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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第一部
31/232

#030「非正規雇用」【万里】

#030「非正規雇用」【万里】

 

「それでお弁当を交換したり、写真を撮ってもらったりしてね。場所取りに出遅れて、かえって良かったと思って」

 ダンディーな風格のボディーガードさんにも、いろいろ親切にしてもらえて、素敵なひとときを過ごせたのよね。

「それは良かったわね。そうか。いまは、運動会の季節よね」

 青い作業着を着た万里と、同じ上着を着た還暦過ぎの女が、物流センターの休憩所で一服している。胸元にはそれぞれ、鶴岡、伊丹とある。

「もう、コンビニでも、スーパーでも、デパートでも、どこも年末に向けて激しい商戦を始めてるものだから、私なんかは、すっかり冬が近付いた気分でいるのよ」

「今月末がハロウィンで、来月の第三木曜がボジョレーヌーボーの解禁日、その次の月はクリスマスで、ケーキと一緒に年明け用におせちも予約できるようになってるのよね」

 ビニールクロスが敷かれたテーブルに置かれた、生命保険会社の銘が入った三角柱の卓上カレンダーを見ながら、万里は何気なく話を合わせる。

「庶民の財布の紐を緩めようと、余念がないわよね。冬のボーナスが出る企業なんて、よほどの大企業だけよ。市役所の市民課職員には、ほとんど付かないわ」

「リストラされないだけ良いのではないかしら」

 女は頬杖を付き、長い溜息を吐く。

「熟年離婚して、安部タキに戻っちゃおうかしら。還暦過ぎて、ヒラから嘱託契約に降格するんだもの。できることなら、私から解雇してやりたいわよ。退職金と厚生年金が無ければ、とっくに別れてるわ、あんなうだつの上がらない亭主とは」

「でも、その時々でベターな選択をして来たのでしょう。それで良いんじゃないかしら。房雄さんを悪く言うことないわ」

 タキは、プラスチックの湯呑みに入った昆布茶をひと口啜ると、しみじみとした口調で続ける。

「そうねぇ。都会ではウーマンリブが言われ始めてたけど、田舎では年貢納めに見合いして嫁入りする風習が根強かったもんだから。二十五までに結婚しないと、クリスマスケーキみたいに、引く手が途絶えて売れ残ると言われてたのよ。信じられないでしょう」

「生涯未婚率が低くて、初婚年齢が早かった」

「そうなのよ。さっさと親離れしてプライベートを確保しようと焦った挙句、狭く仕切られて音漏れする生活導線の悪い団地に入居してしまうし、稼ぎが少ないから、髪を自分で切ったり、お風呂は追い焚きしなかったり、卵や何かはタイムセールで買うようにしたりするような、爪に火を灯す生活を強いられるし」

 愚痴をこぼすタキに、万里は話題を変えようとする。

「仮に、もし未来がわかってたら、過去に違う選択をしたかしら」

「どうかしらねぇ。何だかんだで、今と同じか、似たような道に進んだかもしれないわね。結局、なるようにしかならないもの。その点、お宅の娘さんは立派なものよ。学が無いのに、係長にまで上り詰めたんだから」

「それは、どうかしら。多感な青春時代を、家を支えることに費やさせてしまって」

 万里は尻すぼみに言い残すと、俯いてカレンダーを手に取った。

 もし、博さんが健在だったら、松子は銀行員にならなかったのかしら。

「情けない男でも、生きてるだけマシかしらね」

 タキは視線を外し、昆布茶を啜ると、テーブルに手をつき、おもむろに立ち上がり、再び万里のほうを向いて声を掛けた。

「そろそろ戻らないと、小林くんが五月蝿いわよ。あの人、神経質で細かいから」

 万里は壁時計を見て、勢いよく立ち上がる。

「あら、もう時間ね。急ぎましょう」

 感傷に浸ってる場合じゃないか。気持ちを切り替えて頑張らなくちゃ。

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