20話 次代の王
「お待ちしておりました。次代の王」
暦の上では既に初冬、しかし厚い雲に覆われ通常よりも寒気の強い午後。
ウォルトとレンは突然かけられた言葉に目を瞬いた。
ここは西方最大の都市リディア。西地方全体を取りまとめる諸侯の居城がある街である。
声をかけてきたのは、小柄な老人だった。柔らかな笑みをたたえ、まっすぐ背すじを伸ばして立つ姿は上品そうな雰囲気を漂わせている。
「宗教の勧誘なら他所でどうぞ」
素っ気無く返し、ウォルトは道の真ん中に立つ老人を避けて先へと進む。存外にあっさりと通ることができた。
ウォルトの背にくっつくようにして続くレンにも、何もせず道を開けた老人は、だがそのまま行かせてはくれなかった。
「貴方でなければならないのです。ウォルト卿」
主従の足が止まる。
そして、止まってしまったことに後悔をした。これでは老人が呼んだ名前の当人であると認めてしまったようなものだ。
内心で舌打ちしながら振り返る、その表情は動揺を隠した無表情だった。
「ウォルト……というと?」
「貴方のことですよ。ウォルト・ラヴェール様」
「残念ながら人違いです。ウォルトというと例の謀反人でしょう?」
ウォルトはいつも通り深く被ったフードで目立つ白髪と顔の半分を隠している。
レンも翼を消した人間の姿でウォルトのマントを羽織っている上、顔も隠している。
老人に自分たちの正体を特定できる要素がない以上、しらばっくれるのが上策と言えた。
「別に、捕えようなんてつもりはありませんから」
「だから、人違いだと言っているでしょう。そんな名前噂でしか聞いたこともないよ」
全く知らないというにはウォルトの名前は有名すぎた。
不自然でないように返すには噂で知っている程度で丁度いい。
「そう、噂ですか。それでは、その容姿について聞いたことはお有りで?」
老人は引き下がらない。
ウォルトはフードで隠された眉を微かに顰めた。
老人には既に確信があるのか。それとも、単にしつこいのか。
「さあ、どうだったかな。お前は覚えてる?」
相手は老人が一人、いざとなったら逃げるくらい簡単だろう。
それよりも一度止まってしまった以上、急に逃げる方が不自然だ。
そう思って話を続ける。
レンもその意を汲んで、ウォルトに話を合わせた。
「どうかな。聞いた気もするけど忘れたよ」
「ウォルト卿は白い短髪で高身長、連れている精霊は黒髪で細身の美人。噂ではそう聞いていますね」
「へえ、それはかなり目立つ組み合わせですね」
我ながら白々しい。吐きたくなる溜息を飲み込む。
当人であるのに知らないふりをしている為か、居心地が悪くて仕方がなかった。
「そう、ですから……あなた方を特定するのは簡単なことですよ」
違うというのなら、その顔を隠しているものを取り払えと。老人は言外に滲ませている。
ウォルトは舌打ちをすると、踵を返して走り出す。
その際にレンの手を掴むのも当然忘れない。
急に引っ張られてレンの体が傾いだが、すぐに体勢を立て直してレンも走る。
軽く振り返って見ても老人が追いかけてくる様子はない。
しかし、視線を前に戻してウォルトは足を止めた。急停止についていけなかったレンがウォルトの背中にぶつかり、小さく悲鳴をあげる。
建物の影から出てきた人、人、人。
老若男女問わず現れた十人以上もの人が行く手を塞ぐ。
ウォルトたちはすっかり取り囲まれてしまっていた。
「……何のつもりですか?」
女子供や老人を殴り飛ばしてまで逃げることは憚られた。
人々の輪の中に入ってきた老人に問う。ゆっくりと歩み寄ってくる老人は、その剣呑な響きを帯びた声にも怯んだ様子はない。
「そう警戒なさらないで下さい。危害を加えは致しません」
小さくウォルトは溜息をついた。
視界の半分近くを覆うフードを脱ぐ。既に正体を知られている以上、邪魔なだけのそれをいつまでも被っている必要はない。
レンが覗うように顔を見上げてくる。
「大丈夫だよ、レン。大人しく従おう」
微笑みかけると、レンは頭から被っているマントを肩にかけなおした。しかし未だに不安そうに周囲を取り囲む人々を、そして老人を見ている。
「本当に、信じていいの?」
張り上げた声は、主人と老人、双方への確認の為。
「大丈夫だよ」
「ご安心を」
頷く主人、微笑む老人。
レンがウォルトの言うことを信じないということはまずない。
だが、ウォルトに危害が加えられる可能性については、安心できないのが実情だった。
「我が主に会って頂きたいのです。全ての説明はそれから」
「……主?」
「西域の長、ノア・ブランカ様でございます」
怪訝そうに眉をしかめると、老人は主の名を明かした。
周囲を眺め、次いで納得したように頷く。
周囲を囲む人々は年齢も様々で共通点があるようには見えない。だが、諸侯の命令となれば、彼らを取りまとめるのも不可能ではないだろう。
しかし、それだけに不穏な予感を持たずにはいられない。謀反人として国に追われている人間に用事など、まともな内容であるはずがない。
「……何か、依頼でも?」
「そのようなものです。さあ、どうぞこちらへ」
老人が歩き出したので、ウォルトとレンも少し遅れてそれに続いた。
「お乗りください」
先に進んだ老人が指し示したのは、古い馬車だった。古いとは言え、元はかなりいいものなのだろう。造りはしっかりしているし、乗り込んでみれば中は広く椅子も座り心地がいい。
広い町なだけに、現在地からリディア城まで徒歩なら一時間程かかる。迎えに来た者が馬車を勧めるのも当然と言えた。
「少し急ぎますのでね」
一言断りを入れると老人は御者台に腰を下ろし手綱を取った。
緩やかに、馬が足を運び始める。歩みは徐々に勢いを増し、速度を上げていった。
「うわあ……」
外を眺めるウォルトの耳に、レンのうんざりしたような声が届く。速くなるにつれ激しくなる揺れに辟易したようだ。
「ウォルト」
「ん、何?」
窓枠に頬杖をつき、外を眺めながら返事をする。その声が固いのは、舌を噛まないようにと気をつけてのことである。
「話ってなんだろうね」
「さあ」
響く車輪の音に掻き消されないようにと、自然と声は大きくなる。しかし声の大きさのわりに、ウォルトの返事は素っ気無かった。
「“次代の王”とか言ってたけど……」
「どう考えてもいい方向には予想できないな。ただ――」
そこでようやく、ウォルトはレンの顔を見た。
「ノア・ブランカ氏自体は、噂を聞く限りでは信用できると思う。民衆からの人気も高いしね」
再び外へと視線を向ける。すっかり葉が落ちた街路樹の為に寂しく見える風景だが、町並みはよく整備され道行く人の表情も明るい。
リディアのみならず、近隣の町もノアが諸侯に就任して以降は栄えていると聞く。
善政を敷いているのは間違いないとウォルトは判断していた。
「もっとも、会ってみなきゃ断言はできないけど」
どちらにせよ、このまま逃げ出したらリディアに滞在するのは難しくなる。話を聞くだけでも聞いた方が今後の行動を決めやすい。
そのような内容のことをレンに説明しているうちに、馬車は城門を通過した。
3章後編、ようやく本筋に入ります。