旅支度
かくして多方面に波紋を広げた夜会は終わった。
結果としてヴィオレットに非は無く、この国の国王の愚かさを晒しただけとも言える。
あの夜会が後宮内での私的なものだったから良かったものを、あれが国際的な場で行われていたらと思うとぞっとする。
その男の命で近いうちにこの国を出るとはいえど、母国が他国に食い荒らされているのは見たくない。
しかも、ヴィオレットの生家、ヴァーハン家はこの国の筆頭公爵家。
万が一、この国がおちぶれた時に共に責任を取らねばならない立場だ。
そうなれば、ヴィオレットだってどうなるか分からない。
「殺されてしまうかもしれないわね」
「そうですよ!!全く、あの男は…!!」
ぼそりと呟いたひと言を、目の前で忙しく動く腹心の侍女であるルリに拾われてしまった。
ただ、どうやらルリはこの国のトップにおかんむりだったらしい。ヴィオレットのひと言が、男に向けられたものだと取ったようだ。
ルリは、ヴィオレットの荷物をトランクに詰めながらぷりぷりと怒る。
人より少し小柄な体でぴょこぴょこ飛び回りながら怒るので、まるでマザーグースに出てくる妖精のようだ。
不敬罪まっしぐらなルリの言葉を聞き流して、ヴィオレットは可愛らしいなと微笑んだ。
ところで、ルリの誤解をひとつ正さなければならない。
確かにあの男に対して怒っているかと聞かれれば、命を下した7日後に出立しろというのは無茶だし、体良く厄介払いしようとしたあの短絡ぶりに腹は立つ。
だが、ここまで来てしまえば、最早どうでもいいのだ。
どちらかと言うと、これから輿入れする予定の隣国の勉強の方が心躍るし、そちらの方がよっぽど建設的だ。
なので、ルリの誤解を正しルリがこれ以上無駄な事に時間を割かなくて済むようにするほうが先決だ。
「ねぇ、ルリ」
「はい、なんでしょう?」
「心配してくれるのは有難いのだけど、でも、1つ正しておきたいのだけど」
「正す?ですか?」
「ええ。貴女さっき殺されてしまうって言った事に同意したでしょう?」
「ええ、そうですね。隣国は気性の荒い野蛮な国だと聞きますから」
「でもね、多分かの国のトップはそのような事をされる方ではないわ」
「え」
甘いチョコレート菓子のような瞳を見開いて、ルリは全身で驚きを表す。
相変わらず可愛いなと愛でる気持ちで見守っていると、ルリはヴィオレットの言葉を何度か反芻してやっと飲み込めたらしい。
少し回復してこちらに尋ねた。
「それはどちらからの情報でしょう?」
「本と、経験よ」
「本と、経験…」
「そ。多くの本はかの国の国民性を、陽気で楽しいことが大好きな祭り好きと表現しているわ。それに、他国と国交を結んでいる国で気に入らないからと人を切り捨てる様な所は無いわ」
「それも、そうですね!噂に踊らされるところでした。危なかった…」
ヴィオレットの言葉に納得してくれたらしい。
ルリは慌てて両の手で口を覆った。
危ない危ないと小さく呟く姿は、可愛らしい人にしか許されない動作なのではないだろうか。
産まれ持った顔が派手すぎて、どう足掻いてもキツめの美人にしかならないヴィオレットとは大違いだ。
少し悲しくなってヴィオレットは手元の本を開く。
主にサバンナ気候のことが書かれている本に視線を落とす。
そこにある情報は、ヴィオレットが18年生きてきた中で1度も触れたことの無いものばかりで上手く想像できない。
知識ばかり入れて頭でっかちになってもいけないわねと、本を閉じてルリの荷支度を手伝う。
元々余りものを多く持つ方でないヴィオレットだが、それでもトランクひとつには入り切らない。
余った分は実家に戻して、後から送ってもらおうと言うルリを止める。
陸路を使いさほど遠くないとはいえど、他国に出るのだから荷物は少ない方がいい。
それに、どうせほとんど着ないのだ。
換金してしまった方がいいだろう。
そういうと不満げに口を尖らせてから、渋々といったふうにルリは頷いた。
それに、ルリには言わないが家に戻したところで、ドレスに興味の欠片もない父親の事だ。
とっとと換金して、お金を送り付けてくるだろう。
兄と妹ばかり構ってヴィオレットにあまり興味のない母も同じ事だ。
換金する分を纏めて箱に入れてしまって、顔を上げる。
そろそろ晩餐会の時間だ。
後宮に入っている人間の中でも下っ端ならば別だが、これでもヴィオレットは後宮内の筆頭四妃が1人深紅の間の主だ。
たとえ、後宮の主たる男に純潔を散らす所か触れられたことすらなくても、部屋から出るのがどんなに億劫でも、晩餐会に出席する義務がある。
動きやすいようにと着ていた軽めのワンピースから、晩餐会用の重たい深紅のドレスに着替える。
深紅の間の主は、一応公式の場には赤を基調とするもので行かねばならない。
面倒くさいことこの上ない。
ドレスで倍くらいに増えた体重を引きずって、ヴィオレットは部屋を出た。
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