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弥生の空に1 出航編  作者: 柴野 独楽
5/10

第3章 脅威 4-7 

     4

 そこからの一年は、まさに苦難の連続であった。

 まず問題になったのが、食料だ。

 去年の秋収穫した作物の半分を租税として取り上げられ、都城の建設作業に、里の男の三人に一人が人夫としてかり出されたことは既に述べた。これだけでもかなり大きな負担だったのだが、クニの奴ばらは、これに加え、賦役に出かける際、現地で里人たちが食べる分の食料までも、里の負担として供出させたのである。

 働き手を奪うだけで飽き足らず、その者たちの食い扶持の面倒まで、里に押しつけたわけだ。

 おかげで、田畑にまく種籾(たねもみ)を別にすると、秋の収穫まで食いつなげるかどうかというギリギリの食料しか、里には残らなかった。

 その分の食料をなんとか確保するために、早春から山に入り、タケノコを掘ったり、山菜を摘んだりといった、余計な作業を少ない人数でこなすことを、里人たちは余儀なくされたのである。

 春先の田起こしは、朝から晩まで、全身のバネを使ってクワを振るい、土を耕す重労働だ。その労働に耐えうるよう、冬の間に十分体を休め、力を蓄えておくのが里の長年の風習であったのだが、それが崩れてしまったせいで、今年の春先には体を壊す者が続出し、例年ならば数週間で終わる田起こしに、ひと月半もの時間がかかってしまった。

 農作業とは存外緻密な作業であり、季節ごと、期間ごとにやらねばならぬことが、きちんと定まっている。予定を大幅に超えて作業がずれ込むと、それに連れて、後々の作業もどんどん影響を受けていってしまう。

 田起こしが大幅に伸びたせいで、例年その後に行っていた畑の種まきと、苗代作りが遅れ、長雨の時期を逃してしまったせいで、今年は作物の芽の伸びが悪く、苗代も、植え付けたうちの三割が病気にやられ、茶色く立ち枯れてしまった。

 それでもなんとか、残る健康なものだけを懸命に世話し、田植えの後の草取りに精を出したおかげで、初夏を迎える頃には、田も畑も、例年よりはやや育ちが遅いか、ぐらいまで成長が回復していたのだが……そこを狙いすましたかのように、クニからまた、賦役に人夫を出すようにというお達しがきたのである。

「今回の賦役は、都城からの道を整備するものであり、そなたたちの生活を豊かにするべきものでもある。従って、賦役の数は里の男の二人に一人とする。道を作るための道具や食料も、そちらで調達すること。また、監督に当たる都城の者の寝床や食料も、そちらで用意するよう、しかと申しつける」

というのが、クニからの命の骨子であったのだが……有り体にいって、この上ないほどに無体な話であった。

 何度も言うが、里人たちにとって、道は無用の長物でしかない。

 にもかかわらず、クニの民がこれほどまでに道にこだわるのは、彼らが道に頼って生きてきた「北の民」だからである。

 舟に慣れない彼らであっても、道さえあれば、租税の徴収をより容易に行うことができる。

 万が一、里で反乱が起こったとしても、道さえ整備されていれば、すぐさま、大量の戦車と兵とで、現場に駆けつけることができる。

 北の民にとって、道はまさに「支配のための設備」なのである。

(にもかかわらず「民草のため」の造築だと強弁し、賦役を重くするばかりか、都からやってくる者たちの宿や食料まで用意させるとは!合力を承知したばかりの里にこれほどの負担を強いれば、当然里人たちの心は離れ、クニの土台が揺らぐのは目に見えているというのに、一体なぜ……?」)

 ニグィが心に抱いた疑念は、都城からやってきた「工事の監督」を一目見ただけで、氷解した。

 「監督」たちは、屈強な体つきと油断のない目をした武人の一隊を従えており――本人たちも、武器こそ携えてはいないものの、隙のない動作と鋭い目つきからして、単なる技術者ではないと、すぐに見て取ることのできる者たちだったのである。

(なるほど……これは、「道造り」にかこつけた、里の見張りであったか……)

 クニを建てたとはいえ、その実態は、せいぜい数百から数千の「北の民」が、ニグィら「南の民」の里を武力でもって脅し、無理矢理合力させているだけの、極めて脆弱なものである。都城の建設すらまだ途上である現在、いくつかの里が手を組み、一斉に蜂起でもすれば、あっという間にクニは滅びてしまう。そうなっては、楚の打倒など夢のまた夢、自分たちの根城さえなくなり、再び流浪の民となって、つらい逃亡生活を送らなければならなくなる。

 その「最悪の事態」だけは決して起こらぬように、と考えた末、「北の民」は、里人たちの力を削ぐ策に出たのだ。

 野良仕事の忙しい時期に、苛烈な賦役を課すことで、里人たちの体を疲弊させ、元気を奪い取る。さらに、「監督」と称して兵どもを送り込み、彼らの飲食の面倒を見させることで――もちろんこれには、クニの蓄えを減らすことなく、兵たちを養う、という意味もあるのだろう――長年かかって蓄えた食料を吐き出させる。そのことに対し、里から少しでも不満の声が上がろうものなら、駐留の兵を使って即座に鎮圧し、反乱を兆しのうちに摘み取ってしまう。

 こうして、里人たちの生気をなくし、決してクニの命に逆らわず、言われたことをおとなしく実行するだけの「民草」へと変えていく――次から次へと無体な賦役を課すのには、おそらくそんな意味があるのに違いない。

 ニグィは、ひそかにため息をついた。

(合力を乞うておきながら、蓋を開けてみれば、やはりこうなるか……逆らうだけの力のないのをいいことに、我らを絞るだけ絞り、蓄えた力を根こそぎ奪い取って、食うや食わずにところにまで追い詰めようとはな。なんとも無情なことだ……)

 ただ、不幸中の幸いといえるのは、クニの者たちが、ニグィらの里の「実力」を少々見誤っていることだった。

 「文明を知らぬ化外の地」の民が、自分たちの知らぬ技術など手にしているはずがない。土を耕し、自らをまかなう分の作物を手に入れるがようやっと、それ以上のことは何もできぬ無知蒙昧な輩なのだと、「北の民」は頭から決めつけている。絹織物や神酒をよその里と交換することで、里人たちが多くの財物をため込んでいるなどということは、夢にも考えていないようなのである。

 そこを逆手に取り、ニグィは、あらかじめ里人たちが持つ財物のほとんどを集め、それらを、里のいくつかの場所に隠しておいてある。追い詰められてにっちもさっちもいかなくなり、否応なく「クニの奴隷」と化さねばならぬのを避けるための「保険」のつもりであったのだが……。

(まさかそれが、これほどまでに早く役立つ日がこようとはな……)

 どれほど甘言を弄したとしても、しょせん北の民は虎狼と同じ。我らを一段下の存在であると見なし、枯れ果てる直前まで精力を吸い続け、役に立たなくなれば、ひねり潰してやろうと考えている。このような者どもの命に、いつまでも素直に従ういわれはない。今は雌伏し、やがて機が熟したら、どうにかして奴らの支配から逃れなければならぬ。

 合力から一年を経ずして、既にニグィの心ははっきりと決まっていた。

(さて、あとはいかにして奴らから逃れるかだの……それも、我らの「真の力」が知られ、根こそぎ財物を奪われてしまうまでの間――まあ、3年というところか。それまでに、なんとしても道を見いださねばならぬ……)

 里の大人として、都城からやってきた「監督」どもに笑顔で酒などつぎ回りながら、ニグィは、忙しく頭を回転させ続け……はっきりこの里を捨てて、逃げ出すことを意識し始めていたのだった。



     5

 楚が辺境の国々や百越の民を次々征服し、どんどんその実力を増していたことについては、既に述べた。

 もちろん、それら[被征服民」とて、ただ手をこまねいて征服、蹂躙されるのを待っていたわけではない。中には、小国や里の力を結集することで、楚に対抗しようとした勢力もあった。

 そこに、楚に滅ぼされた国の残党などが加わることで、いくつもの国が建国され……それらの国同士での小競り合いや征服戦争が繰り返されることで、紀元前6世紀頃には、長江流域は「楚」「呉」「越」の三国が割拠する状態となっていた。

 北方の戦乱を受け、南方の民も、否応なく戦火に巻き込まれた結果、数百はあったとされる南方の辺境諸国が、四百年間で三国に統合されるのである。その間、血で血を洗う争いが続いたことは、想像に難くない(それでもまだ戦乱は終わらず、紀元前2世紀に秦の始皇帝が中国を統一するまで、さらに四百年――都合八百年もの間、騒乱の時代は続くのだ)。

 これほどまでに長期間、血みどろの争いを繰り広げなければならなかった理由の一つが――意外に思われるかもしれないが――「農耕」なのである。

 農耕は、毎年安定した食料を得られ、定住生活を可能にするが、その分、多大な労力を投下して、耕作に適するよう、土地を維持管理し続けなくてはならない。

 土地にしがみつき、土地と運命をともにすることこそ、農耕民の宿命なのである。

 ただし、それも、圧政や外圧の度合いが過ぎる場合は、その限りではない。

 「逃散(ちょうさん)」というのだが、民が土地を捨てて流民となり、どこか住みやすい土地を求めて移動していく、というのも、歴史上、よく見られる現象なのである。

 例えば。

 現在、中国南部から東南アジア北部の山岳地帯に住む少数民族で「ミャオ族」と呼ばれる人たちがいる。

 ミャオ族は漢民族によって付けられた呼び名であり、彼ら自身は「モンの民」と自称しているのだが――そのモンの民の言い伝えによれば、そもそも彼らの故地は長江中下流域であった、とされる。

 それが、北方漢民族の圧迫によって――つまりは、「北の民」の侵略や苛烈な搾取を避けるため――山岳地域に移動、住み着いたのである。

 逃散により土地を逃げ出し、他地域へと流れていった典型的な民族なのだが、このミャオ族、調べてみると、いろいろと興味深い問題をはらんでいる。

 その一つが、逃散の時期だ。 

 今のところ、中国歴史学では、「ミャオ族」について言及した文献が12世紀宋代にしか見受けられないため、彼らの「移動」はその頃であろう、とされている。が、中国の伝説上の名君である「堯」に対し反乱を起こし、その後南方へ落ち延びた「三苗」なる一族こそ、モンの民のルーツであるとする説もあり、もしこれが正しければ、モンの民は、はるか紀元前に山岳地帯へと移動を余儀なくされたことになる。

 興味深いことには、紀元前5000年~3000年頃、長江中流域で発展した大渓文化の遺跡から発見された遺骨から、この「モンの民」と共通する遺伝子グループが発見されている。このことにより、大渓文化の担い手は、「モンの民」と同系統の人々であると考えられているのだが……だとすれば、彼らはかなり古い時期よりその地へ住みついていたことになる。

 その彼らが、春秋戦国時代に北の民の圧力を受け、山岳地帯へ移動していた――すなわち、定説よりもずっと古い時代に「ミャオ族の大移動」が起こっていた可能性も、決して低くはないと思われるのだ。

 で、あるならば。

 逃散の際、上流の山岳地帯へと逃げ出した一団がいるのであれば、その逆に、長江を下り、はるか海を目指した一団がいたとしても、おかしくないのではないか。

 そもそも長江沿いの土地に暮らしていた民は、日常の足として舟を使い、生きていた。その航海力をいかし、川を下り、海を越えて、当時狩猟採集を生業をしていた縄文人達と邂逅し、合流した者だって、いたのではないか……。

 現在、ミャオ族が舟によって日本へと落ち延びてきた、とする証拠はない。が、江南地方からはるばる千キロ以上も長江を遡り、山岳地帯へ逃げ延びた民がいたのであれば、同じように川を下り、河口から海を越えてはるばる日本まで落ち延びた民がいてもおかしくないのではないかと、筆者は夢想する。

 そう考えることで、一つの謎が解けるように思われるのである……。



      6 

 「……それは、まことなのか?」

 疑念もあらわに再度聞きただすニグィに、ヤズは至って真面目な顔で対した。

「ああ、まことだ。この(うみ)を下り、さらにまことの「うみ」を超えたところにある俺のクニに、手つかずの土地がある。ここと同じく、豊かな川水が流れ、歩くとじくじくと水がしみだすほど湿った土地だ。そこを、そなたたちの新たなすみかとして、くれてやろうといっておるのだ」

「しかも、その対価として……」

「ああ。年に数回、その土地を縄張りとする山の民が訪れる。その者たちを数日の間、酒と菜とで歓待してくれれば、それでよい。それさえ欠かすことなければ、他になにひとつ求めることはない。それどころか、山の民は、賊徒や外敵よりそなたたちを護り、時には思わぬ宝を持ってくることすらあるだろう……と、ニグィ。これでもう3度、同じことをそなたに話しておる。飲み込みの早いそなたらしくないな。なにがそんなに解せぬのだ?」

「いや……」

 さすがに少々うんざりしているのか、疲れたような笑みを顔にのぼせたヤズに対し、ニグィはひたすら、困惑した顔を向けることしかできなかった。

  理解できないのでははない。あまりに条件がよすぎて、信じられないのである。ヤズが約束した「一年後」の再会の時、ニグィが村の惨状を愚痴るより前に彼が切り出した提案は、それほどまでに、素晴らしいものだったのだ。

 ほんのわずかな土地と食料を巡り、ありとあらゆるところで諍いが起ころうとしているというのに、「うみ」をひとまたぎしたところでは、今だ手つかずの、田を作るのにもってこいの土地が広がっており、毎年わずかな作物と酒を供えるだけで、その土地が手に入るばかりか、他の様々な便宜までも図られるだろう、いうのである。

 まさに、夢のような話である。

「ニグィどの。まことに、まことによい話ではございませぬか!この話に乗らぬ手はございませぬ!」

 ともに話を聞いていたアタカは、顔全体を笑顔にして、今にもヤズらと同行しそうな勢いである。これだけの好条件なのだから、それも無理のない話だ――というよりは、この話に飛びつかぬ方が、どうかしてしている、といってしまってもよいかもしれない。。

 だが……。

「ヤズ。大変ありがたい申し出、心より感謝する。だが……大変申し訳ないが、今この場で申し出を受ける、と明言することはできない」

「ふむ。なぜだ?」

「そうですよ!こんなよい申し出、二度と……」

「黙れ、アタカ」

 いつも穏やかなニグィには珍しい強い口調に驚き、アタカが口をつぐんだところで、ニグィは、真剣な目をヤズに向けた。

「ヤズよ。分かってほしいのだが、我ら里の民にとって、住み慣れた土地を離れ、新しい土地に移り住むというのは、大変なことだ。それまで何年も何十年も手塩にかけてきた田や畑、手入れをしながらずっと住み続けた家など、ありとあらゆるものを捨てて、一から全てを作り直さねばならぬのだからな。それでも、私一人――いや、私の一族だけであるならば、今すぐ喜んでそなたの申し出を受けるだろう。だが……大人(おびと)として、里人皆の運命を左右する決定をしなければならぬ時には、否が応でも慎重にならざるを得ないのだ」

「ふむ」

「多くの里人は、里から一歩も外に出たことがない。当然、土地を離れるのをいやがり、なんとしてでも土地にしがみつこうとする。その彼らを、無理矢理に――ほとんど力ずくで遠く見知らぬ土地に連れて行くには、私にも信念が必要になる。ヤズよ、そなたとの友情を疑ったことはない。だが、その友情だけでは、里人を動かすには足りぬのだ」

「皆を率いる者ならば、当たり前の心配だな。だが……」

「分かっておる。時には、心配や疑念をうち捨て、決心せねばならぬこともある、というのはな。その決心を固めるためにも、一つそなたに尋ねたいことがあるのだ」

「ほう……なんだ」

「うむ。それはな、なぜそなたが、そこまでしてくれるか、ということだ」

「そこまで……とは?

「そなたが、友である私や、息子と契りを交わしたアタカ、そして里に残してきた、そなたの孫娘のクシナを助けたい、助けようというのならば分かる。みな、そなたと直接関わり合いのある者だからの。だが、私には分からぬのだ。なぜそなたは、我らのみではなく、里人全てを助けようとしてくれるのだ?里をまるごと助け上げることで、そなたはどのような満足を得るのだ?」

 ニグィの言葉を聞くなり、アタカは目を見開き、顔をこわばらせた。

 相手の「親切心」を疑ってかかっているとしか思えぬほどに率直な――その分、どうかするとヤズに対しこの上なく失礼にもなりかねない――問いに驚き、ヤズが不快感をあらわにするのではないかと、危ぶんだのである。

 だが、ヤズは、ニグィのこの、無作法といっていいほどにまっすぐな問いかけにも、いやな顔一つしなかった。

 聞かれた内容を素直に、あくまで真剣に吟味し、じっと考えこむ。

 やがて。ヤズが、ゆっくりと口を開いた。

「ひとつは、そなたたちの酒、だな」

「我らの酒……神酒か?」

「うむ。そなたらが作るあの酒は、実に貴重でな。我らの故地にも、無論酒はあるが、そなたらの酒に比べると、なんともまずい。それどころか、我らは数多くの土地を交易のために訪れるが、あれほどに甘く、とろりとして、舌触りのよい酒は、他のどこでも、お目にかかったことはない。我らがこの地にまでやってくるようになったのも、そもそもは、そなたらの酒を手に入れるためでな。おかげで、我らは、他の土地で様々なものを、より多く手にすることができるようになった。なのに、いやな支配者のせいで、せっかくの素晴らしい交易品が手に入らぬようになると、非常に困る。どこか安全で平和な土地で――しかも、できるならば我らの住む土地に近いところで、これからもずっと、あの酒を作ってもらえるならば、なんともありがたい……まあ、そのように考えたのだ」

「ふむ……なるほど」

 返した言葉こそなんてことないものだったが、ニグィは、ヤズの言葉の中に、里をまるごと助けたい本音の動機を、ひしひしと感じ取っていた。

 神酒の「価値」について、ヤズが話してくれたからである。

 ヤズとは長い付き合いになるが、今の今まで、彼らはニグィの里の神酒を、ごく当たり前の交易品の一つとして取り扱ってきた。ニグィも、まさか神酒がそれほどの価値を生むものだとは夢にも思わず、様々な交易品の中の一つとして、当たり前の価値で、ありきたりの相場で、ずっと取引を行ってきたのである。

 よその土地へ持って行けば高く評価される品だ、ということが分かれば、ニグィらは当然、その品を出し渋り、値をつり上げようとする。より多く、より安く神酒を手に入れたいヤズらにしてみれば、これはどうしても避けたい。だから、その品がよそでどれほど高く評価されるかについては、決して口にしたくない――すべきではない――秘密。それが、交易に携わる者、皆に共通する常識なのである。

 その禁忌をあえて冒し、ニグィに「神酒の真の価値」をもらしてまでも、ヤズは彼らに移住を勧めてくれている。これはまさに、里人たちの保護について、彼らが真剣に考えてくれている証に他ならない。

(ヤズには、「道義心」などというあやふやなものだけではなく、切実な理由でもって、我らを救おうとしてくれている。まこと、信頼するに足る友とはありがたいものだ……)

 この理由のみで、ニグィは、既に八割方、この先の里の運命をヤズに預けることに傾いていた。

 そこへ。

「さらにもう一つの理由なのだがな。実は、我らには、古くから言い伝えられていることがある」

「ほう」

「我らは、今でこそ、ここより遠い地に居を構えておるがな。元はといえば、この江をずっと遡った、そなたたちの里とほど近い土地に住み、その地で、草の実を集め、獣や魚を捕って暮らしておったというのだ」

「なんと」

「その頃は、木々が多く茂り、獣も魚も捕りきれぬほどに捕れたので、我ら『モンの民』はなに不自由なく暮らすことができたらしい。やがてその地に、どこからか人がやってきて住みついた。その者たちは、魚や獣を捕るでなく、草を抜き、土を耕して、そこに、草を植え、育てて食べていたそうだ」

「それは!まさか!」

 思わず叫び声をあげたニグィに、ヤズは軽くうなずいた。

「うむ。おそらくは、そなたたちの父祖か……あるいは、そなたたちに近い里の父祖であろうと思う」

「そうであったのか……」

「言い伝えによれば、我らの父祖と、新たにやってきたそなたらの父祖は、互いにうまくやっていたそうだ。高き土地と低き土地に分かれて住み、同じ(うみ)の水を分け合って使い、今我らがしているごとく、獣や魚と作物とを交換し、時には、ともに火を囲み、酒を飲み交わし、語り合ったりしてな。実の気持ちのいい隣人であったそうだ」

「それなのに……なぜ、そなたたちの父祖は、その地を捨てたのだ?」

「知れたことだ。やがて、その地が、父祖の暮らしに合わなくなったのだ」

「合わない……?」

「いつの頃からか、冬の寒さがどんどん厳しく、長くなったそうでな。鬱蒼と茂っていた木々が姿を消し、一面の草原になってしまったのだ。おかげで父祖は、獣も、木の実も手に入れられぬようになってな。その上、頼みの綱の魚も、水の深いところへと移り住み、捕るのが難しくなってしまった。このままでは生きて行かれぬからと、父祖のあるものは、木々を求め、さらに江を遡って山に入っていった。そして、我らが父祖となる者たちは、魚を求め、江を下り、「うみ」を越えて、その先にある土地へとたどり着いたのだ」

「はるか昔に、そんなことが……」

「そこは、清流が流れ、山深く、多くの魚が寄り来たるところでな。そこで我らの父祖は、土地に古くから住んでいた「山の民」に認められ、受け入れられて、新たな一族となった。山の民に魚を与える代わり、山の恵みを受け取って、今の今まで暮らしてきたのだ」

「そうか……そなたらは、元は我らのよき隣人であったのだな。だからこそ、私とそなたも、よき友人になれたのかも知れぬ……」

「うむ。我らが父祖は、元いた土地を去るときに、そなたらの父祖にいたく世話になったようでな。寒さでろくに作物も穫れぬ中、なけなしのコメを与え、道中の糧にするよう取り計らってくれたのだとか。父祖は、その恩をずっと忘れず、ことあるごとに、子らに伝えてきた。いつか、かの者たちに連なる者が困っていたら、必ず助け、昔日の恩を返すようにと言い聞かされて、我らは育ってきたのだ。そなたから、里に危機が訪れていると聞いたとき、我の胸によみがえったのはこのことだった。我は悟ったのだ、今こそ、父祖のが受けた恩を返すときなのだ、とな……」

 ヤズが静かに口を閉じ、ニグィは、数奇な運命に打たれたかのように深々とうなずいてみせた。

 が、実のところ、それは単に、ヤズが欲するであろう反応をしてみせただけに過ぎない。

 「まさか」「そんなことが」などと口にしてはいたものの、ニグィには、ヤズら「モンの民」が隣人であった、という話について、思い当たることがあったのである……。


 ニグィの里――及びその周辺一帯の里――には、「モノ」「モン」という「存在」がある。

 それは、目に見えないが、なにやら邪悪なものであり、

「モリの奥には入っちゃいけないよ。モンにさらわれるよ」

「どうしたんだ、そんなに慌てて。モノにでも襲われたのか?」

「あやつも、もう長くないな。モノに憑かれたようにうわごとを言っておる」

「今年は作物の出来がよくない。モノすさまじい天気が続いたからなあ」

 などというふうに、ありとあらゆる災厄を引き起こす原因で、里人一人一人に降りかかる不幸の大本締めである、ととらえられている。

 とはいえ、現在では、だいぶんその神通力も薄れ、なんとなく存在してるなにか、のようにとらえられることも、多くなってきている。

 ニグィも、子供時代こそ、古老が話して聞かせるモノの話に固唾をのんで聞き入り、怖ろしさに背筋をそそけだたせたりしたものだが、成長し、里やこの「世界」について、様々な知識を身につけていくにつれ、「モノ」とは、おそらく、自らの身に降りかかる「よくないこと」の原因を説明するため、祖先が考え出した、実体のない、ふわふわしたものであろうと――――もっとはっきりってしまえば、実在しない、想像上の産物であろうと――考えるようになっていった。

 が……さらに年齢を重ね、大人(おびと)と呼ばれる立場になり、それまでとは違った目線で、広くこの「世界」を見渡せるようになるにつれて、「モノ」とは、単なる「子供だまし」ではないのかもしれぬ、と思うようになった。

 というのも、モリの奥に住み、時折やってきては甚大な被害を及ぼし、また去って行くとか、暗がりにひそんで通りかかる者にとりつくとか、手足が長くて風のように走るとか、口の中の歯が皆とがっているとか――「モノ」に付帯する行動や様相は、おしなべて、具体的過ぎるほどに具体的なのである。

 おそらく、なにか原形となるおそろしい「もの」が、周囲に存在し、絶えずそれらに脅かされていた祖先達が、その恐怖をふくらませ、脚色して作り上げたのが「モノ」ではないか――ニグィは、いつしかそんなふうに考えるようになったのである。

 その「原形」となった存在こそ、ヤズらの祖先である「モンの民」であるとすれば……すっきりと説明がつく。

 里に住みつき、田畑を耕して生きる民にとって、定住することなく、モリの中をうろつきあるくモンの民は、恐怖の対象であったに違いない。

 里人たちは、今と同じく、当時も戦いが苦手であったろうから、よそ者が――飢えたモンの民が里に入り込んでも、たたき出すことすらできず、食料などを相手の求めるがままに供出し、ひたすら穏やかに出て行ってもらうという方法を選んだに違いない。

 それを「助けてもらった恩」と解釈してもらっているのならありがたいことではあるが……実態はおそらく、「招かれざる客」を作り笑いで出迎え、穏便に厄介払いした、ということではあるまいか。


 (……近くに住みついているもの同士が、なんらの()()()もなく暮らしていくなど、まああり得ぬ。我らが里の近くを離れ、父祖から言い伝えられるうち、よいところだけが残され、我らに恩義を感じるようになっていったのであろう……)

 とはいえ、もちろん、ヤズにこれらの話を伝えるつもりはない。

 全てはニグィの想像に過ぎないのだし……自分たちの父祖が「災厄の象徴」と見なされていた、と聞いて、ヤズが喜ぶとも思えない。

(それに、今、ヤズと私とがよい友人なのは、間違いないのだからな……)

 一人、頭の中で様々な考えを巡らした後で――といっても、せいぜい数分間のことだったが――ニグィは、彼に向かって深々と頭を下げた。

「ヤズ。大切に語り継ぐべき父祖の話をしてくれたこと、そして、本来ならば秘中の秘としなければならぬ神酒の(あたい)まで、あからさまにしてくれたこと、心から感謝する。今の話を聞いて、はっきりと決心がついた。私はこれより、里人全ての運命をそなたに託し、皆を引き連れて新たな土地に移り住むことに、残りわずかな命の全てを賭ける」

「……そうか」

「うむ。ついては、一つそなたに願いがある」

「なんだ」

「アタカを、そなたの住む土地まで連れ帰ってほしい」

 その場に居合わせた皆――ヤズ、マダカ、そしてアタカ本人も、この言葉を聞くなり、目を見開き、息をのんだ。

「なんと!」

「ニグィどの、そのような……」

「連れ帰るのはたやすいが、しかし……」

 一斉に話しかけてくる三人をなだめつつ、

「まあ、聞いてくれ。いかなそなたたちが勧めてくれた土地とはいえ、まことに田畑に適しているかは、実際に田畑で働いたことのあるものにしか分からぬ。本来ならば、この私自身が赴き、田を拓くことができるかどうか見たいのだが、里の大人という立場上、うかうかと数年も里を留守にするわけにもいかぬ。そこで、アタカをそなたたちの土地に連れ帰り、土地の検分をしてもらいたいのだ」

「その気持ちは分かるが、いきなり連れ帰ることはできぬ。我らの土地は、我ら一族の女どもが守っておる。そこへ、見知らぬ女をいきなり連れ帰ったともなれば……」

「なるほど。それならば、すぐに、とは言わぬ。また来年、この地を訪れるときでよい。その時に、アタカをそなたの住む土地まで連れていってはくれまいか」

「うむ……まあ、一年あれば、我が一族にも話を通すことはできると思う。しかし、連れ帰るのがよいが、その後、もう一度ここにやってこられるのは、さらに次の年になる。うみを越える旅は厳しいものでな、風と潮のよき時節を見計らって行わぬと、水にのまれてしまうのでな。それでもよいのか?見知らぬ土地で、我らの中に混じり、慣れぬ暮らしを一年もの間送ることに、耐えられるのかな?」

 そう言われて、ニグィは、ちらりとアタカの顔を見た。

 と。

 アタカは、うっとりと潤んだ目で、嬉しげにマダカのことを見つめているではないか。

 我知らず、ニグィは、頬に苦笑を浮かべていた。

(そうよな。契りを交わしたとはいえ、アタカがマダカと逢えるのは、一年のうち、この地を訪れるわずか数日のみ。それ以外の日々は、形だけとはいえ、私の妻として振る舞わねばならぬ。致し方のないこととはいえ、まだ若いアタカにとって、不満の多い関係であったに違いない。それが、一年もの間、里人たちの目がないところで、マダカと好きに過ごせるとあれば、アタカに不満のあろうはずもない……)

 微笑をたたえたままヤズに向き直ると、ニグィは、再び口を開いた。

「なに、問題はない。常人では難しいかもしれぬが、アタカは並外れて我慢強く、責任感が強い。必ずやつらい暮らしに耐えてくれるはずだ」

「はい!ニグィ殿のご命令とあれば、そのお役目、必ずや立派に果たしてお目にかけます!」

と、弾んだ声でアタカ本人も口を添える。

 ヤズは、ゆっくりうなずいた。

「分かった。では、翌年、またこの地で会うとき、アタカ殿を預かることとしよう」

「よろしく頼む。私の方でも、里での準備を整え、そなたたちの一族への贈り物をたんまりと持たせ、アタカを送り出すつもりだ」

「うむ。そうしてもらえると、大いに助かる」

「こちらこそ、そなたの好意に甘えっぱなしだ。まことに申し訳ない」

 ニグィが深々と頭を下げると、

「いやいや、我らとて、利があるからこそ行っていることだ。礼には及ばない」

 ヤズは軽く頭を振り、顔をくしゃっとしかめて、人なつこい笑みを浮かべた。

 幼い頃から何度も見てきた、てらいも邪気もない、まっすぐな笑顔だ。

 その笑顔につられ、ニグィの顔も、微笑から大きな笑みへと変化し……四人は、長い話で黒々と焦げてしまった魚をそれぞれ手に取り、思い切りかぶりついたのだった。



     7

 かくして、ニグィの「移住計画」は、ひそかに――だが、本腰を入れて――始動することになった。

 交易から帰り着いたニグィがまず行ったのは、彼の一番の理解者であり、強力な後援者である先代トゥジに、話を打ち明けることだった。

「里を捨てて、新たな地に移り住む!?ニグィどの、そなた、気は確かか?そのような恐ろしいこと、どうしてできようか!」

 聡明な女性であるとはいえ、やはり先祖代々受け継いできた土地を立ち去る、というのはなかなか受け入れられることではないらしく、初めのうちは、ひたすら首を横に振り続けていたのだが、順を追って一つ一つ説明していくうちに、次第に考えこむ時間が長くなり、そしてついには、

「確かに……里を救うには、それより他、道はないのかも知れませぬの……」

と、不承不承ながら、賛意を示してくれたのである。

 彼女を味方に引き入れた、ということは、里の女の八割を味方につけた、というのと等しい。

 この日より、先代お墨付きの「信頼に足る女」数人が、入れ替わり立ち替わり、なにかにつけてニグィの元へと出向き、しばらくしてから、どこか緊張した笑顔を浮かべ、変に明るい声で別れの言葉を告げて去る、ということが、幾度か繰り返されるようになった。

 もちろん、移住の計画を打ち明け、果たしてほしい役割を告げた上、くれぐれも他言は無用と言い含めたがゆえの反応である(そもそも里では「隠し事」自体が少ないため、それを強いられると、どうしてもぎくしゃくとした、不自然な態度にならざるを得ないのだ)。

 計画を打ち明けた者の中には、不審げな顔で、進言する者もいた。

 里人皆のためになる話なのだから、そこまで秘密裏に事を運ばなくても、いいのではないか。北の民――役人や兵、使者――が都城からやってくるのは、秋、作物の借り入れが終わった後、収穫の半分以上を年貢として取り立てに来るときと、賦役と称して土木作業に従事する男手を連れに来るときのみ。一年のうち、ほんのわずかな期間でしかないし、時期もその期間もほぼつかめているのだから、それ以外の時には、おおっぴらに里を立ち去る準備をしても良いのではないか……というのである。

 確かにその方が、迅速に、確実に準備が進むこと、間違いない。それは分かっているのだが、ニグィはあくまで、心底信頼できるごく一部の者に事情を話すだけにとどめ、水面下でひっそり準備を進めることにこだわった。

 というのも、話をおおっぴらにして準備が早く進むのは、「里人皆の気持ちが一つとなり、移住を求めている時に限る」という条件がつく時に限られるのだが……今現在、里の空気に、なにやら穏やかならぬきしみが現れてきてること――もっとはっきり言えば、若い男を中心に、北の民に羨望の目を向け、進んで協力しようとする一派ができつつあることを、ニグィは――残念ながら――感じ取っていたのである。


 「都はな、ほんにすごいところだったぞ。まず、建物からして違うのだ。我らの家のような、細い柱を組んで草をかぶせ、上から泥をかぶせただけの、粗末な家とは違っておってな。柱を密に、まっすぐに立て、その間に木の枝を敷き詰め、白くてねっとりした「しっくい」という泥を塗るのだ。それが乾くと、すべすべした、見たこともないほど綺麗な壁ができる。四面全てをその壁で覆われた建物は、見ているだけでうっとりしてしまうほど、美しい。しかもそれが、目を見張るほどに大きくてな……」

 夢見るような口調で子供たちに話しているのは、アタカの実弟の一人、ホヒである。

 クニへの合力を約してからこの方、ニグィらの里は、やれ道を通すだ、壁をつくるだ、宮城を建てるだと、三月に一度もの頻度で、賦役を命じられ、大勢の男を送り出していた。

 アタカの弟であるホヒは、そのたびごとに人夫に志願し――幾度か交易を手伝い、「外」の世界に慣れていたがために、自然、賦役に出た里人たちのまとめ役のような立場を務めるようになった。

 そして、里の代表として宮城に出入りし、クニの重要人物と親しく言葉を交わし、「おう」にも顔を覚えてもらうようになり……いつしか彼は、すっかり「北の民」に魅了されてしまっていたのである。

 それでも、ホヒ一人が無邪気にクニに憧れているだけならば、それほどの脅威はない。ニグィがなにより気がかりなのは、時を経るに従って、ホヒ以外にも、都城で見聞したことを嬉しげに語るものが出てきたこと、そして、目を輝かせて彼らの話にじっと聞き入る者たちが、どんどん増えつつあることだった。

「都城の四方を囲う壁は、それはもう高くてな。大人二人の背丈を足して、それでもなお手が届かぬのだ。しかも、分厚く頑丈でな、大勢がその上に乗っても、びくともしない。あれほどの壁に守られているのならば、どれほどの軍勢が攻め寄せてきたとしても、簡単に撃退できるにちがいない!」

「ほんに、北のクニの方々は、すごいものを考える。王の近くに使えておられる方々は、皆知恵のある方ばかりじゃ」

「兵を束ねる方々もすごいぞ。あれほど重く大きな矛を軽々と操り、兵が一時に数人でかかっても、なぎ倒してしまわれる。あれこそ、本物の英雄じゃ!」

 ニグィの里は、これまでいくさらしいいくさを経験したことがない。里の中で諍いが起こった時でも、つかみ合いになるのがせいぜいで、大勢を一時に相手取り、死に至らしめるまで徹底的に叩き潰すための「技術」など、これまで全く縁がなかった。

 そこへ、長年いくさを繰り返していくうちに蓄積された「智」と「武」を携えた北の民が、いくさに特化した「技術」を披露したのである。わかりやすく、圧倒的な彼らの技術に、里人たちが目を見張り、魅了されるのも、分からぬ話ではない。

(だが、奴らの矛は、我らの血を吸うやもしれぬ武具であり、その宮城や壁は、我らから――多くの里から様々なものをごっそりと奪い取り、その上、徴用した数多くの里人を長い時間こき使うことで造られたのだ。そこのところを忘れてはならぬ)

 ホヒらにしても、里人が手塩にかけ、ようやく収穫した作物の半ば以上を、都からやってきた北の者たちが、労することなくかすめ取っていくのを目にしている。また、賦役に出た先では、ろくな寝床や食料を与えられず、毎日朝から晩まで、過酷な肉体労働に従事させられていると聞く。にもかかわらず、あれほど夢中になって、北の民のすごさを語り、またそれを夢中で聞くのだから、里人に――特に若い男にとって、北の技術はそれだけ魅力的で、何を犠牲にしても手に入れたい、と憧れる価値のあるものに映っているのだろう。

(いかんな……里の中に、新たな勢力が生まれつつある……)

 そうかと言って、ニグィのような年かさの人間が、みだりに都のものに憧れてはならぬ、と諭したところで、若者たちの反発心をあおり、余計、北の事物を崇拝する気持ちを強めるだけだ。

 結局のところ、里の若い衆が、どんどん北の民に傾倒していくのを、はらはらしながら指をくわえてみているしかないのである。

(なるほど……これも、北の民の怖ろしさの一つ――いや、もっとも恐ろしいものなのかも知れぬ)

 ふと、冷たく強靱な巨大な手のひらに、里がそっとくるまれ、徐々に包み込まれていくような不気味さを感じ……ニグィは思わず、ぶるっと犬のように身震いしたのだった。


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