5話 本職
レンが研究室を覗くと、机に向かっているウォルトの背中が見えた。
ランプの薄明かりに照らされた室内は、ギッシリと詰め込まれた書物や実験器具で埋まっている。
「ウォルトー、もう1時だよー」
室内に入ると、図面や本を踏まないよう注意を払ってウォルトに近付く。
だが、ウォルトは声をかけられても、隣にレンが立ってもそのことに気付かない。
レンはそれにも慣れたもので、机の上に視線を投げかけた。
うっすら黄色がかった古い紙には魔術式の羅列と魔方陣が描かれている。カプセル、薬液の入ったフラスコ、書物を前にして、ウォルトは思索に耽っていた。
レンは腰を屈めると、そのウォルトの耳を引っつかんだ。
「ウォ・ル・ト!!」
肺いっぱいに吸い込んだ空気をいっきに消費する大声をウォルトの耳に叩きつける。
脳を直接揺さぶられるかのような衝撃に、ウォルトは目を回しながら耳を押さえた。
「レ、レン。今のは、流石に痛いよ……」
「もう1時だよ。7時には出発するんだから、もう寝ないと」
抗議の言葉を口にするウォルトをさらりと無視して、レンは要件を告げる。
「あー、もうそんな時間か。片付けてから寝るよ、ありがとう」
ウォルトが図面をたたみ始めるのを確認すると、レンは回れ右をして寝室に向かう。否、向かおうとした。
「あ、ちょっと待って」
積み重なった本を跨ごうとしたところで呼び止められたため、本を蹴り飛ばし、しかも紙で滑ってしまった。
慌てて体勢を立て直し、こっそりと本を元通りに戻す。と言ったところで、本の山を崩したところもバッチリウォルトには見られてしまっていたが。
クスクスと笑われて、レンはうっすら頬を赤らめた。
「何?」
恥ずかしさから、問う声も自然と不機嫌なものになってしまう。
「ちょっとね、レンにプレゼント」
ウォルトの差し出した手には、掌に乗る程度の小さな箱が乗っていた。箱に合わせたクッションの上には、赤いピアスが一つ鎮座している。
レンはそのピアスを摘み上げた。
「何これ、魔力の結晶……?」
硝子細工にも似た、透明の赤。ウォルトの魔力は皮膚を通過することができないが、注射器を使って血液ごと抜き取ることはできる。
ランプの明かりに当てると、幾何学模様が透かしで入っているのが見えた。
「複合式、かな?」
「正解。よく分かったね」
直径にして5ミリ程度しかないその結晶には、立体的に絡み合った3つの魔方陣が入っている。
しかし、あまりに小さくてそれが何を表すものかまでは、レンに見ることはできなかった。
「つけてごらん」
実体化してはいるものの、元々が精神体である精霊のこと。簡単にそのピアスを耳に通すことができる。留め具を嵌めて、レンは少し様子を見る。
「うーん、ちょっと体が軽くなった…気がする、かも。これ、何?」
「連結と吸収、固定の術式が入ってる。俺の中の魔力と繋げて、そっちのピアスの所有者が吸収、固定して使えるようにしたんだ。レンが俺から魔力を少しでもスムーズに取れるようにと思ってね」
傍にいるだけでも、実体化に十分な魔力は得られる。だが、それ以外はレンの負担が大きすぎたのだ。
「へぇー……。ていうか、やっぱりウォルト器用だよね。全然何書いてあるかわかんないよ」
「まあ、一応こっちが本職だからね」
普段は剣士として城の要請を受けているものの、実際にウォルトが名乗る職業は魔術具職人である。とは言え、最近は要請に次ぐ要請で研究や製作に充てる時間が殆んどないというのが現状だ。
「それにね、最初はもっと大きかったんだよ。俺が直接触ったせいで縮んじゃっただけ」
魔方陣を掘り込む際には、できるだけ触らないように器具を使って抑えている。それでも時々動かしたり、失敗した時には触ってしまう。
「でもやっぱり凄いよ。オレには無理だもん」
「あはは。ありがと」
レンは素直に主人を賞賛した。左耳につけたピアスを嬉しそうにずっと手で弄る、その様子は子どもが新品のおもちゃにずっと触っている様子によく似ている。
「それはまだ試作段階だけど、もう少し研究して精度のいいの作ってあげるからね」
「これじゃまだダメなの?」
「連結がいまいち。他の魔術師が自分の精霊と使うんなら何の問題もないんだけど、俺からだと一度に少ししか使えないんだ」
説明しながら、ウォルトは机の上に散らばったカプセルをケースに入れる。畳んだ図面は本と共に重ねて机の端に。
図面を書くのに使った道具を引き出しに入れ、パタンと閉じる。ウォルトは椅子の前からどいて、机の下に椅子を収納する。
「これが完成したら、レンも今までよりもっと強い魔法使えるようになるよ」
今のレンは、全部自分の力だけで魔法を使っている。これでは、主人から魔力の供給を受けている他の精霊に劣るのは当然と言えた。
「そっか。それじゃあ、そうしたらもっとちゃんとウォルトの補助ができるようになるんだ」
「うん、俺が死なないよう、よろしくね」
恐らく、とウォルトは考える。
もし、レン以外の精霊が魔力の供給も受けずに長時間実体化し、魔法を使っていたらとっくに力を使い果たし消滅しているだろう。少なくとも、ウォルトが書物で知っていた精霊たちで主人のいないものはすぐに消滅してしまっている。
もしこれで、十分に魔力の供給がなされたら。
どれだけの力を持っているのだろう。
それは恐ろしくも興味がそそられる。
「さて、遅くなっちゃったね。早く寝よう」
ランプを手に取り、二人は部屋の外へと出る。
扉を閉める音と共に、室内は闇に閉ざされた。
個人的には大変楽しく書けた内容でした。
次回から物語が動きます。