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第5話 星詠みの秘儀と雨夜の人影

 階段を下りる足取りが重い。でも、彼女は歩みを止めなかった。次の一歩が、大理石を叩く。返却された本を抱え、コレットは書架へ向かう。革の表紙が胸に温もりを残す。埃の匂いが鼻を刺す。


 彼女の足音だけが、静寂を破る。高く積まれた書架の間を抜ける。日差しが窓から差し込み、塵が舞う。


 指先が背表紙を撫でる。番号を追い、目的の場所へ歩を進める。心臓が胸の内側で重い。


「……ここだ」


 彼女は立ち止まる。書架の前に立つ。この場所で、彼と出会った。呼吸が浅くなる。


 本を収める手が震える。隣に並ぶ書物の背が見える。彼が借りた本と同じ装丁だ。喉の渇きがひりつく。


 指が一冊の本に触れる。革の感触が蘇る。あの日、彼が手に取った一冊。手足が鉛のように重い。


 コレットは目を閉じる。鼓動が耳朶で鳴る。彼の声が、記憶の中で響く。体に疲れがしみつく。


「……次は、こっちだ」


 彼女は歩き出す。次の書架へ移動する。足取りは固い。でも、止まらない。


 本を収めた空間が、小さな隙間を埋める。彼女の吐息が、静かな書架に吸い込まれる。冷たい空気が袖を通る。 書架の角を曲がると、空気が変わった。埃と革と、古い紙の匂いが混じる。コレットの足が自然に止まる。


 一際高い書架が並ぶ区画だ。魔法書専門の棚がずらりと続く。彼女の視線が一点を捕らえる。中央の書架の、三段目の位置。


 息が詰まる。胸の鼓動が早くなる。ここだ。彼が背を預けた場所。彼女も寄りかかった柱。


「……まだ、残っている」


 彼女は近づく。手を伸ばす。指先が一冊の背表紙に触れる。『星辰魔術の基礎理論』。金文字がかすかに輝く。彼が真っ先に手に取った本だ。


 彼女はその本を慎重に抜き出す。革装丁が手の平に重い。ページを開く音だけが響く。


 書き込みがある。細くて整った筆跡で、欄外に注釈が記されている。アルヴィンのものだ。彼の思考の跡が、紙に刻まれていた。


 コレットの指がその文字をなぞる。インクの跡が少し盛り上がっている。彼がペンを握り、真剣に考えた時間が、この本に封じられていた。


 彼女は本を抱きしめた。胸に重みがのしかかる。でも、それは苦しくなかった。温もりが、冷えた体の内側から湧き上がってくる。


 彼女は顔を上げた。書架の向こう側を見つめる。まるで、彼が今にも現れそうな気がした。


「……私は、ここに立っている」


 声はかすれていた。しかし、確かに響く。この場所で、彼と出会った。この場所で、彼女は変わった。


 本を元の位置に収める。手が震えていない。彼女は深呼吸を一つした。冷たい空気が肺を満たす。


 彼女は背筋を伸ばす。そして、書架の前から一歩を踏み出した。足取りは軽かった。過去を抱え、未来へ歩む。


 彼女は図書館を後にした。胸の中で、一つの決意が固まる。彼女はこの思い出を、礎にする。新たな国で、新たな自分を築くために。一冊の魔法書が、棚からわずかに飛び出していた。

 コレットの指が自然に伸びる。背表紙の革が冷たい。彼女は本を引き抜く。埃がほのかに舞った。


『星詠みの秘儀』。金文字が褪せている。彼女の胸の奥で鼓動が速くなる。


 ページをめくる音だけが響く。パラパラ、パラ。手が一か所で止まる。

 欄外に細い字があった。アルヴィンの筆跡だ。彼の書き込みが、幾何学図形の横に寄り添う。


 コレットの息が詰まる。そのページには、ふたりの指紋がかすかに重なっていた。

 彼が解説し、彼女が頷いた。あの午後の温もりが、紙の上に封じられていた。


 彼女の指がその文字を撫でる。インクの盛り上がりを感じる。喉がひりつくように乾く。

 まるで、彼の声が聞こえそうな気がした。胸の内側で脈が響く。


「……覚えている」


 彼女は囁いた。声は震えていなかった。本を抱きしめる。重みが確かなものを運んでくる。

 手足の重さが、ふと軽くなる。彼女はゆっくりと目を閉じた。


 ***


 雨戸が軋む。コレットの目が覚める。


 窓の外は漆黒だった。雨音だけが部屋を満たす。ざあざあ、しとしと。律動的で不気味だ。

 彼女は布団から起き上がる。足裏が冷たい床に触れる。


 何かが違う。雨音の合間に、かすかな足音が混じる。

 コレットは息を殺す。胸の鼓動が耳に響く。


 そっと窓辺に寄る。指先でカーテンをわずかに押しのける。

 ガラス越しに、ぼんやりとした人影が動く。


 一瞬、アルヴィンの面影が脳裏をかすめる。しかし、背格好が違う。

 訪問者は軒下に立ち止まる。傘も持たず、雨に打たれている。


 コレットの手が窓枠に力込める。警戒心が背筋を這う。

 人影はゆっくりと顔を上げる。闇に溶けるようなその輪郭は、彼女には見覚えがなかった。


「……誰?」


 声は窓ガラスに吸い込まれる。外の者は気付かない。

 人影は振り返り、暗闇へ消えていく。雨音だけが残る。


 コレットはその場に立ち


 ***


 ティアラローズ・ラピス・クラメンティールの寝室。窓辺に立つコレットの手に、一枚の小紙片があった


ここまで読んでくださりありがとうございます。

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