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11/11

その11*諒介

 世にも不思議な光景を見た。

 妹が、俺の妹が、男を従えて歩いている。

 これは前代未聞のゆゆしき問題であった。

 まあ、正直なところ、俺の妹であるから十人並みの見た目はキープしていると思う。多少ふくよかなところはあるが、それは多感な成長期であるから目をつむってもいいだろう。

 性格も、そう悪くはない。思いこみの激しいところが玉にきずだが、類い希なポジティヴ思考が妹を無駄に輝かせている。

 妹は常にひとりの男しか見ていない。いつどこにいても、誰といても、妹の頭の中はいかにしてその男と両思いになるか、その思考しかなかった。しかし、その願いは未だ報われていない。彼氏いない歴=年齢の記録を更新しつつ、それでも妹はいついかなるときも前を向いていた。

 彼女は今も、ずんずんと歩みを続けている。俺の母校でもある高校の制服を着て、スクールバッグを提げている。男はその後ろにぴたっと貼り付き、ほとんど距離も開けずについてきていた。

 イマドキあんな髪型をしている奴がいたのかと我が目を疑ってしまう、きっちりぱっきり寸分の乱れもない七三分け。それがあるとないとでは顔の印象が変わりすぎるのではないかと思われる、これまたレトロすぎる黒縁眼鏡。

 お洒落なレンズはファッション感覚で用いられているが、それとはまったく別物。お爺さんの文机の中にそっとしまわれているような「それ」である。

 俺が着ていたのと同じ高校の制服。何故か彼が着用するとデザイナーズブランドのはずのブレザーが、昭和テイストに変わってしまう。

 ここまで強烈なキャラには、なかなかお目にかかれない。見れば見るほどに興味深く、一瞬も目を離せなくなった。

 今、俺は自宅近くの電信柱の影にそっと隠れている。

 大学の講義が午前中で終わり、一度は家に戻ったものの食うものがなにもない。冷蔵庫もほとんど空っぽ、ストック棚にはかろうじてスパゲッティの乾麺があったが、味付けするためのソースらしきものはなにも見当たらない。

 万事休す、こうなったら近くのコンビニでなにかを買い込んで来るしかないと外に出たところだった。

 妹が通りの向こうから歩いてくるのはすぐにわかった。しかし声を掛けようとして、ハッとする。小柄な妹の背後に見え隠れする背後霊。その存在に気づいたときに、身体が勝手に路地に隠れていた。

 ――面白い、これは面白すぎるぞ……!

 目前に迫った恋人たちの祭典、バレンタイン・デーを前にまさかの新展開。

 あの黒縁くんは、妹にチョコをねだる新参者か。なんという根性の座った奴だろう、まさかあの妹に戦いを挑もうとは。

 さすがの妹も、女子高生となった今は校内で大人しく猫を被っているということなのだろうか。だとしたら、それもまた見物だ。


 俺が妹と同じ学校に通ったのは、小学生時代の三年間だけ。しかし、すでにそのときから妹は奇怪な行動を見せていた。

 ピカピカの一年生のはずなのに、気づくと俺たち四年生の教室に座っている。明らかに身体の大きさが違うために教師にはすぐに気づかれ送還されるが、またしばらく経つと戻ってきている。そのたびに教師は顔を真っ赤にして叱りつけるが、当の本人はどうして注意されなくちゃならないのかが理解できないらしく、フグのように頬を膨らませていた。

 運動会の色分けのときなどは、さらに一騒動だった。勲と同じ組になれた年はよいが、もしも敵となってしまうと、勝手に紅白帽子を裏返し敵陣に侵入する。もちろんすぐにクラスメイトに気づかれ騒ぎ立てられ、担任につまみ出されていた。

 かつては小学校の門に貼り付き、どうして入れてくれないのかと何時間も泣き続けたという伝説の女。

 もちろん、俺の親は何度も学校に呼ばれて注意を受けていた。しかし誰がなだめてもすかしても、妹の行動は改まらない。

 さすがに小学校も高学年になると、公共のルールが理解できるようになり、意味不明の行動はなりを潜めた。それでもしばらくは、いつ中学校に妹が侵入してくるか、冷や冷やしたものだった。

 妹の想い人は隣の家に住む、俺の幼なじみであり親友である男である。愛想がなくいつもつまらなそうにしているのが難点ではあるが、なかなかにして見栄えのする奴だ。しかも、頭も運動も俺よりもちょっとばかり優れているため、やたらと女にモテる。毎年の誕生日やバレンタインには、女子たちが自宅の前まで押しかけてきた。

 そんな現場を目の当たりにした妹が、大人しくしているはずもない。すぐさま柄の長い土間ぼうきを手に、彼女たちを蹴散らしにかかった。その姿はさながら、桃太郎にでてくる鬼ヶ島の赤鬼のようである。――否、ミニマムサイズのため、どっちかというと猿山の雄ザルと言った方がいいか。

 そんな惨劇が続いたため、いつの間にか勲の家の前には変な生物が飼われているという都市伝説が生まれた。――かどうかは、定かではない。


 ――おっと、いつの間にか記憶が過去に飛んでしまっていた。

 そうしているうちに、妹と黒縁少年が俺の目の前を通り過ぎていく。妹はむっつりと前を向いたまま、その顔はとても険しかった。その口が、不意に動く。

「ちょっとさー、あんたっていつまでついてくる気っ!?」

 すると、黒縁少年はわかりやすく嬉しそうな顔になった。

「はっ、はい! 自分はっ、ただいま千花さんのあとについております!」

 まったく会話がかみ合っていないような気がする。妹はさらに続けた。

「私っ、ついてきていいなんて言ってないけどっ!」

「いっ、いえっ! 自分は、千町は、たとえ火の中水の中、千花さんの行くところについていきます!」

「だからーっ、迷惑なんだけど! ついて来ないでよ!」

「うっ、嬉しいです! ようやくお声を掛けていただけて……!」

 駄目だ、完全に話がすれ違っている。というか、なんなんだ、この少年。いったい、なにがしたいんだ。

 喉でも渇いたから、家に上がってお茶でも飲みたいのか。

 しかし残念ながら、今現在はお茶菓子のひとつもないぞ。正真正銘の空お茶になってしまうんだが、それでもいいのだろうか。

 そこまで来て、俺は気づいた。

 少年の胸には、妹と同じクラス章がついている。もしかして、彼はクラスメイトなのか。それならばなおさら、妹の人となりはわかっているはずだ。やはり妹は猫を被っているのか。

「あのねっ、私は忙しいのっ! 本当に本当に忙しくて、だからあんたの相手をしている暇なんてないんだから!」

「そっ、そうですか! では、自分も千花さんを見習って、忙しくしたいと思います!」

「なんなのっ、それ! どうやって、忙しくなるっていうのよ!」

「えっ、……えっとー! おっ、踊ります!」

 少年はそう言うと、おもむろに手足を動かしはじめた。しかし、それはどう見ても「盆踊り」のステップである。さらに指摘させてもらえば、手と足の動きがまったく合ってない。

 その滑稽さといったら、すぐさま飛び出していって動きを正したいレベルであったが、その衝動をかろうじて抑える。

 駄目だ、俺までが舞台に立ってどうする。こういうのは、傍観者であるからこそ楽しいのだ。当事者のひとりになってしまえば、娯楽にならなくなってしまう。

 たこ踊りを黙って眺めているのはかなりの苦痛であったが、俺は耐えた。耐えて耐えて、耐え抜いた。

「……ええと」

 少年の踊りを見ていた人間は、もうひとりいた。言わずと知れた、俺の妹である。彼女は彼の息が切れて動きを止めるまで、その姿をじーっと見つめ続けていた。

「それをやって、なんの効果があるっていうの?」

 ――おおっ、素晴らしい!

 我が妹にしては、なかなか鋭い突っ込みだと感心してしまった。

 すると彼は、ぜいぜいと肩で息をしながら答える。その瞳は冬空の一等星のようにキラキラと輝いていた。

「自分もっ、忙しくなります。そうすれば、千花さんと同じ気持ちになれます! これはもう、一心同体です!」

 ……どういう理屈だ。

 俺は今まで、妹以上に支離滅裂な思考回路を持つ人間を知らなかった。だから、妹は俺にとってこの上なく素晴らしい鑑賞対象だったのである。

 だがしかし、この広い世界には俺の知らない未知の生物がまだまだ生息していたらしい。

「……そう。じゃあ、私の家はここだから。お疲れさま」

「はいっ! また明朝、お迎えに上がります!」

 妹の顔には「来なくていいから」という台詞がべったりと貼り付いていたが、もはや言葉にする気力も残っていないらしい。

 彼女は門を開けると、そのままのろのろ家に入っていった。

 ――こっ、これは! これは、事件じゃないか……!

 俺はすぐさま携帯を取り出し、メールを打ち始める。送信先は、もちろん奴だった。

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