25話 決意の雨
城の前庭でウォルトは足を止めた。
冷たい雨に打たれながら、呆然と立ち尽くす。
「ウォルト!」
すぐにレンが追いついてきた。走るのに慣れていない精霊は、既に息を切らしている。
「ああ、ごめん、置いてきちゃって……」
振り返るウォルトの顔は濡れていたが、それが雨によるものか、また別のものであるのかレンには判別できなかった。
レンは暫し視線を彷徨わせ、そして俯く。
今にも泣き出しそうに瞳を揺らしているものの、まだ聞かせられた事が信じられずにいた。
リオンが死ぬ筈がないと、信じたかった。
お互いに無言で、ただ立ち尽くしていた。動揺が大きすぎて、何を言えばいいのか考えることすらできない。
やがて、ウォルトが口を開く。
「レン、馬車に乗ってる途中で宿屋が見えただろう」
唐突な台詞に、レンが目を見開いた。
言われた内容を幾度か反芻し、ようやく頷く。
「先に行って部屋取っといてくれないかな」
居た堪れなくなって、レンはウォルトから視線をそらした。ウォルトの表情を見ていられなかったのだ。
「俺もすぐ行くから」
「……分かった」
ウォルトは微笑していた。
雨に濡れて張り付いた前髪の下から覗く瞳は柔らかく細められ、常と変わらない穏やかな表情をしていたのだ。
だというのに声は弱弱しく吐息に紛れ、かすれている。
「無理しなきゃいいのに」
雨音に掻き消されてしまうほど小さな声で呟くと、レンは歩き出した。ウォルトに言われた宿に向かう為だ。
確かに、今は互いに一人になった方がいいと感じていた。
「ウォルト」
「うん?」
ふと足を止め、ウォルトを振り返る。
「契約のことだけは、覚えておいて」
契約とは、精霊と魔術師による主従の誓いである。魔力を外に出すことの出来ない主人であるから、正規のものと同じというわけにはいかなかったが。
「大丈夫。誰かにあげたり捨てたりなんてしないよ」
「……そういう意味じゃなかったんだけどな」
困ったようにレンは眉を寄せたが、そのまま早足で歩いていく。
雨に紛れ、精霊の姿が見えなくなるとウォルトは俯き溜息をついた。
「分かってるよ、それくらい……」
ウォルトがレンに与えたのは、魔力ではなく居場所。要求したのは忠誠ではなく共に在ること。
互いが強く望んでいたことに、深い意味はなかった。
だが、レンはあらゆる意味でウォルトと共に在り続ける。ウォルトがどのような道を選ぼうとも、違えることはない。
「そのことに甘えてばかりもいられないだろ」
せめて、与えることの出来る居場所をより良いものに。
ウォルトは空を見上げた。冬の雨が容赦なく顔に降り注ぐ。
「先生……」
自身が最も信頼と親愛を捧げる相手を思い描く。
最後に顔を合わせたのは2ヶ月前。前を見据え立ち続ける凛とした強さは10年以上前から変わらず、そして最期の時まで変わらなかったのだろう。
ウォルトは町で出回っている噂など知らない。
ヨシュアとノアが言っていることが事実だという確証もない。
リオンの死を聞かされた瞬間こそ衝撃に目の前が赤く染まる錯覚を受けたが、時間を置くにつれ現実味が希薄になっていく。
しかし同時に、奇妙に納得している自身がいることにもウォルトは気付いていた。
『私が死んだ後には何かが残る』
最後にリオンに会った日、彼女はそう言っていた。無意味なものなどないと。
リオンが己の死を予見していたとは思えないが、何か思うところがあったのかもしれない。兵士である以上、いつ死んでもおかしくはない身なのだから。
そこまで考えて、ウォルトは思考に引っかかりを感じた。
「……『ハーデスとの決闘に敗れて』?」
そう、兵士ならいつ戦場で命を落としてもおかしくはない。だが、何故味方であるはずの皇帝側近が出てくるのか。
ウォルトは急激にめまいを覚えた。その場にしゃがみ込み、口元を押さえる。
「俺の、せいか……」
リオンが死んだ時期は正確には分からない。だが西方にまで噂が伝わってきているということは、少なくとも1週間やそこらのことではないだろう。
剣士隊の面子にウォルトを襲撃させたハーデスのことだ。失敗したとなれば、次に剣士隊長でありウォルトの師であるリオンを使うことは容易に考えられる。
その先にどういったやり取りがあったかは分からない。考えても想像の域を出ようがない。
いつの間にかウォルトは地面に座り込んでいた。舗装された地面に溜まった水がズボンに染み込んでくる。その氷のような冷たさに、我に返った。
「まずい、先生に蹴り飛ばされる」
自責の念に駆られ、身動きの取れない己を叱咤する。
ウォルトのせいだとしたら、どうだというのだ。防ぐ為にウォルト自身に出来ることなどなかったではないか。
リオンのことだ。「何をうじうじ考え込んでいるんだ、女々しい奴だな」くらいのことは言ってくるに違いない。
想像して、ウォルトは思わず苦笑した。
自然にこぼれた笑みが、じっとりと重く湿っていた気分を晴らす。覆われていた視界がすっきりと開けるのをウォルトは感じていた。
雨の中晒されて、思考も冷えてきたようだ。
悲しむ時間は必要だが、後悔に囚われているべき時ではない。
「さて、これからどうするか……」
リオンの死がウォルトにとって無意味ではなかったこと。それを証明するために第一にできることは、今後の行動を考慮する為の材料にすることだった。
今残されている道は、3つ。
帝都に戻るかこのまま逃げ続けるか、それともノアの要請を受けるかだ。
リオンがいなくなったことで、帝都に対する執着は半分以下になっている。戻るとしたら、それはリオンの敵討ちをするか父に別れを告げるかだろう。
断ち切りやすくなった執着を捨てて考える事が出来るだけでも、ウォルトにとっては前進であった。
そして次に考えるべきことは、常に共にある精霊のこと。どの道を選んでも、レンは共に来てくれる。
だからこそ、レンにとって最善を選ばなければ彼の主人たる資格はないと、ウォルトは思っていた。
選ぶことの出来る道など最初から決まっていたのだ。
澄んだ晴天の瞳に、決意の色が宿る。
ノアとヨシュアは、先程と同じ執務室の窓から下方を眺めていた。暗い空の下、白い頭髪が際立って見える。
「それにしても、よくウォルト卿が本日訪れると分かりましたな」
ノアは城の前庭に見える人影から、隣に立つ美女へと向き直った。彼女も嫣然とした笑みをノアに向ける。
「簡単なことですわ。西地域に入った頃から見張らせておりましたの」
「ああ、配下を貸して欲しいというのはそういうことでしたか」
1ヶ月ほど前、ノアは請われて部下を数人ヨシュアに預けた。その人員は暫く姿を見ていなかったが、昨日全員が無事に帰還している。
「ウォルト卿が西に逃げる、そしてこのリディアに訪れるというのは簡単に予想できます」
ヨシュアはノアに背を向けて歩き出した。
「そして、それが最短距離からではないことも」
テーブルの上に腰掛け、ノアと視線を合わせる。
「最も人目につかず西地方に入るとしたら、北方の町を通らざるを得ない。ですから、何箇所か可能性のある街に人員を置かせていただきました」
ヨシュアによる種明かしを聞き、ノアは感心したように溜息をついた。
言葉として聞いてしまえばどうということもない。しかし、ノアに同じ事が出来るかといえば、無理だと断言できた。
まずウォルトがどこから訪れるのか絞り込むこと自体が難しいのだ。
ノアが再び外を見やると、既に白髪の青年の姿は見当たらない。
執務室の扉が開かれ、二人は視線を向けた。
全身ずぶ濡れのウォルトが入り口に立っている。衣服から滴り落ちる水分が絨毯をしっとりと濡らしていた。
「ようこそ、ウォルト様」
ヨシュアの声は笑みを含んでいた。こうなることなど分かっていたと言わんばかりの余裕を滲ませている。
「……勘違いしないでください。王になることを引き受けたわけじゃない」
静かに、どこか無感情に告げるウォルトの言葉を聞き、ヨシュアは首を傾げた。
「俺は傭兵です。力を貸せと、そう仰るのでしたら雇われましょう」
これはウォルトに残された道の中で、可能な限りの抵抗であった。
ヨシュアが描いたシナリオを破る、唯一つの矜持。
呆気にとられるヨシュアを尻目に、ノアはくつくつと喉を震わせる。
「成程、まあ今はそれで良しとしましょう」
一先ずはウォルトを味方に引き入れた方がいいと判断したのだろう。ノアはウォルトに手を差し出した。
「では改めて、力を貸していただけませんか。報酬は、貴方と黒翼の衣食住の保証、そして帝国からの保護、残りは出来高払いでいかがですかな」
「十分です」
差し出された手を取り。契約の握手が固く交わされる。
「成立ですな」
アナト帝国暦480年12月。
西方の地リディアにて、反乱の種が芽を出した。
ここで、3章終了です。
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