【番外編】魔族様、ハロウィンをたしなむ
むかし、昔のお話です。一人の悪魔がおりました。
畑を荒らすことが大好きなその悪魔に、人々は困り果てておりました。
ある日女の子が悪魔に問いかけます。
「どうして、そんなに悪さをするの?」
いたずら悪魔は答えます。
「困る姿がとてもおかしい。それが俺のご飯なのさ」
得心がいった女の子、ならばとにっこり笑います。
「もっとおいしい物と、楽しいことを用意するわ!」
女の子がたっぷり用意した、お菓子とお茶でもてなされたその悪魔。味わったことのない美味に驚きます。
「こんなにうまいものがあったとは。次はこいつをもらいに来る!」
満腹ご機嫌いたずら悪魔、飛び跳ね踊って去ってゆく。
人々は女の子に拍手喝さい。
それ以降、年に一度訪ねてくる悪魔を、お菓子でもてなすことになりましたとさ。
収穫祭の始まりのお話。
バロウ国の王都で、収穫祭は、各商会の主導の下、盛大に行われていた。
元来は一年悪さをされないよう悪魔を丁重にもてなすことだが、昨今では思い思いに悪魔の扮装をして楽しむことがメインになっている。
リリィ婦人服飾店では、ハロウィーンと題して、悪魔の扮装用に童話をモチーフにした衣装を売りだし、またそれぞれに仮装をした店員の少女と少年が接客をする趣向で店は盛況となっていた。
「まあ、今年のリリィさんは『赤ずきん』なのですね!」
来店した貴婦人に声をかけられたリグリラは、さらりと白い裾を揺らして振り返ると、接客用の笑みを刷いた。
「ええ、ハロウィンですから、いつもとは違うテイストにしてみましたの」
「明るい色合いで驚きましたけど、よくお似合いで。やっぱりリリィさんのお衣装は素敵ですわ」
素直な賞賛の声にリグリラは丁寧に礼を述べた。
今回のリグリラの装いは、白いワンピースに目の覚めるような赤いケープ、という普段の彼女であれば選ぶことはないだろう色合いだ。
ともすれば子供っぽく見える組み合わせだが、シルエットや色彩、小物にこだわることによって己に似合うよう見事に調和させていた。
赤ずきんは、見知らぬ土地に迷い込んでしまった赤いずきんの少女が、途中で出会った仲間と力を合わせて、家に帰る方法を探す物語である。
途中、困っている人々を助けたり、悪役を倒したり、敵だと思っていたものと共闘したりとなかなか壮大なのだ。
これをラーワに語ったときには、「それ、オズの魔法使……いやなんでもない」と妙な反応をしていたものだが、バロウでは知らないものがいないほど有名な作品である。
ひとしきりリグリラを眺めていた貴婦人はそわりそわりと左右を見回して、声を潜めて訊ねられた。
「リリィさんが赤ずきんということは、もしかしてあの方が……?」
リグリラはすでに五度目の質問にうんざりしつつ、接客用の笑みは崩さず応じた。
「ええ、まあ。せっかくの素材ですもの」
いいつつ、リグリラが空いている椅子に貴婦人を促せば、店の奥から大柄な人影が灰色の尻尾を揺らしながら現れた。
「茶をご用意いたしたでござる」
緊張のせいかいつもより若干ぎこちないながらも、優雅な所作でテーブルに茶器を置いた仙次郎を、貴婦人は目を丸くして見つめていた。
「赤ずきん」で出てくる悪役で有名なのは、森を支配する狼の王だ。
狼は、赤ずきんが手を借りようとしていた魔法使いに成り代わり、長年森をすべていたのだが、赤ずきんは見破ると、持ち前の機転で狼の王を討ち果たすのである。
その下りは特に人気で、戯曲になれば必ず挿入されるエピソードでもあった。
狡猾で、残忍でありながら、王であることを誇りとした狼は、途中で主人公を助けることもあり、悪役でありながら人気のキャラクターであるのだが。
「あら、その、首のものは……」
その生来の灰色の狼耳と尻尾はそのままに、戯曲の狼の王の扮装をした仙次郎の首に巻かれていた首輪に、貴婦人は目が釘付けになっていた。
リグリラと同色の瞳で仕立てられたそれは、アクセサリーの体は取っているものの、狼の王ならば本来ならあるはずのないものである。
目をぱちくりとさせる貴婦人の眼差しの問いかけを受けたリグリラは、仙次郎が茶を置いたのを見計らって、さらりと首輪を撫でて見せた。
仙次郎の尻尾の毛が一気に逆立つが無視だ。
「わたくしが赤ずきんなら、狼の王など手なずけてみせますわ。その証ですの」
「あらあらまあまあ」
そうしてにっこりと微笑んでみせれば、貴婦人が頬を染めてうっとりとする。
「さあ、あなたの望みの狼の王を籠絡できるドレスはいかが」
リグリラはすかさず売り込みをかけ、また一つ注文を増やしたのだった。
*
「ふだんやらぬことというものは、まこと落ち着かぬなあ」
店を閉めたあと、店内の片付けを使い魔に任せたリグリラが居間に戻れば、仙次郎が大きく息をつく。
リグリラは、そんな仙次郎にむっすりと問いかけた。
「なぜ嫌がりませんでしたの?」
きょとんと、狼耳を揺らして不思議そうにしていた仙次郎だったが、リグリラが巻かれた首輪を見ていることに気づいて言った。
「嫌がるもなにも、リグリラ殿に無理を言うたのはそれがしが先でござる。その対価と思えば安いものでござったぞ」
言葉通り、仙次郎は楽し気に首のチョーカーを撫でていた。
そう、今回の愛らしいと言って良い仮装はリグリラが選んだものではなく、仙次郎に願われたものなのである。
突拍子もない発案に、はじめこそ却下したリグリラだったが、仙次郎が意外に強固に言い張ったため、狼王の扮装と首輪型のチョーカーをつけることを条件に提示したのだ。
半ば冗談だったのだが、仙次郎に本気にされて引くに引けなくなったとは言えなくて、リグリラは黙り込混ざるを得なかった。
「おかげでそれがしも眼福でござった」
その間に、彼女の姿を上から下まで眺めて心底幸せそうに笑う仙次郎に、リグリラは不覚にも頬が朱色に染まった。
「戯曲の広告で見て、リグリラ殿に似合うと思うたのだが間違いなかった」
「……そりゃあ、手抜かりはいたしませんわ」
赤ずきんは10代の少女で、戯曲で採用される衣装もかわいらしく作られている。
要するに普段のリグリラが絶対に選ばないテイストのものだったのだが、実際にデザインを引いて作ってみれば、意外なほど似合ってしまったのだった。
自分の魅力は一番よく知っていると思っていただけに、それが妙に悔しく、どや顔……に見えるような気がする仙次郎が腹立たしかった。
だから、この胸の高揚感のような甘さをはらんだうずきは無視して、リグリラは仙次郎の首輪についている鎖に手を伸ばして引っ張った。
少し体勢を崩しただけで持ちこたえた仙次郎だが、リグリラの顔がにゅっと近づいたことで、目を見開く。
「ハロウィンの本来の意味は、話しましたよね?」
「たしか、悪魔……魔族に憑りつかれないために、食事や菓子を提供してなだめる、でござったか」
「つまり、わたくしのための一日、ということでもありますの」
正解とばかりに微笑んだリグリラは、そのまま仙次郎の肩をとんっと押した。
「わたくしをもてなしなさい、でないといたずらしますわよ」
背後にあったソファに座り込む形になった仙次郎を手で押さえ、有無を言わせず膝に頭を乗せる。
「疲れましたの。まずは枕を提供なさい」
「着替えは……」
「枕はしゃべりませんわ」
それで仙次郎の問いかけを封殺して、リグリラは目をつぶる。
魔族は睡眠がいらないとかそういうことは丸無視だ。
今リグリラは疲れている、そう決めた。
落ち着かない心地を押し込めて、赤いフードをかぶろうとすれば大きな手に止められた。
「できれば、隠さぬで欲しいが」
「……っ」
生殺しにして、溜飲を下げるつもりだったのに、これでは逆効果ではないか。
ここまで手筈を整えておいて、やめるのは間が抜けているし、隠す、という行為を見抜かれてしまったからには、フードをかぶることはリグリラの矜持がゆるさなかった。
リグリラはせめてもの抵抗として仙次郎に背を向けて目をつぶる。
だが、そよりとうれしげに尻尾が揺れるささやかな風で、己の耳が赤く染まっているのはばれてしまっていることは明白だ。
フードがなければ、隠しようがないのだから。
後で必ず別のことをさせてやると決意しながらも、休むと言う面目が立つ時間まで、リグリラは羞恥に耐えながら目をつぶり続けたのだった。




