底無しの沼
「あ、あのぅ……あ、足首の傷に配慮するよう、正座ではなく胡座でお願い致します」
「うむ、承知した。よっこいせっと……」
鋼太郎から勧められ、嶽山が素直にそれに従う。老いぼれくさく言葉を溢しながら地面に座すと、汎の方にゆっくりと顔を向けた。
「そもそも鬼神よ。お主らは……一体、どこまで掴んでおるのだ?」
「あ?」
問われた汎が、顎に手を当てながら、大男に言葉を返す。
「そうさな……あくまで予測の域だが、草兵衛と芹、それと筑貢と風魔の忍びが繋がり、浦沼で呪いごとを企てている。そして、俺の首か若を欲しておると、文に書いてあったな……俺はてっきり、風魔が妖術かなにかで、うちの里の者を誑かしたのかと思っていたが……彼奴はそれを否定した」
汎の脳裏には、散っていった風魔を率いし男、是空の顔が浮かんでいるのだろう。
「呪い……か」
ぼそっと一言呟き、嶽山がふと、北の方角を見遣る。
「おい、嶽山よ。ここは浦沼ではないんだろ?」
「この広大な沼の名は『浦ヶ沼』だ……人によっては『浦沼』と呼ぶから、強ち間違いではないがな。五十年程前、この近隣に大水害が起こり、その水が引いた際、窪地に取り残されるような形で大きな沼が出来たと聞いておる。名の由来となった本当の『浦沼』は、ここよりやや北にある、小さな沼のことだ」
嶽山の言葉を聞き、汎は懐から地図を取り出して広げる。じいっと凝視したとて、浦ヶ沼の近くに、小沼の記載は無い。
地図を書き写す際に、敢えて記さなかったとしたら、地図上から消された土地のことなぞ、知りようがない。
「やはり、じいとばあが言っていた隠沼は、他にあったのだな。そろそろ胡桃が見つけて戻る頃合か。戌ノ組が調べてきたのは、こっちの浦ヶ沼……ちっ! 『浦沼と寺を探せ』と伝えただけなら、そりゃ間違うわな」
舌打ちをするも、関心が他に向いているせいか、戌ノ組の失敗に対して、さして責める気は無さそうだ。
「では、童共を使い、こちらの沼に建てさせていたあの祠は何なんだ?」
そう言って、汎が沼の中央を振り返る。だが、もう水面上にそれらしい建造物は見当たらなかった。こちらが戦闘に集中してる間に、千鳥ら丑ノ組が指示通りに破壊したようだ。
「あれは…… 美都利曰く、『慰霊碑』だ、そうだ」
「慰霊碑?」
「あぁ。儂はいらんと言うたのに、彼奴が遊び半分でやらせておった。そんな戯れで作られたものに、我等が城の者達の魂が浮かばれるものか」
苦々しげな表情で、嶽山がそう吐き捨てた。
「だが、裏を返せば、お前が美都利を止めることが出来なかったという証だろう?」
「そうだな……小言程度ならば儂の言葉に耳を傾けることもあるが……彼奴に指図が出来るのは、草兵衛殿か芹殿だけだ」
「それもまた奇妙な話だな。それだけ、二人に恩義があるということか?」
「以前聞いたことがあるのだが……どうも、美都利はあの二人に拾われたらしい」
「「「「拾われた?」」」」
嶽山の言葉に違和感を覚えたのか、皆が揃って顔を顰める。
「な、なんだ? 何かおかしなことでも?」
「おかしなことだらけだが、まぁ、いい。それよりも、お前は呪いが何か知っておるんだろ?」
「……」
「お、教えてくれ!」
「天道丸様……」
身を乗り出してきた蘇芳丸には甘いのか、嶽山は目を綻ばせて、また口を開いた。
「老人の戯言として、ちと聞いて頂けますかな? 昔……我が主君、永明様に言われたことがある。『嶽山よ、お主は海を見たことがあるか?』……無論、儂は申し上げた。『一度もありませぬ』と」
「海?」
「なぁなぁ、海って、あれだろ? とてつもなくでっかい池のことだろ?」
「え? えぇと……あ、いやぁ……」
蘇芳丸がこそっと鋼太郎に耳打ちするが、今、口を開く立場ではないと弁えている少年は、返答に窮して、おろおろするばかり。
それを呆れたように眺めながら、汎が少年達に話し掛けた。
「おい、知ってるか? 武蔵国の一部は太古、海だったらしいぞ?」
「えっ⁉︎ そんな……大量の水は一体どこへ消えたんですか?」
鉢ノ助が目を丸くして聞き返す。驚きで身体を反らしたせいで、彼の背に背負われている梅丸の身体が、がくんと揺れた。だが、眠る少年が起きる気配は未だ無い。
「なんでも、長い年月で地形が変化したとかなんとか……まぁ、実際に見てはおらんし、言い伝えでしか知らんがな」
「いや、儂もそう伝え聞く。ここよりさらに北に位置する大神社の鳥居は、当時、海の岸壁にあったそうだ」
「「へぇ〜〜」」
蘇芳丸と鉢ノ助が、揃って素直に頷く。
「浦沼はその時の名残りだそうだ。年月の流れと共に、小さくも深い深い沼となった、と。まるで底無しのように、一度沈むと浮かび上がれず、深部は海に通じるとか通じないとか……『武蔵の臍』なぞという異名までもが飛び出す始末。まぁ、それだけなら、ただの沼。何も珍しいことはない」
何やら含みを持たせた言い方をして、さらに嶽山は話を続ける。
「あの沼には少々、逸話があってな……むかしむかし、村に片方の足指が生まれつきない娘がいた。足が悪いことで、周りに疎まれ、気を病んだ娘はとうとう、その沼に身を投げてしまった。すると、翌日……沼の畔に、生まれて間もない赤子が『おぎゃぁおぎゃぁ』と泣いていたそうだ。それが不可思議なことに、その赤子は身投げした娘と同じく足指がなかったのだ。『娘が若返った!』と村は大騒ぎ。己の命という対価を支払い、娘は人生のやり直しという夢を叶えたのではないか……という風聞が広まり、それ以来、欲深い願いを抱えた愚か者達の入水が後を立たなかったそうな……」
嶽山は幼子をあやす様な語り口で話し、それが終わると、しん……と、辺りは静まり返った。
その沈黙を、汎が溜息を吐き出して破る。
「はぁ……お前の話は些か、風聞だらけだな。俄かには信じ難い」
「信じられんのは当然だ、鬼神。儂も……信じてはおらん」
………………
「は? 何だ、お前……信じていないのか⁉︎ てっきり、お家再興に奔走して、このような馬鹿げた謀事に乗っかったのかと……」
「口伝で繋がった出鱈目な話を、真実と信じて疑わぬ者は、心の弱き者だ。死んだ者は……二度と生き返らぬのだから……」
ざっ!
その時、先程指示を出していた忍び達がこの沼畔へと舞い戻った。
風聞:ウワサ話




