#079「蟻の一穴」【竹美】
#079「蟻の一穴」【竹美】
邦画の中での国会議事堂や東京タワー、洋画の中でのホワイトハウスやエッフェル塔は、いったい何度破壊されたことだろう。
謎の地球外生命体が人間に擬態し、文明を崩壊させて乗っ取ろうとしたところ、とある学会の異端児がその兆候に気付き、紆余曲折の末に周囲の信頼と協力を勝ち取って侵略計画を阻止するというストーリーの映画を観ながら、私は漠然とそんなことを考えていた。
「タイトルはコメディーっぽいし、時折ギャグを挟んでるくせに、終盤で変に感動路線に走るものだから、笑うに笑えず、泣くに泣けず、消化不良になる」
コーヒーを片手に、永井は映画に対して批評を加えた。
本当。迷走しちゃってるわ。
「別に、あの冴えない学者は、冴えないままで良かった気がするわね」
「そうだよな。どう考えても、話の流れに無理がある。たとえフィクションだとしても、もう少しリアリティーを持たせないと、映画の世界に入って行けない」
そうね。何だか、空々しくて嫌になってきたわ。
リモコンを手に取り、竹美は永井のほうを向いた。
「止めて良いかしら」
「どうぞ。借りてきておいて、こういうのもアレだけどさ。退屈だったな。これは、ハズレだ」
竹美は停止と取り出しのボタンを順に押し、出てきたディスクをプラスティックケースに入れた。
「あの場面で、もう君無しでは生きて行けないと言われたら、私なら気味悪がって逃げちゃうかも」
「言えてる。眼鏡を外すとイケメンという設定になってたけど、大して変わらなかったよな」
「たしかに。それに、元々それほど不細工でもないし」
「そうそう。あんな変な研究をしてると知らなければ、それほど拒否感を覚えることないだろうに」
コーヒーを飲み始める永井。
すっかりリラックスしてるみたいだから、気になってたことを聞いてみよう。
「ねぇ、次郎さん。結果として先を越しちゃったけど、プロポーズを決意したきっかけは何だったの」
竹美の突然の発言に、永井はカップの中にコーヒーを噴き出し、噎せながら答える。
「何だよ、藪から棒に」
「昨年から疑問だったのよ。ねぇ、教えて」
永井はローテーブルにカップを置き、その黒々とした液面を見ながら、俯き加減で静々と答える。
「大したきっかけがあった訳じゃない。十一月の初めだったかな。竹美が、黒いランドセルを背負った小さな子と、中身が詰まったレジ袋を片手に街中を歩いてる姿を見かけてさ」
あぁ。寿くんと買い物に行った帰りか。
「一声掛けてくれれば良かったのに。その子は、私の従弟よ。昨年の秋から、鶴岡家で預かってるの」
「見かけてすぐは、そうしようかとも思ったんだけどさ。その時は、俺のことを避けてる感じがあったし、俺のほうも自然に接せられる自信が無かったからさ」
そうだ。あの時は、次郎さんにコーヒーを引っ掛けて逃げたり、長一さんから話を聞いたりしてた頃だったわね。
「そうね。私も、話しかけられてたら戸惑ったかもしれないわ」
「ともかく、声を掛けなかった。それで、二人の姿を遠巻きに眺めたら、急に胸の奥が温かく感じてさ。何か良いなと思ったんだ」
「へー。それで」
「それで、って。それだけだ。何が可笑しいんだ、おい。教えろって言うから、ありのまま伝えたんだぞ、俺は」
口元を押さえて笑いを堪える竹美に対し、永井は真剣な様子で問い詰める。
「ふふっ、ごめんなさい。さっきの映画に出てきた学者を思い出しちゃって」
「そんなにお寒いことを言ったか、俺」
「違うの。そういうことじゃなくてね。ふふっ」
現実のきっかけなんて、ほんの些細なできごとなのね。笑いのダムが決壊するのと同じだわ。あー、可笑しい。




