#083「豹変」【金子】
#083「豹変」【金子】
患者をベッドの上に寝かせて、左の足首と膝を持って動かしているんだけど、この男は痛がるばかりで、ちっともリハビリが捗らない。
「だらしないですね。すっかり硬くなってるじゃありませんか」
「手厳しいな、スパルタクス。俺は、褒めて伸びるタイプなんだぞ。それから、身体の硬さは生まれつきだ。新生児のときに、股関節の開きが悪いって言われて、再検査させられたんだ」
「いつの話ですか。それ以上、減らず口を叩くようなら、もぎ取りますから」
金子は、片手で何かを鷲掴みにして引っ張る動作をした。
「イタタタ。男の沽券に係わることを、あっさり言うな」
「あら。目玉のつもりだったんですけど、何を想像したんですか」
「それは、って口に出せるか、このサディストめ。二中愚連隊の裏番長。黒マスクの悪魔」
フルネームを教えたばっかりに、私の不良少女時代の情報を手に入れたみたいね。まぁ、過ぎ去ったことだから、隠すつもりも無いんだけど。
「これは、白衣の天使による愛の鞭ですよ」
「俺に、他人に鞭打たれて喜ぶ趣味は無い。だいたい、ナースキャップも被ってなきゃ、ワンピースとサンダルじゃなくて、ズボンとスニーカーをはいてるじゃないか」
「衛生面と男性看護師への配慮です。ドラマのナースは、今や少数派なんですよ」
ナースキャップに関しては、戴帽式で受け取ってるから、平らに戻して箪笥の奥に仕舞ってあるんだけどね。
*
話が巧いというか、乗せるのが上手というか、いつの間にか他人の懐に潜り込んでしまうテクニックに長けているらしい。
「精神科医で、森宮直己っていうんだろう。そっちは、何で離婚したんだ」
「私や琢の言動に、いちいち小難しい心理学分析をするものだから、辟易したんですよ」
本当は、もっと別に大きな理由があるんだけど、それを話すと長くなる。
「ずいぶん込み入った話をしてるわね」
カーテンをシャーッと開け、豹柄の派手な服を着た四十そこそこの女が姿を現した。
「看護師としては仕事で優しく接してるだけでしょうけど、あんまり仲良く話しかけると、患者があらぬ誤解するんじゃないくて。それとも最近の患者と看護師は、身の上話をするのが当たり前なのかしら」
「信恵。どうやって俺の居場所を突き止めたんだ」
「新聞社にお邪魔したのよ。――悪いけど、内密な話があるの。ちょっとのあいだ、席を外してもらえるかしら」
信恵は金子のほうを向き、有無を言わせぬ強い視線を送る。
「わかりました。では、一旦、失礼します」
金子はその場を離れ、カーテンを閉めて立ち去る。
離婚した夫の下へノコノコ現れて、一体、何を話すつもりなんだろう、あの女豹は。縒りを戻す気かしら。




