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焔狼の飼主リディアーヌ

(ここって、乙女ゲームの世界よね?)


 水属性の魔方陣前で冷気に中てられた瞬間、ふとそんな事が脳裏を過ぎった。

 ヴィオと買収された教師がこの場にいて、生徒たちの召喚術も順調に進んでいる事から、侯爵家の野望を阻止するストーリーはきっと何一つ進んでいない。

 このままだとヴィオは歴代最高の天才魔導師として第一王子殿下と婚約し、学院で彼女の派閥に入らなかった女子生徒たちはみんな悪役令嬢にされるバッドエンドに一直線だ。

 タクラーム侯爵も勢力拡大と他の大貴族の派閥解体を推し進めるために孫娘ヴィオのワガママに便乗するので、王都では暫く陰謀の嵐が吹き荒れる。


(…………どうしようかしら)


 全ての精霊石を代わりに使ってしまえば、タクラーム家の陰謀は阻止出来る。

 でもその場合、成績を上回られたアルノルト王子が私に迫る可能性がある。


 縁談は爵位を継承する人が相手だと、家の格と魔法の才能で釣り合いを取る。

 例えば私が格上精霊1つを持っていれば同じ子爵家、2つなら伯爵家、3つなら侯爵家、4つなら公爵家で3格しか持っていない人をお断りできる。

 この制度は王国貴族に魔法の才能が優れた子孫を残させるのが目的で、男性側は女性の選択肢を広げようと魔法の力を高めるし、女性側も良い条件で嫁ぎたくて魔法の勉強を頑張る。


 でも爵位を継承しない人が相手だと、格上精霊である必要は無い。

 例えば私が同格精霊を1つ多く持っていれば同じ子爵家、2つなら伯爵家、3つなら侯爵家、4つなら公爵家をお断りできる。

 つまり私が4格を6つ取れば、4格を2つしか持たないアルノルト王子を断ることができ…………できない。王家は5つ差がないと無理。お父様の爵位があと一つ高ければ良かったのに。


(………………よし、決めた)


 私は王位簒奪という危険な事を仕出かすアルノルト王子を避けるため、シアと上位精霊を分け合い、タクラーム侯爵の陰謀を阻止することにした。

 その結果…………






【最終試験結果(6属性の格・推定属性値)】


 第1位

 アルノルト・ルクレール

 火4・水3・風3・土3・光2・闇4 合計63~


 第2位

 リディアーヌ・グランジュ

 火4・水3・風2・土4・光0・闇4 合計61~


 第3位

 レティシア・ジュベル

 火0・水4・風4・土0・光4・闇2 合計52~


 第4位

 エディト・シャルトル

 火3・水2・風2・土3・光3・闇2 合計39~


 第5位

 セリア・バティーユ

 火3・水2・風2・土3・光2・闇2 合計34~


 ・

 ・

 ・


 第18位 ~ 第27位

 ヴィオレット・タクラーム

 火0・水0・風2・土0・光0・闇3 合計13~






 タクラーム侯爵家の陰謀は阻止できた。

 一週間前の試験会場ではヴィオが真っ青な顔をしていたけど、まさか「この会場で、我が家が仕掛けた魔力吸収の精霊石を勝手に使った者は、今すぐ名乗り出なさい!」なんて言えるはずもない。

 試験に使っていた古い台座も、その後に入れ替えた新しい台座もタクラーム侯の寄贈品なので、事態を明るみにすれば侯爵家が断罪される。

 仮にヴィオがその場で私の特定に成功しても、仕掛けに無関係な私は「以前ヴィオが独り言で呟いていた、魔力向上のおまじないを真似しただけです。まさかこの最終試験に、タクラーム家の陰謀があったなんて!?」と言うだけで済んだし。


 ヴィオはともかく、シアにはちゃんとした説明が必要だった。

 とは言っても、乙女ゲームの世界だと思ったなんておかしな説明は出来ないので、そこは取り繕った。


「タクラーム侯爵家に買収された先生たちが、仕掛けについて話しているのを偶然耳にして悩んでいたの」


 あの場で知りましたとは言えないので、知っていたけど言えなかったという事にした。

 シアを巻き込んだ理由は、先生が買収されているから試験会場で騒いでも追い出されるのは私の方で、ヴィオよりも先に魔方陣を回るためには二人で手分けするしかなかったと説明した。

 ちょっと強引だけど、本当のことは言えないので仕方がない。


「もしタクラーム侯爵家が次の魔石を仕掛けたら、今度はどうするの?」

「それは大丈夫だと思う。だって素材になった4格の偉人の魔石って、家族にとっては形見でしょう。普通は手放さないし、4格の上位精霊を操れた家なら貴族だから、タクラーム侯爵家だって軽々しく手も出せないはずよ」

「そうねぇ」


 タクラーム侯はお爺さんで、これから再チャレンジする時間は無い。

 侯爵が子供にやり方を伝授して、将来上位闇精霊を得る子孫が出たら分からないけど、方法を明るみにするとタクラーム家以外も真似をしそうだから、黙っていた方が良いような気がする。


「でもリディ、魔石を6つ揃えたタクラーム侯爵家って凄いわよね」

「それは流石に侯爵家だし、闇の上位精霊も操れるし、無茶をしたのかも」

「そうよね。普通だったら手に入らないものね」


 その後は、ずっとシアと取り留めの無いおしゃべりをしていた。


 最終試験の翌日となる9月1日から卒業前日の11月30日までは、精霊契約が出来た生徒たちが座学で準貴族と貴族、実技で属性ごとに2格と3格に分かれて、準貴族・貴族の義務や精霊の扱い方について学ぶ事になっている。

 失ってしまった属性の回復は、今更教わる事なんて無いから各自で復習。

 卒業式まではヴィオと顔を合わせる機会もあると思うけど、なるべく距離を取って過ごそうと思う。


「ねぇ、リディ。あたしたちの野外実習は、ガルム大山脈になるんですって」


 野外実習は、獲得した精霊の力を上手く操れるように郊外で実地訓練する最終試験後の恒例行事。

 3週間ほどの旅で、修学旅行と言い換えても良いかも。

 私たちの成績はすでに確定しているので、努力目標なんて存在しない気楽な旅になります。

 …………手前のリジル大山脈じゃなくて、奥のガルム大山脈?


  挿絵(By みてみん)

 


「ガルム大山脈って、かなり危険な魔物が沢山いるところよね?」


 ベーレンス王国の王都から東の海までは、およそ1,500km。

 ガルム大山の直径は富士山の8倍くらいで、東京都を山の中心に見立てると、山裾は新潟、仙台、名古屋くらいまで広がっている。

 しかも山中には多様な魔物が無数に暮らしている事から、王国は開発の手を広げていない。


 ちなみに山名の由来は、ガルムという犬型の魔物から。

 ガルムの別名はフェンリル。

 遙か昔、ガルム住んでいると思われて人々に恐れられていた事からガルム大山と呼ばれた山で、実際には住んでいないけど、それだけ恐ろしい魔物が沢山居ると言われている。

 入山はBランク以上の冒険者パーティ推奨。


「…………先生は私たちに死ねって?」

「違うわよ。先生の説明だと、上位精霊を複数持つ生徒に中位精霊を持つ生徒と同じリジル大山へ行かせても全然勉強にならないからって」


 冒険者は上の方でも下位精霊を使える騎士階級の人が精々で、中位精霊を使える貴族階級は「家督が継げなくて家を出たけど誰にも仕えたくない」とかそういう人でなければ冒険者にならない。

 中位精霊が使えれば冒険者の中でもAランクとかトップクラスになれるので、さらに格上の上位精霊を使えるなら資格としては充分かも知れないけど、実務経験の無い私たちに行かせるのは流石にどうかと思う。

 それに距離的にもかなり遠いし、それだとのんびりとした旅行にならないじゃない。


「3週間だと、ガルム大山は遠すぎない?」

「学院長が『同学年に3人も上位精霊複数の契約者が出るなど、最高の名誉じゃ。ワシは今年度で引退するぞ。教頭、最後じゃから豪勢に予算出してくれぃ!』と言って、私たち3人に移動用の大鷲獅子グリフォンを1頭ずつ買ってくれるんですって」


 …………学院長。






 ◇






 ハーピーたちの鳴き声と羽ばたきが、背後から次第に迫ってくる。

 上位精霊と契約した私たちは、確かに天変地異を起こせるほど強い。

 でも常に全方位へ魔力を放ち続けるなんて不可能なので、こちらを視界に入れた魔物は「あれ、こいつ美味そうじゃね?」と思って、文字通りバッサバッサと飛び掛かってくる。

 いかに大鷲獅子の背に乗っていたとしても、肉食獣が草食動物の群れの子供を狙うみたいに、私たちを大鷲獅子の背から落とせば食べられると思うみたい。

 私たちは撒き餌かっ!?


 完全な人跡未踏とは言わないけど、殆どそれに近いガルム大山脈の奥地に巣食うハーピーやら飛竜やらを相手に、私たちは飛んでは逃げ、飛んでは逃げを繰り返していた。

 この状況に喜んでいるのはアルノルト第三王子で、強い飛竜を探しに行くとか言って独りでどこかへ行ってしまった。


 学院長は山裾に宿を確保してくれているけど、後は完全に良きに計らえ状態で『それっぽい魔石でも持ってくれば合格じゃ!』とか何とか言っていた。

 あの白髭爺さんめ。


「シア、風魔法!」

「リディ、火で追い払って!」

『『お願いっ!』』


 二人が互いの指示で、同時に上位精霊を使った。

 すると上位精霊の魔力によって生み出された強風と業火が瞬時に混ざり合い、轟音と共に爆発的な上昇気流が吹き荒れた。

 むしろ強烈な竜巻、アメリカンなハリケーン。

 私たちを追いかけていたハーピーは無論、それに追われて飛んでいた2頭のグリフォンどころか、大地に深く根を生やす大木も、巨石も、魔物達すら飲み込まれ、天へと吹き上げられていく。


「わきゃあっ、わーっ!?」

「学院長のばかーっ!」


 大鷲獅子たちが混乱して手足をジタバタと動かす中、シアの上位風精霊は強風を物ともせずに大鷲獅子の周りをグルグルと回って素早く体勢を立て直してくれる。

 立て直した体勢で周囲を見渡すと、様々な魔物や巨石、大木が混ざりながら錐揉み状態で急降下して、滅茶苦茶になりながら地響きを立てて方々へ落ちていく。

 横目にシアを見ると、彼女は温和な表情のまま完全に凍り付いていた。


『着陸、着陸―!』


 上位闇精霊が私の意思を飛ばし、その強制命令を受けた大鷲獅子達が一気に急降下を始めた。

 風圧はシアの風精霊が勝手に消してくれるけど、急速に迫ってくる地上が私の恐怖心を刺激する。


『ゆっくり、ゆっくり!』


 むしろ助けてって叫ばなかった私を自分で褒めてあげたい。

 闇精霊でシアと大鷲獅子達にはニュアンスまでしっかりと伝わっているから、この場で取り繕っても無意味なんだけど。

 でもそのおかげで大鷲獅子達は降下速度を落とし、私の中位風精霊も手伝ってくれて、なんとか広い岩場に着陸する事が出来た。


 大鷲獅子達は強靭な獅子足を曲げて衝撃を吸収してくれたけど、これが大鷲馬だったらここまでの衝撃は消してくれなくて、着陸時には乗り手の身体が跳ね上がってお尻を打つから痛い思いをする。

 この点『だけ』は、学院長に感謝しても良いかも知れない。

 なにしろ大鷲獅子は非常に高価で仕入れには伝手も必要なので、上位精霊複数と契約する生徒が出たとしても、本来なら絶対に買ってもらえない。

 それでも教頭先生が財布の紐を緩めたのは、平民上がりなのに上位精霊を持っているせいで自分よりも地位が高い『目の上のたんこぶ』が引退表明したからだと思う。

 エディトが上位精霊と契約した時はどうしてダメだったのだろうと思ったけど、良く考えたら大鷲獅子は餌代や管理費が高いから、平民のエディトだと騎獣を貰っても維持するのは無理だった。

 日本で高級車を貰っても、保険料だけで大変なことになる感じ。



「シア、大丈夫」

「うーっ…………光精霊、お願い」


 おかしなうなり声が聞こえてきたけど、それと同時にシアの周囲に粉雪のような光が舞って、次第に顔色が良くなっていった。

 どうやら大丈夫みたい。


「酷い目に遭ったわ。リディは大丈夫?」

「うん、なんとか大丈夫」

「そう。それじゃあ悪いんだけど、倒した魔物からそれなりの魔石でも探してくれないかしら。もう合格にして貰って、あとはゆっくり過ごしましょうよ」

「同感。シア、私の大鷲獅子は任せるね」

「ええ。光精霊お願い」


 私は光精霊の力でキラキラと輝き出した大鷲獅子から降りて、闇精霊で周囲をグルッと見渡した。

 上位闇精霊は、闇属性を持つ生物や魔石を感じ取れる。

 それでレーダーみたいにグルグルと見渡すと、周囲には吹き飛ばされた魔物、放り投げられた魔物、飛んできた物体に当たった魔物が無秩序に散乱していて、なんだか大惨事になっていた。

 上位精霊が災害に等しいって言われる理由がよく分かりました。


「……うっ」

「どうしたの?」

「親っぽい大きな魔物の死体に、凄く小さい赤ちゃんが5匹くらい擦り寄ってるみたい」

「どこ?」

「あっち」


 シアが間を置かず問い質してきたので素直に答えると、シアが私の指差した方向に駆け始めた。

 学院長に合格用の魔石を持って来いって言われているけど、あれは見つけなければ良かったかなぁ。


 人に脅威がある魔物を倒せる時に倒すのは、人にとっては自衛行為だと介される。

 だから魔物を倒す事は本来褒められる行為なんだけど、魔物に駆け寄ったシアは目の前で巨石に押し潰された母親に擦り寄る子供たちにショックを受けていた。

 でもシアの上位光精霊であろうと、身体を潰されていたら蘇生は不可能なので助ける術はない。


「赤い狼だね」


 それは母親が血塗れだからじゃ無くて、まだ乳飲み子の幼狼たちが夕焼けみたいな色だったから。


焔狼えんろう

「……うん?」

「ガルムの子供である太陽狼スコルとハティの子孫たち。それが焔狼」

「本当に居たんだね」


 子供が居ると言う事は、親が居ると言う事。

 この焔狼の先祖を遡っていくと、ガルムもこの山に居たのかも知れない。

 そんな大層な呼び名の狼たちは、自分たちに何が起きたかも分からずに、本能的に唯一頼れるはずの母親に縋り付いて鳴いていた。


 キューン、キュンキュン。


 この幼狼たち、まだ目も開いてない。

 多分このままだと数日で死んでしまうと思う。


「リディ」

「…………この件で、貸し借り無しと言う事で」


 タクラーム侯爵家の一件でシアを巻き込んだ借りは、私が焔狼を引き取ることで返すことになりました。

 なんで私が引き取るのかというと、シアだと種族として「火10,土10,闇10」まで育つ焔狼の親としては、ちゃんと育てるための属性値が足りていないから。






「と言う訳で、連れてきました」

「うーむぅ」

「魔石も沢山拾ってきたから、実地研修は合格で良いですよね?」

「いやまぁ、本当は精霊契約しとる時点で合格なんじゃが」


 苦虫を噛み潰したような表情で困惑する学院長に、少しだけ溜飲が下がった。

 今は山羊を1頭丸ごと買って、その乳をシアと一緒に5匹のモフモフへ飲ませている。

 焔狼の子供に飲ませるのが山羊のお乳で良いのか分からなかったけど、ちゃんと飲んでいるから大丈夫かな。


 ……と言うか、お乳が足りてない?

 モフモフたちは前足で山羊のお乳をペシペシと叩いている。


「ねぇリディ、やっぱりあたしも一匹引き受けようかしら」

「焔狼って、成長すると火属性が強くなるでしょう。きっと火傷するよ?」

「あら、あたしは水精霊4格と光精霊4格よ」

「絶対火傷するから止めておきなさい」

「えー」

「…………頭痛が痛いわい」


 学院長は頭が痛いのでは無く、頭痛が痛いらしい。


「とりあえず使い魔申請をしますので、卒業まで置いて下さい」

「こやつらは育て難い上に、きちんと育てれば強くなり過ぎる。お主が必要な上位精霊を全て持っていなければ却下しておったわい。一度懐けば、一生懐く。本当に良いのか、今一度よく考えよ」


 焔狼は狼の最上位種の一つで、太陽狼に連なるらしい。

 基本的には火山地帯など暖かい場所に生息し、数ヵ月の妊娠を経て産まれ、生後二週間くらいで目が開き、一ヶ月くらいで走り回り、二ヵ月くらいで離乳する。

 成獣になるまで3年ほどで、種族属性値は「火10、土10、闇10」までは伸びる。

 個体の強さや寿命が成獣までに取り込んだ魔力量で大きく変わるという点は、他の強い魔物などと変わらない。狼種らしく、群れで暮らす習性がある。


「この子たちを育てるには魔力3,000が必要で、豚頭背鱗水牛に換算すれば600匹分ですね」

「種族属性値が高いくせに成獣まで僅か3年と早すぎて、野生でも属性値が育ち切る個体は稀という話じゃ。おそらく祖の遺伝子が優秀すぎたのと、当時の環境要因とが……」

「リディ、目が開いたわ」

「あっ、本当だ」

「…………どうやら手遅れのようじゃな」


 学院長は育て難さと種族としての強さで頭痛を痛がっていたけど、私とシアは大して気にせず魔法学院へ連れ帰り、天災を引き起こした時に得た魔石を売って乳牛も追加購入した。


 命名はオス二匹がアーロンとブランドン。メス三匹がクレアとディアーヌとエリー。

 つまりABCDEで、Aaron、Brandon、Claire、Diane、Ellie。

 適当なネーミングに見えてちゃんと意味もあって、オスのアーロンは日光、ブランドンは灼熱の丘。これは焔狼の祖であるガルムの子供スコルが、太陽の女神を追いかけて飲み込むと言われているから。

 メスのクレアは明るい・輝く、ディアーヌは狩猟・月の女神、エリーは光・慈悲。こちらは焔狼の祖であるガルムの子供ハティが、月の神を捕らえると言われているから。


 これを誰が名付けたのかというと、もちろん私…………じゃなくてシア。

 あの子、こういうの大好きだから。

 でも私は大層な名前よりも、この目の前のモフモフ感が堪らない。

 ああもうっ、早く大きくなーれ。






 ◇◇






「駄目だ、駄目だ、駄目だっ!」


 叫び声に耳を塞ぎ、お父様が息を切らすタイミングを見計らってから反論する。


「闇魔法の使い手が使い魔を持つのは、自然な事でしょう。私は上位闇精霊との契約者で、この焔狼たちを完全に支配下に置いています。それなのにお父様は、一体何がいけないと仰るのですか?」

「今のお前にどれほどの良縁が舞い込んでいると思っている。魔物を5匹も飼いたいなどとワガママを言って、良縁が他家に流れたら困るだろうが。せっかくお前のために一番良い家を選りすぐってやっているというのに!」


 それは私のためではなく、グランジュ子爵家の縁繋ぎのためでしょう。

 だって私の縁談のはずなのに、お父様は私に何一つ相手の希望を聞かないんですもの。

 それなら一体誰の希望を基準にしているのか、答えは明白じゃない。


「私とこの子たちとの同居を認めないと仰るのでしたら、私にも考えがあります」

「ほう、何だね。ハンガーストライキでもしてみるか?」


 お父様が子供の浅知恵だとでも言うような態度で、私のワガママとやらを論破してやろうと上から目線で見返してきた。

 確かに転生っぽい何かを自覚する前は子供だったと思うけど、最終試験後は人生経験二倍、系統立てた知識が数倍あります。

 お父様がそういう態度を取るのでしたら、私も手加減はできません。


「いいえ。ベーレンス王国では、精霊との従属契約を行った時点で成人となります。使い魔として認められないのでしたら、私はグランジュ子爵家から独立致します。在学中に冒険者資格を得ておりますので、今すぐにお暇できますわよ」

「駄目だっ、駄目だ、駄目だぁっ。許さん、そんな事は絶対に認めんぞっ!」


 一気にヒートアップしたお父様に対し、私は中位風魔法で幼稚な叫び声を9割方遮断した。叫び声と共に飛ばしてくる唾はもちろん100%カット。


 さらに躙り寄ってきたので、すかさず上位闇精霊で手加減しつつ威圧した。

 お父様は冥府の底から無数に伸びてきた手に魂を掴まれ、そのままジワジワと後ろへ引き摺られ始める。

 あまりにも格が違うから分からないと思うけど、もう私には掴み掛かれない。

 仮に触れられても、上位土精霊の守りがある私はダメージを受けないけど、これはそう言う問題じゃ無い。


「成人した子が親の保護下から外れるのは、世間の常識ですわよ?」

「今まで育ててもらった恩を忘れたのか。お前の養育費を払ったのは誰だ!?」

「親が子供を育てるのは、自分の子孫を残すという自分本位の行動です。子供のために子供を作ったわけでは無いでしょう。子供の養育費を損だと思うのでしたら、利子を付けてお返しして完全に縁を切りましょうか?」


 シアと二人で高価な魔石をザクザク拾えたので、養育費に利子を付けて返す事は可能です。

 ここでお父様が「ならば直ぐに全額返してみろ!」と売り言葉に買い言葉で返してくれれば、とっても楽なんだけどなぁ。


 あ、今の私って凄く悪役令嬢っぽいかも。

 貴族家当主が偉いとされる社会制度にとっての悪という意味であって、私自身の正義や倫理に反しているわけでは無いけどね。

 でもお父様は上位精霊持ちの私が即座にお金を返す可能性を警戒したのか、それなら返してみろとは言わなかった。


「なんだとっ、ちゃんと手塩に掛けて育ててやっただろう!」

「他家との縁繋ぎのためにでしょう。才があると見なしたジャクリーヌに優秀な家庭教師を集中的に宛がって、売り込める要素だけで娘を見ていたではありませんか。お父様は私に、一度でも縁談相手の希望を聞いた事がありましたの?」

「お前はどうせ社交界の事なんて分からんだろうが。俺はお前の幸せを考えてやっているんだぞ!」


 俺は……なんて、私に対して初めて仰いましたね。

 随分と痛いところを突かれたのかしら。ではもう一声。


「相手の年齢、住んでいる地方、兄弟姉妹の数、何一つ聞かれなかったでしょう。私の好みや使い魔と一緒に居たいという希望を却下なさって、意に沿わない相手を押し付ける事が私の幸せと思われるのでしたら、それはお父様の思い違いですわ」

「お前は希望があるなんて言わなかっただろうが!」

「魔法学院から帰ってきた今、使い魔と一緒に居たいという希望を出しましたわ。それを却下なさったのはお父様でしょう。覚えていらっしゃらないのかしら?」

「…………使い魔と一緒なら良いのだなっ!?」

「それは最低条件です。それすら理解できず、未だに私の希望を聞かないお父様に、私の結婚相手を決めて頂きたくありません。二択で選んでください。1.私に来た縁談を全て見せて私自身に選ばせる。2.これまでの養育費を受け取って縁を切る。返答期限は明日。返答が無ければ2と見なします。今夜は領内の宿に泊まりますわ」


 お父様が『激おこぷんぷん丸』の『ムカ着火ファイヤー』だったけど、闇精霊で威圧して私には指一本触れさせませんでした。

 あれ、いつの間にか私もヒートアップしていたような気が。

 まあ別に良いんだけど。






「リディ、この子たち可愛いわね」

「そうでしょう、お母様」


 宿屋にお母様が現われ、5匹のモフモフたちを撫で続けている。モフモフも宿に取った部屋の床でゴロンと転がって、お腹を見せながら尻尾をパタパタ振っている。

 そんなお母様のペースに巻き込まれて、なんだか癒やされてしまった。


「……とりあえずお父様は置いておくとして、リディはどうしたいのかしら」


 ……まあ、本題はそれしかないよね。


「私の気持ちが分からないお父様に、私の事を決めて欲しくない」


 結婚願望はあるけど、お父様が決めた結婚に従う気は完全に無くなった。

 この子たち(焔狼)の件で、お父様とは意見の違いがハッキリとしました。

 転生っぽい何かを自覚したとは言え自意識はリディアーヌだし、ベーレンス魔法王国の常識も身に付いているので、決定的な意見の対立が無ければ多分従ったけど、これはもう無理。


 この子たちの事を認めてくれたらお父様に従ったのに、上位精霊を持った娘を大貴族に売る目論みが外れて残念でしたわね。

 元々期待していた愚妹ジャクリの時に頑張って下さいませ。


「それじゃあ、お父様には口を出させないわ。それでリディはどうするのかしら。貴族の妻と準貴族の冒険者、どちらが良い?」

「うーん。別に貴族制度自体を否定しているわけじゃ無いけど」


 私は自分の身に降りかかった火の粉を振り払っただけで、王国の魔法主義という貴族統治の社会体制に生じた綻びを律しようという気までは無い。


 ……難しい事を言ってしまったかも。

 そもそも国家とは『人が自らの生存の可能性を高めるために作った最も大きな集合体』であって、その中心に魔法を据えて1,000年の繁栄を築いたベーレンス魔法王国の魔法主義は、魔物が蔓延るこの世界に適合した政治体制だと評価している。

 つまり現行の政治体制は、この社会に必要なものだと思っている。

 その管理態勢にお父様のような綻びがあって、アルノルト王子が魔法至上主義の理想と現実がズレていると気付いたとしても、私自身は補正や許容ができるので、この程度に対して民衆に犠牲を出してまで綻びを律しようという気までは無い。

 我慢の限界を超えたら、分からないけど。


「そうなのね。それならリディの希望が全部叶えば、貴族の妻でも良いのかしら?」

「それなら別に良いけど」


 お父様の思い通りになる気は無い。

 でも、使用人が家事一切をやってくれて一生安泰な専業主婦と、収入のため常に死の危険が伴う冒険者。

 私には生命の危機に際して生きる喜びを感じるという趣味嗜好は無いので、どちらかと言えば貴族の方が幸せなんだろうなぁとは思う。


「お話が来ている中に、私の従姉妹の子がいるの。リディが精霊と契約する前から、2格の精霊しか得られなくても良いって言ってくれていた同じ子爵家よ。結構田舎だけど、この子たちには逆に都合が良いかもしれないわね」

「……どんな人?」

「あなたより1歳年上。私は好みね。ジャクリーヌとは合わないと思うけど、リディとなら合いそうな気がするわ」

「…………じゃあ、会ってみようかな」


 それから2ヵ月後、私は結婚する事になった。






 ◇◇◇◇◇ ◇◇◇






 王国歴1016年10月。

 生い茂る枝葉が陽光を遮る暗い森の中、10頭の黒妖犬ヘルハウンドたちが薄く湿った柔らかい土壌の表層を駆け抜けていく。

 その背後に迫るのは5匹の焔狼えんろうの幼子と、それに付き従う強大な精霊たち。


 本来容易に噛み千切れるはずの幼子たちは上位土精霊で強化されており、強靱なはずの黒妖犬の牙ですらビクともせず、逆に幼子から弾き飛ばされ、爪で嬲られ、牙で引き裂かれる。

 また周囲で揺らめく上位火精霊は、黒妖犬たちがいかに連携して群れで囲もうとも炎を飛ばして追い散らし、それでも近付けば火達磨にする。

 そんな焔狼と上位精霊に一体どれだけの群れが襲われ、何頭の仲間たちが無残に殺されたのか。

 追う立場と追われる立場が真逆の状況に苛立つ黒妖犬の一頭が、背後に向かって暗いマナの光と共に怒りと死の遠吠えを放った。


 ヴィイヴィグヴヴォオオーン


 黒妖犬の遠吠えが轟いた瞬間、先程まで姦しかった小鳥の囀りも、虫の鳴き声も、森の生命の営みの音の全てが冥府へと引きずり落とされた。

 黒妖犬は、冥府神の一柱ヘカテーの遣いだとされている。

 確かに属性値は「風4,土8,闇8」と高く、光か闇の3格精霊を持つ一部の人を除いては、黒妖犬の死の招きには到底抗えないと言われている。

 しかし焔狼の傍を飛んでいた上位闇精霊がマナの一振りで、黒妖犬の冥府からの呼び声を造作も無く打ち払って見せた。


 ヴォンッ


 勢いに乗った幼い焔狼が力強く叫び、火属性の力で反撃の炎を飛ばした。

 そのつたないはずの炎が黒妖犬の巨躯をわずかに掠り、たったそれだけで黒く美しい毛並みと肉を焦がした。

 黒妖犬たちは背後への警戒を一気に強め、森を出て視界が切り替わった瞬間に2倍と言う数の利を活かして反撃しようと広がり始めた。

 そして勢い良く森を飛び出した瞬間、いきなり足元の大地が消え失せた。


 グルォオオンッ!?


 前足が虚空を振り抜き、勢い余った身体が宙を回って天地が入れ替わった。

 黒妖犬たちはそのまま背部から真っ逆さまに大穴を滑って、そのままそそり立った穴底の岩槍へ向かって次々と落ちていく。


 ギャオォォン


 地を揺らす衝撃と共に悲鳴にも似た雄叫びが上がり、体躯が勢い良く跳ねる。

 しかしいくら足掻こうとも、返しの刺が付いた岩槍から逃れる事は出来ない。

 強靱な爪は岩槍を削れず、身体を揺らしても傷口が広がるだけで岩槍は小揺るぎもしなかった。


 黒妖犬たちが必死に呻り続ける中、トドメとばかりに大穴の上から赤い光が落ちてきて、真っ赤な炎へ姿を変えて穴内へ燃え広がった。

 炎の渦は周囲の酸素を奪いながら魔力で燃え続け、森で最強のはずの黒妖犬たちは酸欠という現象が理解できないままに次々と昏倒させられていく。

 群れの長が仰向けのまま天を仰ぎ見ると、群青色の髪の人間が穴の上から黒妖犬の群れの最期をじっと見下ろしていた。

 せめて最後に死の一吠え。

 そう思ったのか空気を吸い込んだ群れの長は、そこで酸欠になって意識を狩り取られた。


 その後も息の根が絶えるまで轟々と燃え続けた炎は、全滅を確認した娘が手を振ると瞬時に消え失せた。

 やがて穴の上から緑のマナが吹き抜け、新鮮な風が送り込まれる。

 同時に天にそそり立っていた岩槍が震え、黒妖犬の魔石を魔力の振動で細かく砕いてから土塊へ戻っていった。


「いいよ」


 その一声で待機していた5匹の焔狼たちが、食べやすく調理されたバーベキューの元へと跳ねるように飛び降りていった。

 そんなモフモフたちを見守る飼い主の背後から、新たな黒い影が近付いてきた。


 ……って、それは私の主人ですけどね。

 ディートリヒ・ブロムベルク様。

 ジズ大山の南にあるブロムベルク子爵領のご当主様の孫で、この黒妖犬の森に接した500世帯ほどの小さな町の代官をしていらっしゃる方。

 黒髪だけど北欧系で、ブラウンの瞳を見つめると吸い込まれそうになる。誰似って言われると、若い頃のオーランド・ブルームとか。

 ちょっとだけ愛情補正も入っていますけど。


「リディア、黒妖犬はどうなった?」

「はい、全滅です」


 上位闇精霊で調べた今年4月、この『黒妖犬の森』には200頭ほどの黒妖犬が8つの群れと複数の小グループに分かれて生息していた。

 黒妖犬たちは一頭で1,440もの魔力を持っていて、うちの焔狼たちが食べると144の魔力を与えてくれる。

 これなら兄弟姉妹5匹で分けても、1匹辺り5,760くらいの魔力が得られる。

 この子たちの母親を奪った私としては、焔狼が持つとされる魔力3,000をアーロンたちが成獣になる3年後までに与えないといけないと考えていた。


 たった5匹の焔狼を育てるために、古からこの森で命を繋いできた黒妖犬を滅ぼすなんて、創造主の目から見れば釣り合わないかもしれない。

 でもアーロンたちは私に懐いていて、黒妖犬たちは死の遠吠えで領民を襲うから、私は人間本位で黒妖犬を焔狼の糧にすることに決めた。

 本来狩れないはずの黒妖犬たちも、私の上位精霊たちがいれば難なく狩れる。

 血肉と魔石を一緒に食べさせないと吸収効率が悪いので、上位闇精霊で群れを散り散りにして小分けに狩り、食べやすいように魔石を小さくして与え、半年掛けて今日ようやく狩り尽くした。


「そうか。これで森の開発が一気に進むな」

「はい。私も、この子たちの属性値をちゃんと育てられて良かったです」


 黒妖犬以外にも様々な魔物を狩って食べさせて、拾った1年前から現在までに獲得させた総魔力は、1匹辺り6,000くらいになっている。属性値は「火14,風5,土12,光4,闇14」に育った。

 本来は「火10,土10,闇10」だとされている焔狼たちの成長がおかしいなって気付いたのは、必要だとされる魔力3,000を越えた辺りから。

 エリーが狩りで怪我をしたので慌てて光精霊と契約しているディートリヒ様を呼んだら、勝手に自己回復をしていて私たちの目が点になりました。


 ……焔狼の学説、思いっきり間違っています。


 焔狼を育てた人間は過去に居ないから、誰も間違いに気付かなかったんだね。

 私の飼育記録だと、魔力3,000くらいで属性値「火10,風4,土9,光3,闇10」になる。

 でも火属性を風属性で強化したり、光属性で自己回復まで出来ると知られれば、焔狼自体の危険値を上げられたりこれ幸いと色々調べられたりしそうなので黙っていようと思います。

 魔力の獲得ペースを半分に落としても、成獣になる2年後には魔力が12,000を越えている。

 たぶん最終的には「火19,風7,土17,光5,闇19」くらいになるはず。

 そうなれば3属性が上位精霊に匹敵する力になって、他の2属性も中位精霊に匹敵するので、私以外はこの子たちへの手出しが不可能になる。

 でも一先ずこの子たちの事は横に置いておくとして。


「これから私の精霊たちには、レンガ造りと魔石確保に集中して貰う事にします。魔石を売ったお金とレンガで沢山の家を建てて、切り開いた土地に農地を広げて領地の発展を…………」

「それは魅力的な話だが、8ヵ月で50世帯増えただけで充分だ。領地の次男や三男も、地元で家を持てると喜んでいたぞ」

「でも、必ず大規模な発展が出来ますよ?」

「リディ、小さな子爵領の一角に新たな移民を受け入れるのは大変な事だ。出来るとは思うが、そればかりに手間が掛かる。今暮らしている2,000人の民を幸せにするのが先で良い」


 元々の住民と移民とでは、土着の仕来りや不文律などの常識が異なるために、感情的な対立が起こる。

 また移民が仕事をする事で元の住民が仕事の内容を比較され、客を奪われるために経済的な対立も起こる。

 元々の住民は割を食った仲間を見て移民に悪感情を持つし、自分が同じ目に遭うのではないかと言う潜在的な恐怖からも移民を排除あるいは自分たちの下に置こうとする。

 そして旧来の住民がそんな事をすれば、移民の方も元の住民に悪感情を持ち、負の連鎖が始まる。


 それを防ぐには移民を受ける指導者が、新旧いずれの住民にとっても以前の生活より豊かな生活になるように配慮し、生活様式の違いから発生する対立を最小限に軽減しなければならない。

 ディートリヒ様が考えておられるのは、そういう事だ。

 でも、成功すると思うんですけど。


「……お金、稼げますよー?」


 それどころかブロムベルク子爵家は、伯爵になれますよー。


「大金より幸せが先だ。幸せになる2,000人の中には、俺とお前も入っているぞ」

「…………はーい。旦那様」


 背伸びして口づけを交わす。

 まぁ良いか。

 精霊たちには領地拡大じゃなくて、領民の幸福増大に集中して貰おう。


 このまま500世帯を全部レンガ造りの広くて立派な家にして、路地は石畳にして、上下水道を造って、町には沢山の果樹を植えて、切り開いた土地は農地にして、魔石や薬草採りをして貰って。

 …………程々でした。


「それとリディ」

「はい?」

「…………俺とお前を引き剥がそうとするアーロンとブランドンが熱い」

「…………アーロン、ブランドン!」

「「ヴォン!」」


 夫の足の裾を軽く噛んで引いていたアーロンとブランドンが、私の注意に返事をして口を離した。


『ヴォンじゃないでしょう!』

『ごはん、たべた!』『あそぼう!』


 この子たちは闇精霊を介して、私と意思疎通が出来ます。

 種族的に竜種ほどの脳は無いけど、伝説のガルムは複雑な人語を解して会話が出来たそうだから、その遺伝子を少しは引き継ぐこの子たちも人との……ええいっ、じゃれ付いて来たっ。

 というか、1対1なら黒妖犬を上回る力強さで私に体当たりを仕掛けてくる。

 上位土精霊と契約している私じゃなければ絶対に吹っ飛ぶ威力だ。


「この愛らしいモフモフどもめっ!」


 まだ大型犬くらいの小ささの二匹をむんずと掴んで、ごろんと引っ繰り返す。

 そこへクレアとディアーヌとエリーの三匹も参戦。

 ぼてーんと全身で体当たりを仕掛けてくるので、抱き留めて地面に押し倒す。


「「ヴォンヴォン!」」


 この子たちはお母さんである私と遊んでいるんだけど、それと同時に力関係を測って群れでの上下関係も決めている。

 だから私は5匹に必ず勝たないといけなくて……ええいっ。

 私は同時に引っ繰り返したアーロンとブランドンのお腹を押さえて、ワシャワシャと撫で回した。


「ここかっ、ここが弱いのかっ!」

「ヴォフ……ハッハッハッ……」


 ふっ、所詮はワン子ね!






 ◆ ◇◇◇◇






 王国歴1018年2月。

 人々は太古の昔から膨大な時間と労力を費やし、魔物達と争いながら生存圏を広げ、今日までの繁栄を築いてきた。

 力で勝てぬ魔物相手であれば、肉食獣に対する草食動物のように数を揃える。

 強靱な牙や爪の代わりに手先を器用にして、魔物が持たぬ道具を扱う。

 魔物が侵入できぬ柵や壁を設け、家や畑を造ってテリトリーを形成する。

 祖先達は失敗と試行錯誤を繰り返し、魔物に生命を奪われ、村を壊滅させられ、あるいは国すらも滅ぼされ、だがそれでも生存競争に生き残ってきた。

 人類の繁栄は、道半ばで倒れた無数の屍の上に成り立っていると言っても良い。


 とりわけ都市間を移動する都市間道などは、魔物の屍を積み上げて舗装し、自らの血で塗装してきたと言っても過言ではない。

 1台の馬車で次の都市へ辿り着けぬなら、10台の馬車で群れて行けば良い。武力が10倍になり、生存の可能性は10倍以上に上がる。


 だがなるべくなら周囲の馬車よりも早い索敵を、少しでも速い馬を、軽い荷を、安全な位置取りを。

 そうやって充分に警戒して相応の結果を出してきた冒険者カールソンは、それでも運が悪ければどうしようも無いという事を認識せざるを得ない状況に陥っていた。


「間違いない、あいつらはSランクの魔物フンババだ。それも2頭!」


 背後から迫って来るのは頭部に野牛の角を生やし、ハゲタカのように鋭い爪と尾の尖端に猛毒を持ち、体長4mとサイほどに巨大な2頭の獅子であった。

 発達した筋肉の塊のような身体で体当たりされた馬車が真横に吹き飛び、爪で1台が切り裂かれ、叫び声で喚び出された水精霊によって別の馬車が押し流され、口から吹き出した火と毒で2台の馬車が飲み込まれた。

 野営を始めようとしていた彼らの半数が惨劇に見舞われる中、残る5台がいくらかの乗員を見捨てて辛うじて逃げ出せたが、フンババたちは走り出した馬車の方も追いかけてきた。

 あっという間に6台目の馬車が弾き飛ばされ、倒されたところを火炎と毒で焼き払われる。


 竜より強いSランクの魔物と言えば、その危険度合いが分かって頂けるだろうか。フンババは普通のライオンの10倍の体重を持ち、走り出せば肉体能力だけでも時速100キロを越え、さらに魔法で強化や加速まで得るのだ。

 属性値は「火10、水7、風5、土12、闇10」で総魔力4,180。1頭で町一つを壊滅させる火竜ですら、中位並の属性値4つに過ぎず、魔力も2,190しかない。

 しかも成獣2頭。おそらくはオスとメスのつがいだろう。


「くそっ、最悪だ」


 人間は都市間街道を自分たちのテリトリーだと思っており、そこに魔物が居れば駆逐する。

 だが馬車隊から犠牲者が出なければ、街道に魔物のテリトリーが重なったことを察知できないので、最初の犠牲者が出ることは避けられない。


 魔物の新テリトリーを最初に知る馬車隊に入ってしまい、馬車10台中10台が逃げ切れない相手で、子作りの邪魔をしてしまい相手に容赦が無い。

 もしかすると野営のために水汲みをした誰かが、街道の外に敷かれていたフンババ夫婦の新居にうっかりと踏み入ってしまったのかも知れない。


「カールソン、どうする」

「どうするもこうするも、フンババ2頭に勝てると思うか?」


 リーダーのカールソンとサブリーダーのオースルンドが、自分たちを含めて6人の冒険者パーティを見渡した。

 全員が騎士階級で、しかも風精霊を使えるAランクとBランクの冒険者だ。

 エアライフルで武装しており、戦い方次第では中位精霊を使える中位魔導師を1人倒せるくらいの実力もある。


 だが相手のフンババは、魔法の力だけでも土属性が3格で身体に弾丸を通さず、闇属性も3格なので毒も呪いも受けない。

 火属性も3格で獣が嫌がる炎も効かず、2格の水と風属性で障壁を張り巡らせる。

 それでいてサイのようにずんぐりとした獅子の巨躯を持ち、ハゲタカの爪で獲物を切り裂き、毒蛇の尾で獲物を仕留める。


「フンババ1頭に勝つには、3格の中位精霊と契約した中位魔導師が1個小隊6人くらい必要だ。それでも逃げられるだけで、倒すには至らん」

「ボス、ヨーセフさん、二人とも悠長な事を言っている場合じゃないと思いますぜ。7台目の馬車も潰されました。シモンの光精霊が馬の体力を回復してくれるおかげで他に先んじて離脱できていますが」


 リーダーとサブリーダーの会話に実りが無さそうだと判断した仲間の一人が会話を軌道修正させた。

 彼自身もAランク冒険者であり、現状では駄目だと理解している。


「そんな事は分かっているが」

「提案があります。街道から外れた『黒妖犬の森』に逃げ込むんです。馬車は失いますが、命には替えられんでしょう」


 カールソンが性格的にリーダーに向いていて、サブリーダーのオースルンドも細かい事に気付くタイプだと言うだけで、提案している彼が積み重ねた経験は二人に劣るものでは無い。

 リーダーは提案を即座に検討した。


「他の魔物のテリトリーに入る事で、フンババのテリトリーから逃れると言う事か?」

「黒妖犬は土と闇が2格の魔物とは言え、辛うじてエアライフルが効く相手です。鼻が利くのと群れるのが厄介ですが、大木の上にでも登ってやり過ごしましょう」

「分かった。どうせこのままでは逃げ切れん。ニクラス、テオドル、進路変更だ」

「了解」

「全員、下車に備えてそれぞれ弾丸と水筒を身に付けろ」


 カールソンたちの馬車が進路を変え、街道を外れて広大な『黒妖犬の森』に突き進んだ。

 その後ろを追っている2台の馬車のうち1台が開けた前方へ進み、残る1台はカールソン達を追ってきた。

 カールソン達がAとBランクの冒険者だと言う事を知っていて、少しでも生存の可能性を挙げようと着いてきたのだろう。

 あるいは乗員不足の馬車1台だけで魔物の世界を突き進むには、戦力不足と判断したのかも知れない。


「…………くそっ、足手まといどもが着いて来やがった」

「どうします。こっちに来た奴等の馬を撃ちますか?」

「頭の切れる商人たちだ。もしも生き残りが出れば、俺たちの手配書を回して資産を没収し、損失を埋めようとするだろう。それより食糧は身に付けたか?」

「それなら黒妖犬の森に入るまでの間、フンババからの盾にしましょう。もちろん下車の準備は出来ています」


 街道を逃げていた8台目の馬車が弾き飛ばされたのが見えた。

 引き倒された馬車の生存者たちをフンババが駆逐しながら追いかけていなければ、今頃カールソンたちも馬車を潰されていたに違いない。

 生存者を執拗に潰すフンババの行動がありがたいわけでは無いが。


「せめてヤって満足した後に踏み込んでれば、見逃されたかもしれなかったのに」

「黙れボケナス。そんな理由で人生を左右されて堪るか。いいから森に入るぞ」


 馬を停め、馬車から次々と飛び降りる。

 馬も馬車も惜しいが、オースルンドの言うとおり自分の命には替えられない。

 都市に戻れば家も金もあるし、別の町に行けばそちらにも財産がある。慎重なカールソンはそう言った類いの保険をいくつでも掛けており、生き延びる事が出来れば何とかなるのだ。


「走れ、走れ!」

「ぬぉおおっ」


 カールソンを追ってきた9台目の馬車からも、乗員たちが次々と飛び降りてくる。

 そしてその背後からは、フンババが迫ってきた。

 その巨躯と力強い走りを見るだけで、矮小な人間ごときではフンババを物理的に停められない事が理解できる。


「うわぁああっ」

「支援を、銃で援護してくれっ!」

「前へ進め。土精霊か風精霊で自分の走行を支援。会話は闇精霊に切り替えろ」


 散り散りに逃げる9台目の馬車の人々が、良い囮になってくれる。

 カールソン達は後ろを無視して黒妖犬の森に逃げ込み、闇精霊の思考会話に切り替えて無駄な消耗を抑え、森の奥へ走り出そうとしたところで急に足を止めた。

 目の前に、真っ赤な毛並みの大きな狼型の魔物が居たのだ。


 体長はおよそ3メートルと、フンババの4mに比べればやや小柄だった。

 体高も低くてずんぐりとはしておらず、体重は300kg台くらいでフンババの3分の1くらいだろうか。

 だが人間に比べれば明らかに巨大で、その赤い狼が纏う力に威圧されたカールソンは森の先へ一歩も進めなかった。

 狼はフンババと人々を眺め、スッと息を吸い込み、吐き出した。


『…………ヴォォオオオオオ』


 その遠吠えと共に、狼の周囲に赤い光が舞い始めた。

 赤い魔力の光はその存在の力で大気を振るわせ、夕焼けが落ちつつある黒妖犬の森を一気に明るく照らし出した。


「焔狼……」

「焔狼だと」


 焔狼は「火10、土10、闇10」と言われており、フンババの「火10、水7、風5、土12、闇10」に比べれば能力や多彩さで一歩及ばないものの、同じSランク評価を受ける強大な魔物である。

 前門の焔狼、後門のフンババ。

 己の命数が尽きた事を悟ったカールソンがそれでも目を逸らさずにいると、焔狼はカールソンには無関心に悠々とその横を通り過ぎて森の外へと出て行った。


 その背後に闇の魔力が集い、急速に人の姿へと形を変えていく。

 年頃の女性に姿を変えた闇の精霊のような存在は、ゆっくりと漂いながら周囲を見渡して言葉を発した。


『2頭か。アーロン、食べて良いよ』

『ヴォンッ!』


 土精霊で強化された地盤を蹴り飛ばした焔狼が、弾丸のように突き進んでフンババの1頭に体当たりを仕掛けた。

 吹き飛ばされる直前に高めたフンババの風と土の防御魔法は、それを上回る狼の風と土の奔流によって掻き消された。

 まるでフンババ自体が何か巨大なものに掴まれ、前方へ向かって投げ飛ばされたかのように吹き飛び、全身の骨を折りながら数キロを転がっていく。


 焔狼はフンババの一頭を弾き飛ばした瞬間に方向転換し、もう一頭のフンババに突進を仕掛けた。


「グアァッルルルルゥォ」

『ヴォン』


 フンババが叫び声と共に喚び出した洪水が、大地を飲み干す炎の洪水に一瞬で飲み込まれた。

 間を置かず右手から回り込んだ焔狼は、そこから跳ね飛んでフンババを下から突き上げるように弾き飛ばした。

 まるで飛竜に掴まれた獲物であるのかのように天高く持ち上げられたフンババは、四肢をジタバタと動かしながら大地へ落下していく。


 その真下では土の光が流れ込み、大地を掻き消していった。

 突如出現した大穴に、先程生み出された炎が溶岩流となって流れ込んでいく。

 大地に比べればあまりにも矮小なフンババが、そんな自然の奔流に紛れて落下していった。


「グルウウァァアァ…………」


 断末魔に被せるように、周囲を照らしていた天の炎が流星と化し、地獄の堝へと容赦なく注ぎ込まれていく。

 落ちようとしている日の代わりに、焔狼の火が周囲を照らしていた。


「馬鹿な……」


 カールソン達が僅かに目を離していた隙に、焔狼が最初に弾き飛ばされた1頭目のフンババをしっかりと咥えて、大穴まで駆け戻って来た。

 ピクリとも動かぬフンババがグツグツと煮立つ大穴へ突き落とされ、視界から消えていった。


『火を消して。魔石が溶けちゃうよ』

『ヴォン』


 黒い影の女性が指示を出すと、全ての炎が赤い光に戻って消えていった。






 ◇◇◇






 王国歴1018年。

 数え切れない豚頭背鱗水牛カトブレパスの大集団と、数千匹もの鰐竜タラスクスの群れが、まるで強大な何かから怯えて逃げ出すかのように、ダウデルト帝国へと一斉に南下していったらしい。


 魔物の生息域で分かたれたベーレンス王国に入ってくる情報は、距離的に遠すぎて正確性を欠き、大抵の行動は時機も失してしまうため、王国として何かしらの対策を取るような事は無かった。

 よってその事件に関しては、ダウデルト帝国の大規模治水工事が生来の鰐竜の生息域を奪ったのでは無いかと指摘されて片付けられた。


 それと比べれば細やかな話ではあるが、国内ではかつて『黒妖犬の森』と呼ばれていた広い地域が、『焔狼の森』へと呼び名を変えたらしい。

 魔物に追われた際に焔狼の森へ逃げ込めば、焔狼が出てきて助けてくれる。

 そんなおとぎ話のような風聞は、その地方に住むブロムベルク子爵家の嫡孫の妻リディアーヌが焔狼の飼主である事と、実際に助けられたという高ランク冒険者達が各地で語り続けた事で急速に広まり、黒妖犬が姿を消した事と相まってすぐに定着した。


 一方で焔狼が強すぎるのでは無いかという話も流れたが、噂話とはとかく大げさに伝わるものであり、魔法に詳しい者も飼主の上位魔導師が手を貸しているだけだろうと解釈して、本格的な調査がされる事は無かったという。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後の大襲撃の描写が段々おざなりになって行くところに周回ゲームのラスイベへのプレイヤーの反応みがあって笑えますなぁw
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