第七話 狐は祟らない
「狐の祟りなんです。」
依頼人の男性は真剣な顔で言った。
神社の社務所。
夜月と悠真は向かい側へ座っている。
「最近、村で変なことが続いてまして。」
「怪我人が増えたり。」
「病気になったり。」
「家畜が死んだり。」
男性は声を潜めた。
「皆、言ってるんです。」
「狐の祟りだって。」
夜月の表情が曇る。
ほんの少しだけ。
だが悠真は気付いた。
「どうした?」
依頼人が帰った後。
悠真が聞く。
夜月は小さくため息をついた。
「そういうの嫌い。」
「狐の祟り?」
「うん。」
「違うのか?」
夜月は少し考える。
「狐が怒ることはある。」
「あるんだ。」
「でも人間が思うような祟りじゃない。」
夜月は窓の外を見る。
境内にある小さな稲荷社。
「狐は神様の御眷属。」
「人を見張るためじゃない。」
「人を見守るためにいる。」
悠真は黙って聞く。
夜月は続けた。
「なのに怖いって言われる。」
「化かすって言われる。」
「祟るって言われる。」
少しだけ寂しそうに笑った。
「きっと悲しいと思う。」
「狐の気持ち分かるのか?」
夜月は肩をすくめる。
「少しだけ。」
「便利な返事だな。」
「便利だから。」
翌日。
二人は依頼のあった稲荷神社へ向かった。
山間にある古い神社だった。
鳥居が並び。
苔むした石段が続いている。
静かな場所だった。
「雰囲気あるな。」
「いい神社。」
夜月はそう言って一礼する。
鳥居をくぐる。
悠真も続いた。
境内へ入ると。
夜月が立ち止まった。
「いた。」
「見えない。」
「知ってる。」
「便利だな。」
夜月は少しだけ笑う。
拝殿の脇。
そこに小さな白狐がいた。
夜月にだけ見えている。
しかし。
白狐は怯えていた。
怒っているわけでもない。
牙を剥いているわけでもない。
ただ悲しそうだった。
夜月はゆっくりしゃがむ。
決して驚かせないように。
「こんにちは。」
白狐は警戒している。
夜月は微笑む。
「怖かったね。」
白狐の耳が少し動く。
「祟りだって言われたの?」
白狐は俯いた。
夜月は優しく言う。
「あなた達じゃないんでしょ。」
白狐の目から涙が零れた。
悠真には見えない。
でも。
夜月の表情を見るだけで何となく分かった。
「違ったみたいだな。」
夜月が頷く。
「うん。」
「むしろ困ってる。」
調査を進める。
神社の周囲。
森の中。
古い記録。
地図。
そして。
神社の裏手にある封鎖された場所へ辿り着いた。
そこには古い井戸があった。
「これか。」
夜月の顔色が変わる。
井戸の周囲だけ空気が重い。
じめっとしている。
嫌な感覚。
悠真ですら分かった。
「なんだこれ。」
「念。」
夜月が呟く。
「人の感情。」
「感情?」
「恨み。」
「悲しみ。」
「怒り。」
「そういうもの。」
夜月は井戸を見つめる。
「長い時間かけて溜まった。」
「それが周りに影響してる。」
「狐じゃなくて?」
「狐じゃない。」
夜月は少しだけ怒った顔になる。
「むしろ抑え込んでた。」
「抑え込む?」
「御眷属達が守ってた。」
悠真は井戸を見る。
当然何も見えない。
でも。
この場所がおかしいことだけは分かった。
夜月は札を取り出す。
「境を定める。」
静かな声。
「迷いを鎮める。」
井戸の周囲へ札を置いていく。
見た目は何も変わらない。
だが空気が少し軽くなる。
夜月の額に汗が浮かぶ。
「大丈夫か。」
「大丈夫。」
「その返事信用できない。」
夜月が少し笑った。
「失礼。」
しばらくして。
井戸の周囲の念は静まった。
完全ではない。
だが危険はなくなった。
夕方。
二人は神社の石段へ腰掛けていた。
夜月は疲れた様子だった。
「狐だったな。」
「狐だった。」
「でも祟りじゃなかった。」
「最初から言ってる。」
悠真は苦笑する。
風が吹く。
山の匂いがした。
「なあ。」
「何。」
「俺さ。」
夜月が振り向く。
「最初は全部嘘だと思ってた。」
「知ってる。」
「今も正直、全部は信じてない。」
夜月は黙って聞いている。
「俺には見えないし。」
「分からないし。」
「説明できるなら説明したい。」
夜月は頷く。
「うん。」
「でも。」
悠真は少し考える。
「お前が嘘ついてるとは思わない。」
夜月が少し固まる。
「だから。」
「何かあるんだろうな。」
「俺には分からないだけで。」
夜月はしばらく黙っていた。
そして小さく笑う。
「進歩した。」
「少しか?」
「かなり。」
悠真は肩をすくめる。
「でもまだ信じきってないぞ。」
「知ってる。」
「便利だな、その言葉。」
「便利だから。」
いつもの返事だった。
少しだけ二人で笑う。
その時。
夜月が空を見上げた。
夕陽に照らされた鳥居。
そして。
白狐達が見えていた。
境内を走り回り。
参拝客を見守り。
子供の近くを歩き。
神様の御使いとして働いている。
誰にも気付かれず。
誰にも褒められず。
それでも。
今日も人を見守っている。
夜月は小さく微笑んだ。
「ありがとう。」
悠真が首を傾げる。
「何が?」
「内緒。」
「なんだそれ。」
「内緒。」
夜月は少し楽しそうだった。
石段を降りながら。
夜月がぽつりと呟く。
「狐もね。」
「人も。」
「霊も。」
「本当はそんなに違わない。」
悠真は少し考える。
「俺にはまだ分からない。」
夜月は頷いた。
「うん。」
「でも。」
悠真は続ける。
「お前がそう言うなら。」
「そうなのかもしれないな。」
夜月が立ち止まる。
少しだけ驚いた顔。
そして。
どこか嬉しそうに笑った。
「変な人。」
「褒めてる?」
「たぶん。」
「またそれか。」
夕暮れの神社に。
二人の笑い声が静かに響いた。




