曲者② ー従者ー
「上だっ‼︎」
「避けろぉぉぉぉっ‼︎」
蘇芳丸と鉢ノ助から上がる叫び声が梅丸の耳に届くのと、彼の大きな瞳が敵を映すのが、ほぼ同時!
「っ‼︎」
「死ねぇぇぇぇぇぇっ‼︎‼︎」
己が詰めの甘さで死に向かう者と足掻き上を取った者の構図。
少年の命は今ここで消える……はずだった。
「全員、動くな」
ぴたり。
それはまるで、時が止まったかのような光景。
梅丸を襲う凶刃は空中で動きを止め、そのまま重力で地面にどさりと落ちる。
蘇芳丸達も侍共も、誰も彼もこの場にいる皆、身体の自由を奪われている……声帯も横隔膜も動かせないので、声は出ないし、息も出来ない。
彼の言惑操術……けして大きな音では無いのに、深く、深く……芯にまで届く。
美しい声が静かに響き渡ったことで、この場を一瞬にして支配したのだった。
……だが、声の主は未だ姿を見せていない。
「お前は何処の里の者だ? 息をして、答えよ」
「はっ! 流戸の里であります!」
柔らかな姿なき尋問に、するりと答えて正体を明かしてしまう忍び。
「そうか……ならば、流戸の者以外、皆、動いて良し」
ふっ……
その言葉で呪いが解けたように、皆、動き出す……這い蹲る一人を除いて。
「「「ぜーーはーーぜーーはーーぜーーはーーっ!」」」
全員、まず呼吸を整えることから身体を立て直す。
「み、皆様、何事もなかったかのように業務に戻られてください。こちらは我らにお任せを!」
梅丸が侍達を散らせて、とりあえず場を収めた。
最初に声を掛けてきた侍は監視役なのか、一人残ったが、その他大勢は去って行った。
人払いが済んだところで、ふーーっと三人揃い、溜息を吐いた。
「「「ありがとうございました」」」
そして、気配は捉えられずとも、声の聞こえた方へ向け頭を下げる。
ふわり……
感謝の言葉に呼応するように、ようやく声の主は姿を現した。
霞消の術を解いた胡桃……だが、いつもとは違い、姫の従者の出立だ。
煌びやかな女物の着物でも違和感なく着こなす美しい青年。
いや、化粧を施しているから、知らぬ者は男だと気付けないだろう。
「げっ!」
「うわっ!」
「美しいっす!」
胡桃は手に持つ扇子をぱちんと畳み……動く。
ぱしん! ぱしん! なでなで……。
蘇芳丸と梅丸は叩かれ、鉢ノ助は撫でられた。
「お前ら……どうせ汎様の戯れで城に来たのだろうが……何をやっておるのだ、馬鹿たれ共。ここが吉伏城だったから命拾いしたものを……。あと……鉢は素直で宜しい」
「「「……申し訳ございません」」」
三人揃って綺麗な土下座。
溜息を吐いた胡桃は、足元の呼吸だけを許可された忍びに視線を落とす。
「恐らく、仲間がいるだろう……。最初に、お前らが忍びだと勘づいた者がいたはずだ……」
「えっ?」
「吉伏城は他の里の忍びが嫌う城だ。……内部から手引きした者がいなければ、鼠は入れぬ。そしたら、一匹ではなかろう?」
胡桃の言葉で三人共、静かに思考を巡らす。
「あの場で、動けぬ流戸の者はこいつだけだったのでは?」
「既に場を離れていたとしたら?」
「立ち去った侍はいなかったはず……」
「あっ!」
声を上げた鉢ノ助が監視役の侍を振り返る。
「そういえば貴方様の小姓は何処へ?」
「……小姓? 儂にそんな者は付いておらんが?」
男の言葉で三人の顔が一気に青ざめる。
先程、軽く会釈をした小姓を思い返す。
言われてみれば、小姓は侍と会話はしておらず、丁度死角に入る位置で常に移動をしていた。
「蘇芳! 瓦十枚までなら許す! 若の元へ急げっ‼︎」
「うぉぉぉぉぉぉっ‼︎‼︎」
声を上げ、瞬間、蘇芳丸は爆ぜ駆ける‼︎
「ったく……もし割ったら、しっかり出世払いしろよな」
「……えっ⁉︎ 胡桃……それって‼︎」
走り消える蘇芳丸の背中を見送り、胡桃が呟く。
彼の放ったその言葉の意味に気づき、誰よりも梅丸が歓喜する。
だが、鉢ノ助は神妙な面持ちだ。
「鉢……お前、嬉しくないのか?」
「なぁ梅……『しゅっせばらい』って何だ?」
「……阿呆め!」
一瞬呆れ顔になりながらも、鉢ノ助の頭をがしがしと撫で回した。
梅丸は懐中から捏と忍ばせた墨筆を急ぎ取り出し、さらさらと筆を走らせる。
「幹兵衛と鋼太郎の元へ!」
「くるっくーー!」
捏を待機組二人に向け、空へと飛ばした。
「っつうか、胡桃が若の元を離れるなんて……嵐が来るのか?」
小さく嫌味を溢す梅丸が、捏の飛び立った方角よりも西の空を見遣る。
遠くにいた灰色の雲が先程よりも近寄って来ている……あと数刻で大粒の雨を落としてきそうだ。
「……若からのご命令だ。『お前達の元へと向かって欲しい』と。……そうでなければ、俺がこの世で最も大切な若の元を離れて来るわけなかろうに!」
「た、確かに……」
胡桃の恨めしそうな声に気押され、鉢ノ助がじりじりと後退る。
「じゃあ若は今、一人ってこと⁉︎」
「……曲者の狙いは情報収集……あわよくば城主の首だろう。田畑しかないここ吉伏城は城としての旨みは他所と比べ劣るが、紛れも無く、ここ武蔵国と下総国との国境だ。この城を墜とせたら間違いなく国勢が動く」
「えっ⁉︎ だったら尚更、若も危ない‼︎」
慌てる鉢ノ助とは対照的に、美しい青年は落ち着いた様子で言葉を返す。
「無論、仕掛けはして来た。だが、お前らも蘇芳を追え。あれがやらかしては……元も子もない」
心配するのは曲者では無く、あくまで里の問題児の行動の方なのか。
「じゃあ、なんであいつを行かせ……あぁ、そういうことか」
梅丸が言葉の途中で、気づき、にやりと笑う。
全ては若の掌の上だ、ということに……。
「胡桃は?」
櫓番の着物をさっと脱ぎ捨て、忍び装束へと戻った鉢ノ助が振り返る。
「俺は……ちとやることがある」
足元で転がる血塗れの男、流戸の忍びに再び視線を落とす。
「丁度、仕事で手駒が欲しいところだったからな……俺は少し、鼠を躾けてから、後を追う」
細めた目に怪しい光が宿る。
残念だが、この男に捕らえられた時点で、生きていようとも死んだも同然だ。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ‼︎」
その時、遠くから叫び声が響く! 居城の方角!
三人は顔を見合わせ、頷く。
「行って来い!」
「「はっ!」」
梅丸と鉢ノ助も蘇芳丸の後を追うように、爆ぜ駆ける!
ふっ……
そして、二人は消えた。
この場に残された者……監視役の侍を振り返り、胡桃が声を掛ける。
「お侍様……」
「な、何だ⁉︎」
美しい男に突然声を掛けられ、侍が平静を保てずに、顔を赤らめる。
にこりと甘い笑顔で、そっと言葉を放つ。
「今さっき見たことはどうぞ全てお忘れ、元の持ち場へお戻りください」
「……」
彼の言葉が、すぅっと侍の心を攫う。
ふらふらと、男は操られるままに、この場から立ち去った。
「さて、と」
「はぁ……はぁ……」
微かな呼吸だけが聞こえる……この転がる忍びの命は時間の問題だ。
「首を切られ、全身に刀傷を受けても尚、縄を抜け飛びかかったのか……素晴らしい気概だな」
男の着物の襟首を掴み、ずるずると引き摺り、移動する。
通り過ぎた地面には多量の血痕が長い線となり続く。
三曲輪と二曲輪の途中にある井戸の前へと進み、男をどさっと転がした。
胡桃はからからと釣瓶を動かし、水を汲み上げ、そして、桶の水を男にぶっ掛ける。
ばっしゃぁぁぁん!
「小汚いままで城には上げられないし、若のお目汚しは避けたいからな……さぁ、これはお前にとっての薬だよ。お前は頑丈だ。傷口の血は止まり、身体は見る間に回復する」
「はぁ……はぁ……は……?」
呼吸は落ち着き、心臓が正常に拍を取り始める。
「⁉︎」
驚くのも無理は無い。
他の里ではあり得ない事が、今、男の身に起こっているのだから……。
胡桃の言惑操術の本当の恐ろしさは、言葉による暗示、その強力さにある。
それは身体の隅々、細胞にまで達し、動きを意のままに……そう、騙された脳味噌が、ただの水を万能薬に変えてしまうことまでもが容易いのだ。
「お前は今から俺の物だ。俺の為に全てを捧げ、動いてもらう」
「御意」
目は虚ろだが、さっと片膝を着き、忠誠を誓う姿勢。
瀕死だった者を直様動ける兵に変える。
……こうして胡桃の傀儡が生まれるのであった。
使い捨てられる命だ。
◇◇◇◇
一陣の風が三曲輪から一気に本曲輪へと吹き抜ける‼︎
只管に、己の主がいる場所を目指して、駆け抜ける少年。
城の誰の目にも止まらぬ。
忍びの動体視力でも、ようやく認識できるかどうか……ましてや並の侍では、到底気付けるはずがない。
無知な者は、鎌鼬が現れたと騒ぎ立てるかもしれない……それ程に、彼の身体能力は抜きん出ている。
……だが、存在感が有りあまり過ぎる。
若が懸念するのは、そういうところだろう。
ざっ!
「若……」
蘇芳丸はそう呟き、足を止めた。
一拍遅れて彼の生んだ風が追いつき、身体に絡まる。
砂を吹き纏いながら、彼が目の前に見上げるは天守閣だ。
ぐっと全身に力を込め、両足で大地を踏み、空へと高く跳ね上がる‼︎
だんっ‼︎
ひゅーーん……がしゃ、がしゃん!
「あっ、やべっ」
二枚。
はっきりと、綺麗に瓦が壊れる音がする。
がしゃん! がしゃん! がしゃん!
「う、嘘だろ⁉︎ ここ、脆すぎねぇか‼︎ この城……おんぼろか⁉︎」
三枚、四枚、五枚……次々と階を上がるごとに、見事に瓦を割っていく。
そして、少し城に対して失礼な事をほざく。
城内を抜けるよりも、外壁側を行くのが圧倒的に早いのは確かだが……これは些か、酷い有様だ。
「ま、まずいな……若と胡桃にまた小言をいっぱい言われちまう。どうする? ……そろりと歩くか?」
そう独り言を溢し、一歩足を出した、瞬間!
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ‼︎」
頭上から悲鳴が降ってくる‼︎
「げっ! あっ……」
がしゃん!
驚いた拍子にまた、一枚割った。残念。
「ちっ! 若ぁっ‼︎‼︎」
がしゃん、がしゃん、がしゃん!
もう、なりふり構わず天へと飛び上がり、着地‼︎
べきょっ!
「……っ‼︎」
最終的に廻縁の部分を破壊し、天守閣最上部へとあっという間に到達した‼︎
……が、青ざめた蘇芳丸の表情からは『やってしまった』という後悔の念が分かりやすいほど顔に書いてあった。
損壊は、瓦九枚と廻縁の板一枚……胡桃は果たして許してくれるのだろうか。
「ひぃぎゃぁぁぁぁっ‼︎‼︎」
再度、中から悲鳴が上がる!
はっと我に帰り、忍べない少年は広間へと飛び込む‼︎
「若っ! ……な、なんだ⁉︎」
蘇芳丸の目に映ったのは……床板の上を苦しみながら、のたうち回る少年……見覚えのある顔、先程の小姓だ。
やはり曲者であったな。
「わ、和姫! また、新手の忍びが‼︎」
「……れ、一蜂殿……あれは……」
広間の端から、一際目を引く美男美女が俺の方を見て声を上げる。
………………
「えぇぇぇ⁉︎ わ、若が姫なのかぁぁぁ⁇⁇」
蘇芳丸の驚嘆が小姓の叫喚の音量をはるかに超えて、広間を揺すったのだった……。