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4話 師弟

 謁見の間から退出し、兵舎に戻る廊下に憤りを隠そうともしない足音が響く。

「まったく、何考えてるんですか。陛下にあんなこと言って!」

「あー、うるさいうるさーいっ」

 大理石の床にブーツの音を大きく響かせるウォルトが怒りを露にしても、リオンはわずらわしそうに耳を塞ぐだけである。

 早足に歩く廊下の内装などを見ている心の余裕はなかったが、幾度となく歩いた場所なだけに確認しなくても通る場所は分かっていた。

「下手に陛下の逆鱗にでも触れたら大変なことになってましたよ?」

 静かな口調だが、逆に真剣な苛立ちが際立つ。ウォルトは腰を屈めてリオンと真っ直ぐ目を合わせた。

 だがリオンはさっさと扉を押し開いて外に出てしまう。

 この扉は裏庭に出るためのものだが、芸術家がデザインした杖の紋章が大きく浮き彫りにされていて高級なつくりになっている。

 重みのあるその扉が閉まると、リオンは空を見上げた。

 先ほどまであった青空に、今はうっすら雲がかかっている。

「それでもな。言ってやりたかったんだよ、一度。玉座にふんぞり返っているだけの、あの男にな」

 視線はウォルトには向いていない。だが、真っ直ぐ空を見据える瞳には、確かに研ぎ澄まされた刃がきらめいている。

 ゾクリと、背すじに冷たいものを感じてウォルトは身を震わせた。

「……それで殺されたら、何の意味もないじゃないですか」

「そんなことはないさ」

 すっかり勢いがそがれてしまった様子のウォルトの方を向いて、リオンはにこりと笑った。既に刃は鞘に収められている。

「月並みなことを言うが、私が死んだ後には何かが残る。無意味なものなど、何もないのだよ」

 後半はまるでどこかの偉い学者を真似したような、おどけた口調だった。

 リオンが歩き出したので、ウォルトもそれに続いた。

「私は今、こうしてお前と話しているな。兵舎には私を隊長と慕ってくれる部下たちがいるし、家には旦那も息子もいるわけだ。私が生きているのと死んでいるのとで、多かれ少なかれ差異があるとは思わないか?」

 落ち葉を踏む音が、言葉の最後に重なった。

「それは……そうかもしれないですけど」

「釈然としない顔をしているな」

 言い募る言葉を捜して、だけれど見つからない。そんなもどかしさに眉を寄せるウォルトを、リオンは慈愛の眼差しで見つめる。その眼差しに、ウォルトは母親を見た。

「今はそれでいいさ。いずれ、お前にも分かるときが来る」

 リオンはウォルトの肩を軽く叩いた。この話はもう終わりだ、と言うかのように。

 だが、ウォルトはリオンの台詞に引っかかりを覚えた。

「それはどういう……」

「あ、ウォルトー、リオン先生ー」

 間の抜けた声に遮られ、詰問は不発に終わる。

 気がつかないうちに、兵舎が見えていた。

 忠犬よろしく玄関の前でじっと待っていたレンがこちらに向かって大きく手を振っている。

 段差の部分に座り込んでいるレンは、いつもならすぐ駆け寄ってくるのだが、今日は座ったままだった。

 まさか、とウォルトは眉を吊り上げる。

 目を凝らせば、レンの白い装束の上に広がる鮮やかな色。

 それを認めてレンに駆け寄った。

「レン、これは何かな?」

 ウォルトからの問いかけに、レンは気まずそうにえへ、と笑った。

「お菓子」

「見ればわかるよ、それは……」

 ガックリとウォルトは脱力する。

 レンの装束の上に広がっていた色。それは、色とりどりの包み紙。殆んどが飴玉のようだが、ビスケットやチョコレートらしき包みもある。

 思わずしゃがみ込んでしまったウォルトの横に、追いついたリオンが立つ。

「おー大量だな、また……。誰にもらったんだ?」

 レンの膝の上に乗る菓子の数々を見たリオンも、呆れたように口を開いた。

「ここの兵舎のお兄さんとお姉さん」

 首を傾げつつ、背後の宿舎を指差すレンの表情は、何故呆れられているのか理解できていない様子だ。

 レンの返答に、リオンはやっぱり、と遠い目をしながら兵舎を見上げた。どうにもここの兵士たちはレンに構いたがりすぎる。

「人から簡単にお菓子とかもらっちゃダメって言ってるだろー?」

 今更何故こんなことを、とウォルトは項垂れる。

 これではまるで、幼い子どもに言い聞かせる母親ではないか。

 その上、この子どもは素直だが時々言いつけを忘れる。特別頭が悪いということはないはずだが。

「いらないって言ったのに無理矢理くれちゃったんだもん」

 ふくれっ面をするのは、叱られて拗ねてしまったのか。余計に幼い子どもにしか思えない態度だ。

「はぁ……もういいよ。先生の部下なら安心だろうからね」

 しゃがんだまま、ウォルトは顔を上げると微笑みレンの頭を撫でた。

 そのまま、レンの膝の上から飴玉を三個ほど取って立ち上がる。

「そろそろ帰ろうか。今日のうちにやりたいこともあるからね」

 包み紙をはがして、飴玉を口の中に放り込む。うっすら赤みがかった飴玉は、甘いイチゴの味がした。

 レンは膝の上の菓子を両手に持って立ち上がる。

「それでは先生、また」

「さよならー」

「ああ、怪我の方大事にな。あまり無理はするな」

「……と、そういえば先生」

 ウォルトは踏み出しかけた足を止めた。

「いつ、気付いてたんですか、この怪我」

 先ほどは皇帝に対する進言に驚愕していたため、気に留める余裕がなかったが、考えてみればそのようなことには一言も触れていないのだ。

「そんだけ薬の匂いをさせて気が付かないわけないだろう。大丈夫そうだが化膿しないよう、よく気をつけておけよ」

 心配そうに付け足された言葉に、ウォルトは口の中の飴玉を吹き出しそうになった。

 引き攣り笑いを浮かべるウォルトの横で、レンは抑えきれない様子でクスクスと笑った。

「リオン先生、あと1週間早く言ってくれればよかったのに」

 笑いながらレンが言うと、リオンも二人が笑う理由を理解した。

「まったく、お前の治療嫌いもたいしたもんだな。明日からは注意しろよ」

「……肝に銘じておきまーす」

 気まずくて小声で返事をすると、ウォルトは逃げるように身を小さくして歩き始める。慌てて追いかけるレンの手からは幾つかの飴が落ちたが、それを拾うことはしなかった。

 来たときと同様、城の正門から外へと出て行く。


「……ウォルト」

「ん?」

 城下町の石畳には、落ちた紅葉が敷き詰められている。それを踏みしめる音は乾いてどこか寂しい。

「明日から、また遠征?」

 ウォルトを横目で見上げるレンは不安そうだ。

「そうだよ、また、ね」

 歩みを止めて、ウォルトは肩を竦める。丁度食事処の前だったため、甘辛いような香りが鼻腔をくすぐった。

「レンは行くのもう嫌?」

「俺が、とか、そういうんじゃなくて……」

 俯いてしまった精霊の口調は歯切れ悪い。暗く沈んだ声音は少々聞き取りづらい。

「ウォルトは怪我してるのに、休む暇もないじゃないか」

「俺だけじゃないよ。休む暇なく働いている兵はたくさんいる」

 ウォルトが知るはずもないことだが、それは先ほどアザゼルが言った言葉と同じだった。

「でも、ウォルトは! 魔法を拒否する体質で……」

 勢いよく顔を上げて言い募る。

 ウォルトが、特別な理由。魔術師の家系でありながら、魔法が使えない理由。

「他の人とは違うんだよ。魔力が全部消えちゃうなんて」

 皮膚のように張り巡らされた、魔力を無効化する術式。ウォルトには先天的にこれが付き纏っていた。

 外側から向けられた魔力はすべて掻き消える。

 体の内部の魔力は外に出す寸前で無力に変わる。

「攻撃魔法が効かないのは助かるけど……治癒魔法も、全部だから……」

 だから、レンは不安なのだ。

 他の兵士たちは怪我をしてもすぐ治療できる。命に関わる怪我でも、助かる可能性が残っている。

「今回は大した事なかったからいいけど、もし大怪我でもしたら!」

 言い募っているうちに感情が高ぶってきたようで、レンの瞳には涙が溜まっている。

「あーもう、心配しすぎだよ、泣き虫さん」

 ウォルトはガシガシと己の白髪を掻いた。この精霊はよく泣くが、それでも泣かれるのに慣れることはできない。

 先ほどレンの膝の上から取った飴の一つを、レンの唇に押し当てる。精霊は大人しくそれを口の中に入れた。

「大丈夫だよ。もし俺が大怪我しそうだったら、レンが補助してくれればいいんだから」

 口の中で飴玉を転がしながら頷くレンの頭を撫でると、ウォルトは再び歩き出した。

 大丈夫、と何度も安心させるように繰り返して。



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