旅路を辿る
出かける前にゴタゴタがあり、若干の疲労を滲ませながら始まった旅だが、幸いなことにその旅路は悪いものではなかった。
この国からフィケーネへ向かう道のりは整備されていて、馬車の揺れも少なく快適であった。
たしかに、その道程は遠く途中の宿は高級と呼べるものではなかったけれど、素朴で暖かな雰囲気を持つそれらは、ヴィオレットにとってとても素敵なものだった。
というか、ヴィオレットの価値観はその辺の貴族とはかなり異なっている。
綺麗で優美な物を至上とし、いっそ悪趣味なほど金をかけた物に趣を見出す貴族文化とは異なって、ヴィオレットは豪華でも優美でなくても良いから兎に角機能的なものに魅力を感じ、シンプルでコンパクトな物を好む。
だから、ヴィオレットはいくら地味で庶民的な宿であっても、ベットがあってそれなりに雨風をしのげれば後は特にこだわらなかったのだ。これがヴィオレットでないその辺のご令嬢であれば、この旅程に耐えられず早くも逃げ出して居ただろう。
そういう生き物なのだ。この国の貴族女性というのは。
「でも、ルリはそれで良かったの?」
フィケーネとの国境に向かうまでの最後の宿を出、後は国境を超えるだけとなったその日、ヴィオレットはここまで着いてきてくれたルリに尋ねた。
あの頭お花畑な国王に追放を命じられたヴィオレットは仕方ないとしても、その侍女でしか無かったルリにここまで着いてくる必要はなかったはずだ。
それにルリは、腐ってもこの国を代表する公爵令嬢の侍女だ。つまりルリ本人も貴族籍をもつ、れっきとしたご令嬢なのである。
だからこそヴィオレットは、自分にここまで付き添ってくれたルリを気遣い、この国に残るなら最後の機会だと促した。
もちろん、本当にルリがこの国に残るつもりであればもっと前に申し出るべきであったし、ここまで来てしまったからには後に引けないという側面があるにはあるのだが。それでも、どうしてもヴィオレットは尋ねずには居られなかったのだ。
ルリは元々ヴィオレットの侍女では無い。そう言うと語弊がありすぎるが、ルリはヴィオレットの家レーヴェ家に直接雇われた侍女ではないのである。彼女はヴィオレットが王太子に嫁ぐ際に、それまでヴィオレットが貯めてきたお金で雇った侍女なのだ。
と言うのも、ヴィオレットは王太子に歓迎されて居らず侍女は愚か専属の護衛すら付けられなかった。あの紅の間に整列していた騎士たちは、全て“部屋”に付いていただけであり、ヴィオレットの騎士ではなかったのである。
まあ、今となってしまえばあまり関係の無い話ではあるが。
そういう訳で、ルリはヴィオレットのお金に縛られているだけで、ほかの何にも縛れていないため独立しようと思えばどこへだって行けるのだ。
しかし、ルリはーまあ予想通りーその首を横に振った。
「もちろん。ルリはヴィオレット様と共に在りたいのですから」
「でも、ルリ、貴女にだって家族や大事な人達はいるでしょう?あの国境を超えてしまえばもう会えないかもしれないのよ?」
しっかりと否定はされたが、やっぱり不安と少しの負い目があってつい言い募ってしまう。
ルリは、ヴィオレットの言葉にもう一度首を振った。
「それはヴィオレット様も同じでしょう?」
「でも…」
ヴィオレットの家は良くも悪くも貴族らしい家で、両親は完全な政略結婚で愛などなく、ヴィオレットもヴィオレットの兄や弟妹たちも公爵家の人間としての責任の元に躾られはしても、無条件に子供らしく愛されて育ってはいない。
ヴィオレット自身もそれに違和感を感じてはいなかったし、不満も特になく、ヴィオレットの兄弟に対しても兄弟以上の感情は抱いていなかった。だから、ヴィオレットが他国に嫁いだとしても、パイプとしての期待はすれど、寂しいとか会いたいなんていう感傷は互いに抱いていない。
でも、ルリは違う。
ルリは、小さいけれど由緒正しい男爵家に産まれ、祖父母と両親優しい兄弟に囲まれて育ち、病気の祖母の治療費と沢山いる兄弟たちの教育費の為に侍女になった。素朴で優しい愛に包まれて育った彼女が自身の親や兄弟を恋しく思わないはずがないのである。
どういう訳か、身の上話までして貰えるくらい慕われるようになったヴィオレットは、当然この話を把握していて、だからこそルリにもルリの両親にも申し訳が立たず、後ろ髪引かれる思いでいたのだ。
しかし、ルリははっきりと真っ直ぐにヴィオレットの言葉を否定した。
「それに、ルリは大丈夫ですよ!ヴィオレット様と違って向こうの国に骨を埋める訳では無いので国籍はこちらにありますし、丁度祖母の持病も寛解して、1番下の弟も初等部に入学したので!」
「あら、そうなの?それはおめでたいわね」
「あと、私、つい最近彼氏に振られたばかりなんです」
そう言うとルリは悪戯っぽくヴィオレットを見つめ、チョコレート色の瞳の片方をパチリと閉じた。
「傷心旅行に丁度良いでしょう?」
古い恋を忘れる為には新しい恋なんです!
そう言って胸を張ったルリに、ヴィオレットはその大きな瞳を見開き、そのままパチリと瞬きをして、
「本当ね」
と優しく笑った。
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