眠りの時間
「まだ、お目覚めには?」
「はい」
「そう、ですか」
執事の黒木の発する一言にため息まじりで頷いた桜子。
「どうして…?」
でてくるのは疑問符ばかり。
ブレーキ音と、白い車が迫ってくる夢を
あれからもう二度もみた。
そしてそのたびに、見知らぬ誰かが代わりに犠牲になるところまで。
「どうして…」
またつぶやいてしまった。
日頃から自分のそばにいて、いつも自分を守ってくれている黒木ですら
間に合わなかったのだ。
それをどうして見知らぬ他人が、手を伸ばしてくれたのだろう。
病室で息も立てずに眠り続ける女性をみて、不安になる。
このまま目覚めないのでは…?と。
そう思うくらいには、彼女は静かに眠りについていた。
「三ツ又、薫さん…」
彼女の腕から伸びる先の、点滴袋に書かれた名前を呼ぶ。
接点があるのでは?と思ったが、
特徴的な名前にもかかわらず覚えていないなんてことはない。
ことさら、桜子にいたっては。
「偶然でしょう」
いけられた花の手入れをしながら、桜子の問いに黒木が答える。
いや、それしか答えようがないのだ。
「キレイな人…」
きちんと整えられた眉や、あまりに白い肌、
スッと通る鼻筋やバランスのとれた口元。
瞳―…は開かれたところをみていないためわからないが、
薄く残る二重の線や、繊細に引かれたアイライナーが
想像をかきたてた。
「きっとそうでしょう」
「黒木が言うなら間違いないわね」
自分の倍以上生きている執事、それも異性が言うなら間違いはないはず。
もちろんこんな状況で、「三ツ又薫」が美人かどうかなんてどうだっていいことは
桜子だって重々承知している。
それでもこの眠ったままの謎の女性から
興味は逸れない。
この人はみたのだろうか―…
私を押した、犯人を。
「黒木。私は、狙われたのよね?」
「…、残念ながら、そうと思わざるをえません」
「心当たりがないわけではないわ」
「お嬢様」
「だってそうでしょう。お父様のことを今になって調べなおしている私を、疎ましいと思う人間がいるはずよ」
むしろそうでなくては自分の推理が成り立たない。
「あれは事故なんかじゃなかった。お父様に何かあったのよ」
「まだ断定はできませんよ」
「では何故私は狙われたの?」
「それは……」
そう、確信がなかったのだ、これまでは。
音楽家である父は、娘の自分が感じることが出来るくらいには
神経質だった。そして不器用だった。
何か一つを貫き、自分でとめることができない。
幼いころからそんな、「歪」な父をみてきた。
だからこそ、事故死ときいたときには
自殺じゃなかったことに安心したほどだったのに。
「父は作った曲をピアノで弾いてくれたことがあったわ。まだ譜に起こす前に、私だけに」
「ええ、存じています」
「でも、あの事故の前には私を呼び出してまで聴かせたの」
父とは仲がいいとはいえなかった。
父は地方楽団で演奏家として活動もしており、家には不在のことも多かった。
幼い頃に亡くした母の影響も大きい。
母からはよく、「お父様は私たちを愛していない」と聞いたものだった。
そんな父が、亡くなる二週間前に私を呼び出し、
何も言わずにピアノを弾きだしたのだ。
時間にして三時間ほどだろうか。
完成度の高さは桜子でもわかるほどだった。
『交響曲にするんだ』
そういっていた父の声が頭に響く。
「お父様……」
演奏が終わると、
目の前で、旋律を譜に落としていく父の姿をみた。
「でも、その譜面は残されていない」
「はい」
「私はこの目でみたの。お父様はノートに一心不乱に書いていらっしゃった」
「気に入らず、処分したのでは?」
「その可能性はもちろんある、わかってるわ。でも…。あのときのお父様の嬉しそうな顔、いきいきした表情。処分しただなんてあまり考えられなくて」
想像の域を超えないものばかり。
全て父の気まぐれともいえない。
しかもそういう父でもあったのだ。
だが。
「私が狙われたなら、私は正しい方向へ進んでいるのかもしれない」
確証をもてなかったものが、少しずつ線へとなっていく。
せめてあのとき自分の車椅子を押した人間をこの目でみることができていたら。
「危険です」
「え?」
「もし桜子様のしていらっしゃることが、なにか意味のあることで、それにより不利益をこうむる人間がいるとしたら。そしてその人間が桜子様をどうにかしようとしていたら、これ以上は危険すぎます」
「黒木」
幼い頃から自分を育ててくれた黒木。その心配が痛いほど伝わる言葉だった。
少し居心地が悪くなり、ベッドで眠る女性を見つめた。
あなたは、その犯人をみたの―…?
目が覚めたら言いたいこと、聞きたいことがたくさんある。
「三ツ又さん…」
巻き込んでしまったのだ。
何度謝っても、ごめんなさい、で頭がいっぱいになる。
「お嬢様、もう行かないと」
執事の黒木が視線で部屋の時計を見つめ、
20時の面会時間が近づいていることを示す。
「明日もまた、来ますね」
眠ったままの彼女に告げた。
その言葉は、嘘になってしまうことを
私は知らなかったのだ。




