表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/19

ж ж ж ж ж ж ж ж ж

 いったい俺は、生きている意味があるのだろうか。

 生きるという責め苦に、俺の足は、体は、耐えきれず、意味もなく

踏ん張っている。

 俺の中にある何かが、常に俺を監視して、生きるという意味を考え

させず、ただむやみに重荷を背負わせる。

 ここには安堵はない。ふと見るとくねりくねった道がどこまでも永

遠と続き、はるか彼方に行く先がかすんでいる。途方もない労苦が行

く先々に垣間見える。同じように荷物を背負った人々が、俺と同じよ

うに下を向きながらよちよちとした足取りで道を辿っていた。

 ここは地獄だ。何のためにこうしているのか、いつからここにいる

のか、俺にはまったくわからない。ただ、攻め寄せる不安感に打ち勝

つために、何となくこうして歩いている。いつかはゴールが見えるの

だろうか。俺は勝てるのだろうか。いつの日か、俺は泣いていた。歩

きながら、苦痛に顔をゆがめながら。足を止めずに、とぼとぼと歩き

ながら泣いていた。泣きながら道端で倒れたときに、ふわりとした安

心感に包まれた。


 三須譲二(みすじょうじ)は、ベッドから飛び起きた。顔中に脂汗を

じっとりとかきながら、ぜいぜいと苦しげな息をした。こんなにも恐

ろしく無意味な夢を見たのは、子どものとき以来だった。ぐしゃぐし

ゃと乱れたシーツが悪夢の強さを表わしていた。起きたばかりなのに、

ずっしりと体が重い。

 カーテンを開けて窓を開けると、どんよりとした雲が広がり、ぱら

ついた雨が降っていた。深呼吸。一つ、二つと深い息をすると、体か

ら何か重いものが出て行ったように感じた。

 もっとだ。もっと深呼吸しよう。俺の中の全てが出て行ってしまう

まで。

 三須の描いた作文通り、供述はほとんどスムーズに行われた。その

行為自体の善悪を誰もが疑わず、誰もがこの儀式を早く終わらせたい

と願っていた。平はこちらが用意した答えを抵抗なく受け入れるし、

容疑もすっかり認めたようだ。もはやこの事件は解決したようなもの

だった。

 しかし。しかし、どうしても腑に落ちない。彼は犯行をすっかり認

め、取り調べにも協力しているにも関わらず、まったくわからないこ

とが数多くある。犯行動機を聞いても、逃走経路を聞いても、ぼんや

りした答えしか返ってこず、まるでのれんに腕押ししているような気

分に陥っていた。

 田中は聴取の最中に、何度も三須に目配せをした。それはたいてい、

動機や逃走経路の尋問をしているときだった。動機はどうした?逃走

経路は?速く書け。という意味らしい。わかっている。こちらも努力

している。というような目線を送り、その場はやり過ごした。

 わかっている。重々、わかっている。しかし、こんな事件の犯行動

機など、おいそれと作文できるものではない。恨みや金目の犯行では

ないのだ。犯人は何か社会的なメッセージを持っている。そのメッセ

ージが三須の頭では想像できない。

 公教育への復讐?透明な自分?自分には自分がない?生まれてこの

方、そんな思想を抱いたことのない凡人に、異例の犯罪のの動機づけ

ができるものか。何度も何度もペンを投げだし、犯行声明のコピーを

破いた。誰なんだこいつは。何故、俺の仕事のじゃまをする。クシャ

クシャとコピーを丸めて、屑かごに放りこんだ。

 作ってしまおう。どうせ平は本当のことを語らないんだ。こちらで

適当な動機を考えてしまおう。不自然な部分は、警察の捜査をかく乱

するために作り上げた、とでも書いてしまえばいいのだ。三須は、グ

チャグチャの頭を整理するために、大きなため息を吐くと、一気に犯

行動機の供述を作り上げた。

 こうして一人の刑事が夜を徹して、供述調書の台本は作り上げられ

た。犯行動機の部分は、うやむやのままであった。が、捜査会議でも

さして問題になることではなかった。所詮は少年が起こした事件だ。

少年事件は、わけが分からない動機で起こされた事件も多い。刑事課

の連中は、ほとんど少年事件を知らなかった。捜査会議も終戦ムード

だった。世間を騒がせた犯人は、警察の勝利のまま捕まった。凶器と

見られる金ノコも発見された。もはや刑事課のできる仕事はないとい

うことだろうか、生あくびを噛み殺している捜査員もチラホラいた。


「さって、今日も調べやで」

 田中は、さも嬉しそうに満面に笑みを浮かべ、三須に振り向いた。

田中刑事の誘導に乗ってか、平は徐々に犯行の全貌を語りはじめてい

た。三須は内心苦々しく思いながら、田中の熟練の“落とし”に多少

の感銘を受けていた。三須の眼前では、ほとんど語らなかった少年が、

田中の前ではよくしゃべる。剛を持って剛を制すとは、このことだろ

う。多くの強情な犯人が、彼の“落とし”にかかるとすぐに自白する。

証明など必要ない。彼の脅しすかしはとても効果的だった。

 三須の心は迷いだらけだった。本当に彼が犯人なのか。語れば語る

ほど、彼には犯行が不可能だったということを示しているように感じ

る。ちょっとした齟齬(そご)を解消しようと、他の解決方法をうなが

すと、また大きな齟齬が生じる。まるで供述書が嘘の上塗りでふくれ

上がっているかのようだ。

 休憩所の自動販売機の前で、二人の刑事はスーツの背中を丸めなが

ら、ぼそぼそと小声で打ち合わせをしていた。犯人の供述をリードし、

最終的にこちらに有利な供述書を作り上げることは、そんなに稀なこ

とではない。むしろ、自分からベラベラと犯行を語る容疑者はいない

と言っていい。そのため、現行犯で犯行事実が明らかであったり、凶

器や指紋などの物証があるときは、犯行動機などを警察側が作ること

が常態化しているのだ。しかしながら、この件はあまり大っぴらにで

きる会話ではない。

 田中は、三須の作り上げた供述書の台本を読みながら、上機嫌で鼻

歌を歌っている。三須は幸せそうな田中を、うらやましげに見つめて

いた。彼の中ではこのくらいの疑問は、小さな出来事なのだろう。彼

のように、目の前の容疑者を問い詰めることだけに熱中できれば、俺

も安眠できるのに。三須の頭には、今朝がたの悪夢が繰り返されてい

た。

 田中の目線が文書のあるところに到達すると、鼻歌をやめ、目線を

ゆっくりと上にあげた。

「ホンマにこれでやるねんな」

 田中は三須の瞳をのぞき込むように、しっかりと目を合わせた。三

須の心に躊躇いがないか、覗うようだった。

「ええ。これしかない思います」

「ええねんな」

 最後の念押しをするように田中は呟いた。田中の顔からは、すっか

り笑みが消えていた。

「ええです」

 気がつくと三須は、田中の視線にしっかり目線を合わせて答えた。


 何度目かの少年との対面に、三須は緊張の面持ちで臨んだ。平はこ

ともなげに、第二取調室の机の向かい側に座っていた。パイプ椅子に

軽く身をもたせ、天井の方を無造作に見つめていた。その目線の先に

は、何があるのだろう。三須は上を確認してみたが、特に何も見当た

らなかった。

 彼の目には何も映っていない。憎悪も、悲しみも、喜びも、悔しさ

も。感情の一切を表わしていなかった。こんなに虚ろな目をした人間

がいるだろうか。彼の14年間の人生の中でも最も密度の高い体験が、

目白押しに訪れた一週間だった。彼でなくても、すべての感情を使い

果たしてもおかしくなかった。成人男性でも苦痛に耐えかねる警察の

取り調べにも、14歳の少年がよく耐えていた。

「どや、警察にも慣れたかいの」

 どっしりとパイプ椅子に腰を下ろすと、田中は扇子をあおぎながら、

少年に問いかけた。

「お前がちゃっちゃっと吐かんと、家に帰ってお母ちゃんの飯食うの

 も遠くなるのう。どや。もう、ええやろ。おっちゃんも疲れたわ」

 平はゆっくりと肯くと、真剣な目で田中を見つめた。

「刑事さん。僕はもう家に帰れないんか」

「そや。しばらくは無理や」

 少年は、リノリウムの床に目を落とすと、小さなため息を吐いた。

「今日は犯行動機を話してもらうで。ええな」

 うつむいたまま、小さく首を縦に振ると、少年は小さく震えた。

「何でお前は、いたいけな少年を殺したんや。まだ、小さい男の子を」

「……」

 盛大なため息を吐くと、矢継ぎ早に田中は尋ねた。

「まぁ、しゃべらんでもええわい。あってたらうなずくんやで。まだ

 小さな子どもやから、非力なお前でも殺せる思たんやな」

 平は力なく肯いた。

「お母ちゃんの証言では、お前には力がない、言うことや。そんなお

 前がHちゃんが子どもといえども、大変やろ。どうして殺したんや。

 目立ちたかったんか」

 少年は、またも小さく首を縦に振った。

「そうか。目立ちたかったんやな。殺すのは大変やったやろ。途中で

 やめよう思わなかったんか。やめよう思ったけど死んでもうたんか」

 首を横に振ると、少年はかたくなな表情で正面を見すえた。

「ほうかい。殺そう思って、そのまま殺したんやな。間違いあれへん

 な?

 ほんなら初めから整理しよかい。お前は5月24日土曜日の1時3

 0分ごろ、家を出たHくんに偶然出会った。お前は普段からHくんと

 顔見知りやった。そやな」

「そうです」

「その後、お前はHくんを誘って山へ行った。山は近くのタンク山や

 な?タンク山のチョコレート坂を二人で登ったわけや。お前はHくん

 を殺すことで頭がいっぱいだったんやな。そやから、二人でした会

 話はあんまり覚えてへんのやな」

 ここまでは、前日までの取り調べで判明した事実だった。もちろん、

彼が言いよどんだときは、“供述台本”通りに巧みに誘導したものだ

った。ここまでは、被疑者が成人の場合でもよくあることだった。

「ほなら、タンク山に着いてから、お前はHくんをどこに連れて行っ

 たんや。タンク山の頂上付近は、土曜日やから、人がいっぱいおっ

 たんやろ」

「偶然、人には出会いませんでした」

「ホンマか?警察の捜査では、人がようさんタンク山に登ってた。遊

 歩道やら林道やらな、ようさん人がおったんや。誰とも出会わなか

 ったんやな」

「はい」

「ほなら、ええわい。人に出会わなかったお前は、どこで殺そう思た

 んや」

「人が来ないとこ、あそこや、どこやったかな。忘れました」

「アンテナ基地か。遺体発見場所やな。あそこなら誰にも発見されな

 い思たんか」

「思いました」

「あそこは、警察も調べたんやがな、錠がかかっとる。ちょうどこれ

 くらいの大きさの南京錠や。径が5mm位の太いやつや。管理人も

 錠がかかっとるのを確認しているんや。どうやって入ったんや?よ

 じ登ったんか?」

 平は押し黙った。瞳を左右に動かして、何かを探しているようだ。

 田中は、じっとりと平の様子を観察すると、口を開いた。

「思い出してみろ。お前の右手には何が握られてたんや?金ノコやろ。

 金ノコは何のために持ってたんや。南京錠を切るためやろ?そやな」

 平は首を傾げて、怪訝な表情をしている。田中はしびれを切らした

ように叫んだ。

「ほなら。どうやって入ったんや!」

 びくりと、体を強ばらせると、平は固まった。

「よじ登ったんやない。鍵をこじ開けたんやない。ほなら、フェンス

 の隙間から入りこんだんかい?なめたこというとったら……」

 田中は拳を握りしめ、ふるふると震わせた。あからさまな威嚇だが、

少年には効果的だった。怯えの色を隠さずに、

「南京錠を切るために、金ノコを使いました」

すぐさまに答えた。

「そうやな。ええ加減にせんと、おっちゃんもしんどいわ。

 南京錠を切ったお前は、Hくんをアンテナ基地に入れた。ほれからH

 くんに乱暴しようと手を伸ばした。間違いないな」

 平は瞳を震わせながら、こくりと肯いた。

「相当な悪たれや。お前には人間の感情がないんか?ないんやな。何

 しろ人間が野菜に見えるいうんや。いかれとるんや。

 アンテナ基地にHくんを連れ込んで、どうやって殺そう思たんや。手

 で首を絞めようとしたんか?」

 またも平は肯いた。

「そんな簡単に死ななかったやろ。お前の体では、体の大きなHくんの

 首を絞めるのは、難しかったやろな。ナイフを使おう思わなかった

 んか。いつも自慢げにもっとったんやろ」

「そのときは、持ってへんでした」

「持ってへんかったのやな。ナイフもあれへん、力で抑えつけること

 もでけへん、ほんならどうやって殺そう思たんや」

「覚えていません」

 ダンと握りこぶしを叩きつけると、田中は額に青筋を立てて、怒り

を露わにした。

「覚えてへんやあるか!お前の靴やろ!靴ひもを使って、Hくんを絞め

 殺したんや!ええ加減にせんとこのガキャホンマ……」

 田中が掴みかからんばかりに、平に詰め寄ったので、同席していた

三須はあわてて両肩をおさえた。

「お前は靴ひもを使って殺した!その証拠がHくんの首に残っとるん

 や!放せ、おい!三須!放せ!」

 拘束された両肩を解放された田中は、獰猛(どうもう)な野獣のよう

にギラギラとした目を平に向けた。ハアハアと肩で息をしながら、ネ

クタイを緩めた。ガサガサと書類の束から写真をとり出した。

「これが証拠や。ほれ。ここ写っとるやろ」

 田中は息を切らせながら、写真の該当部分を指している。写真には

被害児童の首の切断部分のアップが写っていて、わずかながら策状痕

が見られる。策状痕は、ひもなど細いもので首を絞められたときに、

死体の首元にできるあとである。

 平は、一瞬、写真に目をくぎ付けたが、すぐに目をそらした。死体

写真に慣れている警察官も、目をそむけるような悲惨な写真だった。

少年が目をそむけるのも無理はなかった。

「何を目をそらしとるんや。お前がやったんやろ。自分のしたことに

 目を向けろ」

 田中の一声が沈鬱な空気の室内に響いた。

「お前が靴ひもを使って、Hくんを殺したんや。そして死体を切断した。

 それが疑いようのない現実や。そやな?」

「……は……い」

 いつの間にか、平は涙を流していた。

「田中さん、限界です。いったん休憩しましょう」


 三須は給湯室にお茶を汲みに行ったが、三日連続で手をつけていな

いお茶が少年の目の前で冷えていったことを思い出した。なんやジュ

ースがええのかな、そう思い直すと、休憩室にある自販機にジュース

を買いに行った。ジュースを買うときに、田中の尋問の手際を少しず

つ思い返していた。

 正直なところ、田中の演技には舌を巻いた。田中の体を押さえにい

ったときに彼は気づいてしまった。あそこまで怒りを露わにして、怒

鳴り散らしていたのに、田中の体にはまったく力が入っていなかった。

体には熱がこもっていなかった。ただただ犯人を威嚇して、供述を得

るために迫真の演技をしていたのだ。

 頑なな犯人ほど、威嚇の効力を発揮するだろう。田中は古いタイプ

の刑事だが、こと取り調べに関しては、プロの仕事をする男だ。三須

は確信した。ぼんやりと少年のジュースをとりながら、彼は迫りくる

迷いを打ち払っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ