沼畔②
ざっ!
音の鳴った浦沼の東に急ぎ駆け付けた里長達。
その沼畔に生き残った気配は浅緋の者だけであり、敵方は全て大地に転がる屍共。
その様相からは、役目を果たしたとも見て取れる。
だが、辰ノ組の四名は揃いも揃って青褪めた表情を浮かべる……それは、風魔の忍びに逃げられたことを意味していた。
「はっ! ひ、汎様!」
ざざっ!
里長達の氣を察知し、四人は一斉に片膝を付いて頭を下げた。
そんな彼等に長は冷ややかな声を浴びせる。
「随分とまぁ、からころ綺麗に木札が鳴ったようだが……仕留め損ねたのか?」
「は、はい……一匹……に、逃げられました……」
弱々しく、その言葉を吐き出したのは此度、失態を犯した者。
その言葉を聞きながら、仲間も同時にその身を硬くする。
「何をしておる、蘇芳!」
「はっ!」
ちゃきっ!
己の名を呼ばれ返事をしながら顔を上げた少年。その両目玉の先に、里長は二本の忍刀の鋒を突き付けた。
「も、申し訳……ありません……」
「謝って済んだら、自害なんつぅ慣習はいらねぇんだよ。分かってるなら……」
「「「里長! な、何卒‼︎」」」
がばっ!
片膝を付いていた仲間が三人、膝を下げ土下座をして赦しを乞う。
「はっ……お前らが下げた頭に何の価値がある。それとも、そのまま首を落として欲しいのか? あぁ?」
「「「‼︎」」」
言いながら、右手の刀を三人へと向けた。
「そんなに死にたいなら、お前らの方から……」
「汎様、此奴らを折檻している場合ではありません。さっさとその刀を収めて下さい」
「……ちっ」
かちんっ……
胡桃の言葉に従い、里長は舌打ちしながら、ニ刀を背中の鞘に仕舞う。
だが、腹の虫は収まらないのだろう。
すぐに身体を急速に捻り、折り曲げた右膝を蘇芳丸の身体へと打ち込んだ!
どごんっ!
「かはっ!」
蘇芳丸の痩せた鳩尾に膝が綺麗に食い込む……だが、少年はなんとか倒れずにその場で踏み止まった。
その口からは、容赦なく吐瀉液が飛び出た。
「汎様! こら、お止め!」
「ぐっ!」
胡桃の言惑操術により、身体の動きを一時的に停止した里長……いや呼吸機能も止められている。
だが、多少の時間なら彼は放っておいても問題はない範疇。
ちらりと横目でそれを流し見してから、視線を辰ノ組へと向ける。
「全く情け無い体たらく……お前らは一体何をしとるか、特に蘇芳丸‼︎」
胡桃が喝を入れるように声を荒げた。
「か、返す言葉が……ありません」
いつも横柄な態度の蘇芳丸がまるで借りてきた猫のようにしおらしく縮こまっている。
あまりにも不自然なその態度を訝しんで、胡桃は首を傾げた。
「どうした? また腹でも下したか? 全く、何をやっておるのやら……」
「……」
「あ、お、お、お言葉で、ですが……」
そこに鋼太郎が助け舟を出そうとするのを、蘇芳丸が手で制した。
彼にも忍びとしての矜持はある。
これ以上、仲間に尻拭いさせる訳にはいかぬ。
絞り出すように、そっとその口を開いた。
「お、俺は……今まで……人を殺めたことがないんだ……」
………………
「はぁ?」
暫しの沈黙の後、いつもの美声とは違い、呆れたような声が胡桃の口から漏れ出た。
千鳥と時人も驚きで目を丸くする。
「くそがぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼︎」
ばちんっ!
「「「⁉︎」」」
三人とは対照的に、蘇芳丸の言葉に激昂した里長が、胡桃の言惑操術を自力で解き、吼える!
次の瞬間には、蘇芳丸の身体は再度、空高く蹴り上げられていた。
どごんっ! ひゅぅっ……どしゃっ!
「ぐはっ!」
落下した身体が地面に叩きつけられて、また跳ねた。
頑丈な蘇芳丸であっても、汎による一撃は重く、すぐには立ち上がることができずに身体はひくひくと痙攣を起こす。
「役立たずは死にさらせ……」
言いながら、背中から刀を一本だけすらりと抜き、汎が蘇芳丸の首にその刃を立てた。
「なっ⁉︎ もう破られるなんて……汎様、お止め下さっ……もがっ!」
がっ!
蘇芳丸を庇うように間に割り入った胡桃の顔面を、目にも留まらぬ速度で彼の左手が鷲掴む。
「⁉︎」
「ははっ、危ねぇ危ねぇ……危ねぇこの口さえ塞いじまえば、問題ねえ。お前の綺麗な顔なぞ容易ぅく切り刻めるんだからな? く・る・み……まぁ、お前はうちの子のお気に入りだから、やらんだけだ。だが……俺の邪魔をするなら、お前とて容赦はしない」
ぎりぎりぎりぎりぎり……
「‼︎」
胡桃が両の手で己から引き剥がそうとも、彼の顔面を掴んだままの汎の左手はびくともしない。
熊よりも強い握力で下顎を締めつけられた青年は、苦痛でその美しい顔を歪めた。
「く、胡桃兄を……お離し下さい!」
「⁉︎」
地面に這い蹲っていた蘇芳丸が加勢するように下から飛び掛かる!
がんっ!
「がはっ!」
汎の左腕に蘇芳丸の手が触れる寸前、その左肘はそのまま真下にいる彼の頭へと振り下ろされる。
それが脳天を直撃し、またしても蘇芳丸は地面に沈んだ。
どさっ!
「はっ! どの口が言うか、このうつけがっ! 蘇芳ーーっ! てめぇはよっぽど死にてぇらしいなーーっ?」
ぶんっ!
「ぐっ!」
「「胡桃兄!」」
左手に掴んでいた者への興味は失せ、憤怒の対象は目の前の蘇芳丸!
雑に放り投げられた胡桃は、くるりと一回転し、軽やかに着地を決めた。
「ちっ……ん? どうしたお前ら?」
「あ……」
「お、おう……なんでもないっす」
兄貴分を心配し、抱き止めようと構えていた鋼太郎と鉢ノ助の手は空振りに終わった。
里長による訓戒はまだ続く。
「いいか、糞餓鬼! お前の甘さで仲間が死ぬんだ! それは裏切り者となんら変わらん! もし、お前が敵を逃したせいで、主が殺されたら? ……てめぇが死んで詫びたところで何の意味もねぇんだよ! お前を八つ裂きにしても飽き足らねぇ! 地獄まで追いかけて、粉塵にしてやる!」
「……」
これは単に乱暴狼藉なわけではない……里長の言うことは正しいのだ。
敵に逃げられてしまうことが命を賭したやり取りにおいて、どれだけ愚かなことか。
殺さなければ、己が……仲間が殺される。
戦場とはそういう場所だ。
経験の乏しい蘇芳丸は汎の言葉でさらに下を向いてしまった。
ちゃきっ……
またしても、里長が蘇芳丸に刃を突き付ける。
「汎様!」
「なんだ胡桃? お前らしくねぇな、いちいち鬱陶しい……」
いつもは冷静沈着な青年が、反抗心を抱えた熱い瞳で里長を睨みながら言葉を返す。
「世の忍びの理なぞより、大切なことが御座います! この場におられない浅緋の里の……我らの若が望むのは、このような形ではないはず!」
「……頭が悪いなら、身体に叩き込んでやるのが親心だろ? 指南役が甘やかしたのがこの様だ」
「ですが、これでは……貴方様の忌み嫌う出自の里者と同じではありませんか! 仲間内で誰一人欠けることなく里に戻る……それを約束して、ここへ来たのをお忘れかっ!」
「……」
「ひ、汎様! す、す、す、蘇芳を殺したら、若に一生口聞いてもらえませんよーーっ!」
ぴたっ!
熱意ある胡桃の言葉よりも、鋼太郎の直球な叫びが汎の動きを止める。
「む? ……蘇芳のせいで……愛い若に嫌われる? ……阿呆らしい! あぁーー止めだ止め!」
かちんっ!
あっさりと愛刀を鞘に収めると、蘇芳丸の尻にもう一発蹴りを入れた。
げしっ!
「あ、痛っ!」
だが、先程とは段違いに優しい攻撃。
「おい、蘇芳。次は無えからな?」
「は……はいっ!」
「ふん! ……で、お前らの方はどうなった? 報告!」
「「はっ!」」
言葉を挟む隙を窺っていた元と常吉が、里長に促されて、姿を現し跪いた。
「ご報告申し上げます! 沼北の忍びは全員葬りました」
「木札の音で馳せ参じた次第です」
「おう」
一言そう呟くと、里長は沼畔の痩せ木に一足で登っていってしまった。
「汎様……」
「あれでも、少しやり過ぎたと思って居心地が悪いのでしょう。まるで童のよう……ま、放っておけばいい。それよりも間も無く敵が来る……お前達、心しておけ」
「「「「‼︎」」」」
胡桃の言葉で辰ノ組が揃って頷いた。
そして蘇芳丸がくるりと後ろを振り返り、丑ノ組の四人に頭を下げる。
「すまねぇ、俺……」
「蘇芳……不殺を貫く忍びも極稀にいるぞ?」
「ほ、本当か、千鳥⁉︎」
「あぁ。殺すのが嫌なら、手足の骨を粉々に砕き、喉を潰して相手方を再起不能にすればいいだけの話だ」
「それは忍びとしては死んだと同じ。生き恥を晒して生きるなら自死を選ぶ」
「……やれ」
「頑張りなさいな」
なかなかに惨いことをさらりと言う先輩達ではあるが、皆、蘇芳丸を案じているのだ。
だが、この場では少し思いの違う者が一人……。
ちゃき!
梅丸が小刀を蘇芳丸の首に押し当てた。
「なっ! 何の冗談だ⁉︎」
「……誰一人殺さずにここまで生きてこられたなんて、本当お前は……どこまでもおめでたい野郎だな」
「う、う、う、梅……だ、駄目だよぉ……」
「不貞腐れてんのか? ん?」
「……ふんっ」
仲間内でなにやら不穏な空気が漂い始めた……その時、流れ来る風に乗った氣配で、またしても空気が一変する。
ひゅぅぅん……すたん!
木の上から、今登ったばかりの里長が飛び降りてきた。
「ははっ! お呼びで無いのがうじゃうじゃ湧きよった……俺はちぃとばかし……まだ虫の居所が悪いんで……手加減なんてしてやれそうに無えな」
「いつも瞬殺なさる方が何を仰るんだか……」
暴れる気満々の汎を横目に、胡桃はいつもの調子で溜息を吐き出した。




