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籠の中の鳥は  作者: 若松ユウ
第二部
108/232

#101「三月九日」【万里】

#101「三月九日」【万里】


 天災は、忘れた頃にやってくる。だから、常に備えなければならないのだけれど、のどかな日々が長ければ長いほど、その危機意識は薄らいでいくもの。

「『針が、針が喉に、つ、釣られる』って言ってたから、おおかた夢の中で、魚になったんじゃないかしら」

 万里はベッドの端に腰掛け、誠はベッドの中央で長座になっている。

「寝言のボリュームが大きい上に支離滅裂なことを叫ぶから、さぞかし寿はビックリしただろうな。おふくろも、困ったもんだ」

 寿くんったら、お母さんが寝てる隙に悪霊にでも憑依したんじゃないかと思って、私にお寺か神社に電話するように言ってきたのよね。話を聞いてから事情を説明するまで、ずっと怯えっぱなしだったっけ。

「本当よ。他人騒がせだわ。あれで、よく起きないものよね。あっ、そうそう。誠の分のお土産は、私の家で預かってるから。どっちも冷蔵庫に入れてあるから、安心して」

「すまないね。十四日の朝には退院できるらしいから、その足で家に寄らせてもらうよ。ただ、時間は昼過ぎから夕方になるだろうな」

 誠は、前に投げ出している左脚を、パシパシと平手で軽く叩いた。

「どこか、他に寄るところがあるのね」

「まぁ、ちょっとな」

 そう言うと、誠は口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。 

 その様子だと、再婚話は着々と進んでるのね。金子さんと、どこかに行くつもりかしら。すんなり事が運べば良いんだけど。

  *

「金子さん」

 待合室に居た信恵が立ち上がり、金子に声を掛けた。

「話は、成人の日で済んでなかったのかい、織田さん」

 金子は台車を押す手を止め、信恵のほうへ身体を向ける。

「今は武田よ。綺麗さっぱり関係を清算して、現住所も実家に移したわ」

「たしか、子供が居るという話だったけど」

「作楽は、康成くんについていったの。まぁ、元々彼の連れ子だものね。つくづく子供に好かれないんだと実感したわ」

 やれやれといった調子で、信恵は片手の掌を上にして何かを押し上げるような動きをし、同時に溜息を漏らした。

「母親失格だな。それで、私に何の用なのよ」

「身構えないでちょうだい。大したようじゃないのよ。これで、二度と姿を現さないと言いにきただけなの。それから、これを渡しておこうと思って」

 そう言うと信恵は、つかつかと台車に歩み寄り、懐から四つ折りにした紙を出し、カテーテルが入った洗面器の横にバシッと叩きつけるように置くと、踵を返してエレベーターのほうへ数歩進み、顔だけ金子のほうへ向ける。

「万が一、寿が私のことを恋しがったら、それを作ってあげると良いわ。思い出の味だから。それじゃあ、ごめんあそばせ」

 それだけ言い残し、信恵は到着したエレベーターの中へと消えた。

 

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