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忍リクルート  作者: 枝久
二、
13/89

鉢ノ助② ー疫病ー

 母ちゃん……。


 俺は今朝のやり取りを思い返した。



◇◇◇◇



「鉢ノ助、今日はどこの畑の手伝いかい?」

「今日は織部(おりべ)の爺さん家の種蒔きに行ってくるよ」


 武士とは違って姓がないので、各家にはそれぞれ屋号(やごう)がついている。

ちなみに俺の家の屋号は煤竹(すすたけ)だ。


「そう、昼餉(ひるげ)には一度戻っておいで」


 こんこんっと軽い咳払いをし、母ちゃんは牡丹と菊の方を見遣る。


 妹の牡丹は五つ、菊はまだ三つだ。

幼い二人は昨夜から熱を出して布団で寝ている。

咳病(がいびょう)かな? 幼い子供はよく熱を出すもんだ。

その割に、俺は頑丈な子だったらしい……なんとかは咳病を引かないとか、なんとか。


「もしお前に感染(うつ)ったら大変だから、二人にはなるべく近づくんじゃないよ? 容態が酷いようなら、お前だけでも夜は青鈍(あおにび)木賊(とくさ)の家にでも頼ろう」

「うん、わかった」


 青鈍は鋼太郎の家で、木賊は幹兵衛の家だ。

母ちゃん同士がくのいち仲間でもあり、昔からずっと仲が良いんだと聞いている。


 牡丹も菊も可愛い俺の妹達だ。

小さい体で苦しんでいるのに……俺は何もしてやれん。

……まぁ、いつも通りなら、明日くらいには熱も引くだろう。

帰りがけに二人の好きな花でも摘んでこよう。



◇◇◇◇



 里の緊急事態。


 月はまもなく南中する、亥ノ刻。

いつもは寝静まっている時間に、(こう)々と松明が灯され、動ける者は皆、忍び装束を纏っている。


 俺の家の前にも数名が緊迫した面持ちで、何やらやり取りを交わす。


「いったい何が……」

刈安(かりやす)の婆様が今日、未ノ刻に亡くなったのだ。ここ数日、咳病を(こじ)らせていたらしいが……どうも他の家でも伏せっている者が多数出てきてな……」

「牡丹、菊……母ちゃん⁉︎」


 ただの咳病じゃ……ない?


「木賊に調べてもらっている。……もしかしたら、もがさか赤もがさ……かもしれん。……だとしたら、悔しいが……手立てがない」

「‼︎」


 どちらも過去に爆発的に流行した病の名だ。

元号が変わる程、甚大な被害が出たこともあるとか……。

あっという間に広がってしまう、死に至る病……。


 足元がぐらつくような感覚に陥り、俺は座り込んでしまった。

……えっと……あぁ……頭が追いつかない。


「鉢ノ助!」


 心配して、近寄ろうとする蘇芳丸を手で制し、何とか声を絞り出す。


「俺に……近寄っちゃ駄目だ……」


 穴の中で急に眠気が来たり、喉の痛みが出たり……あれは前触れだったのだ。


「ごめん。俺もたぶん……もらっている」 

「鉢……」


 それ以上、誰も口を開かなかった……。



◇◇◇◇



 里の皆は止めたが、すでに己が罹患していると悟った俺は、家で三人の看病をすることを選んだ。


 長い長い夜が明け、雄鶏(おんどり)が高らかな鳴き声を上げる。

日が昇り周囲が明るくなると、少しだけ気持ちが上を向く。


 負けるな……!

父ちゃんが里にいない今、俺がやるしかないんだ‼︎


 土間の大水瓶から、水を手桶に移し、三人の寝てる側に静かに置く。


 桶の水面を眺めていると、ふと若達の顔が頭に浮かぶ。

皆に俺から感染(うつ)していないといいんだが……。

自分のせいで誰かが苦しむのは嫌だ……。


 ぐっと拳を握りしめる。

爪は掌の肉に食い込み、じわりと血が滲んだ。

……力を込めていないと、全身の震えが出てきて、止めきれない。


 あぁ……見えない恐ろしい魑魅魍魎(ちみもうりょう)に、俺ん家は狙われてしまったのだ。


……何で、何で、何で⁉︎ 何で、俺ん家がっ‼︎


 この疫病がどこから来て、どうやって広まるかもわからないし、打つ手が何も無い。

命を守るために必要なのは……体力と……運だ。


 手拭いを洗い替え、牡丹と菊の額にそっと乗せる。

二人の小さい身体がさらに小さくなった気がする……呼吸が浅いな……熱も全然下がらない。


「頑張れ……頑張れ……頑張れ……頑張れ……頑張れ……」


 祈りを込めて、声をかける。神様、仏様‼︎


「はぁ、鉢ノ助……すまないねぇ……」

「母ちゃん⁉︎ いいから! 寝てていいから!」


 ごめんな、起こしちまったか?

身体を起こそうとした母ちゃんをそっと寝かせ、布団を掛けた。


 こんこんっ!


 扉を叩く音がする。

少し間を空けてから戸を開けると、皿に薬草粥が乗っていた。

ありがたい……涙が出てくる。


「菊、お願いだ……一口でいいから……」


 熱と咳でまともに食べ物も取れず、徐々に衰弱してきている妹達。

咳の反動で嘔吐しても、空っぽの腹からはわずかな液体しか出てこない。


「にいちゃ……?」

「‼︎ そうだ、兄ちゃんだ! 大丈夫だ! 食べたらすぐ元気になるから‼︎」

「ありがと……」


 小さな口に粥を運ぶ。


 わずかだが食べてくれた! よしっ!

頭を撫でる。偉いぞ菊! お前はいい子だ‼︎


「牡丹……お前も食べられるか?」

「あ……ありがと。にいちゃんは……ごはんたべた?」

「‼︎」


 こんな時でも俺の心配して……全く……。

ぼろぼろと涙が溢れてしまった。

情け無いな、俺は。


「あぁ、兄ちゃんも食ってっから大丈夫だ!」


 高熱の赤い顔でにこっと笑う牡丹、小さな身体が壊れてしまわないように、そうっと抱きしめた。


 母ちゃんは……寝たな……目を覚ましたら、粥食わせてやらなきゃ。


 ふーっと溜息を吐いた。


 大丈夫。俺は頑丈だ。

二、三日寝なくても平気だ。

大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫……。


 そうして三日三晩、寝ずに三人の看病を続けた。




 三日目の夜ーー

菊と牡丹は静かに呼吸を止め、母ちゃんもすぐに後を追うように息を引き取った……。


「鉢……ごめんね……」


 それが母ちゃんの最期の言葉だ。


 ……あぁ……この世に神も仏もいないのだ。



◇◇◇◇



 季節は弥生(やよい)から夏を無視して、強引に長月(ながつき)になろうとしていた。


 次縹(つぎはなだ)家の嫁さんが葉月(はづき)に亡くなったのを最後に、里の赤もがさはようやく収束した。


 やっと……やっと、里の合同の弔儀が済んだ……浅緋の忍び、二百十四の(むくろ)を丁重に(ほうむ)った。


 この半年で村の半数以上が死に絶えた。


 石碑裏には一人一人の名前がしっかりと彫られている。

里の仲間の……家族の……大切な名前。

ここにちゃんと生きていたという証明。


 なのに、俺は……文字が読めない。


 大好きな母ちゃん、大切な牡丹、可愛い菊……お前達の名前がわからないのだ……。


 あぁ、なんという恥晒(はじさら)しだろう。



◇◇◇◇



 ばんっ!


「鉢ノ助‼︎」


 俺の名を呼ぶ者が、勢い良く扉を開けた!


 あの日……三人の命の気配が消えた俺の家に、危険を承知で乗り込んできたのは幹兵衛の親父さんだった。


 母ちゃん、牡丹、菊の三人の亡骸(なきがら)の隣でただ茫然と座っていた俺を、担ぎ連れ出してくれた。


 幹兵衛の家は、里の中で薬や治療を担っている家だ。

放っておいてほしい俺を、この里の仲間はどうしても放っておいてくれはしなかった。

……里の皆も、家族だから。


 父ちゃんは任務でまだ暫くは帰って来れない、と教えてもらった。

そして、俺が落ち着くまで、幹兵衛の家に居候(いそうろう)することになった。


「鉢……食え」

「……」


 幹兵衛は、生きる(しかばね)の口をぐいっとこじ開け、粥を流し込み、嚥下させる。

(わん)の中身を空にすると、無表情のまま俺を抱きかかえ、彼は俺の背中を(さす)った。


 ………………


 これは褒めているつもりなのだろうか、慰めているつもりなのだろうか……なんとも不器用な友だ。


(うぐいす)の姉、薄藤(うすふじ)家、織部の爺……」


 ……そうか全員逝()ったのか……あの日、種蒔きした畑……共に収穫はできんのか……残念だ。


 日に日に見知った人間が……老人、子供、身体の弱い者は殊更(ことさら)呆気(あっけ)なく……命が散って逝く。


 俺は……屍のように……それでも、ここに……生きているのだな……。


「ありがとな……幹兵衛」

「うん」


 父ちゃんが任務から帰還したのは、合同弔儀を終えて十日過ぎた頃だった……。

咳病 : 風邪

亥ノ刻:午後10〜12時頃

未ノ刻:午後2〜4時頃

もがさ:天然痘

赤もがさ:麻疹

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