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10話 点る灯

 日暮れ後の空気はひんやりと冷たい。

 暗い空の下を、リオンはゆったりとした足取りで歩いていた。それは、敢えて心を穏やかに保とうと努めてのことである。

 貴族の屋敷が立ち並ぶ、城に程近い高級住宅街。ここを歩く時、いつもリオンは落ち着かない気分に駆られていた。

 誰もいないのに、誰かがいる。

 様々な精霊たちが歓談している気配がする。これが実体化していてくれたらまだ気にならないのだが、夜の帳が下りた中騒がしくするわけにはいかないと、姿を消し声も人間には聞こえなくしている。

 ざわめく気配ばかりを感じるのだから、精霊たちだと分かっていても気味が悪かった。

 広大な屋敷が続くこの区画の中でも一際立派な屋敷の門をくぐる。

 名門・ラヴェール家。

 扉の隣には明かりが点され、掌に乗るほど小さな精霊がそれを守っていた。

 少女の姿に昆虫のような薄い羽根。灯りを守る精霊自身も、淡く光を放っている。

「あれー、リオン。どしたのー?」

 少女の姿をした精霊は、間延びした声を出して首を傾げる。

「イライアス様と少々話がしたくてな。取り次いでもらえるか?」

「うんー、ちょっと待っててねー」

 ポンッと空気の抜けるような軽い音と共に精霊は姿を消す。暫くして、玄関の扉が開けられた。

 今度出てきたのもやはり精霊。こちらは人間と殆んど変わらない美女である。

 リビングに通されると、ソファには初老の男が座っていた。

「久しいな、リオン」

「ええ、イライアス様もお元気そうで何よりです」

 深く頭を垂れ、上位の者への礼を施す。顔を上げるとリオンは男の向かいの席に腰を下ろした。

「夜遅くにすみませんね」

「いや、構わんが……何かあったのか?」

 穏やかな表情で、イライアスはリオンを見る。そっと顎に蓄えた髭を撫で、深くソファに背を預けた。

「何か、というわけではないのですが。ウォルトのことです」

「ああ。あやつめ、もう半年以上も顔を見せん。――どうだ、元気にしているか?」

 苦々しげな口調とは裏腹に、イライアスは元々穏やかな双眸を更に綻ばせた。

「ええ。休む暇もなく戦地を飛び回っておりますが……」

「そうか。今度帰ってきたら、体調には気をつけるよう言っておいてくれ。あと、せめて年が明けたら顔を出せ、ともな」

「はい」

 王城での悪意に慣れてしまった身に、イライアスの優しさは嬉しかった。ホッとして、リオンの口元に自然と笑みが浮かぶ。

 しかしすぐに表情を引き締め、膝の上に乗せた拳を握る。

「今日は、お願いがあって参りました」

 引き締まった背すじが美しく伸ばされる。

「ウォルトに暇をくれるよう、イライアス様から頼んでほしいのです」

 イライアスは優秀な魔術師だ。

 魔力の殆んどないリオンや魔法の使えないウォルトとは違い、宮廷でも上等の立場を築いている。

 イライアスの言であれば、考慮してもらえるのではないか。微かな期待を抱き、縋る。

「リオンは……ウォルトを戦場に出したくないのだな」

 イライアスは席を立ち、窓際に立った。背を向けてしまったためリオンから表情を窺い知ることはできない。

「ウォルトは確かに強い。そうはいない人材です。ですが、当人はできることなら戦になど出たくないと思っている」

「……そうであろうな」

 低い呟きが、窓ガラスを白く曇らせる。

「名誉にも褒章にも興味がないのだからな。城仕えには向いておらんのだろう」

 リオンを振り返ったイライアスは、暗い面持ちで窓に背を預けた。

「そろそろ、潮時かも知れんな……」

「イライアス様?」

「一人息子が魔術師でない以上、ラヴェール家は私の代で終わりだ。いや、本来ならもう、終わっているはずだったのだ」

 リオンは思わずといったようにソファから腰を浮かし、怪訝そうにイライアスの顔を見つめる。

 それに気付いて、イライアスは困ったように微笑んだ。

「貴族社会は異端に厳しいからな。ウォルトの体質が公になった時点で、私も城を追われる予定だった」

 ゆったりとした口調。悲哀が混じったその声に、だが沈痛さは感じられない。

「しかし、ハーデス殿より条件を持ちかけられたのだ。ウォルトを傭兵として城に差し出せば、我々の身分を保証してくださるとな」

「ウォルトはそのことを知っているのですか?」

「だからこそ、あやつは文句も言わずに戦場に立つ」

 沈黙が緩やかに流れる。リオンが浮かしかけた腰をソファに戻した微かな音が、二人の耳にはっきりと届いた。

「分かった。ウォルトが次に帰ってきたときに、ハーデス殿に話を通しに行こう」

 ようやく口を開いたのはイライアスだった。

「……よろしいのですか?」

「この地位にも家名にも、もう未練はない。犠牲を強いるくらいならば、隠居生活も悪いものではないだろう」

 未練がない、なんて嘘もいいところだ。リオンは思った。

 ならば何故悲しそうな顔をしているのだ。振り切れるのならもっとさっぱりとした表情をすればいいものを。

「ウォルトが養ってくれますよ。あれで、職人として成功しているのですからね」

 殊更にリオンは明るい声を出した。このまま湿った空気になるのには耐えられない。今更取り消してほしいなどと、言える筈もないのだから。



 イライアスと別れて、リオンは離れへと向かった。

 久しぶりの我が家、夫と子どもが待つ家だ。

 ラヴェール家が没落すれば、家令である夫も職を失うことになる。リオンの後見はイライアスだが、今後立場はどうなるだろう。

 離れの扉を開けると、明るい灯が点る。

 中に入って扉の閉まる音を響かせると、タタタッと軽い足音が近付いてくる。

「おかーさんだー! おとーさんっ、おかーさん帰ってきたよ!」

 リオンの腰までしか背丈のない少年が、リオンに飛びつく。部屋の奥に向かってかける声は明るく澄んでいる。

「ただいま、イリヤ」

 腰に抱きつく少年の頭を撫で、もう一つ近付いてくる足音の方にリオンは視線を向けた。そこにいたのは線の細い虚弱そうな男である。

「おかえり、リオン」

「ああ、ただいま」

 お互いに柔らかく微笑み、穏やかな空気が流れる。

 が。

「元気だった? ちゃんとご飯食べてる? なんか変わったことない? 怪我とかしてない? ていうか宿舎の男どもに言い寄られてないかもう心配で心配でもう気になっ」

「ハハハハ、相変わらずウザいなアズベル」

 矢継ぎ早に繰り出される質問。リオンには答える暇もないのだが、アズベルは勝手に取り乱している。

「こうじゃないとやっぱりおとーさんじゃないでしょ」

「確かにな」

 鬱陶しいと言いながらも、そうでなければ落ち着かない。イリヤの言葉に頷く。

「だってだって剣士隊の宿舎って言ったら男ばっかりなんだよリオンは女の人だし綺麗なんだから気をつけないと危ないって」

「分かった分かった」

 適当に頷きながら、リオンは部屋に向かった。まともに相手していたら、玄関に立ったまま朝を迎えてしまう。

 本当に悩んでいるのが馬鹿らしくなる配偶者である。

 どのような状況下においても、きっと彼は変わらない。自信を持って言いきれる。

 同じように、何があってもこの幸せは変わらないのだ。それならば、悩む必要などないではないか。

 そして、玄関の灯は部屋へと移動していった。



今回から二章ですが、随分間が空いてしまいました。

イライアスとの会話が全然進みませんで…。

二章ではリオンを中心に話が進んでいきます。

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