再会
「あの、来てくれてありがとう」
何度でも言おう。ごめんなさいとありがとう、それ以外の言葉を発する資格がない気がする。
「うん」
猫実さんは頷いた。でもその後すぐに下を向いてしまう。会話が続かない。もどかしそうにもじもじしてる。よく見ると上履きのままだ。
「どうして、こんなにしてまで追いかけてくれたんですか」
おそるおそる尋ねる。
「あのー、ええっと」
口をパクパクして猫実さんはなんとか言葉をひねり出そうとする。こちらを見たり目をそらしたりする。言いたいことがなかなか浮かばないのだろうか。
すると、猫実さんの目に涙が浮かんで来た。もう何度も泣いて来たはずの目がまた濡れる。
「ね、猫実さん?」
突然目の前で泣かれてうろたえてしまう。どうしていいかわからず周りを見る。知らない人が駅に向かって歩いていく。こちらのことなんか全く気にかけずに。
「あの、大丈夫ですか」
歩み寄る。そのとたんに猫実さんに両腕を掴まれる。驚いて、息がつまる。さらに追い討ちをかけるように胸に顔が押し付けられる。 「ちょ、なななにぬ猫実さんっ!」
息をしたとたん、猫実さんの匂いがした。クラクラするぐらい、思考が全て持っていかれてしまうように感じた。
そんな巧のことを気にかけずに猫実さんは胸の中で、泣いている。ただ必死に泣いている。
はっと、気をとりなおす。真剣に、彼女を支えないといけないと思った。力を入れて立つと、猫実さんは全身で寄りかかってきた。巧も腕で支えようとする。触れ合う面積が増える。
しばらく、そのまま猫実さんは泣いていた。
呼吸をずっと感じていた。言葉ではない思いを、受け止めていた。
今までみたいに聞き取ろうとする努力はいらなかった。ただ、受け入れなくてはいけないと思った。目に見えない何かを。猫実さんが伝えようとしている何かを全身で、受け止めなくてはならない。それが自分に許された唯一のことだと思った。
長い間、そうやって立っていた。流れ行く人や車を見ていた。揺れる猫実さんの、肩を見ていた。解けたポニーテールを見ていた。
暖かさが伝わって来た。その中に、大切なものが、受け止めなくてはいけないものがある気がした。
「くやしい、です」やっと猫実さんが言った。「何も、言えないのがくやしい」
痛いぐらいに腕がぎゅっと掴まれる。猫実さんの指が食い込んでくる。でもその痛みを感じていたいと思った。その痛みが、自分をここに繋ぎ止めてくれるような気がした。
「それでいいです」
黒い髪を見ながら言った。
「むしろ、僕はその方が分かりやすいです。」元気付けるように笑ってみせた。笑顔は見てないだろうけど、笑っていることは胸の動きでわかってくれるかもしれない。
「言葉じゃないから、聞き逃す心配ないし」
ひさびさに自虐ネタだ。
「思う存分に泣いてほしい」
そしたらもっと腕が、強く掴まれる。まだ、本気じゃなかったのかと愕然とする。痛い。
「嫌です。」
猫実さんが一歩下がった。体が離れて腕を掴まれたまま見つめ合う格好になる。
「私は、部長ですから。お助け部の。」
ああそうか、猫実さんはそういう風に考えるのだな。
「巧さんを助けるために来ました。」
こちらを見上げる目が、涙で美しく輝く。
「だからもう、泣きま、せんっ、、、」
猫実さんがそう言って瞬きをした。大きな目でゆっくりと。でもまた一筋頰に涙が流れた。
「そうか、猫実さんは強いね」
コクリと、彼女は頷いた。そしてまた嗚咽とともに抱きついて来た。
「ごふっ」肺が圧迫されて息が漏れる。
腕をつかむ力が緩んだ。そのとたんに力が抜けて、よろめく。それでも構わず猫実さんは泣いている。涙を本当に枯らしてしまうんじゃないかと心配になる。
また、猫実さんの泣き声を聞いているだけの時間が過ぎた。
さっきよりも早く落ち着いて来て、すると突然ボソボソと猫実さんが呟いた。
聞き逃してしまう。こんなに近くなのに。
「あの、何て言いました?」
すまない気持ちになる。毎回聞き返すときはそんな感じだ。
「麻生先生にわかってもらう方法思いつきました。」
突然話題が変わってびっくりしたが、急いで頭をさっき面談室で起こったことに切り替える。
「は、はい」
「巧さんの小説を見せるんですよ」
「えっ」
しばらく、考える。すると脳に閃光が走った。
「そ、そうか!」
「分かりましたか?」猫実さんがすがりついたまま、こちらを見てイタズラっぽく笑う。
「はい、今どっちが持ってるっけ?もしかして夜桜先輩?」
「いや、巧さんが持ってるはずです。」
急いでバッグを探る、、、。いやバッグがない!
「あそこです。」脇の下から腕を通して猫実さんがどこかに指を指す。指の先が見えないので一旦身体を離す。
「あそこですよ」
「あっ」
信号を渡った向かい側に巧のバッグが置かれていた。完全に忘れてた。
青だったので急いで駆けつけて拾いに行く。
バッグの中の原稿用紙。それに書かれた小説。主人公は自分と同じ難聴を抱えている設定。
『君にしか書けないものを書くといいよ』
夜桜先輩のアドバイスを思い出す。
きっとこれが、証拠になる。
難聴だからこそ書いた小説だからだ。
猫実さんがズバァと追い越して来て、先にバッグを拾い上げる。足速すぎない?いや俺が遅いのか?
でも、元気でよかった。自然に頰が緩む。
信号の先の猫実さんも笑っているように見えた。




