第02話 穢れた四肢
あれから十五分間。入り組んだ路地裏を進んでいるうちに白い少女を見失ってしまい、気づいたらこちらが迷子になっていた。ミイラ取りがミイラになってどうすんだよクソッタレがァあッ!! と頭を掻き毟る照光にはどうやら方向感覚や尾行といった才能もないようだ。
散々自己嫌悪に耽った後に大きくため息をついた照光は、
——……なんであの娘は俺を助けたんだろう?
ふと、あの白い少女のことを思い出す。
——こんな全無能なんかを助けてもいいことなんざ一つもないのに。
——たぶん、そんな奴でも助けようとする優しい娘なんだろうな。
——……冷たい手、だったな。
ぺたり、と革手袋をはめた手で頬に触れる。生まれて初めてこの頬を誰かに触られ、しかもそれがあの天使と見紛う少女の手だと思うと図らずも顔が紅潮してしまう。
「……もうちょっと探すか」
ニシシ、と純情すぎる自分の反応を嘲りながらさらに路地裏の奥に歩を進める。
——肌とか髪とか真っ白で、すっげえきれいな娘だったなあ。
——にしても、なんであんな冷たい表情をしてたのかな?
——笑えばもっときれいに見えるだろうってのに。
もったいないったらありゃしねえよ、と生まれ持った美貌を持ち腐れていることに対して無能なりにやるせなさを感じていたら、
『そこの白髪のか〜のじょ。もし良かったら俺たちとお茶していかな〜い?』
『ワーオ、君すっげぇ可愛いじゃん。笑ったらもっと可愛いんじゃね?』
『君みたいに可愛い娘だったらなんでもおごっちゃうからさ〜』
『ついでに気持ちいいこともしちゃお〜ぜ〜?』
どこからか声が聞こえる。
へばりつくようにねちっこく自分に向けられたわけでもないのに悪寒がしてくるそれから、すぐに誰かが不良に絡まれたということが分かった。
普段の照光だったらその全無能故の臆病さから聞こえなかったふりをしてそそくさと逃げ出していただろうが、今回は少し状況が違った。
不良の発したワードからすべてを理解した照光は飛ぶような勢いで声の許へと駆け走る。
幸い声量からしてそこまで距離があるわけでもなく、すぐに次の角を曲がればその現場に遭遇するといったところまで来た。
そ〜っ、と曲がり角から目を覗かせる形で顔を出すと、案の定白い少女が五人の不良に囲まれているという穏やかでない場面に出くわした。
白羊を前にした狼のような嫌らしい笑みを浮かべる不良たちは各々が煙草をくわえていたりスキンヘッドだったり鉄パイプを持っていたり(!?)で、とてもじゃないが女の子とお茶をしてほんわかするような柄には見えない。白い少女も彼らの発する悪意を察してか背中越しにも分かるぐらい戸惑っている様子だった。
顔を引っ込め壁に背をつけた照光の呼吸が不健康なまでに荒くなる。
——無理むりムリ、絶対ムリ!
——あんなところに飛び込んだら楽しく愉快なリンチパーティが開催されるだけだって!
照光は白い少女を助けに行くことを躊躇する。不良は五人もいて照光はたった一人。小が多に突っ込んだらどうなるかなど、数学以前に数字の数え方の問題だ。照光は全無能で頭も悪いがそこまで馬鹿になったつもりはない。
——俺は無運枠なんだ。それが誰かを助けるなんてできるはずが……。
そもそも彼らはドロップアウトしたとはいえなんらかの才能を持ってここに来た、輝く未来を持つ天才だ。それを全無能が倒して少女を護るビジョンなど浮かぶわけがない。
だからここから逃げ出したとしても仕方ないのだ。全無能な人間に過大な期待をする方が酷というものなのだから。
それでも照光は勇気を振り絞って飛び出そうとするが、
『面倒臭ぇな。いいからさっさと来いっつってんだろ!』
『キャア!』
ビクッ! とその肩が跳ねる。おそらく不良の魔手が白い少女に伸びたのだろうが、すくむ身体ではもはや確認することも叶わない。
手を持ち上げるとそれは震えていた。穢れているだけに飽き足らず照光の心情を映し出すそれに、照光は逆恨みに近い感情を抱く。
——クソッタレ、……なんで俺の手脚は普通じゃないんだよ。
——これさえなければ勇気を出して飛び出すことができるのに。
——クソッタレ、クソッタレ、クソッタレッ!!
ガンガンガン! と壊れたテレビにするように何度も脚を殴るが、それは痛がるどころかなんの反応も示してくれず、照光は泣きそうになりながら懇願する。
頼む。動いてくれ。今行かないとあの白い少女にお礼が言えなくなるのだ。ほんの一瞬でいい。あの白い少女の許に行くだけでいいから。
だから動け。動くんだ。
動け!
『大丈夫そうで、何よりです』
なぜここで白い少女の冷たい表情が脳裏をよぎったのか、照光には分からない。
だが、その瞬間には既に自身を縛る鎖が引き千切られたのを、照光は感じていた。
「————ォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
内側から湧き上がる炎に突き動かされる形で咆吼を上げ、その身体を不良たちに向かって疾走させる。
突然の咆吼に不良も白い少女も弾かれるようにして照光を見る。対して照光は十五メートル以上あった両者の隔たりを脚から巻き起こした爆炎を推力にして瞬時に埋めた。
「その娘を放しやがれってんだクソッタレがァアアアアアアアアアアッ!!」
いきなり目と鼻の先まで迫った照光に不良たちが驚く間もなく、照光は弾丸と見紛う勢いをそのままに両足を揃えたミサイルキックを、白い少女の腕を掴む不良の顔にぶちかます。するとうめいたのか肉が潰れたのか分からない音とともにその不良の身体が十メートル以上をノーバウンドで吹き飛んでいった。
その音でようやく状況を理解した不良の一人が、叫声を上げながら照光の脳天に鉄パイプを振り下ろそうとする。
照光がその声に驚いて反射的に腕を上げると、偶然それが頭部を守る形になり、
耳を裂く鋭い音が路地裏に響き渡った。
「があァあッ!?」
悲鳴を上げたのは殴られた照光ではなく殴りかかった不良で、彼は手首を押さえながら地面をのたうち回った。
その傍らにくの字に折れ曲がった鉄パイプを転がして。
「き、金属音、だと……?」
誰かが信じられないようにそうつぶやく。そう、前腕と鉄パイプという組み合わせなのに骨折音ではなく、鉄パイプだけが一方的に曲がる金属音だったのだ。
これを見て彼らは照光は身体を硬質化できる能力者ではないかと思ったかもしれないが、あいにく照光はただの全無能であり、そんな大層な才能は持ち合わせていない。
ならば考えられることはただ一つ。
クソッタレ、と震える口で吐き捨てた照光は、まくった袖と爆炎で煤けた裾から手首足首を覗かせる。
それを見た不良たちが戦々恐々の面持ちを示す通り、それは彼らが危惧していた最悪のモノだった。
黒い金属の四肢。
機械工学的な武骨さと生物学的な流麗さを兼ね備えたそれは、まるで本体とは別の自我を持っていると言わんばかりにギラリと光り、不良どもをにらみつけていた。
魔龍の腕。天龍の脚。
それが照光の無機義体の名前だ。
「拳の錆になりたい奴だけ前に出ろ! 好きなだけ叩き潰してやるッ!」
怒号とともに一歩踏み込む。それだけの行為に不良どもは刀を突きつけられたかのようにダラダラとイヤな汗を流し、縫い止められたかのように固まる。
それを見てニシシ、と引き裂くように嗤った照光は黒鋼の拳を握り締め、
「ほなさいならーー!」
あっさりと背を向け、そして白い少女をお姫様抱っこして大ジャンプした。あっ!? と不良たちの間抜けな声を置き去りにして二人はぐんぐん昇り、間もなくビル屋上に着地する。
いくら人外の四肢を持とうと本体が全無能である照光が天才に勝つ見込みは薄い。だからこれは戦略的撤退なのだ、と自身の弱さを正当化する照光は悔しそうに歯噛みしながら、屋上から屋上へと飛んでいった。
照光は気づいていない。
自身の臆病さと狭量さを卑下する彼に、腕の中の白い少女が太陽を見るような憧憬の眼差しを向けていたことを。