interlude 3
―― 凶器判明か?神戸殺傷事件の解明へ一歩
7月6日午前、兵庫県警は兵庫県神戸市須磨区入角ノ池の池底から
金ノコを発見した。凶器と見られる金ノコは、捜査員50名の池底の
捜索によって発見された。被疑者である男子生徒の自供から、凶器の
遺棄場所を特定した。男子生徒の逮捕から凶器の断定が進まなかった
県警は、事件の解明へ一歩近づいた。警察関係者によると、男子生徒
の供述は二転三転し、なかなか凶器の特定につながらなかったという。
今後、県警は、凶器の鑑定をすすめ、指紋や血液反応などの鑑定を急
ぐとのことだ。 (兵庫新聞 97/7/7から抜粋)
―― 魔物は、危機感あおり、俺を操る
1.いつの世も……、同じことの繰り返しである。
止めようのないものはとめられぬし、
殺せようのないものは殺せない。
時にはそれが、自分の中に住んでいることもある……
「魔物」である。
仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限暗くそして深い腐臭
漂う心の独房の中……
死霊のごとく立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいった
い、“何”が見えているのであろうか。
俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるをえないのである。
2.魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあ
おり、あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊
りをさせているかのように俺を操る。
それには、かつて自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の
狂気」を感じさせるのである。
とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。
こうして俺は追いつめられていく。「自分の中」に……
しかし、敗北するわけではない。
行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が根本である。
3.大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的と
思いがちであるが、事実はそれにまったくそれに反している。
通常、現実の魔物は、本当に普通な“彼”の兄弟や両親たち以
上に普通に見えるし、実際、そのように振る舞う。
彼は、徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの
如く人に思わせてしまう……
ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみや、プラスチックで出来た
桃の方が、バラのつぼみや桃はこういう風でなければならない
と、俺たちが思い込んでしまうように。
4.今まで生きてきた中で、“敵”とはほぼ当たり前の存在のよう
に思える。良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させ
られそうになった敵。しかし最近、このような敵はどれもとる
に足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。
「人生において、最大の敵とは、自分自身なのである。」
5.魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になるこ
とがないよう、気をつけねばならない。
深淵をのぞむとき、
その深淵もこちらを見つめているのである。
「人の世の旅路の半ば、ふと気付くと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、
暗い森に迷い込んでいた。」
神戸市須磨区の連続殺傷事件で、殺人などの疑いで神戸家裁に送致
された男子生徒(十五)が女児通り魔殺傷事件の直後の四月初めごろ、
「懲役十三年」と題される作文を、友人にパソコンで清書させていた
ことが、二十六日、兵庫県警や神戸地検の調べでわかった。
(朝々新聞 97/9/26より抜粋)
この二つの新聞記事の抜粋から、疑問点を二つ挙げよう。
まずは凶器の指紋や血液鑑定の捜査の詳報が、その後一切なかった
ことだ。指紋は池の底に沈んでいたことから、残っていなかったと考
えられるが、血液反応検査というのは実に優秀で、血液が四十万倍に
薄められた場合にも、その反応が得られるという。ということは、少
年の部屋や、首を洗ったという風呂場、事件当時の少年の衣服からも
血液反応が出ないとおかしいということである。
またこれは、被害児童の方からも、少年の血液、指紋、DNAなどの
痕跡が出ないとおかしいということだ。少年は、長い間(少なくとも
一時間ほどは)被害児童と格闘していたと供述から推測できる。格闘
はケンカの様相を呈していたはずで、少年の体には、被害者の抵抗の
あとがくっきりとついていないとおかしい。引っかき傷や殴打の類の
あざができているはずである。であるならば、被害児童の爪には、少
年の血液その他が検出されるはずである。警察や地検はその点をどう
して発表しないのだろう。
もう一つの疑問点は、少年が書いたとされる作文「懲役十三年」で
ある。
この作文の文体は、中学生が書いたにしては古典的すぎる。さまざ
まな文章から引用されているパズルめいた文章だが、作者の思想は一
貫していて、もちろん教科書に載っている文章ではない。ラストの一
文の引用は、ダンテの「神曲」の第一歌の冒頭からである。ここで重
要になってくるのは、この訳は寿岳文章氏の手によるもので、現在の
市場には出回っていないものである。少年はどこでこの訳を得たのか。
また自らの名前にも入れ、かなりこだわりを持っているはず(間違え
た記者を批判する声明を新聞社に送ったほど)の“薔薇”という字を、
カタカナで書いている点だ。彼が酒鬼薔薇ならば、友人に“薔薇”と
書かせるはずだ。犯人の名前や漢字に対するこだわりは相当なもので
ある。ところどころ誤用があるが、犯行声明文から見ると、まずこの
点は間違いないだろう。
少年は、国語が非常に苦手だったようだ。漢字のテストも得点が上
がらず、少年が書いた作文は見事にひらがなだらけだ。職業作家の文
章のクセや思考方法は、デビュー当時から生涯変わらないという。文
章を書く人間には、すぐにわかるだろう。これらの作文が同一人物の
手によるものではない、と。(97/10/1 「週刊異性」より引用)




