#014「値踏み」【松子】
#014「値踏み」【松子】
銀行にお母さんから電話が掛かってきた。寿くんのことで大事な話があるというので何かと思えば、家庭訪問で担任の先生が鶴岡家に来るから、半休を取れということだった。
「お母さんがいれば、それで良いんじゃなくて」
メモにボールペンで幾何学模様を走らせながら、松子は苛立たしげな声音で返した。
「そういう訳にもいかないのよ。一人、急にアルバイトが抜けたものだから、パートに出なきゃいけなくなっちゃって。竹美にも言ってみたんだけど、必修の時間とかぶってるから駄目だって」
「わかったわ。ちょっと待ってて」
松子は電話の保留ボタンを押すと、つかつかと自席で新聞を読んでいる徳田の前まで行った。
「誠に勝手なお願いなんですけど」
「何かね」
徳田は顔を上げ、松子のほうを見る。
「明日の午後、お暇をいただけないかと」
「いいよ。進呈品も決まってることだし、時々、休日出勤してもらってることもある」
「ありがとうございます」
自席に戻り、受話器を取って保留を解除する松子。
「もしもし。快諾いただけたわ」
「そう。悪いわね、突然。それじゃあ、よろしく」
これが、あんなことに繋がるとは、このときは夢にも思わなかったわ。
*
「寿くんについては、以上です」
ワイシャツにスラックス姿の精悍な男は、茶碗をお盆の上の茶托に置くと、上り框から腰を上げた。
「そうですか。では、私のほうから母と叔父に伝えておきます」
「お願いします。それで、あの、松子さん」
「何ですか、坂口先生」
右手を松子に差し出す坂口。
「俺と付き合ってください」
頭を下げる坂口に、しばらく松子は茫然としてしまった。
これって、ひょっとしなくても、そういうお付き合いの申し込みよね。ここは冷静に対処させてもらいましょう。
「お返事を申し上げる前に、二、三点、質問してもよろしいですか」
「どうぞ、どうぞ。何でも聞いてください」
坂口は頭を上げ、胸を張った。
「フルネームと年齢を教えてください」
「坂口吾朗。今年で二十七歳になります」
ということは、私より一つ年下なのか。
「お住まいと、家業は」
「市内の賃貸アパートで一人暮らししてます。両親は会社員です」
公務員で一人暮らしなら、依存されることもないだろうし、それなりに経済観念がしっかりしてそうね。
「教員免許以外に、何か資格をお持ちですか」
「普通乗用車の運転免許と、合気道の段位を持ってます」
「申し込まれた動機をお話願えますか」
「一目見た瞬間から、運命の人だと直感しました。お願いします」
再び頭を下げ、右手を松子に差し出す坂口。
嘘のつけない、誠実で、ストレートな人柄なのね。適当で、軽い、いい加減な気持ちによるものなら、「後日、選考結果を郵送します」とでも言ってあしらうところだけど。
「お引き受けします」
松子は居住まいを正し、坂口の右手を握る。
「ありがとう、松子さん。嬉しいな」
坂口は握った手に左手を添え、ぶんぶんと振り回す。
もし坂口さんに耳と尻尾があったら、パタパタとせわしなく動かしてるところね。それにしても、手が大きくて握力の強いこと。




