学園に通おう
アイルが転入することとなった日。オーランドが用意したドレスに身を包んでアイルは学園の応接室にいた。ソファに座っているアイルの後ろにはランサムとオーランドが控えている。
「え~、アイルさん。君は本日からわが学園の生徒になります。この学園は長い歴史を持ちます。先達が築き上げてきた信頼に恥じないよう行動するようにしなさい。この学園にふさわしい振る舞いができる者を、我々は歓迎します」
ひげを蓄えた偉そうな中年男性が定型文のようなものを口にする。それを聞くアイルはどこを見つめているのか、その美しい装いのまま、背筋を伸ばして微動だにしない。
ひげの中年男性も、その後ろに控える男性も、アイルのその様子に顔を見合わせる。
編入試験満点合格。見目も美しい。装いも完璧。ところが様子がおかしい。期待の転入生だと聞いていたはずなのに、まるでからくり人形を目の前にしているかのような錯覚を二人の男性は覚えた。
一方のアイルはなぜそんな様子なのか。答えは簡単。仕事ではないので、表情を作る必要を感じていないから。
小康状態の両者の間の空気を読まずに、ランサムがうしろから声をかける。
「アイル。挨拶をしてごらん」
見守る二人の男性の不安をよそに、アイルは立ち上がり完璧なカーテシーを披露する。その場にいるものは皆その動作に目が吸い寄せられる。それほどまでに完璧な動作だった。
「人慣れしていないんだ。ちょっと挙動不審なこともあるかもしれないけど」
ランサムがそう説明した。変人で知られる王弟の紹介とあって、教師陣に納得して受け入れられた。
アイルは担任だという女性に教室に案内され、指示された場所の席に着く。アイルのその類稀なる美しさと、どこかおかし気な挙動に皆目が離せない。教師からの問いに受け答えはするもののどこか機械的だ。授業中も筆を執ることはない。しかし回答は的確。そして微動だにせず教師の話を聞き続ける。
アイルは入学前ランサムにこう言われた。
「これからアイルは子爵令嬢として生活することになる。森での暮らしとはちょっと違うかもね。友達は……無理に作らなくてもいいよ。もし友達ができたら教えてね。でも、アイルが自然体でいられればそれでいい」
つまり指令はこうだ。一つ、令嬢になる。二つ、友人は無理に作らなくてもいい。ということは裏を返せば作ってもいい。つまり選択権はアイルにある。そして三つ、自然体で。つまり演技は不要。令嬢という役割をこなしつつ演技はしないというのはなかなかに難易度が高いと感じたが、今までこなしてきた任務を考えたらあくびをしながらできる任務であった。
ランサムが学園の応接からの去り際にこう付け足したのが良かった。『先生の言うことはできるだけよく聞くようにね』。この言葉のおかげで、教師たちの指示がある程度はアイルに通るようになっていたことを、アイル以外の誰も知らなかった。こうして休暇のような任務をこなしつつ、アイルなりに学園生活を満喫していった。
入学してしばらくしてからサブリナに誘われたときも、アイルは内心喜んでいた。
(友達が出来たらもしかしたらランサムが喜んでくれるかもしれない)
ランサムは無理に作れとは言わなかったが、友達ができるといいとも言っていた。つまり努力義務ではあるが、友達を作る方がベターだ。
サブリナの家では沢山の令嬢が話しかけてくれた。色々教えてくれるらしい。里の同年代と比べるとなんて優しい子たちなんだろう。アイルは感動すら覚えた。
そして思わぬ再会を果たす。クッキーをくれた少年だ。名前は確かジルと呼ばれていたはず。彼は目に涙を浮かべて喜んでくれた。
アイルにとって無条件に食べ物をくれる者は主に相当する恩人だ。
「どういった関係ですの!?」
声を荒らげているのはサブリナ。場所は公爵邸のサブリナ用の応接室だ。
「すまない。サブリナ。彼女は命の恩人なのだ」
ジルフォードはサブリナにそう答えていた。暗殺者を皆殺しにしてくれたとは言えない。そのため『暗殺未遂の際に人を呼びに行って助けてくれたのが、客として来ていた彼女だ』と説明した。ジルフォードはアイルの前でずっとひざまずいていたが、ようやく立ち上がった。
そしてふと思い出したように、胸ポケットに手をやると、そこから何かの包みを取り出した。
「このクッキー、僕にとって幸運のお守りなんだ。毎日持ち歩いているんだよ。あの時のお礼……にしては少なすぎるけど。アイル、これ好きだっただろう? あげるよ」
毎日新しいのを焼いてもらっているんだと言いながらジルフォードはアイルにクッキーを手渡す。それをすごい目で見つめているサブリナの横で、受け取ったアイルは思う。
(クッキーの恩がまた一つ増えた)
こうしてジルフォードは、知らぬ間にアイルのに追加で依頼を出せるようになっていた。