あの話ができる前と後
*(あの話ができるまで)
「ノックスの十戒って知ってる?」
パソコン室で、僕、部長、紅林さんで雑談していると、部長がそんなことを言い出した。
「なんとなくは。推理小説で守るべき10の原則みたいなやつですよね? 確か、犯人は登場人物でなくてはならないとか」
僕がうろ覚えの知識で答えると、部長はパソコンの画面に、Wikipediaを表示させる。
(具体的に書くと著作権に触れそうなので、読者様個人で調べてください。すみません)
「妥当と言えば、妥当な原則ではないですか? 叙述トリックなら、守られない方がいいかもしれませんけど」
紅林さんの感想に部長は頷く。
「普通のミステリーなら、だいたい自然に守るルールだよね。破るにしたって、1つくらい。じゃあさ、これ、全部破るミステリーって書けるかな?」
ノックスの十戒をすべて破ることは可能か。一見して、すぐわかるのは。
「1を破るんですから、犯人は謎解きパートになって突如登場するわけですよね?」
「そうだね」
「加えて、7を破るので、犯人は探偵ってことになります。すると、探偵が謎解きパートで、突如登場するんですか?」
「そうなるね。そうならざるを得ないね」
「どうなんですか、それ?」
つまり、突如現れた謎の人物が、「この事件、解決してやろう」とか言い出して、その実、そいつ自身が犯人ってことで……。それって、どうなんだ?
「面白くなさそー」
部長の言うところが、正直な感想だろう。まず、読みたいとは思えない。
「えっと、ありがちな解決方法ですが、犯人は読者というのはどうでしょうか? 謎解きに入るときに、『事件を解決する手がかりはすべて揃いました。ここからはあなたの出番です。物語の中に入って、見事事件を解決してみてください』という風に、読者を物語世界に入れて、その上で、読者が犯人」
紅林さんの意見に、部長はニマッと笑う。
「いいね。いきなり犯人が『俺は探偵だー』って出てくるよりずっといい! それに、それだと2も破ってるし。物語世界に入るのは、超自然能力だよね」
確かに、紅林さんの提案はアリな感じがする。2を破っているというのは、無理矢理な気もするけど。
「はい。ただ、ちょっと思ったのですが、探偵=犯人のとき、6を破ることは可能なんでしょうか? 探偵は自分が犯人であることを知っているはずで、それを当てるのは、偶然や第六感にはなり得なくありませんか?」
そう言われ、部長も僕も口ごもる。確かに、必然的に知り得ているはずのことを、当てずっぽうで言って、なおかつ当てるというのはおかしい。
「うーん。確かにー。なんかうまくできない?」
少し真剣に考えてみる。探偵自身が犯人であるのに、探偵が当てずっぽうで犯人を当てる。うーん。なんとなく他の十戒に目を通していると、ふと思いついた。
「10って、双子じゃなくて、多重人格でもいいんですよね? なら、読者=犯人=探偵=多重人格でどうでしょうか。別人格の記憶は持っていなくて、当てずっぽうで、自分の別人格が犯人だと当てる。これで8も、自分が多重人格であるという読者の知らない情報を使って推理するので、破ることになります」
部長は僕の言葉に頷く。
「なるほどなるほど。それを採用すると、1,2,6,7,8,10はクリア?」
「一応は」
本当にこれでクリアとしていいのか、それ以前に、そもそもそんな話が成り立つのかは知らないけれど。
「あとは、3,4,5,9かぁ。9のワトソン役って、この場合は誰?」
「地の文でいいのではないでしょうか? なら、地の文で嘘をつけばクリアです」
「おぉ、どんどんフェアじゃなくなっていくー」
部長の言葉に僕と紅林さんは苦笑する。ノックスの十戒をすべて破ろうって時点で、フェアなわけがない。
「3なんですが、読者には物語世界に入る能力があるんですよね? それって、好きな場所に入れるなら、抜け穴があるってことになりませんか? それも無数に」
そう言ってみる。読者はその能力から、密室だろうが関係なく、現実世界を介して物語世界のどこにでも行けるわけで、そうなるなら、どこにでも繋がる抜け穴があることになる、と言えなくもない。こじつけっぽいが。
「確かに、犯人が使えた抜け穴ってことなら、そうなるね。無数ってのはちょっと無理矢理だけど、他で抜け穴を1つ出せばいいかな。とすると、3もクリア。案外スラスラいくねー。あとは4と5。中国人は、とりあえず登場させればいい?」
「ノックスの十戒で言う中国人は、中国雑技団みたいに、普通の人ではあり得ない身体能力を持っているような人を指してのことだと思います。ただ、なんでもいいから中国人を出しておけばってことではないとは思います」
紅林の指摘に部長はしれっとした顔で、
「じゃ、そんな中国人をテキトーに出そう。話の端々で、天井を這ったり、5mくらいジャンプしたりさせればいいよ」
と言った。突如その描写が入ったら、ただ頭に「?」が浮かぶだろうな。
「そんわけで、残りは4。これも、テキトーに未知の毒物出せばいいんじゃない? 物語の根幹には関係ない感じで」
そう言われてしまえば、それでいいかと思ってくる。
「よし! 方針は決まったね。それじゃ、実際に書こうか!」
「書くんですか、今の案でミステリーを?」
「もちろん!」
部長は当然だろうという様子で頷くと、パソコンでWordを開いた。書くのか。書けるのか?
「さぁて、どんな話になるかなぁ」
面白い話には、ならないだろうなぁ。
*(あの話ができた後)
「これは、酷いですね……」
それが率直な感想だった。本当に酷い。なんだ、最後の超展開。これは断じてミステリーではない。
「わたしもね、書いてて思った。これは酷い。うん。酷い。間違いない」
「私はこれを推理小説だとは認めません」
紅林さんの言葉に心から同意する。これはいわば。
「これは、ミステリー風味を持ったコメディですかね」
「コメディにしても中途半端だねー。総じていうなら、面白くない!」
自分で書いた話をズタズタに批判する部長だった。まぁ、コンセプトからして面白い話になるわけもないのだが。
「でもさ、でもさ、これ、もう少しちゃんと書けば、前半とかもっと推理小説っぽく、物語風味に盛り上げてさ。そういう感じにしたら、マシにならないかな?」
その結果は簡単に予想できて。
「前半をちゃんと書けば書くほど、オチの『私が犯人だ。だって、超能力者で未来人で多重人格だから』でキレますよ。ふざけんなってなるでしょ」
「あはは、だよねー。そうだ、今度これ大くんに手がかりは出揃ったってところまで読ませて、犯人を推理させよっ」
「手がかりは出揃ったって文自体が、ワトソン役たる地の文の嘘じゃないですか……」
その後に待ち構えるのはあの超展開。その前までではもちろん手がかりは出揃ってはいないわけで、犯人がわかるわけもない。
「いや、でもでも、犯人がわかる可能性はあるよ。うん、ある」
「どうやってですか?」
「始めの方で、抜け穴とか中国人とか未知の毒物とかを前面に押し出してるから、そこから、これはノックスの十戒を破ろうという話だなって推理するの。そしたら、犯人はここまでに登場してなくて、探偵と同一人物で、超能力者ってことがわかる。こうなると話の流れ的に、自分ってなるのが1番自然だよね」
そんなメタい推理を要求されるミステリーは嫌だ。
「できなくはないと思いますけど、私はそれを出題されたら怒るかもしれません」
紅林さんは苦笑しながらそう言う。あれを読んだ大白先輩に、今部長が言った推理をしろと言えば、横暴だと返されることだろう。
「総じて、この作品は駄作ってことでOK?」
良作や傑作でないことは間違いない。しかし、駄作かと言われると、そうだと断言はしづらい。企画が『ノックスの十戒を全部破ろう』だったのだから、こんな感じの作品になるのは仕方がないのだし。
「まぁ、ノックスの十戒を全て破った作品としてなら、ありなんじゃないですか。断じてミステリーではありませんけど」
文芸部の活動として初めて書かれたこの微妙な作品は、一応、僕が学校内のパソコンに持つアカウントのデスクトップに保存された。