七個ないのが七不思議④
「さあ、零時を回った」
携帯にセットしたアラームが鳴って、目を覚ます。
六月九日。私と桜が古野野江学園で過ごす最初の夜が更ける。
古野野江のジャージを着た私が体を起こすと、合わせて桜が二段ベッドの上段から降りて来た。桜も私と同じで、古野野江のジャージ姿だ。
「ん……もうそんな時間かしら」
夕食後の仮眠は少し深めだった様で、緋鎖乃は眠そうな目を擦りながらゆっくりと体を起こした。
「ほらほらしゃんとする! すぐ出るぞ」
私は、緋鎖乃からジャージを受け取った時の様に軽くストレッチをする。急かされた緋鎖乃は、そんな私の様子を見て少し驚いた表情をしている。
「すぐ出るって……なにをするの? まだ今回の件について私は鎖子とも桜ともちゃんと話していないし、なにをするのかも決めていないわ」
二日前、六月七日に戸破を訪れた緋奈巳に聞かされた今回の事件。話は私と桜を巻き込んで急速に流転し、次の日には事件のあった学園の生徒となり、その夜にはこうして謎の解明に向かっている。
緋鎖乃が何故、学園長を殺したのか。その真相へ。
「なにって言われてもな……昼間にも言ったろ。お前が、どうして白裏を殺したのか? それを調べるんだよ。だから、あれ教えて。緋鎖乃が何処で白裏を殺したのか」
私が当たり前の様に言うと、緋鎖乃は目を丸くして私と桜を交互に見る。
「ちょ、ちょっと待って。私が学園長を殺した場所って……それくらい、姉様から聞いていないの?」
「ん? 知らないけど。放課後も私聞いたじゃんか。調べるところだけを教えてくれって」
「た……確かにそうかもしれないけれど……ねえ、鎖子。貴方、姉様からどういう風に話を聞いているの?」
緋鎖乃は多分それに自分の中で当たりをつけているであろう嫌な表情をしているけれど、恐らく万が一の願いを込めて私にそれを尋ねた。
「緋鎖乃が学園長を殺した。しかし、その理由を話さないので緋鎖乃と学園長になにがあったのか分からない。冷然院では白裏が能力者であった事は把握しておらず、緋鎖乃が理由を言わないのは、尋問でも口を割らない事から、白裏が言動に制限を加える能力を有していたからと推測している。だから、私と桜で真相を探る。お前の姉ちゃんから聞かされたのはこんなとこだ」
「それ以外は?」
「えーと、私と桜が転校する事?」
「それ以外」
「なにも」
「……嘘はない?」
「《《嘘は吐いてない》》」
私が一通り質問に答えると、緋鎖乃は頭を抱えた。
「……お昼休みから、なにか変だとは思っていたのよ。放課後も、二人してすぐ寝てしまうし、夕食の後も仮眠してしまうし……事件があった学園の事を調べようともしない。それどころか、事件の当事者である私になにも聞いて来ない」
多分に緋鎖乃の疑問は当然の事で、私と桜は一見無能者からめんどくさがりかもしれない。だから、緋鎖乃は頭を抱え怪訝な目で私と桜を見る。
「姉様から詳しく聞いているのならそれでもいいのだけれど、なにも聞いていない。その、私みたいな半人前が言うのもなんだけれど、あまりに準備不足というか、手を抜き過ぎじゃない?」
緋鎖乃の中の分水嶺では、私と桜は怠け者な様。けれど、私も桜も決してそんなつもりはない。
「そんな事ないさ。現に、これから調べに行こうとしている訳だし」
緋鎖乃の心配そうな視線を受け流して、私は肩を竦めてみせる。緋鎖乃はいまいち信頼しきれないといった表情を浮かべるが、それ以上私がなにも言わないので、クローゼットから古野野江のジャージを取り出してパジャマから着替える。
「それで、私はどうすればいいのかしら。一応着替えたけれど」
着替えを終えた緋鎖乃は、眠たげな表情も、私達に対する怪訝な表情も捨て、凛として姿勢を正した。
「緋鎖乃は私と一緒に哨戒。桜は留守番」
「はーい」
桜は両手を挙げて返事をすると、テレビの電源を入れて座椅子に座った。
「桜は行かないのね」
「うん。いつでも、《《保険》》は必要だから。行くぞ、緋鎖乃」
私が言うと、緋鎖乃はクローゼットから黒の竹刀袋を取り出した。
「ええ、行きましょう」
多分、緋奈巳さんと同じものだろうそれを携えた緋鎖乃は、やたら頼もしく思えた。
■
「これってさ、学生の自主性を伸ばすのはいいんだけど、物騒というか、無防備すぎないか?」
「そうかしら?」
学生寮、もとい、古野野江学園敷地内に建てられたアパートは、出入りに対する制限が全くなかった。私と緋鎖乃は、夕食を食べにアパートから出た時と同じ様に、なんの制限も受ける事なく部屋を出た。
深夜の学園敷地内。無人の闇が、漠然と広がる。
「普通学生寮ってさ、深夜にこんな簡単に出入り出来ないだろ?」
「だって、恐らく普通の学生寮とは違うもの。学生寮とは言っても、ただのアパートだから」
「それにしたって、監視員とか管理人居ないのはまずいだろ。これじゃあ、深夜に出歩き放題じゃんか。男の部屋行き放題だ」
「鎖子ははしたないわね。誰もそんな事しないわ。男子のアパートは校舎を挟んで反対側だもの」
「いや、距離はなんの問題もないだろ? 人間ってのは、制限をかけなきゃ規律を守らない生き物だ」
「それは自分を律する事が出来ない人間だけよ。古野野江学園の学生なら大丈夫だわ。今までも問題がなかったのだもの」
「大層な自主性とやらだな。まあ、別にどうでもいいんだけどさ」
ここまで制限がないというのは、学生にとってはありがたいかもしれないが、子供を預ける親からしたら随分と落ち着かない環境である気がしたが、私立には私立の事情があるのだろう。この特異な形態も、マンモス校に子供を通わせる様な家庭ならば、別段違和を感じないのかもしれないし。
中等学校女子部校舎脇の道、放課後の往来。とは言っても、夕方のこの道は学園らしい空気だった。今は打って変わって、閑散よりは不気味。広大な学園敷地に嘯く闇夜。人の行き来を想定していないからか、アパートから離れると照らす灯りは月だけだ。
いつかの夜に似た、静かな夜。深夜の空気は、いつだって私達の領域に似ている。
「ねえ、まずは何処に行くの?」
夜空を見上げる私に、足を止めた緋鎖乃が言う。
「あー……そうだな。取り敢えず、高い所。屋上にでも行こうか」
別に何処と答えても良かったけれど、見上げた視界に入ったからそう答えた。
それを聞くと、緋鎖乃はなにも答えずに私同様視線を上に向けて、昼間に通った学び舎、中等学校女子部校舎に歩み寄って、そのまま壁を駆け登った。
一足飛びてほぼ二階部分まで到達すると、壁を蹴る。三階部分、壁を蹴る。四階部分、壁を蹴る。屋上を囲うフェンスを飛び越えて、緋鎖乃の姿が見えなくなった。
「うええ……流石冷然院」
夜を舞った緋鎖乃び続いて、私も飛ぶ。とは言っても、緋鎖乃とは比べものにならない。
思いっ切り飛び上がって、二階部分の窓枠の下部分、僅かな突起に右手の指をかける。そのまま体を引っ張り上げ、左手の指を窓枠の上部分の突起にかけ、足を壁に突っ張る。そこから、有りっ丈の力を込めて上に飛び上がって、三階部分へ。同様に窓枠の突起に指をかけぶら下がる。これを繰り返し、なんとか屋上に辿り着く。
「あー……きっつ。四階建ての屋上まで三歩で到達するなんて、流石冷然院」
「姉様や兄様、叔父様なら一歩で辿り着くわ。私なんて、実戦にまだ出た事のない半人前よ」
謙遜よりは、卑下。そんな印象を受ける声色を夜に放出して、緋鎖乃は月を見上げた。
世間の中にあっても、私達の領域にあっても、月は変わらず私達を照らす。
「さっきも言ってたけど、半人前半人前って、なんでそんなネガティブなんだよ?」
「マイナス思考な訳じゃないわ、事実を言っているだけよ。冷然院は十五歳まで実戦には出られないから。だから、私は半人前なのよ」
「実戦っていうのは?」
「こういうのを実戦って言うんじゃない?」
私に向いた緋鎖乃は、右手の人差し指で自分の立つ屋上の床を差して言う。
「まあ……実戦っちゃあ実戦だね。うん、実戦だ」
「だから、私にとってはこれが人生で初めての実戦。鎖子や桜があまりにも普通に生活しているものだから、不安だったのよ。私は、実戦ってもっと空気が張り詰めて、ピリピリしたものだと思っていたから」
なるほど。それで、緋鎖乃はしきりに私達を急かす様な言動をした訳だ。
「空気が張り詰めて、ピリピリしてって、例えばどんな?」
「そうね……今回の件だったら、私をもっと尋問するとか、学園の事情、施設を根掘り葉掘り聞かれて、授業も受けずにくまなく捜査するとか。だって鎖子、私に対してなにも聞かないんだもの」
「だって、お前喋れないんでしょ? 事件について」
私が昼休みの様に問い質すと、緋鎖乃はまた口を真一文字に結んだ。
「まああれだよあれ。緋鎖乃から見て私達が事件に対して曖昧に見えたのなら、それはよっぽど私達が優秀か、それとも生粋の怠け者か。それか——」
夜風が一つ、強く吹いた。
「なにかしら事情があるか、だ」
風に流されてしまいそうな程小さく、かつ白々しく言葉を吐いた。
「そう、そういうものなのね。出来れば、前者である事を願うけれど」
「私はそこまで強い方じゃないけれど、無能ではない筈だから安心して」
「その点に関しては信頼はしているわ。《《願うだなんて曖昧過ぎたわね》》。そんな蒙昧な言葉で鎖子の事を評価していないわ。姉様が連れて来た貴方だもの」
願いが、曖昧だ。
緋鎖乃は、そう言った。
願いの顕現した世界に生きる私達をして、その逸脱した境界の向こう側に身を置きながら、緋鎖乃は蒙昧と言ってみせた。
「願いが曖昧だなんて、不思議な事言うんだな。私も、お前も、願いで生きているってのに」
「人の願いが叶うなんて戯言よ。詭弁も甚だしいわ。私は、世界そんなシステム在り得ないと思っている」
その世界に身を置いて、かつ、この国に置いてその世界の最高峰。日本最強と名高い冷然院でありながら、当たり前のシステムを否定してみせた。
「それは在り得ない。願いが顕現するって前提がなければ、尻尾が蜘蛛の形をして餌をおびき寄せる蛇も、草木に擬態する蛾も、この世に存在し得ない。進化論なんて突拍子もない話は私達の世界じゃ笑い話だ。それらは全てそう在りたいと願い、想いが横溢して顕現した結果だ。そうでなければ、まるで差し合わせたかの様な生物が誕生するか? そうでなければ、私やお前の様な存在は生まれるか? 人は歩きたいと願ったから歩いた。《《私達はそう在りたいと願ったからこうなった》》」
当然の世界の姿。私達が私達足り得る現の仕組み。
「そうね、鎖子の言う通りだわ。でも、私は——」
捲し立てた私になにか言い返しかけて、緋鎖乃は一度口を噤んで言った。
「……なんでもないわ」
緋鎖乃が言うのを躊躇ったのは、白裏にかけられた口封じか。はたまた、自ら飲み込んだのか。
真意も分からぬまま、私は月を見上げた。




