部分が地元、即ち王都に住まう者達だ。そして、それらを職業別に見てみると半数以上が商人と言える。
もっとも、商人とは言えシャガートさんのような巨大な規模を有する縁遠い存在の商人ではなく。まさに町の商人と言うべき身近な存在の商人の方々だ。
仕事終わりの商人の方々の姿が多い店内ではあるが、全ての客がそうではない。中には、見た目では判断しづらいが他の職業についている者もいるだろう。
その意味では、自分達は一目で職業が判断し易い部類に入るのかも知れない。ここまで攻撃的な格好をしているのは、ごく限られた職業のものなのだから。
そして、新たに店へと足を踏み入れた客の中にも、そうした判断し易い部類の客が確かに存在していた。
他の客とは明らかに異なる装い、機能性と見た目を考慮したそのデザインはまさに危険の中に身を置くの者正装とも言えた。
自分よりもさらに濃い、吸い込まれるような黒色の鎧。しかしそのデザインは力強さを備えていながらも無骨ではなく、着る者の特徴を引き出すかの如く優雅で、繊細さをも醸し出している。
男性には無い女性特有の胸部の膨らみを守りつつ鎧としての機能は損なわせず。更には、下半身の防御を高めつつそれでいて何処かドレスのような上品さを演出している。
また、チャームポイントのような兜の角飾り、羊の角であろう角飾りがその色合いも相まって小悪魔的女性の如くその者の魅力を引き出している。
さぞ名のある名工が作り上げたのであろう黒色の鎧。ただ、少しだけ残念と思う部分があるとすれば、それは文字通り露出している部分が殆どないと言う事だ。
いや鎧は外部の攻撃から身を守るもの、であれば鎧としてはそれが正しいものだというのは理解している。だがしかし、だがしかし。
自分だって男性だし、同業者の異性の装いは際どいものもある。だから少しくらいと、煩悩が出てしまう。
だが、ただの女性戦士ではないとの無言の圧力が彼女の背中から伝わってくる。見れば、女性が持つには少々不釣り合いな程の、その背丈ほどはあろう鎧と同じ色をした大剣がその姿をちらつかせている。
自分の持つ大剣と比べ形状の差異はもとより、一回りは大きいであろう彼女の大剣。自分の大剣は少し規格外であるが、彼女の背負う大剣はどうなのだろうか。
あの大剣の性能は分からないが、少なくともあの大剣でそれなりの修羅場をくぐってきたのだとすれば、手練れである事は間違いないだろう。
そんな彼女の姿を横目にしつつ、自分はと言えば食後の一杯を堪能していた。
しかしふとある事に気が付く。それは、黒い鎧を着た彼女の姿がだんだんと大きくなっている、つまりこちらに近づいてきているのだと。
店内は賑やかさを増してきたとは言えまだまだ席には余裕がある。そんな中で、何故か彼女はこちらに、カウンター席の方へと近づいてくる。
「あの、隣、いいですか?」
そして、空いている他の席には目もくれず自分の隣の席へとやって来ると、自分に了解を求めてきた。
特に断る理由もないのでどうぞと返事を返すと、彼女は隣の席に腰を下ろした。
特に何かある訳でもないのに、何故か緊張して仕方がなかった。横目で見ていたからか、妙に彼女の視線が気になって仕方がなかった。
そんな気持ちを落ち落ち着かせる為に、残ったコーヒーを一気に飲み干し気持ちを落ち着かせる。
しかしやはり気になり、横目で彼女の方に目をやると、そこには明らかにこちらを見つめている彼女の姿があった。
「あ、あの。何か?」
明らかにこちらを見つめている彼女を無視し続けるという事も出来ず、とりあえず声を掛けてみる。
すると、こちらの声掛けに反応する事無く彼女はこちらを見つめ続けている。一体何だと言うのか。
その時、ある考えが脳内を過った。まさか、自分の煩悩が読まれた。それともまさか、カルルとリッチ4世さんが気になっているのだろうか。まさかまさか、リッチ4世さんの正体に感づいたのか。
視線を動かすと、彼女の視線に気づいていないのか隣では未だ呑気に食事を続けているカルルとリッチ4世さんの姿があった。
再び視線を動かして彼女の方を改めて見ると、彼女の視線はカルルとリッチ4世さんではなく、自分に向けられている事に気が付く。
まさか、店に入ってきた所を横目で見ていたのに気が付いたのだろうか。そして、煩悩を巡らせ勝手に鉄壁の防御の下を想像していた事を悟ってしまったのか。この無言の訴えは、彼女の怒りの表れなのだろうか。
等と勝手に自分の中で戦々恐々していると、遂に彼女が口を開いた。
「ねぇ、覚えていないの?」
「え」
覚えていないの。この文面から察するに、つまり彼女とは以前何処かで会っているという事になる。
一体何処だ、何処で会ってた。朝のランニングをしている時か、それとも市場等で買い物でもしていた時か。いや、彼女の装いからして彼女が同業者である可能性もある、ならばギルドで会ったのか。
だが待て、同業者でこの装いならば一度会っていれば忘れるはずはないのだが。それとも自分が知らず知らずの内に会ってたとでも言うのか。
思い出す為に必死に記憶の隅から隅までを引っ張り出そうと頭の中が躍起に最中、彼女が再び口を開いた。
「一緒にバスに乗ったのに、覚えてないんだ……」
バスと言う単語に、記憶の引き出しがすんなり開いた気がした。
こっちに来てからというもの、バスなんて科学文明の塊に乗った事も無ければ、同じ名の乗り物にも乗った覚えはない。駅馬車と言う似たようなものには乗ったことがあるが、あれはバスではない。
しかし、自分にはバスに乗った記憶はある。前世のではなく、エルガルドのでもない。その間の不思議な世界での記憶。
彼女の顔を今一度見てみると、兜からはみ出した髪の色やその目の輝きこそ違うが。その顔は、あの時隣の座席に座っていた女性と同じであった。
「あ、ま、まさか……」
「思い出してくれた?」
「思い出しました」
髪の色や装いは変わり、名前や声は知らなかった。しかし確かにあの時隣の座席に座っていた女性が、確かに今目の前にいる。
条件は違えど自分と同じようにエルガルドに来ていたのだ、いつか何処かで偶然に会う事はあるだろうとは考えたが。まさか、ここで会う事になろうとは。
やはりどこの世界でも、世の中って広いようで狭いものなのか。
「でもどうしてここに?」
「実はね、王都には数日前から滞在してたんだけど。ギルドでふと貴方の噂を耳にして気になって色々と調べてたの」
独り歩きしている噂が、今や一体どんな風になってしまっているのか。あまり聞きたくはなかったが、そんな自分の心情などを知らない彼女は平然と噂の一端を口にする。
「あのシャガート商会の懐刀になったとか、ある地域の害獣を根絶させたとか。それから、実は地方貴族の御子息である有名貴族のご令嬢とは許嫁の関係だとか……」
明らかに以前聞いた時よりもその内容が滅茶苦茶な方へと独り歩きしている。しかも、噂とは言えもうシャガート商会と関わった事が漏れてるのか。どれ程慎重に扱っても、完全に漏れ出させないのはやはり不可能と言う事か。
だがそれ以上に、一体何処をどう見たら自分が貴族の息子に見られるのだろうか。そんなに浪費もしていなければ高級宿屋に泊っている訳でもない。成り行きとは言え執事はついているが、それとて数時間前からの事だ。
人の噂も七十五日とは言うが、これはまだ当分続くと言う事か。
「でも所詮は噂、私としては真偽の程はどうでもいいの。……私が気になったのは、貴方がこの王都で『黒騎士』と呼ばれている事についてよ」
「え?」
自分が黒騎士と呼ばれている事にどうして彼女が反応したのだろうか。その疑問の答えは、彼女自身の口から間を置かずして語られた。
「私も一応、別の国では『黒騎士』として名の通ったものだから。だから、同じ名で名の通っている貴方がどんな人なのか気になったの」
同じ地域内ならば同じあだ名を付けられている人物が他にもいると言う情報は自ずと入ってきそうなものであるが、別の地域となるとなかなかそうはいかないかも知れない。特に、高度な情報化社会でもないエルガルドにおいては。
そして、あだ名であろうが本名であろうがこうした同じ名を持つ者の存在というものは、確かに一度耳に入れると気になってしまうものだ。
自分も、彼女と同じ立場なら気になって仕方がなかっただろう。
「それで王都のギルドで貴方が現れるのを待ってたの。そしたら、以前見た事のある顔に出会った」
「それが、自分。ですか?」
「そう。そして、その顔の主が私の探していた黒騎士本人だと分かった時。私、これは運命じゃないかって思ったの」
一体何が運命なのだろうかと頭の中で推理していると、次の瞬間彼女の口から衝撃的な言葉が飛び出してきた。
「だって、一目惚れした人が同じあだ名で呼ばれてたんだから」
一体誰が誰に一目惚れしたのだろうか。なんて呑気に考えている暇など、今の自分にはなかった。何故なら、頭の中が間接的とは言え好きだと告白された対応を導き出す為に、その一点に集中してフル稼働していたからだ。
生まれてこの方、前世やこっち(エルガルド)に来てからも含め、今まで生きてきた人生の中で自分からはあるが女性から告白されたなんて経験は一度もなかった。
なので一体どんな答えを返せばよいのか、一応初対面ではないとは言えほぼ初対面と言っていい状況でオッケーの返事をしていいのか。それとも、ここは互いを理解する為にお友達から始めようか。
イエスかノーか、お友達からか付き合うか。頭の中が答えを導き出しては消しまた導き出しては消すの作業を繰り返す。
気が付くと、彼女の話の続きを完全に聞き流していた。
「あの、聞いてます?」
「あ、うん。はい!」
「それじゃ、返事は……」
そうだ、覚悟を決めるんだ自分。出会って直ぐに好きと言われたっていいじゃないか、相手が好きと言ってくれているんだから。その気持ちを素直に受け止めるのが男ってものだろう。
「こんな自分ですが、よろしくお願いします!」
「本当ですか! それじゃ、良きメンバーの一員としてこれからもよろしくお願いしますね」
「……、へ?」
メンバーの一員として。違和感を覚えずにはいられない言葉が、自分の想像とは違う言葉が、彼女の口から帰ってきた。
そして、その為思わず、情けない声を漏らしてしまうのであった。




