24話 神代の証
それは太古の昔、天上の神と人間の間に交流があった頃のこと。
天上の王と地上の王は、兄弟の契りを交わしていた。互いの世界のことを話し合い、宝を交換し合う。
そんな中、地上の王はあるものに目を留めた。天上の王が遣わす使者である。
透明感のある白い肌、それを彩る宝石のような瞳。整った目鼻立ちは芸術品のようで、そして極めつけは背から生える、純白の翼。
天上の王の使者は、誰も彼もが美しかったのである。
羨む気持ちは日に日に募り、王はついには国中から美女を集めるようになった。
しかし、どのような美しい者を手に入れても、天上の使者ほど彼の心を惹きつけることはなかっい。
満足できない王は、徐々に心を病んでいく。
見かねた天上の王は、ある時地上の王に告げた。
「お前に、私の配下の一人を譲ってやってもいい」
当然、地上の王は狂喜した。その為ならば何でもすると、天上の王に願い出る。
「ならば国を良く統治せよ。お前がまさに地上の王と呼ぶに相応しい存在となった時、その証として与えてやろう」
それからの地上の王は身を粉にして国の為に尽力した。
智者を集めて助言を受け、民が飢えぬように奔走し、争いを調停する。
罰するべきを罰し、称えるべき者を称える。
文字通り東奔西走し、国を統治した。
それからどれだけの期間が過ぎただろうか。
ついに王は地上の全てを平定し、天上の王から褒美がを授けられた。
届けられたのは、彼が望んだ通りの美しい使者。
白磁の肌と澄んだ瞳、人形のように整った目鼻立ちに生命の輝き。
ただ、一つだけ違ったのは。
背中から生える大きな翼は、闇よりも尚黒かったのである。
「それで、天上の王からの下賜品がレンだと?」
話を聞き終え、ウォルトはこめかみを押さえながら問う。
「黒翼と同種の存在、という意味ですわ」
軽やかであるはずの、ヨシュアの声音が重く響く。
「空の一族が、元は神の眷属であったというのは有名なお話。ウォルト様もご存知でしょう?」
「ええ、知ってますよ」
ヨシュアは伝説を語る中で、空の一族とは一度も言っていない。天上の王の使者、それが空の一族と分からなければ話が伝わらないのだ。
「黒翼は王の証。王が持つならば栄光の、それ以外の者が持ったならば滅びの象徴」
黒翼の精霊を手に入れたなら、王になる事が出来る、と説明を続けるヨシュアの言葉を聞き、ウォルトは頭を抱えた。
「……俺が国を追われることになった理由でもある、と仰いましたよね」
「アルト・ハーデスがこの伝説を知り、危機感を抱いたからですわ」
確認すると、納得すると同時に怒りが膨らんできて、ウォルトは歯噛みする。
「そんなくだらないことで……」
「ええ、くだらないでしょう?」
吐き捨てた言葉に、即座に切り返される。思いもしなかった同意に、ウォルトは目を見開いた。
ウォルトと視線が合うと、ヨシュアは微笑んだ。
「それ自体は、ウォルト様が謀反を起こす理由になんてなりませんし、反乱軍が勝つ保証にもなりはしません。我々も、勿論アルト・ハーデスだって分かっておりますわ」
「なら、どうして」
「民衆とは伝説に弱いものなのですよ、ウォルト卿」
再び、ノアが口を挟んだ。
「『神に選ばれた次代の王に率いられている』と。そう民衆が思う事が大事なのです」
「そのことによる団結、士気の上昇。ハーデスの危惧した脅威はそこなのですわ」
ウォルトとレンが反対勢力に加わったところで、さしたる問題ではない。
いくらウォルトが強くとも、1人や2人で国は潰せないのだから。
しかし、王となるべき人物が登場し、民衆を扇動するとしたらそう悠長なことは言っていられない。
だからこそ、ウォルトは危険人物とみなされ追われる身となったのだ。
これはヨシュアの考えであったが、ハーデスの思惑もこれと同じ、もしくはとても近しい者であったに違いない。そう予想していた。
ウォルトは俯き、膝の上で拳を握ったり開いたりを繰り返す。
暫しそうして考え込んだ後、顔を上げた。
「そうですか、それなら仕方ないですね」
その返事に、レンが驚いたようにウォルトの顔をまじまじと見つめる。しかし、そのウォルトの表情は。
「――なんて言うと思いますか?」
穏やかな双眸を釣り上げ、ヨシュアとノアを睨んでいた。
「納得なんて出来ないし、諦めるつもりもありません」
唐突に、ふ、とウォルトの表情が柔らかくなる。
「そんな伝説に頼らなければ、人を味方に付けることもできない。そんな訳じゃあないでしょう」
ノアの話を聞き始めてからずっと眉間にしわを寄せてばかりであったが、それはウォルトの望むところではなかった。
未だに多少の冷たさが瞳に残ってはいるものの、普段の気の抜けた表情が取り繕われている。
それはどんな厳しい表情よりも明確に、依頼の拒否を表していた。
その変化を見て、今度はヨシュアが眉間にしわを寄せることになる。
しかし彼女のそれはほんの一瞬で、次の瞬間には冷たい無表情を浮かべていた。
「今まで傭兵として各地で戦ってこられたというのに、今更何を躊躇われます」
完全に取り繕いきる前の隙を狙った言葉に、ウォルトは笑顔を作り損ねた。微かに眉がひそめられる。
「戦でしか必要とされぬ身を嘆きましたか」
ヨシュアが言い放った瞬間、ウォルトは勢いよく立ち上がった。椅子が跳ね、ガタンと大きな音を立てる。
机に両手をつき、目を閉じる。重い溜息が、ゆっくりとこぼれた。
「レン、もう行こう。これ以上話を聞いても時間の無駄だ」
激情を抑え、静かにレンを促す。扉に向かい歩き出すウォルトを、ノアもヨシュアも止めようとはしない。
「ああそうそう、ご存知でしょうか?」
思い出したようにヨシュアがウォルトの背に声をかける。
「アナト帝国の剣士隊長……リオン、と言いましたか。彼女が、ハーデスとの決闘に敗れ、亡くなったそうですよ」
勢いよくウォルトはヨシュアを振り返る。口元だけ笑みを作っているヨシュアと目が合った。
「ウォルト!」「ウォルト卿!」
レンとノアがほぼ同時に叫ぶ。
ウォルトが、ヨシュアの胸倉を掴みあげたからだ。
しかし、身長差の為に釣り上げられるようになっているヨシュアは平然とウォルトを見上げていた。
「何をそのようにお怒りになります? 私はただ、事実をお教えしただけだというのに」
「……何故、わざわざこのタイミングで教えた?」
呻くように吐き出された声は低く、そして微かに震えていた。
「先生が死んだと聞かせれば、俺があなた方の手を取るとでも?」
ヨシュアの胸倉を掴んだまま、ウォルトは顔を伏せている。その為に表情は外からうかがい知ることは出来ない。
だが、震える声と手は雄弁に激情を物語っていた。
「……嘘、だろう?」
呟くような声は、祈りにも似ている。どうか、嘘だと言って欲しいと訴える。
既に胸倉を掴み上げる力は弱まり、ただヨシュアの服を握り締めるだけとなっていた。
「残念ながら、本当のことです」
無慈悲な宣告はノアの口から発せられた。
「ウォルト卿は人目を避けて旅してたからご存知ないでしょうが、あちらこちらで噂になっておりますよ」
まことに残念なことだ、とノアが言い切らない内に、ウォルトは部屋を飛び出していった。
慌てたようにレンもその後を追いかける。
「ウォルト!」
泣き出しそうな声で主人の背に向かって叫ぶが、それも届くことはない。
城の外では、大粒の雨が降り始めていた。