38.とある紛い物の視点1(sideハーネス)
真っ暗な世界で、幾多の親しい人々の声が私を責め立てる。
顔は霜がかかり見えないけど、その言葉だけを鮮明に覚えている。
「お前のせいで……」「お前さえいなければ」
「皆幸せだった。」「死ねよ。」「そうだ、死ね。」
「なんで、私は、何も……」
それを振り払おうと走っていると、今度は私の事を知らない人々の声が聞こえてくる。
「気色悪ぃ!」「紛い物が……」「忌子にやる飯は無い。」
「何故お前がここに居られると思ってるんだ?」「気持ち悪い」
「出ていけ!」「そうだ。出ていけ!」「薄汚い……」
「気持ち悪い」「気持ち悪い」「気持ち悪い」「気持ち悪い」「気持ち悪い」「気持ち悪い」
その人々から伸びた影が私を突き飛ばし、そしてその声達はどんどん遠ざかっていく。
「待ってよお父さん……捨てないで……!」
耳元で自分の声が聞こえた。
何故か私の頬には涙が伝っている。
「……ハーネス、お前はここに居てはいけないんだ。」
震える私の肩に乗せられた大きな手の温もりを感じて、ハッと顔を上げると、目の前には私の一番大切な人が居た。
一瞬でも傍に戻って来てくれたことに嬉しくなったけど、その言葉を聞いて再び絶望した。
「どうして?お父さんは私が嫌いなの……?」
息が詰まり、胸が張り裂けそうになる。
ここでお父さんに拒絶されてしまったら、きっと『私』は壊れてしまう。
嘘でも良い、好きだとは言わなくても良い。
ただ拒絶されなければ……
「……ああ、大嫌いだ」
音が遠のき、視界が白くチラつく。
自分の事を唯一見てくれていたハズの人に否定されるのは、自分の存在を否定されるに等しい。
だって、誰にも愛されず、何者にもなれない人間なんて、亡霊と同じなのだから。
「ど……し、て?」
「どうして」だって?何故自分はこんなことを聞いているのだろうか。
そんなことは分かりきってるのに。
「……お前は醜くて薄汚くて、見ていると吐き気が差すからだ。お前が俺の娘だなんて考えただけで嫌になる。」
「……うそ。」
「だってお前は……」
……ああ、わかっているんだ。
そうだ。『儂』は……
「「紛い物じゃないか。」」
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「……朝か。」
そう呟きながら、儂はぼんやりと天井を見詰めた。。
……また、古い夢を見たものだ。
あれから50年以上経った今でも儂は何も進歩していない。
「……とりあえず顔でも洗うか。」
儂は桶に水魔法、『ウォーター』で水を入れる。
父の役に立ちたくて培った技術も、他でもない父に自分ごと捨てられてしまった。
水面に映った顔を見る。
エルフの様に特別美しくもないし、人間の様に凛々しくもない、醜い顔立ちだ。
継ぎはぎの合成獣みたいで、父の言う通り見ているだけで吐き気がさす。
顔を洗い終えた儂は寝間着を脱ぎ着替え始める。
身体に関してもそうだ。
エルフの様に腰が細い分けでもないし、人間の様に、その……胸が大きいわけでもない。
貧相な身体。
これでは人としての魅力も、女としての魅力もないだろう。
自分はもうかれこれ40年程この森、バナス大森林に住み着いている。
何故この森を選択したかと言えば、儂の故郷であるエルフの森から少しでも離れたかったのと、村が近くにあったからだ。
人と接するのが怖くて森に引きこもってはいるが、完全に社会から分断されるのは当時の自分にはとても怖かったのを良く覚えている。
だから当時は村の近くに、そしてあわよくば村人と仲良くなれれば良いと思ってここに住んだ。
結果、ここに来たときは20才ほどだったのが、あっという間に時は経ち、儂はもう40年以上人と話していない。
……怖いのだ。
また気持ち悪いと言われるんじゃないか。
また拒絶させるんじゃないか。
また、人に捨てられる感覚を味わうぐらいなら一生独りで良いとさえ考えている。
そして実際そうなるのだろう。
きっと儂は誰にも知られず、誰にも惜しまれぬまま、静かに朽ちていく。
ハーフとは言えエルフの膨大な寿命からしてそれはかなり先の事になるだろうが。
「……ご飯でも作ろうか。」
……儂は、かなり前からあえて独り言を話すようにしている。
寂しいというのも有るが、一番は喋り方を忘れないためだ。
もし、自分の事を拒絶しない人が表れた時、そんな人がいたならたくさん話しをするために。
一時期は長きを共に過ごした杖に愛着が湧きすぎて、話しかけたり椅子に座らせたり人間みたいに扱ったりもしたけど、それも5年程で辞めた。
今思えばあの時期が一番精神的に不安定だったかもしれない。
とりあえずご飯を作るために貯蔵庫に行こう。
儂は木製の扉を開けた。
「……もうあんまり無いな。」
特に肉が少ない……取りに行かなくては。
昼間にに野菜や果物を調達して、夕方にでも前仕掛けた落とし穴に行こう。
いつ仕掛けたんだっけ?
3日前だったか1年前だったか10年前だったか……
毎日がほとんど作業の様な物だから時間感覚が曖昧になってしまっている。
これも気をつけないと。
とりあえず残っている野菜とくず肉で何か作ろうか。
スープで良いだろうか……思い出のある料理だった気がするが、最近あまり食べ物に味を感じない。
というかずっとスープしか食べていない気もする。
いや、草も食べたか?
果物だけでは普通の人間は生きていけないから肉を食べてはいるが、本格的に記憶が曖昧だ。
日記でも付けてみるか。
日々の日課でもできればこの寂しさも少しは安らぐかもしれない。
恐らくそれさえ直ぐに作業に成り果てるんだろうが。
適当に魔法を行使してスープを作っていく。
健康など気にするほど自分が可愛くないし、多少の味の変化なら感じる事さえない。
ただ、このスープを飲んでいると、まだ自分が生きていると実感できる気がするんだ。
そして調理すること10分、スープが完成した。
適当に戸棚からスプーンを取りだし、それを使ってスープを口に運ぶ。
「美味しくないな……。」
どちらかと言えば、酷い味がする。
お父さんに作ってもらった時はあんなに美味しかったのに。
レシピは同じな筈だ。
一体何が変わったのだろうか。
もしかしたらあの幸せな日々の記憶でさえ気薄になっているのかもしれない。
……いや、変わったのは自分か。
あの日々は一つ一つが晴れ空の朝露みたいに輝いて、一欠片をこぼれ落とすのでさえ惜しい。
絶対に忘れる筈が無い。そうなれば自分はもう終わりだ。
スープを食べ終わった。
食器を洗い、元の場所に戻す。
それじゃあ食べ物の調達に行こう。
壁に掛けてあったローブをはおい、杖を持って部屋のドアを開ける。
新鮮な空気が頬を撫で、それだけで少しは前向きな気持ちになった。
そしてドアに向かって『アースウォール』を使用し、隠す。
その壁に別の魔法でツタ等を生やし、違和感を無くす事も忘れない。
この森の奥には人は居ないが、気分の問題だ。
「行って来ます。」
儂は食べ物を探すべく、歩き出した。