第二十五話 王都の街並み
穏やかな春風が吹き抜け、街路樹の若葉がさらさらと揺れる。
学院の正門を出れば、王都までは歩いてほどなく着く。
休日ほどの賑わいではないものの、授業を終えた生徒たちの姿もちらほらと見え、王都へ続く道には穏やかな時間が流れていた。
ミリアは周囲を見回しながら嬉しそうに微笑む。
「入学してからは、なかなかゆっくり街へ出る時間がありませんでしたからね。こうして皆さんと歩くことがとても楽しみです。」
「色々なお店を見ていきましょう。」
フェイルが穏やかに目を細めた。
「王都には本屋や花屋、魔道具店などがあると聞いていますよ。」
「花屋さんもあるんですか?」
ミリアの瞳がぱっと輝く。
「はい。」
エレノアは優雅な表情で頷いた。
「季節ごとに並ぶ花も変わりますのよ。」
「きっとミリア様もお気に召すと思いますわ。」
「わぁ……。」
その一言だけで、ミリアの期待はさらに膨らんでいく。
そんな様子を見ていたロナルドは、小さく笑みを浮かべた。
学院の花壇で見せた笑顔。
そして今もまた、同じように目を輝かせている。
その姿が自然と心に残っていく。
石造りの建物が立ち並び、露店からは焼き立てのパンや香辛料の香りが漂う。
王都の大通りを歩き始めた四人は、店先に並ぶ品々を眺めながら穏やかな時間を楽しんでいた。
その時だった。
「きゃあっ!」
突然、女性の悲鳴が大通りへ響き渡る。
「ど、泥棒です!」
「誰か、その人を捕まえてください!」
一人の男が革の財布を抱え、人混みを乱暴にかき分けながら駆け出した。
露店の商品を蹴散らし、木箱が倒れる。
色鮮やかな果物が石畳へ転がり、人々は悲鳴を上げながら道を開けた。
「危ない!」
「どいてくれ!」
男に肩をぶつけられた老人がよろめき、小さな子どもが驚いて泣き出す。
それでも男は振り返ることなく、細い路地へ向かって一直線に走っていった。
「えっ……!」
ミリアは思わず足を止めた。
その後ろでは、若い女性が涙ぐみながら必死に追い掛けている。
「お願いです……!」
「その財布には、大切なお金が……!」
その切実な声に、ミリアは思わず一歩踏み出しかけた。
「……っ。」
けれど、人混みの中を無理に追えば、自分まで巻き込まれてしまう。
ぎゅっと拳を握り締めた、その瞬間だった。
ロナルドの表情が鋭く変わる。
「フェイル。」
「ああ。」
短い言葉だけで十分だった。
二人は同時に駆け出した。
男は背後を振り返り、舌打ちする。
「くそっ……!」
「逃げ切ってやる!」
人々を突き飛ばすように路地へ飛び込もうとした、その時。
「逃がさない。」
フェイルの風魔法が男の足元を薙ぐ。
だが男は身をひねり、紙一重でかわした。
「ちっ!」
その一瞬の隙を、ロナルドは見逃さなかった。
「闇よ。」
ロナルドの足元から伸びた影が男の影へ溶け込むように絡みつき、両足の動きを封じる。
「なっ――!」
男の体勢が大きく崩れる。
「風よ。」
フェイルがすぐさま追撃する。
強すぎず、それでいて確実に体勢を奪う一陣の風。
「うわぁっ!」
男は勢いよく前につんのめる。
財布が手から離れ、高く宙を舞った。
「まだだ……!」
石畳へ手をつき、立ち上がろうとしたその時――
「動くな!」
その前へ巡回中だった王都の衛兵たちが駆け込み、一斉に立ちはだかった。
逃れようともがく男の両腕を押さえ込み、衛兵たちはあっという間に取り押さえる。
その様子を見届けたミリアは、転がった財布をそっと拾い上げる。
そして涙ぐむ女性のもとへ駆け寄った。
「こちらで間違いありませんか?」
ミリアは財布についた砂を軽く払うと、女性へ差し出した。
女性は震える手で財布を受け取り、中を確認すると、大きく息をついた。
「はい……!」
「良かった……全部入っています。」
安心したように胸へ財布を抱きしめる女性。
「本当にありがとうございました。」
「今日は病気の妹の薬を買いに来ていたんです。薬が買えなくなってしまうところでした……。」
「もし盗まれていたらと思うと……。」
ミリアは優しく微笑んだ。
「無事に戻って本当に良かったです。」
「お気を付けてくださいね。」
その言葉に、女性の目には再び涙が浮かぶ。
「ありがとうございます。」
「皆さんのおかげで助かりました。」
衛兵も四人へ一礼した。
「ご協力ありがとうございました。」
「おかげで素早く取り押さえることができました。」
フェイルは安堵したように息をついた。
「当然のことをしたまでですよ。」
エレノアも静かに頷いた。
「お怪我をされた方がいなくて何よりですわ。」
「ロナルド様、すごかったです。」
「いや、フェイルが合わせてくれた。」
「でも、お二人とも息ぴったりでした。」
周囲からは安堵の声が漏れ、人々は次第にいつもの賑わいを取り戻していく。
そんな中、ロナルドは黙ってミリアを見つめていた。
女性の無事を、自分のことのように喜ぶミリア。
震える女性へ寄り添い、安心させるように優しく微笑む姿。
(誰かの笑顔を、自分のことのように喜ぶ。)
(お前は、優しく、自分より先に誰かのことを考える。)
(だから――目が離せない。)
ロナルドは小さく息を吐き、ふっと表情を和らげた。
「ロナルド様?」
視線に気付いたミリアが首を傾げる。
「どうかされましたか?」
「……いや。」
ロナルドは静かに首を振る。
「行こう。」
「はい。」
四人は衛兵へ軽く会釈をすると、再び大通りを歩き始めた。
王都の賑わいは、ほどなくいつもの活気を取り戻していく。
ミリアも胸をなで下ろしながら、改めて街並みへ視線を向けた。
石畳の道の両脇には色とりどりの店々が軒を連ね、焼き立てのパンの香りが風に乗って漂っている。
色鮮やかな花々が並ぶ花屋。
店先に並ぶ魔道具や装飾品。
行き交う人々の笑い声も聞こえ、ミリアは思わず目を輝かせた。
「すごいですね……。」
「とても賑やかです。」
「ふふっ。」
エレノアは優雅に笑みを浮かべた。
「最初は皆さん、同じように驚かれるんですの。」
「ひと安心ですわね。せっかくですから、ゆっくり見て回りましょう。」
「はい!」
元気よく返事をするミリア。
その笑顔につられるように、ライトも空中をくるくると飛び回る。
『わぁー!』
『お店がいっぱいだよ!』
『あっちも楽しそう!』
『ライト。』
シルビィが小さく微笑む。
『あまりはしゃぎ過ぎると、主たちを置いていってしまいますよ。』
『えへへ、ごめんごめん!』
二人の精霊のやり取りに、ミリアたちは思わず笑みをこぼした。
フェイルは大通りを見渡しながら穏やかに口を開く。
「まずはどちらへ向かいましょうか。」
その問いに、三人の視線が自然とミリアへ集まる。
「えっ、私ですか?」
少し驚いたように目を瞬かせるミリア。
「今日はミリア様が行きたい場所へ参りましょう。」
エレノアが優雅に微笑む。
「そうですね。」
フェイルもロナルドも優しく頷く。
三人の優しさに、ミリアは少し照れながら笑顔を浮かべた。
「それでしたら……。」
少しだけ考えたあと、嬉しそうに指を差す。
「あのお花屋さんへ行ってみたいです!」
その一言に、ロナルドは静かに空を見上げ、小さく口元を緩めた。
「では、参りましょう。」
エレノアが歩き出し、四人もその後に続く。
エレノアに案内されながら、四人は最初に花屋へ足を運んだ。
「とっても綺麗……。」
赤や黄色、青や白。
様々な花が並ぶ店先を、まるで宝物を見るような眼差しで眺めている。
「こちらは今の季節だけ咲く花なんですよ。」
店主はにこやかに教えてくれた。
「春が終わる頃には、また違う花へ変わります。」
「季節ごとに楽しめるんですね。」
ミリアの表情がふっとほころぶ。
その笑顔を見つめながら、ロナルドもそっと花へ視線を向ける。
エレノアはミリアと一緒に花を見比べながら、花言葉の話で盛り上がっている。
一方フェイルは、店主から育て方を興味深そうに聞いていた。
花を眺めながら店内を歩いていると、店の一角に小さな雑貨棚があることにミリアは気付いた。
「あっ……。」
そっと近づくと、そこには色とりどりの押し花を閉じ込めた栞が並んでいた。
春の花々が丁寧にあしらわれた栞は、一つひとつ表情が違い、どれも優しい雰囲気をまとっている。
ミリアはその中の一枚を手に取り、目を輝かせた。
「こういうものを見ると、季節を本に残せる気がして好きなんです。」
その様子を見ていたエレノアが柔らかな眼差しを向ける。
「よろしければ、一枚お求めになってはいかがですか?」
「今日の王都散策の記念にもなりますわ。」
「記念に……。」
ミリアは手元の栞を見つめ、表情をほころばせた。
「それ、素敵ですね。」
「では、この白い花の栞にします。」
店主へ栞を差し出すミリアは、宝物を抱える子どものように嬉しそうだった。
その姿を見つめながら、ロナルドは静かに思う。
(……そんな小さな物でも、あんなに嬉しそうに笑うのか。)
華美な装飾ではない、小さな押し花の栞。
だが、それを宝物のように大切そうに両手で包み込むミリアの姿は、どの花よりも穏やかで美しく見えた。
「ありがとうございます。」
受け取った栞をそっと本へ挟み、ミリアは満面の笑みを浮かべる。
「これから読む本が、もっと楽しみになりました。」
「ふふっ。」
エレノアも嬉しそうに頷く。
「きっと、その栞も素敵な思い出になりますわね。」
四人は花屋を後にし、大通りをゆっくり歩いていた。
しばらく歩くと、開けた広場へと出る。
広場の中央には白い石で造られた大きな噴水があり、透き通った水が陽の光を受けてきらきらと輝いていた。
その周囲では子どもたちが笑いながら遊び、人々はベンチで思い思いにくつろいでいる。
ミリアは足を止めた。
「とても綺麗ですね。」
『お水だー!』
ライトが嬉しそうに噴水の周りを飛び回る。
『ライト、あまり近付き過ぎると濡れますよ。』
『えへへー!』
シルビィも少し呆れながら後を追う。
ロナルドはその様子を見ながら、口元をわずかに緩めた。
「噴水を眺めながら少し休憩もできましたし、次は本屋へ参りましょうか。」
エレノアの言葉に三人は頷き、噴水広場を後にした。
「……すごい……。」
ミリアはずらりと並ぶ本を見渡し、小さく息を呑む。
「学院の図書館とは、また違った雰囲気なんですね。」
「こちらは新しく出版された本も多いのです。」
フェイルも新鮮な気持ちで辺りを見回す。
「この本は学院では見かけませんでした。」
「王都ならではの本が多いようですね。」
魔法書や歴史書、小説、絵本。
様々な本が並ぶ中、ミリアは一冊の植物図鑑を手に取った。
「この本、絵がとても綺麗です。」
「学院の図書館にもありましたか?」
ロナルドが尋ねる。
「少し内容が違うみたいです。」
ページをめくりながら答えるミリアに、ロナルドも自然と隣へ歩み寄った。
いつの間にか肩が触れそうなほど近い距離で、ページをめくろうとした二人の指先が、ほんの一瞬だけ触れた。
「あ……。」
ミリアは慌てて手を引き、ロナルドも少しだけ視線を逸らす。
「こちらは王都周辺の植物をまとめた本らしい。」
「なるほど。」
「だから見たことのない花が載っているんですね。」
目が合うと、二人は小さく笑みを交わす。
その様子を見ていたエレノアとフェイルは、そっと顔を見合わせた。
「お二人とも、本当に息が合っていますね。」
「え?」
ミリアが首を傾げる。
エレノアはくすりと笑った。
「ふふっ。本当に仲がよろしいですわね。」
ロナルドは少し照れたように咳払いをする。
「……本を見ていただけだ。」
フェイルは穏やかに見守るだけだった。
本屋を出る頃には、甘い香りが風に乗って漂ってきた。
「いい匂い……。」
ミリアがお腹を押さえながら照れ笑いを浮かべる。
「少し歩いたら、お腹が空いてしまいました。」
「ふふっ。」
エレノアがくすりと笑う。
「では甘味処で少し休憩いたしましょう。」
四人は人気の甘味処へ入り、それぞれ好きな甘味を注文した。
ミリアは季節の果物が添えられた焼き菓子を。
エレノアは香り高い紅茶と小さなケーキを。
フェイルは蜂蜜入りの温かい飲み物を。
そしてロナルドは甘さ控えめの焼き菓子を選ぶ。
「美味しい……!」
焼きたての生地はほろりとほどけ、果物の甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
「この焼き菓子、とても優しい甘さですね。」
幸せそうに笑うミリアを見て、ロナルドは自然と口元を緩めた。
「手紙でも、甘い物が好きだと言っていたな。」
「はい!」
「疲れた時に食べると元気が出るんです。」
「確かに甘味には不思議と人を笑顔にする力がありますね。」
「ふふっ。今日は時間がありませんでしたけれど、王都にはまだまだ素敵なお店がたくさんありますの。」
「次の機会には、別のお店もご案内いたしますわ。」
「本当ですか!」
「楽しみにしています!」
楽しい時間はあっという間に過ぎ、気づけば夕日が王都を茜色に染め始めていた。
「そろそろ学院へ戻りましょうか。」
フェイルが静かに声を掛ける。
三人も頷き、帰り道を歩き始めた。
春風が優しく吹き抜ける中、ミリアは満足そうに微笑む。
「今日は本当に充実した時間でした。皆さんと一緒に歩けて、とても楽しかったです。」
エレノアは優雅に微笑む。
「季節が変われば、また違った王都をご覧いただけますわ。また皆さんで参りましょう。」
フェイルも上品に頷く。
「ええ。季節ごとの景色を見比べるのも楽しそうですね。」
ロナルドはミリアへ静かに視線を向けた。
「ああ。」
「今度も一緒に行こう。」
その言葉に、ミリアはぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「はい、約束ですよ。」
ロナルドは小さく頷いた。
学院へ続く道を四人はゆっくりと歩いていく。
ロナルドはミリアの笑顔を横目に見つめる。
夕日に照らされたその笑顔は、今日という一日を心から楽しんだ証のようだった。
(次は――)
(二人だけで、この街を歩きたい。今日見せた笑顔を、自分だけが見られたなら――。)
胸の奥に芽生えた願いを、まだ言葉にはしない。
ロナルドは誰にも気付かれないほど小さく微笑む。
春風は四人の背中を優しく押すように吹き抜けた。
王立学院へ続く帰り道には、春風に乗って笑い声がいつまでも響いていた。
この穏やかな一日は、四人にとってかけがえのない思い出となった。
そしてロナルドの胸には、まだ誰にも告げることのない大切な想いが、また一つ静かに積み重なっていくのだった。




