沼東の衝突①
忍びは空気を読む。
まだ目視できる範疇に敵方の姿はないが、駆け抜ける足が纏う風を、踏みつけられた草木の匂いを、蹴り飛ばされた極小石の音を……生じた氣の流れを肌で感じ取りながら里長が口を開いた。
「ははっ、禍々しいなぁ。忍ぶつもりもなく、これでもかと解放してやがる。浅緋を……いや、俺を殺したくて仕方ないのだろう」
「汎様が奴等の同胞を片っ端から斬り刻み過ぎたのでしょう」
「怨みを逐一、覚えちゃいないさ。それよりも……ちと気になったことがあってな」
腰に手を当て、周囲を見回す里長に、背後から胡桃が問い掛かる。
「何か気掛かりなことでも?」
「隠沼……『武蔵の臍は隠沼』だと昔、じいとばあのどちらかが言っていたのをふと思い出してなぁ……」
そう言って目の前で微かに揺蕩う沼へと視線を送る。
「隠沼? たしか、万葉集にもよく詠われておりましたね。水の捌け口の無い淀んだ沼……草に覆われて見えない沼とも……転じて行き場のない想いを例えたり、人知れず忍ぶ秘め事や、抜け出すことのできない恋路……ふふふふっ」
「……おい、胡桃。てめぇ今、何考えていた?」
急に誰かへと想いを馳せた青年に、汎がぶすりと釘を刺す。
「……」
一瞬、考える間を置いてから、里長は振り向かぬまま、忍び達に背中越しで指示を出した。
「千鳥達は童共の保護とあの社の破壊を……胡桃は……隠沼を探せ」
「「「「はっ!」」」」
「……は?」
従順な返事を返す丑ノ組とは対照的に、胡桃が怪訝な声を漏らした。
里長の言葉が彼にとって予想外だったのだろう。
「おい、鋼太郎! お前は『隠沼』と聞いて、何を思い浮かべる?」
「え? え? え? うえ? うぉえぇっ⁉︎」
急に話を振られた少年は、激しい動揺のせいでまともな言葉が口から出てこない。
だが、里長の問いに答えないのは無礼が過ぎる。
大きく肩を動かしてから、鋼太郎は精一杯の大声を張り上げた。
「ぼ、ぼ、ぼ、僕は……人目につかない沼を、お、お、お、お、思い浮かべます!」
「ふむ、そうだな。俺もこれが隠沼とは……どうにも腑に落ちん。ちと、あからさまが過ぎやしないか?」
「ここは地図の通りなら浦沼に間違いないはず……何かの陽動でしょうか?」
「それはわからん。だが、残念なことに草兵衛の方が俺よりも賢い」
そう吐き捨てると、里長は考え込むように口を噤んでしまった。
それをちらりと見遣った胡桃は、溜息を吐き出しながら、手に持っていた地図を懐に仕舞う。
一度空を仰いで、蘇芳丸達に声を掛けた。
「もう間も無く風魔が来る。我等はこの場を離れるが、お前ら……汎様の足を引っ張るような真似だけはするなよ?」
若輩な辰ノ組が風魔の忍びにひどく劣るとは考えていないのが、その言葉から読み取れる。
だが残念なことに、この胡桃からの信頼……それに気付く者がこの四名中に半分しかいない。
「……完全に俺に向けて言ってるよな、胡桃兄」
「何か言ったか?」
「いえ、何も……」
蘇芳丸はいつもの小言だと受け取り、無意識的にひょこっと首をすくめ、鉢ノ助は深く考えることもなく、懐をごそこそと弄って火薬玉の用意を始めた。
その隣で佇む鋼太郎は、これから襲い来る数多の敵を想像し、いつも通りに青ざめて小柄な身体をさらに縮めていた。
胡桃の言葉の意味も理解し、実力では負けるはずがないことも頭ではわかっている……なのに、不安感は誰よりも強い。
幹兵衛不在の今、この組の中で誰よりも冷静なのは梅丸かもしれない。
三人の様子に視線を走らせ……着物に手を突っ込んだまま首を傾げる鉢ノ助に声を掛けた。
「ん? どうした、鉢?」
「あ、いやぁ……実は、屋敷で皆が地図を囲んでた時……俺、地図の文字がまるで読めなかったんだよ」
「あぁ、馬鹿だからね」
「ははっ、ひでえな、梅。まぁ、その通りか。これが偽物だったとしても、俺はころっと騙されちまうな、ははっ」
………………
勘の鋭い鉢ノ助の言葉で、その場にいる全員が沈黙する。
次の瞬間、仕舞った地図を素早く取り出し、胡桃が地面に急ぎ広げた。
ばさっ!
「胡桃、どう解く?」
「……じいとばあは出立の際、浦沼を『武蔵の臍』んとこだ、と言ってはおりました、が……この地図を見てはいません。真贋の判断はこの場では難しいかと……ただ、私も一つ気になったことが……そもそも風魔は何処から、この沼東まで駆けてきているのでしょうか?」
「ちっ! これ自体が罠かよ、くそっ!」
荒れた口調の里長を眺めながら、蘇芳丸は鉢ノ助にこそっと耳打ちをする。
「鉢。お前、汎様達の言ってる意味わかるか?」
「うーん……わかんねぇ」
「やだぁ! こんな間抜け面を晒してる奴等と仲間だなんてぇ!」
「うるせぇ、梅! だったら説明しろよ!」
くねくねと身体をしならせて嫌味を言う梅丸に、苛つく蘇芳丸が噛みついた。
その時、氣の流れを察知し、里長が静かに命令を下す。
「行け」
「「「「「はっ!」」」」」
ふっ……
丑ノ組と胡桃の氣配は瞬時に空間へと溶け消えた。
先程までふざけていた辰ノ組にも緊張が走る。
ひゅん! かきんっ! とさっ……
挨拶代わりに飛んできた苦無は、目にも止まらぬ汎の一閃ではたき落とされ、彼の足元に転がった。
がさがさがさっ……ざっ!
霞消の術で消えた五人と入れ違うように、ここ沼東の草っ原に風魔の忍びが集結する。
浅緋の忍びをぐるりと取り囲むように、平地だけでなく、離れた木々の陰や上にも……その数、ざっと数えても五十余!
「へぇ…やっぱ多いな」
「一発で三人は吹き飛ばすとして……えっと、何玉必要だ?」
「数で押せるとでも思ってんじゃない? 阿呆な奴等ね」
この状況に慌てる素振りもなく、三人は周囲を見回す。
「視線だけで俺らを射殺してぇってか? おぉ、くわばらくわばら」
「ひ、汎様ぁ……」
「……はいはい」
この場にそぐわぬ悪ふざけをする里長を、臆病者の鋼太郎が怯えた瞳で見上げる。
長い前髪の隙間からのぞく仔犬のような目を向けられ、流石の汎もばつが悪くなったのか、空気を切り替えるように視線を遠くへと向けた。
「ん? あれは……」
汎が何かを見つけて、静かに呟く。
その視線の先には一際大柄な男と痩せ型の忍びが並び立っていた……嶽山と是空。
「胡桃が遭遇したのはあれか……ここの軍勢の、頭か?」
すると、頭領と思しき男がさっと手を上げ、怒声を張り上げた。
「我等が仇、鬼神の首を取れーーっ!」




