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「カブとクローバーを栽培するだけのお手軽チート」

 内政チート作品で最も有名な技術の1つが、ノーフォーク農法あるいは輪栽式農法と呼ばれるものだと思います。

 内容を要約すればカブとクローバーを栽培し、飼料を増産することで家畜の飼養頭数を増やし、それによって肥料量も増加して穀物生産も増加する、といったところでしょうか。

 またこの中では輪作の効果やマメ科植物の窒素固定、カブによる土壌の改良なんてものも語られていますね。

 クローバーは公園に行けば大概生えていますし、カブも日本人にとって一般的な野菜であるということもあって、読者に対してもイメージさせやすいという点も大きいのでしょう。

 しかしながら、今までの栽培方式に「カブとクローバーを挿入するだけ」という作業は本当に簡単なことなのか?

 ここでは主に根菜類を導入し、それを経営していくためのコストについて見ていきます。



■ノーフォーク農法? 輪栽式農法?

 まずはこの2つの言葉に関する話から。


 ノーフォーク農法というものを表すなら、18世紀初頭のイングランド東部(ノーフォーク地方)で生まれ、以降18世紀後半から19世紀前半にかけてのイングランド全域で見られた農業方式、といったところでしょうか。

 他国へ導入される過程では「イギリス農業」だとか「イギリス方式」といった言われ方もしました。

 一般にコムギ→カブ→オオムギ→クローバーの四圃式と言われますが、広く砂質土壌が分布するノーフォークで支配的だったのはコムギ→オオムギ→カブ→オオムギ→クローバー→ライグラスの六圃式であったようです。

 四圃式はノーフォークでも例外的にコムギ適作地だった南部の一部で見られるのみでしたが、その後広くイングランド全域、従来のコムギ適作地へと広がっていく過程では四圃式が採用され、結果として四圃式が有名になったというわけですね。



 対して輪栽式農法というのは、上のような輪作型式を持った農業方式の総称と言ったところでしょうか。

 以下には19世紀ドイツのテーアによる定義の一部を載せておきます。

(1)完全な休閑を廃止し、代わりに中耕作物を栽培する。

(2)中耕作物は成熟期が遅いことから、その跡は一般に夏穀に用いる。

(3)2つの穀物を連続して作ってはならず、何か中間作物を挿入すべきである。

(4)クローバーには十分な耕起と施肥がなされた土地が不可欠である。


 中耕作物という語については後にして、これをノーフォーク農法に当てはめてみましょう。

(1)中耕作物=カブを栽培する。

(2)カブの栽培時期に被ることで跡作に冬穀のコムギは栽培できず、カブ→オオムギの輪作順序をとる。

(3)オオムギとコムギの間に栽培牧草として赤クローバーを挿入する。

(4)赤クローバーの播種は中耕作物であるカブ栽培の翌年に行う(オオムギに間作か跡作)。

 といったところになりますね。


 別に中耕作物がカブである必要性はないですし、穀物の中間作物がクローバーといった栽培牧草である必要もありません。

 現実に実施する場合は気候や土壌条件、地域的な需要や肥料供給能力で千差万別であり、当然ながら四圃式でなければならない理由も存在しません。



■中耕作物に関する話

 戦前に日本へ訪れた外国人が日本の農業を目にした時の発言として有名なものに「これは農業ではなく園芸だ」というものがあります。

 園芸というとまず家庭の庭で行われる花や樹木の栽培、園芸農業といった場合には蔬菜や果樹の栽培などが浮かびますが、これはそういった意味ではありません。

 このあたりは翻訳上の微妙なニュアンスであり、英語の伝統において鍬のような人力の農具のみで行われる農作業のことを「園芸」(gardening)と呼び、犂のような家畜動力の農具を用いる農作業のことを「農業」(farming)として区別していました。

 西洋人にとっての穀物生産は家畜動力が前提にあるものだったのに対して、日本では穀物生産すら人力のみで行っている、という意味合いとして上のような発言が出たというわけです。


 さて西洋人の「農業」が非常に粗放的な大規模経営を行うものだったというのは前話で触れた通りですが、「園芸」たる人力の農作業に関して言えば両地域に大した差はありません。

 家屋のすぐ近くにごく小規模な菜園という形で付属し、そこでは農場とは比べ物にならないきめ細かな耕作が行われ、十分だろう量の肥料が投下され、高度な栽培管理が行われる空間といえます。


 そしてなぜこんな話をしているかと言えば、これが「輪栽式農法」導入の上で最大の問題点となってくるからです。


 上で「中耕」という語が出てきましたが、これは作物の栽培間に株間を浅く耕し、除草や通気性の改善に効果がある農業技術のことであり、中耕作物といった場合はその作業を実施する作物を指します。

 当然ながらこのような労働力のかかる作業は、粗放的大規模経営をとる「農業」で行いえるものではなく、非常に「園芸」的な手法です。

 具体的に言うならそれはノーフォーク農業で有名な「カブ」のことであり、西洋史を変えたなどと言われる作物である「ジャガイモ」であり、その他穀物牧草といった従来からの農場作物を除くあらゆる作物がこれにあたります。


 輪栽式農法というものは、今まで「農業」しか行われていなかった広大な農場に対して、小規模な菜園にしか適合しないはずの「園芸」的な要素を持ち込むという、経営上の大きな困難が存在するというわけです。



■カブ栽培に関する話

 「カブは栽培が簡単」と言われることもありますが、それはあくまで小規模栽培に限った話であり、輪栽式農法について語る文脈でそんなことを言おうものなら冗談ではない話です。

 以下カブ栽培に関するコストの話に移ります。


 まずは家畜動力を用いた農作業について、最も重要な作業が犂耕です。

 家畜に牽引させた犂によって圃場を耕耘し、土壌を膨軟化させて作物の地下部分の生育を助け、また生育しかけた雑草を埋め殺すという除草の意味合いもあります。

 農業革命時期の18世紀イングランドの農学者ヤングは、6台の犂隊を270日間稼働させた場合1620エーカーの土地を犂耕できるとし、800エーカー規模の農場を仮定して労力のおおまかな計算を行ったのですが、それが以下の通り。


 コムギ:160エーカー × 犂耕1回 → 160エーカー

 カブ:160エーカー × 犂耕6回 → 960エーカー

 春播き穀物:160エーカー × 犂耕3回 → 480エーカー

 クローバー:160エーカー × 犂耕0回 → 0エーカー

 クローバー:160エーカー × 犂耕0回 → 0エーカー

 (計:耕地800エーカー × 犂耕10回 → 1600エーカー)


 圧倒的に多いのがカブです。

 コムギの6倍でオオムギの2倍もの回数が計上されており、全犂耕作業のうち6割がカブにつぎこまれるという事態になっています。

 三圃式農法なら4回の犂耕で済みますが、上記の四圃輪栽式農法なら10回の犂耕が必要であり、仮に面積を同じにして計算してみれば三圃式8:四圃輪栽式15と、実に2倍弱の家畜労働力を必要としており、当然ながらこのための大型家畜や犂、馬具や厩舎の手配も必要となってきます。

 もっともこの犂耕回数というものは土質によっても増減しますし、絶対に上の回数が必要というわけでもなく、減収はしても十分な収穫は得られるでしょう。

 一般的に言えることとしてはカブのような根菜類は利用部分が地下に存在し、地下部分を生育させなければならないという特性があり、草丈が低いことから雑草に対しても弱く、穀物より遥かに膨軟で清浄な土地が不可欠となり、そのための犂耕コストが余計に発生します。



 では次は人力の農作業について。

 カブは穀物と違って多数の「園芸」的な農作業を必要としており、そうした家畜に頼らない農作業のコストも勘案する必要があります。

 以下は19世紀ドイツのテーア『合理的農業の原理』から、カブ栽培に関する農作業の具体的な必要労働力について挙げてみますが、栽培法については18世紀イングランドのマーシャルの記述によります。


(1)除草・間引き:1日女手1人あたり0.2~0.25モルゲン

 カブの種子は夏至の頃から約20日間程度の間に播種され、芽が出てからハローがけによって畜力間引きがなされ、ついで葉が手の平大に成長した頃、互いにくっつかない程度に1度目の人力間引きがなされ、同時に周囲の雑草防除が行われます。

 穀物であれば春頃から雑草に先行して成長できる上に草丈も高いのに対して、カブの生育期は最も気温が高く雑草の繁茂も著しい時期であるので欠かせない作業です。


(2)中耕・土寄せ:40ルーテ(約150m)を20~24条程度 → 1日1人あたり約1モルゲン

 2度目の人力間引きはカブの葉が作業を妨げるほど生育する前、残されたカブを1本仕立てになるよう間引きするのと並行して、ねじり鎌を用いてカブの株間の雑草を根扱ぎしながら中耕し、根元へと土寄せを行います。


 1モルゲンの数値は地域差が激しいのですが、ここではおおむね3反(30a)として扱っています。

 ハローによる間引きなどは家庭菜園やプランターでの間引き作業と比べて驚くほど荒っぽい作業と言えますが、広大な農場にカブ栽培を適応させようとした場合には、こんな作業になったようです。

 上で挙げた計算と組み合わせてみると、160エーカーは約215モルゲンなので、(1)の期間中には延べ860~1075人、(2)の期間中には延べ215人、合計して期間中だけで延べ1075~1290人もの労働力を動員する必要が生じてきます。

 まぁ実際のところ800エーカーというのはかなりの大規模農場であり、ヤングの「ノーフォークでの平均は300エーカー(約120ha)ほど」という言葉に従えば延べ400人程度でしょうか。


 そして問題となるのは、こうした従来の穀物栽培では必要なかった労働が新たに発生し、さらにおおむね7~8月の頃「のみ」必要になるという点です。

 農繁期・農閑期というように、農業における仕事は1年を通じて一定した量があるわけではなく、余裕がある時期もあれば朝から晩まで非常に多忙な時期もあります。

 7~8月の頃が農閑期かと言えば全然そんなことはなく、冬穀のための耕地の犂耕と厩肥の搬出・散布、牧草の刈り入れと搬入、穀物の収穫と、明らかな農繁期です。

 こんな中で中耕作物の作業をやりたい、となれば長時間働けばとか労働者家族の手伝いだとかで済むレベルを越え、どこか外部から労働力を追加で調達しなければなりません。



 以上カブについてでしたが軽くジャガイモについて、こちらもカブ同様に中耕作物です。

 ジャガイモの場合は要求する犂耕回数はやや少なく(上の計算だと春播き穀物と同程度)、細かい種子を播くものではないので間引きの必要もありません。

 しかしそれ以外だとまず種芋の植え付けで、穀物の播種が1人1日15~16モルゲンに対して、田植えにも似た作業を要する植え付けは0.5モルゲン程度。

 栽培中は一般に穀物だと行わない除草作業に対して、馬耨による中耕と1人1日1モルゲン程度の人力除草。

 そして最も大変なのが収穫作業であり、穀物であれば大鎌で1人1日2.5モルゲンとそれを熊手でかき寄せて結束するのに女手1人で2モルゲン、小鎌だと1モルゲン可能なのに対して、ジャガイモの掘り出しには1モルゲンの作業で男手1人と女手8人が必要になるとのこと。

 よく「ヨーロッパの気候に適していたのにジャガイモはなかなか広まらなかった」と言われますが、これほどの農業方式の劇変が必要で保存性と輸送性が劣る、ともなればそれも必然というものです。



 とまぁここまで中耕作物のデメリットばかり挙げてきたわけですが、それで終えるのもあれなので中耕作物のメリットについて。

 中耕作物は上のように従来の農法と比べて遥かに膨大な作業で管理されることから、その跡作にとって非常に膨軟で雑草から清浄な耕地が残され、輪作の全生産物の収量へ好影響を与えます。

 また手をかけさえすれば穀物以上に面積あたりの収量を上げることができることから、特に自由に経営できる面積が著しく狭小化していたアイルランドなどでは、ジャガイモの主食化という状況も生じたわけです。

 そして最も重要なのが飼料としての適正であり、収量では栽培牧草に劣るものの家畜の嗜好性が高く、冬期間に飼料が劣化する中でも食欲を維持増進させ、また乾草や藁に補完する養分供給となりました。

 カブが好まれた点はここであり、乳牛へカブを与えることによって特に乳量が増加し、ジャガイモではチーズが粉っぽくなってしまうのに対して甘く品質のよい牛乳が得られたようです。



■輪栽式農法導入のための条件

 以下は上でも出てきたテーアが挙げた、輪栽式農法導入の7条件を整理していきます。


(1)耕地の完全な所有と自由な利用、他人が持つ一切の使用権の排除

 中世ヨーロッパ的な社会の農業生産は、「開放耕地制」「耕地強制」「混在地制」といった制度に代表される様々な共同体規制の下に置かれていました。

 共同作業というのは助け合いと言えば聞こえはいいですが、「誰の土地」「誰の収穫」「誰の仕事」といった要素が曖昧なままでは合理的な計画は難しく、こういった規制を全て排除して権利を明確化する「囲い込み」が不可欠となります。


(2)家からあまり離れていない土地

 毎日の移動は勿論のこと、厩肥や収穫物の輸送においても、家から離れれば離れるほど単純にコストは増大し続けます。


(3)あまり痩せていない土地、あるいは肥料を入手する特別な手段

 たとえば豆科作物は窒素固定で有名ではありますが、他の養分は普通に土壌から供給を受けます。

 当時からクローバー1作目はうまくいっても2作目以降は奮わないという事例が多く見られ、経営を続けたいのであれば特に要求量の多いカリや石灰、可能な限りリン酸についても外的な補給が望まれます。

 ノーフォークの例だと全体的に砂質の酸性土壌が分布していたので、地面を数十cm~数m掘り下げて下層の泥灰土を入手し、それをエーカーあたり馬車100台といった規模で散布する、高額な土壌改良を広く行っていました。


(4)多くの労働力

 ここまで見てきた通り、三圃式農法などと比べると家畜についても人についても、労働力の追加が必要となります。

 具体的には囲い込みによって地縁から切り離され、農繁期のみの雇用契約で季節労働が可能なほどに自由化された労働者の存在が望ましいと言えます。


(5)注意深く、勤勉で、思慮深い、決断力ある管理人

 そんなわけで内政チートを行う主人公には、非常に多くが求められます。


(6)生産物に十分な販路があり、採算性がとれること

 輪栽式農法というものはそれまでの自給的な三圃式農法とは異なり、拡大する都市の需要に対して穀物や乳製品を供給する、商業的な側面が強い状況で成立しました。

 農業は自然科学知識の集成である以前に産業であり、経済的合理性から外れることは許されません。


(7)大きな経営資本と十分な設備

 身も蓋もないことですが、およそ技術というものが成立するには発想やら知識やら以前に、絶対的に投資とそれに対する採算性が必要になります。

 ノーフォークでは囲い込みや泥灰土の採掘のために莫大な借入を行い、それを20年近くかけて償却していったのだとか。

 言い換えるとそれに耐えられるような強力な金融機関の存在と、高度な信用能力が必要といったところでしょうか。



 まとめると輪栽式農法やノーフォーク農法というものは、ちょっと栽培作物変えてみよう、で済む話ではないということ。

 栽培牧草も根菜の飼料利用も、記録自体はそれこそローマの頃からあるものなので、思いつきでがどうにかなるならどこかの誰かがやってるよねって話。

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