第03話 嫉妬する二人
その後照光はレストランのチェーン店に逃げ込み、白い少女と一緒に昼食を摂ることにした。夏休みの昼というだけあって、店内はとても混雑しているがまあいいだろう。
照光はBハンバーグセットに唐揚げセット、ラーメンセット、日替わり和膳セット、最後に餃子とフライドポテトを三皿を、白い少女には(何か頼めと勧めてもかぶりを振るだけだからとりあえず)ホットミルクを注文した。
……先ほどから、いや入店する前からなのだが、ものすごい数の視線が集まっているのを感じる。同伴者が絶世の美しさを持っていてしかも白以外の構成色がない神々しい少女なのだから納得できたし、むしろ当然だと思えた。
向かいのテーブル席に座った白い少女が先ほどから一言もしゃべらずに、じーっ、と照光に視線を投げかけていた。不良に絡まれた際の怯えはないようだが、逆になさすぎてタガが外れているのではないかと不安になる。
——もしかして俺の無機義体がバレちゃったんじゃ……。
なんとなく顔を逸らして水をすする。血肉ではなく黒鋼でできている四肢に強い劣等感を抱く照光は、それを指摘されるのが怖くて向き合うことができなかったのだ。
——それにしても、本当にきれいだなあ。
横目で見た今でもそう思う。
天女、白鳥、白雪、羽毛、絹糸、白雲、白藤、銀シャリ、豆腐、牛乳、ヨーグルト、バニラアイス、……空腹で途中から食べ物ばかりになったが、考え得る限りの白でも表現できない真っ白なその姿は可憐にして幻想そのもので、これに女の子らしい笑顔が加わろうものなら地球上から戦争がなくなるのではないかとすら思えた。
そんな特徴だらけの白い少女の中でも一際目を引いたのが、その瞳だった。
平易な言葉で表すなら、目が死んでいる。
瞳自体は若干色素が薄いかな? と思うものなのだが、よく見るとその底には生物の持つべき熱を一切含んでいない。あるものと言えば黒く濁った何かだけで、生きているものの目だとはおだてにも言えなかった。
「あの、助けてくれて、ありがとうございました」
初めて少女がしゃべった。その声は初対面の時と同様鈴のように優しく包み込んでくれるもので、それを向けられた照光の背筋に妙な痺れが走る。
「私の名前は、空井白心。ホットミルクも、ありがとうございます」
だが、まるで無味無臭無色無機質無感情な————さながら決められた対応しか取らない人工無脳のような声でもあり、一言ずつ区切るしゃべり方も相まって人形のような印象を抱かせた。
しかし照光はその感想をおくびにも出さずに作った笑顔を向ける。
「ニシシ、いいんだよいいんだよ。それよりなんで路地裏で迷子になってたの?」
「ごめんなさい、それは言えないの」
「ああ、そう。……きれいな髪だな。染めてるの? なんていうか、すごく目が引かれるよ」
「『こんなのは飾りです。偉い人にはそれが分からんのですよ』」
「? お、おう。……ええっと、俺は虹野照光。ここらで『にじ屋』っつう何でも屋をやっているモンだよ。殺しや犯罪以外ならゴミ拾いから力仕事までなんでも請け負ってるからさ、もし依頼があるなら遠慮なく言ってきな」
ポケットから名刺ケースを取り出し、抜き取った一枚の名刺を白心に渡すと、
「もしあればね」
一瞥もくれずにポケットに仕舞われた。
照光は二人の間にある壁を取り払うため、目を合わさないままニコニコ顔を維持することに努める。人間嫌いの照光にとってそれは苦痛以外の何物でもなかったが、すべてはお礼を言うための下準備だと割り切ることにした。
「あなたも、『ネクスト』なのね。しかも火を操ったり、身体を硬質化したりできる、多重能力者だとは、思わなかったわ」
「い、いや、それはちょっと事情があるっていうかなんていうか……」
ネクストとは高天原における超能力者の呼称で、白心の言うように超自然的な現象を起こせる文字通り次世代の超人を指す。おそらく白心は天龍の脚のブースターや魔龍の腕で鉄パイプをへし折ったところを見てそうだと勘違いしたのだろう。
照光は自分がネクストではないことを言おうとしたが、そうなると必然無機義体の話をしなければならないことに気づき、その口を塞ぐ。
——叫ばれでもされたら面倒だしな。
超科学国家である高天原には義体の技術が確立されており、大きく分けて有機義体と無機義体とがある。外観も感触も成分も肉体となんら変わりない新型の有機義体と違って、金属製の無機義体(それでも他国では再現もできない技術の粋が詰め込まれているが)はギャングやヤクザといったケジメや勇気を『裏世界の住人の勲章』として見せびらかしたい輩が好んで着ける産業廃棄物だ。照光としてはそれが露呈して軽蔑されるのは本意ではない。
だから照光は別の話題に逸らすことにした。
「あのさ、さっき『あなたも』って言ったけど、それってつまり……」
照光の指摘に対して、白心は世間話のネタを思い出したかのような調子で口を開く。
「はい。実は私も、ネクストなの」
「うお、マジか。ででっ、どんな能力なの? 同族のよしみで教えてくれよ」
自分もネクストだという体で話を促すと、
「『聖母の愛』です。異常を平常にする能力で、私の周りはみんな、そう呼ぶわ」
「ふんふん」
照光は水の入ったグラスを手に取り、
「汚れを消したり、ネクスト能力が生み出した、超常現象を消したりできるの」
「へえ、そりゃすげえや。何かを消す能力って聞いたことないもんな」
ネクストの能力は基本的に何かを生み出すか変える能力だ。彼女の能力はおそらく珍しい例だろう。
うんうんと相槌を打って一口水を含むと、
「あと、怪我を治せる」
すぐに噴き出した。ちょうどホットミルクとラーメンセットを持ってきたウェイトレスがそれを目の当たりにしてお盆を落としそうになっていたが、構わず立ち上がって白心に食ってかかる。
「ウソつくんじゃねえぞオイ! んなことできるわけないだろ!」
「『そこに痺れる? 憧れる?』」
「ワケ分からんこと言って誤魔化すな! いいかよく聞け。俺でも知ってることだ。ネクスト能力に治癒の類は————ッ!?」
そこまで言いかけて言葉に詰まる。
既にその能力をこの身で経験していたことを思い出したからだ。
「信じられないのなら、もう一度見せてあげる」
おもむろに立ち上がった白心はふわり、と流れるように優しい手つきで照光のニキビっ面に触れる。再び触れられたその手はやはり柔らかく冷たいものだったが、それにドキドキする間も無くすぐにそれが認識できなくなるほどのことが照光の身に起こった。
「おいおい冗談だって言ってくれよ……!」
「『ありえないなんてことはありえない』、とはよく言ったものね」
突如顔中を走り出したかゆみの正体を照光は本能的に察し、震える手で引き寄せたコップの中の水を覗き込む。そして今度こそ絶句した。
あんなにあったニキビがなくなり、それどころかシミ一つない瑞々しいまでの肌ツヤを持った照光の顔がそこに映っていたのだ。
ありえない。科学の国であるここではなんの役にも立たない言葉なのだが、目の前に例外を見るとそう思う以外にできなかった。
「正確には私が、異常と認めた事象を、否定する能力。ほら、あなたが噴き出した、水も消えているでしょう?」
たしかに白心まで届いたはずのそれは白心の服や髪を湿らせることなく消え去っていたが……、
「いやいやいやそれは認めるにしても傷を治すだと!? それにネクスト能力を直接他人に適用することはできねえんだぞ!?」
高天原の学校ではネクスト以外にもネクスト能力の開発カリキュラム————といっても各々の特徴や特技を伸ばしたりネクストの歴史などを教えられる程度のものだが————が課されていて、照光も例に漏れずそれを受けていた。
その際に、『ネクスト能力は世界をだます、または書き換える技術』ということを授業で教えられた。
たとえば発火能力、俗に言うパイロキネシスは燃焼物の有無、発火点の超過、酸素の供給などの条件をすっ飛ばし、「お前は燃えているのだ」とだまして炎を生産、対象を燃やしたり溶かしたりできる。
だが、そんな世界をもだませるネクストにもだませないものがあった。
「人間の体は『独立した世界』として扱われていて干渉することができない。たとえば『炎を使って火傷を負わすこと』はできても『相手の体内から発火させること』はできないんだ」
それなのに、目の前の少女はいとも容易く他人の世界に踏み込んだ。
そして驚くべきところはそこだけじゃない。
「古代のネクストは神の使者として崇められていたらしい。たとえば炎を使えるネクストは文明の象徴として、水を扱えるネクストは豊作の象徴として崇拝されていた、って感じだ」
でも、と区切りを強調して照光は続ける。
「そんなネクスト信仰のあった当時に存在しなきゃなんないとある能力は存在しなかった。なんだか分かるよな?」
「…………」
「治癒能力だよ。たとえそれがあったとしても『独立した世界』を持った存在の人間にそれを使うことはできないからな。拳銃の使い方が分からない赤ん坊にとっての弾丸に存在理由がないのと同じで、他人の世界に干渉できないネクストにとっての治癒能力には存在理由がないんだよ」
ここまでムキになる理由が、自分にも分からなかった。
ただ、怖かった。超人に劣る天才に劣るただの一般人————それにすら劣る出来損ないの目の前に、ネクストをも超えかねない存在がいることが、とにかく怖かった。それが人間を象っているのなら、全無能の自分が人間の形をしている理由を見出せなくなりそうで、とても怖かった。
「治癒能力じゃないわ。事象を否定する能力よ」
「そんなことはどうでもいい。できることが問題なんだよ。何度も言うが能力を人間に干渉させることはできな」
「じゃあ、そのルールを、否定できたとしたら?」
がっ……、と言葉を寸断され、ヨロヨロと揺らぐ体を席に落とす。
その一言はネクストの壁を超えた。照光はたしかにそう感じた。
「私はただ、そのルールを否定、超越して、あなたの傷とニキビを、治しただけ。あなたもネクストなら、分かるでしょう? ネクストとは常に、何かを超える、存在であることを」
「じゃあ、なんだってんだよ……お前の純度は、『白金』だなんて言うんじゃねえだろうな……!」
ネクストのランクを定めるものとして『純度』というものがある。それは金属や鉱物名で表現され、たとえば最低純度は『赤鉄鉱』、最高純度は『白金』と呼称されている。
純度ごとの個体数は低ければ多く、高ければ少ない。つまりヒエラルキーのようになっていて、頂点である白金は高天原に十二人と特に個体数が少ない。もしかしたら白心の聖母の愛はそれに相当するのかもしれないのだ。
「……それは言わないでおくわ。あなたには助けてもらったけど、そこまで言う義理は、ないわ」
以後沈黙。
ホットミルクは冷め、ラーメンは伸びたぐらいの時間は経っただろう。注文した残りの料理が届いたことからそれは窺えた。
その間、腹の底にドス黒く錆びついた感情が溜まっていくことに、照光は気づいていた。
「……ニシシ、才能才能。いつの世も才能だ」
「?」
「五才以上用のジグソーパズルを解ける一才児。四則演算ができる幼稚園児。オリンピック候補生に選ばれる中学生。人間を超えた人間。この世界にはたしかに才能というものがある。積み上げた経験を馬鹿にして、犠牲にした時間で遊んで、たゆまぬ努力を踏みにじる悪魔のような言葉だ」
ニシシ、と自身を噛み殺し、押し殺し、嘆き殺すような笑顔を作る。
照光は今までほとんど遊んだことがない。全無能であり人の何倍もの努力が必要な照光にそんな余裕はないからだ。
いつからだろうか。乗り越えられない壁を感じ始めたのは。
いつからだろうか。それでも努力は報われると信じたのは。
いつからだろうか。……無駄と知っても足掻き続けたのは。
「いいよなあ、お前みたいな初めから特別なものを持って生まれた奴は。生きてるだけで人生安泰だ。俺みたいな人間未満を見下して笑って過ごせるんだぜ? 最高じゃねえか」
照光は才能がないなりに勉強や鍛錬を楽しむように努め、常に夢を思い描きながら笑顔を浮かべるようにしてきた。
可哀想な凡人でも笑えるのだ。未来ある天才に笑えないはずがない。
はずがないのに。……はずがないのに!
「お前はなんで笑わない? いや笑わないだけじゃない。ここまで言われて泣きもしない、嫌がりもしない、怒りもしない。何もできないくせにヘラヘラしている俺がバカみたいじゃねえか」
「…………」
「つうかバカなんだよな。もう高二にもなってんのにいくら勉強しても数学は二次方程式止まり、化学は『水兵リーベー云々』のヤツしか覚えられない、十年以上やっている格闘技も実を結ぶ兆しすらない……!!」
内側からグツグツと膨れ上がる感情を抑えられなかった。いや、抑えられたとしてもそうする気はなかっただろう。
あふれそうになる感情を言葉に変換する。
「ごめんな、壊れたお人形さん。人外が人間未満に助けられるだなんて耐えられない屈辱だろうよ」
「そんな。私は人間よ」
「いいや人形だ。そして俺は何もできないことをヘラヘラと笑って誤魔化す哀れな道化師だ。生まれつき才能のあるお前に、努力しても何もできない俺の気持ちなんざ分かるわけがねえ!!」
才能に嫉妬する努力が気持ちを吐き出す。それは道化師の仮面が剥がれ落ちた瞬間だった。
店内が痛いほど静まり返り、視線が白心にではなく自分に集まっているのを感じる。どうやら感情の吐露と同時にテーブルを殴ったらしく、それによるヒビにラーメンのスープが染み込んでいく様子が見て取れた。
その様子はまるで、亀裂の入った照光の心にドロドロとした黒い感情が染み込んでいくようだと思えた。
言ってしまった。今まで隠してきた感情をこうも簡単に会って間もない少女にぶつけてしまうだなんて、どうやら自分はおかしくなっているようだと照光は自覚する。
おかしくなる要因は多すぎて分からなかった。ただ一つ言えることは自身の奥底に秘められた醜さを少女にぶつけてしまったことだ。
——俺、……最悪じゃねえか。
——見ず知らずの女の子に嫉妬して、怒鳴り散らすなんて。
——カッコ悪いったらありゃしねえよ。
——やっぱ俺、生きてる価値なんてないのかもな。
しばらくの沈黙を置いて、白心の方からコクコクとミルクを飲み干す音とグラスを置く音、席から立ち上がる音がした。おそらく去ろうとしているのだろう。
——でもこれで良かったんだ。これ以上関わるのは俺のためにならない。
——それに、この娘のためにもならないんだ。だからこれで良かっ————
「?」
自分を正当化している途中、ふと隣から気配を感じた。振り向くとすぐそこに白心が立っていて、彼女は思い通りにならずにふてくされる子供のような無表情をしていた。
白心が何を思っているのか理解できず、少しの間見つめられていると、
ガゴンッ!! と重い音がした。白心のヘッドバッティングが照光の額に襲いかかった音だ。
「ッッッ~~~~~~~~~~~!?」
まるで岩石が真上から降ってきたかのような衝撃に、照光は涙目になりながら悶えることしかできない。
なんとか見上げるとそこには照光を見下ろす目があった。無表情の中に極寒の冷たさを秘めた、同情と憐憫の目だ。
「お、前、その目で俺を見るな。凡人の心を砕くその目で俺を見るなぁッ!」
「愚かな人。大切なのは努力することじゃなくて、自分は何ができるかを、見つけることよ。なのに、できることが努力することだという、本末転倒な妄執に捕らわれた、愚かな人」
「な、なんだと……!?」
「私はこんな、手垢まみれの体になって、幸せと思ったことなんて、一度もないわ」
「ケッ。お前は自分の言葉が俺みたいなやつを何千人何万人と殺せることを理解してないみたいだな。はっきり言ってやる。そんなモンは甘えだ。周りの妬みに耐えきれなくなった弱い奴の泣き言だ」
「……妬み、ね」
ポツリと。まさに広い海に一滴の水を落とすように白心は小さくつぶやいた。
「私はあなたが、妬ましいのよ。あなたが私の、才能を妬むように、私はあなたの、」
そこまで言ったところで白心が口をつぐんでうつむき、
「……たしかに私は、人形かもしれない。地下室の奥でひっそりと、誰にも知られることなく、朽ちていくのだから」
その時、照光はたしかに見た。
ヒビの入った無表情の仮面から、身を斬るようにつらそうな感情を。
薄い瞳の奥にあった黒い何かが、爆発的に大きくなっていく様子を。
自分よりも暗く激しい情動を目の当たりにして、照光は冷や汗が流れるほど動揺する。
それから白心は口を開くことも振り返ることもなく立ち去り、それを見ていた店内の人たちも別れ話か痴話ゲンカとでも思ったようで、すぐに各々が過ごす時間に戻った。
——妬ましい? 天賦の才を持つあいつが、俺を?
——クソッタレが、そう見えるならお前の目が腐ってるんだよ。
——才能があることに悩む人間なんかいてたまるかっつうの。
俺は悪くない。そう自分に言い聞かせてラーメン、ハンバーグ、唐揚げ、ライスを無心に掻き込んでいくが、それでも胸の奥のモヤモヤが晴れることはなかった。
五分ほど経っただろうか。テーブル上の皿すべてを空にした照光はつまらなそうにゲップをして、さっさと仕事に戻ろうと立ち上がる。
「あの、すみません」
それを押し留めるように、ウエイトレスが声をかけてきた。
「これ、先ほどのお連れ様が落としていきましたよ」
と、レース刺繍が施された白いハンカチを渡された。『お連れ様』という言葉から誰かは容易に想像できたが、むしろその美しい白さから彼女以外を連想できなかった。
思わず受け取ったが白心の行き先など知らないから、悪いけど忘れ物ボックスにでも入れようとしたが、
「…………」
なんとなく手放すことができなかった。
「ではよろしくお願いします」
そう言ってウェイトレスはさっさと持ち場に戻る。先ほどの騒ぎを聞いていたはずなのに平然とそう言いのけられ、世間はこんなものなんだよなあ、と一人拍子抜けするしかなかった。




