2 レイチェル、妹に刺される
アルバート様との婚約を発表した翌日のことだった。
自宅伯爵家での夕食前、私は突然メアリーから呼び出しを受ける。首を傾げつつ、彼女の後ろについて屋敷の廊下を歩いていた。
……急に話があるなんて、いったい何かしら?
おそらく昨晩のことがよほどショックだったのでしょうけど、あれからこの子、ずっと様子がおかしいのよね。
私とアルバート様の婚約発表の時からメアリーは常にぼーっとし続けている。今日になってもそれは変わらず、たまにぶつぶつと聞き取れない何かを呟いていたり。はっきり言って、とても怖い。
と思い出しているうちに、前を歩くメアリーが一つの部屋の前で立ち止まる。
「……お姉様、こちらへ」
「え、ええ」
扉を開けた彼女に続いて私も部屋の中へ。
ここって、確か今は使われていない空き部屋のはず……。こんな所に連れてきてどうするつもりなの?
室内にはやはり物が一切なく、がらんとしていた。
再び首を傾げる私の耳に、メアリーの「お姉様は……」と話す声が聞こえてきた。
振り返ると彼女は入ってきた扉にもたれかかって立っている。まるで通せんぼでもするかのように。そのまま話を続けた。
「お姉様は、私より幸せになってはいけないんです……。……なのに、次期侯爵家当主と婚約だなんて。あんなに容姿端麗な男性と婚約だなんて……。……私は、……どうすればお姉様より幸せになれるのですか……?」
そう話しながらメアリーはナイフを取り出していた。鞘から抜いて鋭い刃を私に向ける。
う、嘘でしょ!
様子がおかしいとは思っていたけれど、ここまでおかしくなっていたなんて!
「待ちなさい、メアリー! 早まった行動に出ては駄目よ! あなたにもこの先、いい縁談が来るかもしれないじゃない! それに私達は姉妹でしょ!」
「……姉妹だからですよ。私は、お姉様にだけは負けたくなかったんです!」
私の必死の説得も今のメアリーには逆効果だった。彼女はナイフを一層強く握り直す。
「もう! お姉様を殺すしか勝つ道はありません!」
叫んだ直後にメアリーはナイフを構えて突進してきた。
避けないと! と思った瞬間には、私は焼けつくような痛みを感じていた。
視線を下にやると、さっきまで妹の手にあったナイフが私の腹部に深々と突き刺さっている。
……そ、そんな……、嫌……。
こんなことって、あんまりだわ……。私は何も、悪くないじゃない……。ただ、妹の身代わりでお見合いをして、たまたまそれがいい方向に転がっただけ……。そう、たまたま運がよかっただけよ……。
それだけなのに、どうしてこんな目に……!
考えている間に私のドレスは真っ赤に染まっていく。体の力も抜けていき、ついには立っていられなくなって私は床に倒れこんだ。
……視界が、ぼやける……。私、このまま死ぬの……?
……嫌、アルバート様……。ようやく、愛する人と巡り合えたのに……。こんな所で終わりたくない……。
私の頭の中にアルバート様と過ごした日々が甦ってくる。
まさかこれが死の直前の走馬灯かと思っていると、不意に全く別の記憶が。
それはずっと古い記憶。メアリーがまだ私を慕っていた子供時代よりさらに古い、私がこの世界に生まれるより前の記憶――。
――――。
私はレイチェルとしての生を授かる前、光に覆われた空間を漂っていた。
見渡す限り何もない所だけど、包みこむような大きな存在を感じる。神様とかいうやつかもしれない。私の心の中に語りかけてきた。
『あなたは割と可哀想な魂です。これから新たに始まる高校生活に希望を膨らませるも、その初日、入学式に向かう途中で交通事故に遭いました。あなたは舞い散る桜と共に命を散らした気の毒な女子高生だったのです』
何をうまいこと言ってるんだよ、不謹慎だな。
けどそうだ、私、楽しみにしていた女子高生生活の初日に死んじゃったんだ……。
『ですので、次の生はあなたの望みを叶えてあげましょう。次は何に生まれたいですか? 鳥でもドラゴンでも思うがままですよ』
どうして人外だ、人間に決まってるでしょ。ドラゴンなんているわけないし。
『いいえ、あなたが今から赴く世界にはいます。以前の世界の、中世西洋に似た雰囲気で、科学の代わりに魔法が発達しています』
おお、ファンタジーだね。じゃあ、前は定食屋の娘だったから、今度はどっかの国のお姫様にしてもらおうかな。
『え、王族なんて自由が制限されていて何も自分でできませんよ。貴族くらいにしておきなさい。そうですね、伯爵家の令嬢辺りがおすすめです』
じゃ、じゃあ、それで……。
あ、魔法とかあるんだったら、ついでに何かすごい能力もおまけしてよ。
『……あまり調子に乗ると虫に転生させますよ』
……ごめんなさい、あなたが軽い感じだったから調子に乗りました……。虫は許してください……。
『まあ、いいでしょう。では、時間を戻すことができる力を授けます。二十四時間までなら巻き戻し可能です』
それってすごい能力では!
『はい、ですので発動には相当なエネルギーを要します。簡単には使えないでしょうが、今度こそ後悔のない人生を送りなさい』
そう言われたのを最後に、神様っぽい何かとの会話は終了して私の意識は途絶えた。
――――。
……思い出した。私は転生者で、時間を巻き戻す力を授かった……!
……でも、どうやって時間を戻せば? 相当なエネルギーが必要って神様っぽいのは言っていたけど、そもそもエネルギーって何……?
ああ……、考えているうちに意識が朦朧としてきた……。
まずい……、本当にまずい……。
し! しっかりしろ私!
幸せな婚約発表の翌日に妹に刺されて死ぬなんて、前世以上に後悔しか残らない!
今世は!
意地でも死なない! 石に齧りついてでも生きてやる!
キィ――――――――ン……。
――気付けば、私はアルバート様の隣で並んで立っていた。
まず真っ先に自分の腹部を確認するも、さっきまで刺さっていたナイフも、止めどなく出血していた傷も綺麗になくなっている。
あ、これは昨晩の、侯爵家での婚約発表だ……。
じゃあ私、時間を戻せたんだ……。よ、よかった……。
「レイチェル様、どうかなさいましたか?」
心配そうにこちらを覗きこんでくるアルバート様の顔を見た途端、私の目からは自然と涙が溢れてきた。
本当に戻れてよかった……。
……それはともかくとして、だ。
メアリー、よくも刺してくれたな……。
そんなに姉が幸せになるのが嫌か? 刺すほど嫌か? 正直、ここまで狂っているとは思わなかった。
少し、いや、大分お灸をすえる必要があるようだ。
以前の私は子供時代の記憶に引きずられて甘いところがあったけど、今の私は半分が前世の私(赤の他人)。手加減はしないよ、鬼畜な妹め。
次話でメアリーはしっかりと報いを受けます。
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