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これからたぶん、ずっとナルちゃん視点です。
「ありがとな」
ロドックに見送られて、帰路につく。
…勢いで買ってしまった。
だが、ロドックのいい笑顔が見れただけでも、良かったのか。
そう自分を納得させながら、斜め後ろを歩く奴隷――アリスリデアをちらりと見る。
あいも変わらず無表情である。
あの後、細かくロドックと今後のことを話し合った。
まず、アリスリデアはとても厄介な存在だと分かった。
ロドックの奴、最も重要なことをわざと言わなかった。なんだかとても裏切られた気分だ。
てっきりロドックは、私がアリスリデアの暴走をどうにかして止められると考えて、私に助けを求めたのだと思っていた。が、実際は違う。
奴は私を生贄にしたのだ。
アリスリデアの暴走は、週に一度程吸血をすればほぼ止められるらしい。
なお、その血が若い少女のものだと完全に止められる。
…完璧に嵌められた。
暴走は、血で贖える。この身に流れる血。その血で抑えられるのに、なぜ厄介なのか。簡単だ、それすなわち、私が面倒だからだ。
ところで、血には特別な意味が昔からある。
魔術でいえば、高度な儀式を用いる時には必須だし、魔力を込めれば敵を攻撃することもできる。
いわばその個体の活力のような存在。
血によっていろいろな性質があるから、多種のものを摂ることはできない。
故に、常に一つの個体から摂り続けなければならないのだ。しかし、大抵の乙女ならば週ごとに大量の血を吸われればいつかは死ぬ。
そこで矢面に立つのは私だ。
私なら、薬を自分で錬成できる。しかも、やる気になれば、自分を不老不死にすることもできるだろう。とても優良物件だ。
…おまけに魔力の滲む血はとても旨いそうだ。
自分のカモっぷりに嫌気が差しそうだった。
そもそも奴は、初めから私が最後には断りきれないように仕掛けていたのだ。
隠し部屋で少年に会わせたのも、絶対に話さなかったロドックの過去を話したのも、全て。
ロドックがアリスリデアに感じたという思いは本当だろうし、心底困っていたのも分かる。
しかし、少しくらい言っておいてくれてもいいのではないだろうか。
そうぐちぐち文句を言いたくなる気持ちは底をつきない。
それでも、奴なりに誠意も示したようだ。アリスリデアの首輪。これは私が少年に血を与えれば不要になる。売って金にしろ、というところか。
奴もまあ、人並みの罪悪感はあったのだ。そう思うと少し溜飲が下がった。
はあ、と息をはいて気持ちを入れ替える。今考えるべきは今後のことだ。まずは家に帰ろう。
◇
「ここが我が家だ」
私の家はゲラウス街の端の端、ぼろぼろの長屋の一角にある。格安で、尚且つ時空を繋げやすかったのでここにした。
アリスリデアは無反応だ。そう無表情でばかりいられてもつまらない。
「ついてこい」
もう馴染んだ、雑草の生い茂る小道を進む。自分の玄関の脇に魔術士の依頼書が重なっていたのを、無造作に取り上げる。今回は溜まっていたのか、少し重い。すると横から青白い手が伸びてきた。
「…持ちます」
心地よく響くアルトボイス。
…驚いた。
初めてアリスリデアの声を聴いた。話せない訳ではなかったのか。いや、今まで会話をしようとしなかった私が悪いのだろうか。だが主が奴隷に気を遣うのは何か違うのではないだろうか。いやそもそも…。
思考がぐるぐると回る。
ああ、これだから奴隷は嫌なのだ。
奴隷の扱いには本当に困る。
返事がないのが拒否のサインだと思ったのか、アリスリデアはゆっくりと腕をおろして、「すみません」と小さく言った。
「ああ、いや、こちらこそすまない。少し考え事をしていた。頼む」
あわててそう言って依頼書をアリスリデアに押し付ける。本当に面倒くさい。
動揺した気まずさを振り払うように、いつもより少し乱暴に扉に触れる。
「では、入るぞ」
この扉も魔力で開く。ならず者対策だ。
カチリ、と音がして扉が消えた。
途端に目の前に広がる光景に、後ろで息を呑む気配がした。「なぜ…」とか何とかと呟いている。
そう、ここはただのぼろい長屋のひと部屋ではない。私の魔術で中の時空を捻じ曲げ、目標の座標に繋ぎ止めている。
広がるのは青い空。
覆うのは緑の森。
ときおり地を跳ねる動物たち。
そんな大自然の中に、ぽつんと小さな一軒の家がある。
それこそが本当の我が家。ようやく帰って来れた。
ほう、と息をはくと、後ろからまた硬い声が聞こえた。
「…これは、どういう事なのでしょうか」
少しほくそ笑む。家へ向かって歩き出しながら後ろを振り向き笑顔で答えてやる。
「まあ、私はすごい、ってことだ」
…少し張り切りすぎただろうか。馬鹿な主だと思われたのか、アリスリデアの顔まで固まっている。
やってしまったかもしれない。こほん、と咳をして場を流す。
「ともかく、ここは魔術で時空を曲げている。迷子になったら死ぬしかないからな。気をつけろ」
「…はあ」
…これからこの奴隷とやっていけるだろうか。
家の前まで無言で歩き、足を止める。
「ああ…」
ただいま。
ひとり静かに涙を流す。後ろでギョッとしたように後ずさるアリスリデアなど気にならない。
たった一日留守にしただけなのにこんなにも愛おしく感じるのは、私が引きこもりだからなのだろうか。
「引きこもり変態野郎」――ロドックによくからかわれていた事を思い出す。それすらも私と家との愛の証だと思えば喜んで受け取れる。
昔から使っている錆び付いた金属の鍵を懐からだし、一撫でしてからそっとドアノブに差し込む。ぎぃっ、という音からしても、もうガタが来ているのは一目瞭然。その音にさえ愛着を感じてしまう私はおかしいのだろうか。否、この愛情がおかしいだなんてありえない。そう思う者の心が荒んでいるだけだ。
静かに部屋へと踏み出す。
「おまえも、入れ」
「……はあ」
少し引き腰で、遠慮がちに辺りを見回すアリスリデア。だが私は、きっと少年の瞳が好奇心と尊敬で煌めいていると断言できる。
そうだ、もっと見るが良い。私が日々丹念に掃除しているのだ、蜘蛛の巣ひとつ、塵ひとつあるはずがない。
――ああ、そういえば昨日はあの老いぼれの看病とアリスリデアの件で一日留守にしたのだった。訂正、今はあまり見るな。
そう思いアリスリデアを軽く睨むと、緩く首を傾げられた。さすが美少年、やることが様になっている。…何か負けてはいけないもので負けてしまった気がするのは気のせいなのか。
「…この家は、私の師匠が創ったものだ。今は私が譲り受けているがな。少しでも傷を付けたら容赦せんからな」
脳裏に懐かしい師匠の優しげな笑顔がふと浮かぶ。…この話をするつもりはなかったのだが。
過去の思い出を振り切り、少年を改めて見る。
「とりあえず、これからよろしく頼む」
私の唐突な挨拶に驚いたのか、アリスリデアは青白い顔をさらに青白くし、その長い睫毛をゆっくりと瞬かせてから、ややあってしっかりと頷く。
「こちらこそ、これからよろしくお願いします」
「この家は大切に使わせていただきます」そういって深々と頭を下げたまだ幼き少年アリスリデアを見下ろしながら、まあ、少しは認めてやっても良いか、と思うことにした私だった。
表に出さないだけで、結構イタい子だったナルちゃん。
内心どんなに的外れなことを考えていても、ポーカーフェイスなので誰も気が付きません。
そして誰も突っ込めないのでますますイタい子になっていく負のループ。
ありがとうございました。




