七個ないのが七不思議③
「さようなら!」
クラス全員の声が教室に反響したまま、一日の終業を告げる鐘が鳴る。
私は、自前のスクールバッグを担ぐと、朝と同じ様に、自分の席に座る緋鎖乃に歩み寄った。
だから、朝と同じ様に、クラスメイト達の視線が私から逸れる。
「緋鎖乃、帰ろう」
「ええ、帰りましょう」
私がそう言うと、緋鎖乃は立ち上がり、古野野江学園指定の革鞄に教科書を詰ながら返す。
どこか、クラスの中で隔絶された様な時間。短い、本当に短い会話の刹那が、この空間では嫌に浮き彫りだ。
そそくさと教室を後にする緋鎖乃の後ろに付ける。珍しく人の背中を追いかけ、こちらも珍しく、今日から私の三歩後ろには桜が居る。
私の本来通っている東城高校とは比べものにならない長く広い廊下を行く。五階建ての校舎、その三階から階段を下って、一階へ。
馬鹿広い下駄箱で慣れないローファーに嫌々足を嵌める。
「うええ、慣れない、歩き辛い。こんなもん、成長期の子供に負担しかかけないだろ」
「鎖子は普段スニーカー?」
「当たり前だろ。スニーカー以外を履いている奴は、足を苛めたい被虐趣向の奴だけだ」
「鎖子って意外と偏見持ちなのね。桜も一緒?」
緋鎖乃がローファーへスムーズに足を嵌め込んで、桜に言う。
「私は、お姉ちゃんと同じ」
桜は、苦にする訳でもなくローファーを履いて、そう答えた。
玄関を出る。目に飛び込む景色全てが古野野江学園の敷地だ。果てまで調べる必要があるかもしれないが、今はそこにとても興味なんて持てない。それ程に、私が認識している学校という括りからは大きく逸脱した場所だ。
それこそ、小さな町。
世界から独立した様な、不思議な町。
教室で、廊下で、下駄箱で、玄関で。
朝に、授業中に、昼休みに、放課後に。
私はこの古野野江学園で多くの人と出会い、すれ違った。たった一日で、とても多くの人間と袖が触れた。
そして、私と桜は、今日からこの不思議で巨大な町の住人と成る。
「何処か行きたいところはある? 寮は直ぐだから、荷物を置いてからでもいいけれど」
私と桜は、昨日話を聞いて、今朝此処に連れられて来た。だから、あまりにもこの古野野江学園の敷地内に対して無知だ。
そんな事情を察したのか、緋鎖乃は案内を買って出てくれた。
買って出てはくれたのだけれど、私も桜も、この学園にさして興味はない。
私達の到達点は、この広い学園の中にはないのだから。
「いや、いいよ。動けるのは夜だけだから、限られた時間で限られた場所を。昼間も言ったけど、《《緋鎖乃が言える範囲》》で私と桜を誘導してくれればいい。寮に戻ったら仮眠を取ろう。夜はきっと長い」
私はこれから来る夜を想像して、眼を擦った。
緋鎖乃は、そう、と小さく呟いて、私達を先導する。
「あれ、グラウンドの向こう側、木の間に見えるのが古野野江大学」
案内はいいと言ったばかりだというのに、緋鎖乃は遠方に見える馬鹿でかい建物を指差した。
「だから、別にそういうのはいいって。調べるところだけ教えてくれればいいよ」
「だって、寮に着くまでとても暇じゃない。それとも、恋愛や流行の話をした方がいい?」
緋鎖乃は相変わらずの掴めない表情で言う。
「なんでお前そんな擦れてんだよ。可愛げがないなあ」
「鎖子の言う可愛げってなに? 世間的な十四歳の様であれって事?」
「ガキらしくしてろって事だ。妙に達観した風じゃんか」
「それだったら、桜だって同じじゃない?」
緋鎖乃は歩きながら桜に振り向いて言う。桜は緋鎖乃が指した古野野江大学の方を見ていたから、私と緋鎖乃の会話を聞いていない様だった。
「桜はまた別」
私が答えると、緋鎖乃はまた、そう、と呟いて前を向いた。
古野野江学園中等学校女子部校舎とグラウンドの間、広い道をずっと歩き、学園の外ではなく内側へと向かう。
しばらく歩くと、道沿いに植林されていた木々が開け、通常の学校敷地内には似つかわしくないアパートが現れた。
二階建てのアパートが五棟並んでいる様は、学園の敷地内から出ていない私には只管に不可思議なものだった。
瞬間目を奪われた私と桜を気にする事なく緋鎖乃は歩く。
「寮っていうから、住居用のでかい建物があると思ってたよ」
私は小走りで緋鎖乃に追い付く。
「そうよね。私も入寮した時は驚いたわ。普通、寮と言ったらそういうものを想像するものね。学生の自主性を伸ばす試みらしいわ。。尤も、一部屋三人の共同生活にはなるのだけれどね」
緋鎖乃は一番手前に建っているアパートの二階へ進む。
「あ」
階段を登り切ったところで、緋鎖乃は間抜けな声を出して踵を返した。
「どうしたんだよ」
「間違えたわ」
「間違えた?」
緋鎖乃は階段を降りると、今度は一番奥に建つアパートに向かい、その一階、五部屋ある内の真ん中の扉へ進んだ。
「此処よ。今日から、貴方達と共同生活ね」
緋鎖乃は、言いながら革鞄から鍵を取り出して、扉を開けた。
狭い玄関で靴を脱ぎ、短い廊下を進む。短い廊下には、コンロのない台所と、100L前後と思われる黒い冷蔵庫が一台。冷蔵庫の上には、電子レンジと電気ケルトが載っている。
台所と逆側には、玄関傍にドラム式の洗濯機。それに、トイレと浴室。別々になっているのはありがたい。
廊下を仕切っているドアを開くと、二十畳程の部屋が広がる。
思っていたよりも大分広い部屋には、シングルベッドが一つと二段ベッドが一つ。それに、小さな薄型テレビとテーブル、座椅子があった。
「へえ、快適そうじゃん。これって持ち込み?」
「いいえ、学園が用意してくれているものよ。将来的に一人暮らしする事を考えての準備も兼ねているから。最低限身の回りの事は自分でやるようにって事でもあるのだけれどね。学園側に頼るのは食事くらいね」
部屋に備え付けられたクローゼットを開け、ブレザーを仕舞いながら緋鎖乃が言う。
私も窮屈なブレザーとワイシャツを脱ぐと、床敷かれたカーペットへ放り投げた。
「お姉ちゃん、シワシワになるよ?」
「本当に転校した訳じゃないんだ。二、三日中にはケリつけなきゃだし、別にいいでしょ」
どれが誰のベッドだと決める前に、私は二段ベッドの下段に身を投げ出す。桜は私が放り投げたブレザーを拾うと、緋鎖乃からハンガーを受け取ってクローゼッドの中にかけた。
「ちょっと、下着で寝転がらないでよ。はしたない」
「別に家の中だからいいだろ? ただでさえ窮屈なんだ、この学園の規則」
私が足をばたつかせると、スカートの中身が見えたのか、緋鎖乃は頭を抱える。
「高校生って皆こうなのかしら……? 姉様が高校生になると大人びると言ってはいたけれど、はしたない、はしたないわ」
「仕方ないよ緋鎖乃ちゃん。お姉ちゃん、普段の学校ではジャージにスパッツだから。此処の服装は大変だったんだよ」
「抑圧された反動という訳ね。それでも、家の中でそんな格好するなんて、はしたないわ」
「そりゃあ冷然院みたいな家と比べられてもな。うちは"ただの寄せ集め"だから、普通なんだよ、普通」
「私が普通じゃないのかしら?」
「固いよ、固い。なんと言うか、緋鎖乃は歳の割に固いよ」
「そうね、私は固いのかもしれないわ。それに、可愛げもないものね」
私が言った事を気にしているのか、皮肉る様な物言いをした緋鎖乃は浮かない表情。
「これ着て」
緋鎖乃は、クローゼットから古野野江学園中等学校のジャージを取り出して私に渡す。綺麗に畳まれたそれを乱雑に広げて、袖を通した。サイズはぴったり。
「鎖子がそのサイズに縮んでいて良かったわ。元通りの鎖子では、私のサイズに合わないものね」
緋鎖乃の背丈は桜とほぼ同じ。だから、一気に身長が伸びる直前の今の私とも瓜二つだ。
真凛によって十歳まで戻された時は不慣れであったこの体も、深のお蔭で十四歳まで戻った。やはり元の体の感覚からすれば色々な場面で物足りなさを感じるが、既に不便とは思っていない。
「よし、こういう方が慣れてる。動き易い」
上下をジャージに着替えた私は、立ち上がって軽く体を動かす。
「部屋の中で暴れないで。鎖子は落ち着きがないわ。それとも、高校生になると皆そうなるのかしら?」
「別に暴れている内に入らないだろ。ストレッチしてるだけだ」
「そう。それより、鎖子と桜、着替えは持って来ていないの? 短いと言っても、ここで暮らすのよね?」
「あー、朝ここに連れてこられた時に荷物はお前の姉ちゃんに預けた。どこ行ったんだろ?」
「それなら、多分教職室ね。夕食の時にでも取りに行きましょう」
「おっけー」
緋鎖乃に答えて、私はまたベッドに身を投げた。いつの間にかジャージに着替えを済ませていた桜も私に続き、二段ベッドの上段に登った。
「本当に眠るの?」
「だって本番は夜だろ? 夕飯の時間になったら起こしてくれ」
私は緋鎖乃に言って、瞼を閉じた。
夜に備えて、今は、眠ろう。




