1 レイチェル、身代わりでお見合いをする
私は伯爵家の長女レイチェル。
私には二人の兄と、一つ年下の妹メアリーがいる。実は妹とはあまり関係がよくなく、そのことが近頃は私の悩みの種になっていた。
メアリーは幼い頃は私の後ろをついて回る可愛い妹だった。ところが、成長に伴って彼女は私の物を何でも欲しがるように。さらにそれだけではなく、自分のいらない物を私に押しつけてくるようになった。
やがて私は気付く。今のメアリーは私を姉としてではなく、一人のライバルとして見ていると。十六歳と十五歳という年齢になって、共に縁談話が来るようになっている。メアリーは私よりいい結婚をして、私よりいい人生を送りたいと考えている節があった。
……つくづく貴族で年の近い姉妹を持つ辛さが身に沁みる。
もうかつての可愛かったメアリーはどこにもいない。あの子は私を蹴落とすことしか頭にないのだから……。
そんなある日、メアリーの所に一つの縁談が。
どうやら彼女が両親や兄達に精力的に働きかけてまとめてもらった話らしい。お相手は貴族としては格上の侯爵家なのだとか。
当初は私の前で勝ち誇ったような顔をしていたメアリーだが、話の中身が見えてくると途端に落胆した表情に変わった。
「まさか、侯爵家は侯爵家でも、次男のアルバート様だなんて……」
なるほど、あの変わり者っぽい暗い感じの方か……。
私も夜会で何度かアルバート様を見掛けたことがある。長い髪で隠れていて顔立ちは分からないけれど、いつも壁際の椅子で一人で本を読んでいるイメージだった。
夜会とは言わずと知れた社交の場だ。そんな所で読書をするのだから社交を完全拒否しているようなもの。間違いなくアルバート様は相当な変わり者だろう。
メアリーは体をさすりながら首を左右に振っていた。
「あんな方と結婚したらきっと人生真っ暗になるに違いありません! いくら格上貴族でも無理です!」
「あなたがお父様達に頼みこんでまとめてもらった話でしょうが……。簡単には断れないわよ」
「……そう、格上貴族だけに簡単には断れないのです……。というわけでお姉様、私の代わりに行ってきてください!」
「また私に押しつける! 私だって嫌よ!」
その時、私とメアリーが話をしている部屋にお父様とお兄様達が雪崩れこんできた。
「頼む、レイチェル! 行くだけ行ってくれ!」
「何度かお見合いをするだけで構わないから!」
「それで私達の顔は立つし、家同士の関係も保たれる!」
えー……、だからどうして私が……。
結局、私は愚かな妹が撒いた種のせいでアルバート様とお見合いをすることになった。
まるで市場に出荷される子牛のような気分で侯爵家へと赴く。
通された部屋にはすでにアルバート様が。椅子に腰かけて本を読んでいる。私が現れたのを見て彼は立ち上がった。
「本日はわざわざのお越し、ありがとうございます。アルバートです」
「はじめまして、レイチェルと申します。夜会で何度かお見掛けしているので、厳密には初めてお会いするわけではないのですが」
「そうですか。いつも本を読んでいるので気付きませんでした」
「ええ、いつも本を読んでおられますね……」
ここで会話は途絶え、アルバート様は再び閉じていた本を開いた。目の前にいる私を全く気にする様子もなく、黙々と本の世界へ。
……夜会で見たそのままの方だった。私はここからいったいどうすれば……。
といたたまれない気持ちで椅子に座っていると、アルバート様が我に返ったように本をテーブルに置いた。
「あ、すみません。ついいつもの癖で」
「いつもの癖とは?」
「私は父より日々仕事を課せられていまして。少しでも時間が取れれば好きな本を読む癖がついてしまっているのです」
「な、なるほど。よほど本がお好きなのですね」
たとえそうだとしても、夜会やお見合いの席で読むのはどうだろう……。やっぱり変わった人だ。今も置いた本に向かって手がピクピクと動いている。お見合い中なのだからもうちょっと我慢してください……。
アルバート様は自分を律するようにピクピク動く手を反対の手でぎゅっと握った。
「読書だけが私の楽しみでして……。レイチェル様は本をお読みには?」
「私は教養の本くらいです。本とはそれほど面白い物でしょうか」
「ふむ、教養本だけではそう思ってしまうのも無理はありません。よろしければ、私のおすすめの読み物をご紹介させてください」
「え、で、では、お願いします……」
こうやって気まずい沈黙の中で向かい合っているよりはいいかもしれない。
私はアルバート様の案内でお見合いの部屋を出る。辿り着いたのは彼の自室だった。
今日初めてまともに会話したのにいきなりお部屋に……?
……まあ、アルバート様は全く危険な感じはしないけれど。
室内に入ると私の視線は壁一面に並ぶ本棚に奪われた。
「大変な量の本ですね。いったい何冊あるのですか?」
「数えたことはないので……。えーと、レイチェル様に楽しんでいただけそうなのは……」
しばらくしてアルバート様は一冊の本を手に戻ってきた。彼は表紙をめくりながら説明を始める。
「これなどいかがでしょう。家のための結婚が嫌で屋敷を飛び出した貴族の令嬢が、暮らしていた王国をも飛び出して世界中を旅する冒険譚です」
「え、子供向けの童話ですか?」
「いいえ、難しい文法なども使われているので子供向けでは。大人でもこういった物語を読むのですよ」
そうなのですね。確かに、……面白そうではあります。
アルバート様から冒険譚の本を借りた私は、彼と共にお見合いの部屋に戻った。
お茶を片手に本を読み出した私を見て、アルバート様も安心したように自分の本を開く。
……あ、彼は自分が本を読みたいがために私にもあてがったのか。本当に本のことしか考えてないんだね……。
それにしても、この冒険譚は面白い。
――――。
ふと気付けば窓の外に夕日が見えた。
確かこちらのお屋敷には正午頃に来たはず! 私、いったいどれだけ熱中して読んでいたの!
……正直なところ、こんなに面白い本が存在するなんて知らなかった。
アルバート様が言った通り、教養本とは全く違う。彼が夢中になるのも分かる気がするね。
と視線を正面に向けると、アルバート様も読んでいた本を閉じた。長い髪で顔はよく見えないものの、おそらくとても満足げな表情をしている模様。
「こんなにゆっくり読書できたのは久々です。レイチェル様、またお見合いをしませんか?」
「…………。お見合いを口実にお父様とお仕事から逃れるおつもりですね?」
「う……、しかし、あなたにとっても悪い話ではないはず。夢中でその冒険譚をお読みでしたよね? 私の部屋にはそれの続編が全て揃っていますよ?」
「これ、続きの巻もあるのですか?」
「大人気のシリーズなので二十七巻まであります」
そんなに!
とんでもない作品をあてがってくれたものだ。あると知ってしまった以上、続きを読まないわけには……、仕方ない……。
「……またお見合いをしましょう」
この日はとりあえず二巻まで借りて伯爵家の屋敷に帰ることにした。
思えば、冒険譚の続きが気になるなら自分で全巻買い揃えればいいだけだった。にもかかわらず、再び会うことを了承してしまったのは、アルバート様と一緒に読書しているあの空間が心地よかったから。
うーん、世間で言われるほど暗い方ではなかったし、どうやら仕事もできるようだし、この縁談はそれほど悪い話ではないのかもしれない。
こうして私は週二回のペースでアルバート様とお見合いを重ねていった。
最初はお互いに無言でひたすら本を読むだけの時間だったけれど、次第に本に関しての雑談を交わすように。そのお喋りも私自身が本を好きになったことで、なかなか楽しいものになった。
十何回目かのお見合いの日、読書後の雑談が弾みすぎて気付けば夕日が完全に沈んでしまっていた。
急いでお暇しようと椅子から立ち上がったその時、部屋の扉をノックする音が。アルバート様のお母様である侯爵夫人が顔をちらっと覗かせた。
「ふふふふふ、二人共、本当に気が合うようですね。レイチェル様、よろしければ今夜は夕食をご一緒にいかがです?」
「いえいえ! それは申し訳ないので私はこれで失礼を」
と言いかけた瞬間、危うく私のお腹が鳴りそうに。令嬢としての意地で必死に抑えこむ。
この間にアルバート様が私に向けてスッと手を差し出してきた。
「そろそろ夕食くらいはよろしいのでは? 今日で十五回目のお見合いですし」
「あ、数えていらしたのですね……。では、ご一緒させていただきます」
考えてみればお見合いで食事を共にするのはそう珍しいことでもない。
私はアルバート様とそのご両親、つまり侯爵様とその奥様の四人で夕食をとることになった。
もちろん私は伯爵家の令嬢としてマナー教育も受けているので、たとえ格上貴族のご一家が一緒でも全く問題はないはず、だったがここで想定外の問題が起こる。
席に着く前にアルバート様がその長い髪をかき上げて後ろで一まとめに。
現れた顔に私は言葉を失った。
す、すごく整った顔立ち!
アルバート様、もっさりした髪の奥はこんなにかっこよかったなんて! 冴えない男性が髪を上げたら実は……、なんてまるで物語じゃない!(そういうのにも詳しくなった)
マナーや貴族の格どうこう以前に、アルバート様を隣にした私は食事どころではなくなった。
横を見ずに何とか食事を、と思っていると、侯爵様と奥様がやけに意味ありげな笑みを。
「ちょうどいい機会なのでそろそろどうかと思うのだが」
「ええ、十五回もお見合いをしているのだし、そろそろ婚約を交わしてもいいのでは?」
アルバート様の素顔を知ったこのタイミングでそんな話を! 私の心臓は破裂しないか心配なほどドキドキ言っているのですが!
もう私はぎこちない動きでアルバート様の顔を見るのが精一杯だった。
「いつの間にか本以外に好きなものがもう一つ、いえ、お一人できていました。レイチェル様、あなたと本を読んでいる時間がとても楽しいのです。どうか私と婚約してください」
素顔のアルバート様からまっすぐ見つめられてこう言われては、私に抗う術などなかった。
「お、お受けいたします……」
そう返答するだけで体力を使い果たした私に侯爵様が。
「うむ、今日はよい日だ。そうだ、二人の婚約を発表する場であのことも公にしてしまおう。実は、私の長男はどうしようもない遊び人でな。それに対してアルバートは非常によく仕事ができる。これまで本にしか興味を示さなかったのを心配していたが、それも解決した。なので、私は正式にアルバートを……」
さ、左様ですか……。
驚き疲れた私の心は完全に麻痺してしまっていた。
伯爵家の屋敷に帰ってさらに一日経った翌日、ようやく自分が大変な良縁に恵まれたことを自覚する。
元は妹に押しつけられ、身代わりで受けた縁談だったのに……。
そのメアリーも私の婚約を知ったようだった。
「お姉様、まさか婚約までしてしまうなんて。まあ、根暗で地味なあの方とならお似合いですよ、あはははは」
そんな明らさまな嫌味も、今の私にはメアリーを憐れむ材料にしかならなかった。
……この子、きっと婚約発表の場で腰を抜かすはず。
その日は案外すぐにやって来た。
侯爵家の大広間に王国中の貴族が集まっていた。
私と一緒に、髪を上げて正装を纏ったアルバート様が姿を現すと、全員の視線が彼に集中。夜会でのもっさりした彼を知っているだけに、あまりの変貌ぶりに一様に固まる。
もちろんメアリーも、まるで置き物のように硬直して微動だにしない。
やがて侯爵様が全員の前で挨拶を始めた。
婚約した私とアルバート様を盛り立ててやってほしいといった話で、最後にあの件を発表。
「この侯爵家の次期当主として、私はここにいるアルバートを正式に指名する」
つまり私はいずれ侯爵夫人になるようです。皆様、どうぞよろしく。
メアリーに目を向けると、彼女は期待通りにガクッと膝から崩れた。
本当にありがとう。あなたが押しつけてくれたのは最高の縁談だった。




