#080「束の間」【松子】
#080「束の間」【松子】
やらなかった後悔は、やってしまった後悔より、本当に強く残るものだろうか。
キッチンには、お歳暮の入っていたボール紙を平たく畳んでビニール紐で括る松子、調理台で葱を刻む万里、そして冷蔵庫からヨーグルトを出す竹美の三人がいる。
「まだ若いのに、難ありの男を選ぶなんて」
「ラベルじゃなくて中身を見てよ。いい人なんだから」
「それなら竹美は、そのヨーグルトが何も書かれていない瓶に入っていたとしても、安心して食べられるっていうの」
「話をすり替えないでよ。そうやって次郎さんの欠点ばかり論うけど、お姉ちゃんこそ、自分のことを考えたらどうなのよ」
「そうよ、松子。他人の心配をしてる場合じゃないわ。結局、初詣のときは、坂口さんにお返事しなかったんでしょう」
何で、そういうことを知ってるのよ。
「お母さん。誰から聞いたのよ、その情報」
「聞かなくたって、帰ってきたときの様子で分かるわよ。不完全燃焼だったと、顔に書いてあったし、足音も沈んでたんだから。伊達に母親やってないわ」
どこかの探偵みたいな推理ね。状況証拠から、真相を炙り出した訳か。
「明日で年明け三日になるんだから、いい加減、答えてあげなよ、お姉ちゃん」
「分かったわよ。明後日から仕事だから、明日中に坂口さんのアパートに伺って、返事を伝えてくるわ」
松子は括ったボール紙の束を持ち、キッチンをあとにした。
返事の内容を考えると気が進まないんだけど、言わずに後悔したくないものね。
*
「よかったぁ。それじゃあ」
顔を綻ばせて喜ぶ坂口に向け、松子は片手を突き出して制しながら話を続ける。
「ちょっと待ってください。但し、条件があるんです」
「何でしょう。何でも言ってください。お願いしたのは、俺のほうですから」
仔犬のように潤んだ瞳で見つめる坂口に対し、松子は一呼吸置き、おもむろに口を開く。
「入籍して苗字が変わるのは結構なんですけど、挙式と同居は、あと一年だけ待って欲しいんです」
思わぬ申し出に虚を突かれた坂口は、顎に手を当ててしばし沈思したあと、小首をかしげながら松子に訊ねた。
「理由を伺っても、よろしいでしょうか」
そうよね。何の脈絡もなしに言われたら、訳が分からないか。
「来年には、竹美は大学を卒業するし、小梅も高校生になるんです。だから、それを待ってからのほうが」
「タイミング良い、ですね」
「そう。なので」
「わかりました。それじゃあ、こうしましょう。同居は来年の春からにして、そのあと六月に挙式するという段取りで」
ここまでシャキシャキと述べたあと、坂口は小声でボソッと付け足す。
「俺のほうも、焦って伝え忘れてることがあるし」
「えっ、何。最後のほうが、聞こえなかったんですけど」
「あっ、いえ。何でもないんです。そういうことで、いかがでしょう」
「譲歩してもらうんですから、拒否権はないと思いませんか」
「異論なしですね。それでは、市役所が開くころに、俺のほうから連絡します。銀行は、何日から仕事始めですか」
「明日からです」
「一日早いんですね。小学校は、五日からです」
「あれ。八日までは冬休みですよね」
「児童は休みでも、教職員は休めないんです。ちなみに、春夏の休みも同じです。海の日から四十日以上休みがある寿くんたちが、実に羨ましい」
そうね。大人にも欲しいわ。給料に響かない長期休暇。




