第3話 渡せなかった手紙と祭り前夜の孤独
窓辺の白い蕾が、微かに揺れた。朝の光を浴びて、ほんのりと開きかけている。 枕元に一枚の手紙が置かれている。蝋の封印が割れ、中身が見えている。
コレットは体を起こす。背骨がきしむ。目覚めの重さが全身を押し付ける。
手紙を取る。紙の感触が冷たい。指先がわずかに震える。
アルヴィンの筆跡が走っている。異国の王宮での面会を促す文面だ。
「……夢と同じ」
彼女は呟く。喉がひりつく。昨夜の夢が脳裏をよぎる。
見知らぬ大広間。アルヴィンが遠くに立っていた。手を伸ばしても届かない。
手帳を開く。前世の記憶がびっしりと記されている。
その横に、現実の日付。二つが並ぶ。違和感が胸を締め付ける。
心臓の鼓動が早い。肋骨の内側を叩くように響く。
肩の筋肉が岩のように固い。首を回せない。
窓辺に立つ。足が鉛のように重い。ガラス越しに朝の光が差す。
手紙を握りしめる。紙がくしゃくしゃと音を立てる。
「変えられる。運命は……」
声がかすれる。息が浅い。吸い込んでも肺が満たされない。
手帳の文字がにじんで見える。目頭が熱くなる。
彼女は深呼吸する。冷たい空気が喉を通る。
握った拳をゆっくり開く。手の平に汗がにじんでいる。枕元の手紙が窓の光に白く浮かぶ。封印は開けられたままだった。
コレットは体を起こす。背骨が軋む。全身に朝の重さがまとわりつく。
手帳を引き寄せる。革の感触が冷たい。指先がわずかに震える。
前世の記憶と、昨日書いた決意の文字が並ぶ。その差が胸を締め付ける。
「……違う」
彼女は呟く。声はかすれている。喉がひりつくように乾く。
夢の残像が脳裏をよぎる。アルヴィンの背中。届かない手。
窓辺に立つ。足取りは重い。ガラス越しの光がまぶしい。
手紙を握りしめる。紙がくしゃくしゃと音を立てる。
心臓の鼓動が耳の奥で鳴る。速く、浅い。
肩の力が抜けない。息を吸い込んでも肺が満たされない。
手帳を開き直す。新しいページを見つめる。
ペンを取る。重みが指に伝わる。
「私は選ぶ。アルヴィン様を」
最初の一文字が刻まれる。勢いがある。
手の震えが止まる。鼓動が静かになっていく。
文字が走る。前世の計画を塗りつぶすように。
選択を記す。一つ一つ、自分の意志で。
書き終える。ペンを置く。深呼吸をする。
冷たい空気が喉を通り、体の奥まで届く。
窓辺の白い蕾が、ふわりと開いた。ダイニングテーブルにパンと紅茶が並ぶ。手帳が開かれている。
コレットはパンに手を伸ばすが、指先が震えてつかめない。代わりに手帳のページをめくる。
アルヴィンとの今後の予定が書き連ねられていた。心臓が肋骨の内側で早鐘を打つ。
「……公邸訪問」
彼女は小さく呟く。声は乾いていた。
紅茶を一口含む。熱い液体がひりつく喉を通る。手の平にじんわり汗がにじむ。
メモの整理を始める。ペン先が日付の上を滑る。
次から次へと現れる公的スケジュール。一つ一つがアルヴィンとの距離を測る物差しだ。
「……これで、三ヶ月分」
息を吐く。肩の力が少し抜けるが、足の重さは消えない。
パンをちぎる。口に運ぶが、味がしない。ただ喉を通っていく。
彼女は手帳を見つめたまま、静かに咀嚼を続けた。
朝の光がテーブルの上を白く照らし、紅茶の湯気がゆっくりと立ち上っていた。
***
コレットは朝食を終えても立ち上がれなかった。足が重く、椅子から離れない。
馬車の音が窓の外を通り過ぎる。王都中央市場へ向かう卒業生たちの歓声が聞こえる。彼女は深呼吸をひとつ。
「……行くまい」
彼女はそう呟くと、机に向かった。手紙用紙を引き寄せる。
ペンを握る。指先に力が入る。アルヴィンへの言葉を探す。
胸の内側で脈が響く。不安が喉元を押し上げる。
ペン先が紙に触れる。最初の一文字が黒くにじむ。
「覚悟はある」
声にならない言葉が唇をかすめる。手が動き始める。
文字が走る。誓いを刻むように。
やがて書き終える。彼女は手紙を息で乾かす。
封蝋を溶かす。白百合の紋章を押す。
「これでいい」
彼女は手紙を胸に押し当てた。重かった足が、一歩前に出る。
玄関へ向かう歩みが、少し軽くなっていた。朝市を諦めた代わりに、彼女は手紙を持って庭園へ向かった。
コレットの足取りは重い。砂利道が靴の下で軋む。胸の内側で心臓がばたばたと暴れる。彼女は白いベンチを見つけ、ゆっくり腰を下ろす。
手紙を握る手の平がじっとりと汗ばむ。封蝋の白百合が朝日に鈍く光る。
「……渡せない」
彼女は呟く。声はかすれていた。
目を閉じる。深く息を吸い込む。草の匂いと湿った土の香りが鼻をつく。
手紙を置く。膝の上で拳を握りしめる。爪が掌に食い込む。
遠くで鐘の音が響く。朝市の始まりを知らせる合図だ。彼女の肩がぴんと張る。
目を見開く。青空がまぶしい。
彼女は立ち上がる。足ががくがく震える。
一歩、二歩。ベンチから離れる。
振り向かずに屋敷へ戻り始めた。手紙は白いベンチの上に、ぽつんと残されていた。馬車が敷石を軋る。車輪の振動がコレットの体を揺らす。
彼女は窓の外を見つめた。市場の賑わいが遠ざかる。胸の奥で心臓が重い石のように沈む。手の平に冷たい汗がにじむ。
「……戻るだけだ」
彼女は呟く。声が車内に吸い込まれる。
馬車が曲がる。侯爵家の門が見える。肩の力が突然抜ける。背中が革張りの座席に押し付けられる。
門番が一礼する。馬車がゆっくりと敷地内へ入る。彼女は目を閉じる。まぶたの裏に朝市の光景がちらつく。
車輪が止まる。足が重くて動かない。御者がドアを開ける。
「お嬢様、到着でございます」
冷たい外気が車内に流れ込む。彼女はゆっくりと立ち上がる。足首がふらつく。
一歩、地面を踏む。砂利が靴の下で軋んだ。
玄関まで歩く。歩幅が小さい。胸の内側で脈が速い。
扉が開く。執事が無言で頭を下げる。
コレットは息を吐く。侯爵家の空気が肺に入る。
「ただいま戻りました」
声は平然としていた。しかし、背中に冷たい汗の筋が走る。
彼女は真っ直ぐに自室へ向かった。足音だけが長い廊下に響いていく。外の祭りの音だけが、部屋の壁を伝わってくる。
コレットは閉ざされた扉の前に立ったまま動かない。足の裏が床に張り付く。指先が冷たい。
「……明日か」
声は壁に吸い込まれた。
窓の外で楽器の調律が響く。弦を弾く音が一つ、また一つ。彼女の肩が跳ねる。胸の奥で何かがぎゅっと縮む。
遠くから笑い声が聞こえる。学生たちの足音が石畳を駆け抜ける。コレットはゆっくりと目を閉じた。まぶたの裏が熱い。
「寂しい」
今度は声にならなかった。
彼女はベッドへ歩み寄る。足が棒のように重い。膝を折り、横になる。天井の模様を見つめる。
外で太鼓の試し打ちが始まった。ドン、ドン、と響く音が床から背骨に伝わる。彼女はそっと耳を塞ぐ。指が冷たくて震えている。
明日の礼服が、部屋の隅に掛かっている。白いレースがぼんやりと浮かび上がる。胸が苦しくなる。
「行かなければ」
唇を噛みしめる。鉄の味が広がる。
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