And so, Southward 2
この四日間でカザルゥ教授について学んだこと。
南部連合の一角、セルラワ王国出身。リテット山脈を臨む高地の寒村に生を受け、〝物質的には貧しいが愛情いっぱい〟とはいかず――「わしの親兄弟は心も貧しかったよ」――故郷と家族と将来に見切りをつけて一四歳の成人を迎える寸前に出奔。得意の占いで路銀を稼ぎながら越境し、ユーエリカ大陸南部のモンスターカントリーと接するアニレン公国ハヴィト地方の冒険者村に落ち着く。〝たくさんの良いことと悪いこと〟に満ちた冒険者活動が四年を数える頃、この生き方にも未来はないと見切りをつけ、ついでに言えば荒っぽい借金取りから逃げるために、髪をばっさり短くした変装と変名を用いてアニレン公国軍に入隊。
パンと寝床を得るための、そしてほとぼりが冷めるのを待つ一時避難のつもりが、意外なほど軍隊生活が性に合い、恩給資格の二〇年勤続を果たす。兵役中の主な業務は――
「ありきたりの兵隊仕事だよ。訓練、訓練、訓練。たまに部署移動。でも人生何が起こるかわからんもんで、大隊付き医療将校と〝おれ、きみ〟で口を利くくらい仲良くなっての、あやつの熱意に巻き込まれて――」
当時はまだ青写真でしかなかった薬草目録の編纂を手伝うようになる。既存の薬草目録は不備が多く、特に記述に誤謬が多く、医療将校氏は我慢ならなかったのだ。効能の怪しいものから確かなものまで二人はありったけの薬草を集め、分類し……早々に軌道から外れる。当初の予定では簡単な挿絵に簡単な説明をつけた利便性重視の薬草一覧にするつもりだったのだが、カザルゥの占いによって、求める効能を持つ新種を発見したり、そうと知られていなかった既存薬草の別効能が判明したりと、物議をかもす内容になっていく。
「実験台には事欠かんかったよ」カザルゥが懐かしむように目を細める。「何せ軍隊だ。怪我人や体調不良なんて毎日のように出る。断っておくが、良心に恥じることは何ひとつしとらんぞ。まず自分たちで試し、安全を確認した上で、多数を相手に注意深く検証を重ねたのだ」
六年の歳月を費やして完成した薬草目録ヴァージョン1は、もやはボリュームもコンテンツも学術的な図鑑の域に達しており、その点では大満足の出来になったものの、何らかの形で出版にこぎつけた日には〝専門家〟の総攻撃の的になるどころか、新発見の数々を与太扱いされて歴史の闇に葬られかねず、二人は労作がまっとうな扱いを受けるように一計を案じる。
論文だ。
カザルゥと医療将校ストルムの名をもじって名付けた新種の一つ、カザスト草の軟膏を塗布した約一〇〇〇名に上る現実のデータと、傷薬の代表格とされてきたフォメ草との比較データが、その筋の権威、ユーエリカ自然科学アカデミーのお墨付きをもらえれば……
数撃ちゃ当たる作戦で薬草別に一ダース余りの論文を矢継ぎ早に共同執筆した結果、両名の名は植物学界隈に電光石火で広まり、『新説薬草目録』は〝専門家〟集団である薬剤組合のバイブルと化す。
時にストルム=ヘル=ヘクシアラン三六歳、ペリス=カザルゥ三〇歳。本の印税と各種配合薬の特許料でミダス王ばりの大金を得た二人だが、どちらも軍に留まった。
「先も言ったように、被検体には事欠かん環境だったからの。兵隊稼業も苦ではなかった。ストルムもわしも、名を上げたり贅沢を愉しんだりはどうでもよかった。『薬草目録』をより包括的で、より完全な内容にすることに夢中になっておったよ」
しかしアニレン公国のお家騒動でやりがいと意義が揺らぐような仕事が増え、研究どころではなくなり、嫌気が差したストルムがまず退役し、次いでカザルゥも除隊し、かねてより秋波を送ってきていたウィグラム大学の招聘に応じて本格的に学究の徒となる。その後、愛妻と死別。三文恋愛喜劇じみたすったもんだの末に後妻を迎えて、新たに授かった娘が最初の結婚の孫より若いという親族一同が少々複雑な感情を抱く家庭環境と化すも、まあまあ愉快に暮らしているそうな。
夕食の席でカザルゥの詳細な家族構成を知ったアキラは、改めて申し訳ない気持ちになる。もとはといえばエクサリオ軍の侵攻にこそ原因を求められるが、教授が人間狩りに巻き込まれたのは自分のせいじゃない、とは断言しづらい。責任の一端は確かに、自分にある。
アキラの整理しきれない謝罪の言葉を、カザルゥがスプーンを振って退ける。
「お若いの、真面目なのは良いがね、おまえさんを責める気などさらさらないよ。そもそもの話、戦争中だと知りながら北部に足を延ばした研究馬鹿の自業自得ではないかね?」
言われてみればそれもそうだ。
だからといって完全に無関係な顔もできないけれど。
「ご家族が心配しているでしょうし、なるべく早くご自宅に帰れるよう善処します」
「余計なことは考えんでよろしい。そういうものは判断を曇らせる」
「いや、まあ、わかるんですが――」
「きみ、思考をクリアにするために、至極当たり前のことをおさらないしようじゃないか。今のわしらの最善のゴールはなんぞや?」
「三人とも生きてモンスターカントリーを脱出すること」
「そのために必要な準備はなんぞや?」
「道先一〇キロの流動的な状況に都度、プランを講じていくこと」
「当然、プランは段階的に進めれる。現段階は?」
「装備の拡充」
「ならば、装備の拡充に注力して、ほかの一切合切は心から締め出しなさい。しばしば人を悩ませる良い思い出や悪い思い出はもとより、生存に関わる先々のこともすべてだ。プラン全体も、次の段階も、進捗状況も、何もかも。しょせん未来は幻で、過去は亡霊にすぎん。わしらが生きて帰るには〝この段階は終了、次〟と現在を着実に積み上げていくしかないのだ。心を向けるは現在、今この瞬間のみ――それが鍵だよ」
「ケヴさんにも似たようなこと言われましたね」
「彼女は正しい。そしてわし以上に説得力がある。ささいなしくじりが死に直結する敵国の本拠地で五年も稼働できる潜入工作員が何人いると思うね? フロレターリ准尉はスパイ業界の上澄みの中の上澄みだよ。そんな彼女が〝現在に集中しろ〟と言うからには、現在に集中すべきなのだ」
アキラとカザルゥが見張りに立ち、スパイ業界の上澄みが夕食を済ませる頃、暮れなずむ夕空から残光が薄れ始める。人心地ついてから、昼間はできなかったアンロックチャレンジ。
夜間射撃検定:貸与装備(NOD・IRレーザー)または自前の装備を用いて夜間射撃能力証明を取得。拳銃ステージと自動小銃ステージ、どちらでも可。
能力証明を取得すると、ポイント貧乏の下手くそ救済措置として、貸与装備(無料修理・無料取替)が贈与される。より重要なのは、夜間戦闘で一〇〇〇キル達成時に開放される白ファスファーとデュアルチューブNODをいち早く(そして命の危険を冒すことなく)購入できるようになること。
9ミリ亜音速弾と減音器の組み合わせなら怪物の活動が活発化している夜間に安全地帯の外まで発射音を響かせる心配なし、と拳銃ステージを選ぶ。同じセットアップの自動小銃でも静音性は手に入るが、亜音速ライフル弾の発射圧不足によるボルトの半端な挙動や無動を解決するには部品の交換もしくは装着、と手間暇がかかり、しかも自動小銃ステージの最長射距離に対応しづらいほど射程が縮まってしまう。ならばと超音速弾を使えば、拳銃弾の比ではないクラックが響き渡る。
「どれくらい響く?」
「静かな環境なら556は射撃方向に一キロ弱」
遠い湿地帯から聞こえてくるカエルっぽい大合唱に二人は耳を澄ます。
「あの鳴き声がマスクしてくれるでしょうけど――」
「ああ、避けられるリスクは避けるに越したことはねえよ」
二人は拳銃ステージの練習モードを起動する。
現れた作業台の天板に並ぶのは、保護ケースに収まったPVS14と、L3製PEQ15と、それぞれの紙の取扱説明書。アキラは貸与PVS14が好きになれない。フォトニス社の白ファスの特徴である青味が強い灰色の色調に加えて、ちょくちょく第四世代と勘違いされている4G(改良型第二世代)のため、第三世代の緑ファスよりも若干暗く感じる。流れ雲が付近一帯に影を落としたときなど、明白に視認性が落ちる。Gen3緑ファスファーでは辛うじて見えるものが見えなくなる。
「微妙に暗いな」とケヴも同意見だ。
二人は貸与PVS14を作業台に戻して、普段の夜戦セットアップでいく。
グロック9ミリのシャーシを取り外してからアキラは尋ねる。
「後先、どっちがいいですか?」
「先」
「じゃあ教授」
と声をかけて、アキラはカザルゥと共に見張りに立つ。
怪物エアポケットの奥であろうと夜は気が抜けない。
僅か五分足らずでアキラの番になる。ケヴが練習モードのコースを一周しただけで本番に突入し、満点で一発合格したからだ。
コース自体はピストル検定のステージ2と同じだが、この夜の闇が……
二流ガンマンのアキラは一度の不合格ののち、今回もまたギリギリ合格。
三人は念のために半時間ほど警戒を続ける。カザルゥがTIカメラを構えたまま尋ねる。
「准尉の加護について、ひとつ訊いても良いだろうか?」
「運命共同体だぜ? 遠慮は要らねえよ」
「ページ神の加護持ちを何人か知っとるんだが、冒険者時代に一人、鳥をペットにできる者がおった。准尉にも可能かね? 気長にやれば一羽くらい手懐けられんか?」
「できなくはないよ。過去に二度、ペットにしたことがある。一度は、何ヶ月も餌付けしたあとにやっと心が繋がった。もう一度は、怪我してるのを見っけて、保護して、仲良くなった」
「ほかの方法では難しいと?」
「生憎な。化けモンの件を除けば、あたしの加護は平均的だ。小動物や鳥みたく、警戒心が強すぎる生き物には極めて効果が薄い。先回りして答えると、この三日間、目につく鳥に片っ端からアプローチをかけてるんだが、ガン無視くらってる。空の目をゲットして警戒を密に楽に、とはいきそうにねえよ」
「すでに試しておられたか。口出しするまでもなかったの」
「逆にそっちの加護はずば抜けてるな。あたしの知ってるジェダ=オーメンスの加護持ちは他人より少し勘がいい程度だ。あんたのはあり得ない精度だよ。軍籍にあった頃、モグラ狩りの要請とか受けなかったか?」
「あるにはあったが、人は得意分野でないもんで、あまり役に立てんかった」
二人のやり取りを聞くうちに、ケヴが探りを入れているとアキラは気づく。ただの歩兵だった、余暇は植物研究ばかりだった、というカザルゥの話を信じていないらしい。
さらに半時間後、警戒態勢を解く。
ケヴに指示しながらアキラはデュアルチューブNODを買う。『SNAFU』プレイヤーから最高峰と看做されていたL3ハリス製BNVD(双眼暗視装置)1531。無論、無膜の白ファスファー。予備電源パック、電源ポーチ、重り、ウィルコックス製マウント、とコミコミで一万四千ポイント。
お高いだけのことはある。
〝夜を昼に変える〟という決まり文句をアキラは実体験する。
僅かに青緑がかった灰色のグラデーションが明暗や輪郭を明瞭にし、緑ファスファーのPVS14では視認しづらかったものが楽に視認できる。双眼のおかげで遠近感もある。製造過程で出来る黒い点は視野の隅、Cゾーンにちっこいのが一つきり。何より、明るい。星明りさえあればIRイルミネーター要らず。半キロ先の大雑把な地形くらいは視認・把握できる。ただ、マニュアルで警告されている双眼特有の問題もある。光量増幅ノブやイルミネーターで暗視画像を明るくしすぎると、眼それ自体の暗視能力が失われる。当然、レッドドットを使うために右目側のポッドを上げたり、手元の作業でNODを丸ごと上げたりしたとき、ほとんど何も見えない。推奨されているのは、仕事に必要なギリギリのラインまで暗視画像を薄暗くしておくこと。アキラはそうする。
もう一セット買い、カザルゥから回収したヘルメットの暗視単眼鏡と付け替える。セットアップ方法はPVS14と同じで大丈夫、と教授に渡す。そのセットアップ段階でカザルゥが「おお」と感嘆の声を漏らす。
「信じられんくらいクリアだな」
「凄いですよね、これ」
おかげでポイントがガツンと減ったが、その価値はあるし、まだ三万以上残っている。手つかずのお願いポイント券も二万近くある。加えて、今後しばらくはケヴが教授の装備を負担してくれる。
そのケヴはというと、くすくす笑いながら歩き回っている。
笑いをおさめて言う。「マグ、入れ替えてみ。ムズイぞ」
焦点の都合でぼやけた暗視画像と、暗く狭い周辺視野を頼りに行うしかなく、アキラはヴェクターの弾倉交換に倍の時間を要す。
「さっきも思ったんですけど、ここにいるあいだは夜間射撃の練習、たくさんしたほうがいいですね」
「ああ、毎晩やろう」
順応訓練に三人は夜の野原を歩きまわる。
それから、射撃場の衝立の陰に風呂を用意して、順繰りに見張りに立ち、順繰りに垢を落とす。腰湯に浸かりながら夜空を見上げたアキラは、リラックスしている自分を面白がる。
ホントこんなところで何してるんだろうな?
無風であれば初心者でも中距離射撃はそう難しくない。
翌朝八時、三〇〇から五〇〇メートル標的に風穴を穿って中距離射撃能力証明をあっさり入手。続くステージ2ではケヴがまたもやエキスパート評価。アキラはシャープシューター評価。
通知が三つ届く。貸与装備のクロノグラフと気象計が贈与。そして小口径自動小銃で二五〇〇キル達成時、または射距離三五〇メートル以上で三〇〇キル達成時に開放される七・六二ミリNATO/308ウィンチェスター弾薬ならびに同口径ボルトアクション・ライフル、バイポッド、トライポッドがアンロック。それから『初心者スナイパー雨宮アキラくんのための長距離射撃ガイド』。
早速『長距離射撃ガイド』に目を通しながらケヴが言う。
「MRゼロとか、昨日おまえが説明した内容とあんま変わんねえな」
「強調チャプター、ぜんぶ読んじゃいましょう。ぼくの知識、ぜったい穴があるはずなので」
と、殊勝なことを口にしたアキラだが、少なからず己惚れを覚える。気象条件にとても恵まれたとはいえ、ひと月かけても八割方ムリだと想定していたアンロックチャレンジを一日足らずで全クリなんて、ぼくもなかなかやるじゃん、と。
なんにしろ、308/スリーオーエイト。またの名をスリーオー〝ヘイト〟。
正直なところ、ゲーム世界の基準でも、現実世界の基準でも、長距離射撃には最低ラインの弾道性能。パンチ力も遠距離になるとヨワヨワ。けれども、中距離内であれば標的に〝憎悪〟をぶちまける万能弾。モンスターカントリーでの生存率向上に欠かせない口径だ。
もちろん、使いこなせればの話。
もちろん、適切な弾を選べばの話。
アンロック一段階目の弾薬は一六八グレイン以下。大物狩りに実績のある狩猟用を幾つかと、より長距離の人間サイズに適した高BC競技弾を幾つか選ぶ。
アンロック一段階目のボルトアクション・ライフルは完品購入費用またはビルド費用一五〇〇ポイント以下。制限がきっつい。けれども、六倍の値が付くハイエンドに勝るとも劣らない精度の廉価ボルトガンはある。ゲームでがっつり使ったものを基準に何挺か買い求める。
うち半数の、低価格ラインの製品が軒並み、あえなくアーセナルの肥しになる。原因は主にアクションの低品質。ボルトを操作すると擦れる感じがし、時には操作中に引っかかり、時には実包が薬室に装填されない。引き金の遊びが馬鹿みたいに長いせいで正確に撃てないものもあれば(サヴェッジ、おまえを見てるぞ)、〝プラモのプラスチックかよ?〟というくらいストックが安っぽくて強度を信用できないものもある(レミントン、おまえを見てるぞ)。
残った候補は四挺。ベルガラB14HMRと、クリステンセンアームズのメサと、本場ドイツ製よりもうんと廉価な米国工場製シグサウアーSSG3000と、ブローニングXボルト・シリーズの中では比較的廉価なハンター・ロングレンジ。
予定になかったビルドも一挺、アキラは用意する。
購入費用制限の都合で、ライフルの心臓部である銃身とアクションにポイントをかけると、伝統的なストックまたはシャーシシステム、レールのいずれかで大きく妥協する羽目になる、と控えていたのだが、ふと目に留まった名が気を変えさせたのだ。
豊和重工のHOWA1500。
サヴェッジ社が別名で売っているものを除けば、『SNAFU』の銃分野に登場する唯一の日本製品。中国の衛星兵器攻撃(主に在日米軍基地狙い)で本州が壊滅状態というクソ設定なのだ。
弾さえ合えばサブMOA、ということしか知らないが、祖国に敬意を表して、アキラは重量級二四インチ銃身HOWA1500装着済みアクションを買う。五六〇ポイント。お安い。フルキットのシャーシシステムは拳銃型銃把と長いレールを持つMDT製ORYX第三世代。九二〇ポイント。
ただの遊び心だったのだが、アキラはこのライフルシステムを気に入る。伝統的なストックよりも人間工学に適い、ボルトの操作感は滑らかで、実包がちゃんとまともに装填され、二段階トリガーは、SSGのそれより劣るものの、切れ味が良い。
二人は五挺を試射する。
きわめて低反動な自動散弾銃やSMGや自動小銃ばかり撃ってきたため、〝ロバの蹴り〟にたとえられる308口径の反動にアキラはやや驚く。ポンプガンのようにガツンと一直線にやってくるのだが、もっと鋭く肩を突かれる。ガツンを軽減してくれる本体重量と、急速かつ急激な精度悪化を防ぐ熱管理に優れた銃身の両面から、最終的に絞れられた二挺はSSGとHOWA。
告白すると、アキラはシグサウアー社に偏見がある。銃器に限らず弾薬から照準装置まで製造してのける全能ぶりを技術力の高さというより商売っ気の強さと看做して――「ウェス、あの会社はそのうち自社ロゴ入り原子力空母を建造してきみんとこの海軍に売るよ」――ゲームですらシグ製品を敬遠していたのだが、SSG3000はその偏見をきれいさっぱり取り除く。シグのファンボーイに宗旨替えしたくなるくらい、良い。銃把から完全に手を離さないと解除しづらい安全装置のデザインは良くないが、全体的にはすこぶる良い。
けれども結局、拡張性の高さでORYX装着HOWAをアキラは採る。
「あたしはこっちかな」ケヴがSSGの弾倉に実包をこめながら言う。「ハイBCラウンドだと簡単にサブMOAが出るぞ、こいつ」
「じゃあ、そのシグ、ケヴさん用で」
両ボルトガンにハリス製バイポッドを装着し、新たに買い求めたNX8のアイリリーフを伏射姿勢で調整し、『長距離射撃ガイド』の勧めに従いリアバッグでストックを支え、準備的な零点規正と並行しつつ、銃口初速が安定するまで二人は銃身の慣らしを行う。昼食を挟んだのち、弾薬を選別してDOPEカードを作り、徐々に射距離を伸ばす。四〇〇メートル、四五〇メートル、五〇〇メートル……
急にアキラの弾が当たらなくなる。
射距離を短くしても、さっきまで当たっていた距離でも、命中率が低い。
何か狂ったのか、とライフルを確認するアキラに、ケヴが言う。
「おまえ、撃つときにまばたきしてるぞ」
アキラは虚を突かれ……無自覚だった症状に思い当たる。言われてみれば、スコープの鏡内像がちらちらしていた。発砲時のまばたきはフリンチの明白なサイン。〝目は心の窓〟とは内面だけに限らない。感情と連動した身体反応も目に表れる。この場合、まばたきが表すのは反動へのビビりとガク引き。
露骨なガク引きの症状は呈していないものの、人差し指がぴくっと引き攣れる程度の力みでも銃身を揺らす。射撃地点で銃身が一ミリ動くと、五〇〇メートル先では着弾が五〇センチ以上ズレる。
そりゃ命中率も下がろうというもの。
フリンチの三大要因のうち、銃声はイヤプロのおかげで不快感なし。銃口衝撃波も長い銃身のおかげで不快感なし。反動も、六キロ超の総重量(マジ重い)が自動散弾銃並みに軽減している……が、改善できるとしたら反動しかない。アキラは減音器を導入する。アンロック一段階目はフツーのやつ。その中で精密射撃用減音器の花形は、TBACウルトラ7と9。ボルトガンの用途と役割からウルトラ9でいく。
甲高くなった発射音と共に、はっきりそうと感じ取れるくらい反動が減る。おまけに――というか、選んだ理由の一つでもあるのだが――TBACウルトラは減音器の悪しき側面である着弾点移動が最小限。SSGやHOWAの分厚い重量級銃身なら、零点の修正不要レベルを期待できる。
その検証にあたり、フリンチの症状を一切呈していない、そして射撃がとても上手なケヴに射手役を代わってもらう。
「これ、シグにも付けれんの?」
もちろん。マウント用のCBフラッシュハイダーをSSGに装着して、減音器カバーで着ぶくれしたウルトラ9をねじ込み、HOWAと代わる代わる10ショットグループを三つ。
両者の着弾点移動は、銃身と弾薬の通常精度変動に紛れてほとんど見分けがつかないレベルの、下方に約〇・五MOA。であれば、七〇〇メートル先でも着弾点移動は一〇センチ。胴体ヒットになんら支障なし。
減音器が冷めるのを待ってから、取り外して10ショットグループを三つ。ふたたび減音器を装着して10ショットグループを三つ。
「どう?」伏射姿勢でケヴが尋ねる。
「カンペキ」操作盤からアキラは答える。「付けても外してもPOIシフトはぴったし定量」
大事なところだ。ボルトガンの減音器は付けっ放しの予定だが、交戦中、何か問題が生じて外すことになったときに着弾点の移動量が予測不能だと困ったことになる。
「熱の影響は?」
「可能な限り速くボルトを操作して一〇発撃つとかじゃなければ、たぶん大丈夫」
「しっかし長えな」
二四インチ銃身に九インチ減音器がくっついているのだから、そりゃ長い。
「でも持って歩き回るわけじゃないし」
「コンプはどうなん? コンパクトなセットアップって意味で」
「携帯性を最優先するなら理に適ってます。モノが良ければ反動の軽減も四〇パー以上でほとんどのサプレッサーより上。でもコンバットゾーンでは非推奨」
なぜ非推奨なのかアキラは実演する。
用意したコンプはAPAリトルB。
コンプ未装着状態で数発撃ち、装着状態で数発撃つ。後者では発砲時の衝撃による十字線の跳躍が半分近く減じ、同じ308口径とは思えないくらい撃ちやすい。556に近い。けれども――
「なるほど」イヤプロをずらしていたケヴが納得する。
ライフル用コンプはピストル用のそれとは比較にならないほど銃声を増幅し、その付近、とりわけ隣にいる者が耐えがたさのあまり殺意を抱くレベル。さらに、狭い範囲に指向誘導された銃口衝撃派が地面から土埃を派手に巻き上げる。アキラは口に入った砂利をぺっと吐く。
「昼間でも位置バレ待ったなしだな」
「主な用途は競技用ですから、コンプ」
コンプ装着時の土埃を目立たなくする方法として、銃口付近の地面にシートを敷いたり、水を撒いて湿らせたりする予防措置はあるが、下準備の時間を取れるとも限らず、いつでも講じられる手段とは言い難い。
「やっぱサプレッサーですね」
ところが、その反動軽減をもってしてもアキラのフリンチは治まらない。どうやら、軽い狩猟用308ライフルで試射したときの〝ロバの蹴り〟が怖気を心に焼きつけたらしい。
困ったときの『射撃ガイド』。載っていた矯正法を行う。
ドライファイアに励むアキラを、すぐ隣に寝転んだケヴが見守り、言う。
「おーい、体全体の輪郭がブレるくらい動いたぞ」
「今のナシ。見られてると思うと緊張して」
「可愛いこと言うじゃん」
アキラはボルトを操作してふたたび引き金を絞り込む。
カチッ。
「肩が跳ねた」
カチッ。
頭が揺れた、顎が動いた、まばたきした、手がぴくついた、頬がぴくついた、眉がぴくついた、まぶたがぴくついた、と当事者であるアキラには自覚不能な程度までフリンチのサインが小さくなっていき、小一時間後、引き金を引いてもまつ毛一本、微動だにしなくなる。ここまでくると、アキラの主観でも効果はてきめん。ブレイクの瞬間に十字線は上下左右に動かず、静止状態。
ケヴが指摘したもう一つの悪癖も根治にかかる。
「おそらくフリンチで命中率が落ちたせいだと思うが、おまえ、撃ったら即、弾がどこへ飛んでいったか確認しようとしてスコープから頭を上げてた。毎回だ」
「あー……やってたかも」
「〝かも〟じゃねえ。やってた」
つまりは、ファロースルーの不徹底。
アキラはドライファイアに一つの過程を加える。引き金を引いたあと、胸の中でゆっくり〝いち……に……〟と数えてから引き金をリリースし、ボルトを操作し、引き金を引き、いち……に……
最終確認に実包を五発撃つ。
「どうでした?」
視野の隅に、アキラの仕草を真似して立てられた親指が現れる。
身に着けるべき良い癖にも取り組む。
各『射撃ガイド』でくどいほど強調されている一貫性だ。
一貫性は武器弾薬の性能以上に、射手にこそ求められる。毎回異なる姿勢、毎回異なる銃把の握り方、毎回異なる引き金の引き方、毎回異なる補正をしていては、たとえそれらが微差であっても、射撃の結果となって如実に現れる。着弾位置がブレブレという形で。
逆に射手の挙動が一貫すると、着弾位置が正常な精度変動の中に収まる。一貫性は射撃前の段階も含まれる。ライフルの背後に寝そべるとき、膝を突くのは左が先? 右? 上体を倒すときに突くのは左手が先? 右? 同時に両手? 一貫性は挙動だけに留まらない。装備をどう身に着け、どう配置し、どう広げるのか、自身が最もしっくりくる作法を決めて毎回、寸分違わず繰り返す。なんなら、片方の靴下は普通に履いて、もう片方は裏がえして履くくらいのことまでする。
LBEの調整中、オープントップ型のライフル弾薬ポーチは、大きな姿勢変更や激しい動きで弾倉が勝手にすっぽ抜けるリスクがあると判明し、二人はフラップ型弾薬ポーチに切り替える。
実弾訓練を再開して射距離を伸ばしていく。
またもや弾が当たらなくなる。
アキラだけではなく、ケヴまで。
風が出てきたのだ。
長距離射撃は〝サイエンスとアート〟と呼ばれる。
弾道に話を限定すれば、射距離ごとの着弾落差を測距計や弾道ソフトウェアなどのガジェットで解きほぐす部分がサイエンス。着弾偏差を風の評価で解きほぐす部分がアート。
風読みは〝偉大な推測ゲーム〟だ。
気象計が教えてくれる風速と風向は射撃地点のみで――至極当然――、こと戦場においてはうんと離れた標的とのあいだにどんな風が幾つ吹いているのかをつぶさに教えてくれる吹き流しなどなく――これまた当然――、射手が様々な指標と感覚を駆使して自力で読み解くしかないからだ。
平凡な射手と一流の射手を隔てる最大の壁の一つがこれ。
遠距離の風読み能力。
裏を返せば、風の評価能力が磨かれると、長距離の命中率は劇的に向上する。
無論、簡単ではない。左手で脳腫瘍摘出手術に臨みながら右手で豊胸手術に励むくらい難しい。欲求不満で破裂しそうになるほどに。
上達する方法は二つ。
一つは、ケストレルに代表されるポケット気象計で遊ぶ。計測された特定の風が周辺環境に及ぼしている影響を観察し、記憶し、視覚と体感を通してせっせと溜め込んだ判断材料を基に気象計に頼らずとも瞬発的かつ正確に評価できる感覚を養い、それらを遠くで吹きすさぶ憎いあん畜生に応用する。
そして、とにかく風の中で撃つ。
一発一発を考え抜き、一発一発を記録し、一発一発を分析する。優秀な射手はその記録帳、DOPEブックを何冊も何冊も何冊も作り、折に触れては読み返す。
かつて電脳空間の戦場で一・五キロ先の風を実用に足る精度で評価できたアキラは、現実世界の至近の風を前にして、エゴが青あざだらけになる。草木の動きと気象計の表示を照らし合わせてみるに、地球式の風速指標は異世界の植生にも当てはまるようだが……なぜこんなにムズイのか。
カンペキお姉さんも風の評価に手こずって舌打ちを隠せない。
二人は射撃を中断して気象計で遊ぶ。ゲーム時代の狙撃の師匠、リカルドは言っていた――「何事も基礎がめちゃクソ重要だが、たいていの基礎練は退屈で、退屈してる人間の学習効果はダダ落ちする。ちょいちょい難しい課題を交ぜる意義はそこ。退屈してる暇なんてなくなるし、目指す場所へ辿り着くには何が必要なのか本気で考えるようになる。そいつが薄ら馬鹿じゃなけりゃ、目的地の最短距離は基礎をマスターすることにあると真から理解して学習効果がブチ上がる。つーわけで、いっちょ難しいやつ、やろうか?」
この世の地獄の二人も、いっちょ難しいやつをやる。
緊急事態に備えて突撃隊員のように完全武装したアキラは、約五〇〇メートル離れた隣の丘へ赴く。その動きを双眼鏡で追うケヴに向けて、配置完了の合図に大きく腕を振る。
色っぽさと紙一重の悩ましい声でケヴが無線越しに言う。
「あー……んんん……一時の……四メートル」
アキラは気象計をかざす。
羽根車がくるくる回る範囲と風速表示を確認してPTTボタンを押す。
「風向きは一時半から二時の、一時半優勢。風速は五から六メートル強、あいだを取って五・五」
「本気でムズイんだが、これ」
「いや、誤差一・五ならぜんぜん悪くないです。平均的なシューターってところ」
「上手いやつでどんなもん?」
「こういうアップダウンが緩い開けた自然環境でプラマイ一メートル。渓谷みたく、いろんな風があらゆる方向から吹き込む最悪の地形でプラマイ一・五メートル。ただ、正規分布は風読みにも当てはまるんですよ。トップレベルの人たちは三回中二回、いま挙げた数字の半分以下の誤差で風を把握。ほとんど超能力の域」
二人は怪物エアポケット内をうろついて難しいやつを繰り返し、片方が移動中や待機中のときは、観察と体感で評価した至近の風速と風向を気象計で答え合わせする。
日が暮れる前に、その日の勉強の成果を実弾射撃で確認しておく。
まあまあ『SNAFU』どおり、とアキラは思う。射距離三五〇メートルまでなら、射撃地点または射程前半の風のみを用いた弾道偏差補正で命中は難しくない。むしろ簡単だ。
三五〇メートルを超えると?
ゲームの性格が変わる。
標的付近または射程後半の別方向から吹き寄せる第二、第三の風を見逃したり、地形が及ぼす風の強弱を考慮に入れ忘れたりした日には、銃弾は人体大標的を掠めるか、大きく逸れた位置に土埃を立てる。風がしっかりと吹いている今は尚更。
くっそおおおおお。
リアルの狙撃、ガチでムズイんですけど。
続く五日間、二人は考え抜いた一発を日に平均百発撃つ。
百発中、三割は伏射。七割は三脚を使った座射と立射。伏射の練習が三割ぽっちなのは、地形的制約から最大限に楽観視してもその機会はあまりなさそうだから。三脚を幾つか試した結果――安い買い物ではない――座射にはスパルタンプレシジョン社のホップライト、立射にはトゥーヴェツ社のリーコンV2LSi。伏射不能かつ三脚使用不能な状況を見越して、委託物なしの座射も練習しておく。開脚座射、足首交差座射、胡坐座射、カーロス・ハスコックの写真で有名な〝狙撃兵の揺り籠〟。
ケヴはアキラ以上に苦労する。レーザー測距計に匹敵する目測能力など持っていないからだ。ライフル弾の着弾落差が浅い射距離三〇〇メートル前後までは大雑把な目測と補正でやっていけるが、より遠くを狙う際に距離を数十メートル見誤ると命中率がガクっと下がる。標的を撃ち越したり手前に土埃を立てたりしてしまう。
ゲームで散々苦労させられたアキラは、複合的な解決策を教示する。
土台になるのは電子地図の活用。
位置関係が秒刻みで変わる流動的な交戦:リアルタイム戦術マップ上の表示物と眼前の風景を対照しやすい縮尺――四〇〇から六〇〇メートル四方――に表示範囲を狭めることで、脅威との大まかな相対距離を把握。無個性な地形では比較対照に難があるものの、流動的な交戦は追いつ追われつの近距離戦になりやすいため、およその目測と併用すればさしたる支障なし。
狙撃/定点攻撃:射界にある主立った特徴(樹林・窪み・隆起・河川・池など)の事前計測距離を書き込み機能で付すことにより、標的がどう動いても射距離をぱっと把握または推測できる。やはり特徴の少ない地形では比較対照に難あり。
この二つを基本にガジェットとテクニック。
ガジェット:双眼鏡やTIカメラのIR測距計。測距レーザーの拡散が小さく留まる範囲であれば射距離を瞬時に教えてくれる。しかし品質と距離と気象条件によってはレーザーが拡散してピンポイント計測できず、標的の上下左右にある広い面、地面や崖や森林線に複数回照射して絞り込まなければならない上、流動的な交戦ではいちいち使っている暇がない。
テクニックその一:ミル計測。標的のサイズを知っていればかなり正確に射距離を計算できる。計算結果のエラーを最小に抑えるには気難しいパティシエがああしろこうしろと命じるお菓子作りの計量ばりの厳密さが計測とサイズ把握に要求されるため、IR測距計の使用に難があるときに用いる最後の手段。
テクニックその二:感覚の陶冶。この倍率でこんな風に見えるから距離はこのくらい、と直感的に判断できるまで経験を蓄積し、空間認識能力を磨く。短期的な成果を得られにくく、長射程では山勘と紙一重。
これらの組み合わせを自分に合った手順に落とし込むには、ひたすらトライアル&エラーしかない。ランダム配置した標的に実践しながら、ケヴが本気とも強がりともつかないことを言う。
「新しいことを学ぶのは刺激があっていいな」
合間合間に気分転換の筋力トレーニングをし、有酸素運動をし、カザルゥ教授の薬草探しに付き合い、拳銃を撃ち、散弾銃を撃ち、SMGを撃ち、AR15を撃つ。
AR15。TEOTWAWKI(世界の終わり)シチュエーションが来たらとりあえず556AR15をひっつかむ、という専門家や終末論争オタクが多いのも納得の使いやすさ。中・大型捕食野郎との遭遇率が高い〝この世の地獄〟では少々パンチ力不足だが、長い射程という空間的(ひいては時間的)優位を確保できるのはとても精神衛生に良い。何より撃ちやすく、よく当たる。ついREMの名曲を口ずさむ――ぼくらが知ってるとおりの世界の終わり、いい気分だぜ!
あまりの音痴ぶりがマイケル・スタインプの癇に障ったのか、アキラの中距離仕様CM4が調子を崩す。556は308より低BCという点を考慮しても、命中率が思わしくない。なぜか急に精度が落ちてしまった。使用弾薬、チェック。自動診断、チェック。零点規正、チェック。スコープマウントの装着具合、チェック。でも何かがおかしい。
『射撃ガイド』に答えを見つける。
おかしいのは自分。
セミオートライフル使用時はすぐに次を撃てるという甘えや緩みが生じて、無意識にマークスマンシップが雑になる傾向があるらしい。
矯正方法:弾倉に一発だけ装填。または、排出口から薬室に手で装填。そしてボルトガンと同じ緊張感――この一発をミスったら次はない――を持って撃つ。様子を見て弾倉にこめる弾数を三発か五発に増やす。さらに様子を見てフルロードする。早ければ三〇分ほどで根治。
新たな悪癖を矯正したその日、ケヴが自動小銃の連射を試したいと希望する。
SOCOM銃身の本家本元コルトM4A1、といきたいところだが、より実用性が高いKAC四面レールを標準装備したFN製M4A1を選ぶ。同一のテクニカルデータ・パッケージで作られているのにFN製のほうが安いというのも理由の一つ。
やっぱこのへんもゲームと違うな、とM4を撃ちながらアキラは思う。ガスチューブの長さによる反動の変化は『SNAFU』でも再現されていたが、照準のブレに僅かな差が出る程度のものだった。体感を伴う実銃では明白に違う。中間長ガスシステムのCM4の撃ちごたえを「きみの邪魔をしたくないのだが」式の礼儀正しいノックだとするなら、カービン長ガスシステムのM4A1は「さっさと開けろ、この野郎」式のイライラしたノック。反動が少々荒い。撃ちづらいとまではいかないが、肩を鋭く速く突かれる。結果、レチクルの跳ね上がりが僅かに大きくなり、次弾の再照準が少し遅れる。しかも軍規格一段階トリガーはやたらと擦れる感触がする上に重い。銃がブレる。さらに頑丈なKACの重量でフロントヘヴィ。腕が疲れる。
背後で短い連射音が断続する。
操作盤で着弾確認をするケヴにアキラは尋ねる。
「どうです?」
「二五メートルはそこそこいける。五〇でダメダメ。一〇〇んなると、指でコントロールしたバーストでも最初の一発以外ぜんぶ外れるか、たまーに二発ヒット。フルオートのほかの問題点、サブガンと同じ?」
「基本的には。でもピストルの弾より大きな熱が発生するので、もっと深刻。リアルの兵隊さんも滅多にフルオートで撃たないって聞きますし」
アキラも試しにオートに切り替える。ヴェクターのそれよりも乱暴で、着弾点が散る。マジで使いどころがない。やたらと突っ込んでくるタイプの怪物どもには〝騒音でビビらせる〟〝頭を下げさせる〟といった心理的効果が極めて薄い以上、連射は弾のムダ。大物には――
「よお、フルオートでデカブツに対処――」
「絶対やめたほうがいいです」アキラは言葉を被せる。
二二口径ライフル弾は質量が小さすぎて突撃状態のデカブツには阻止力に欠け、貫通力に特化した狩猟用弾頭であっても分厚い毛皮・脂肪層・筋肉・骨のどこかで止まってしまう公算大。大型捕食動物を殺せないとは言わない。数十発(あるいは一〇〇発)食らわせれば、たとえ重要臓器に届かずとも、体表からの大量出血や激痛や感染症でいずれ力尽きるだろう。もちろん、〝いずれ〟では遅すぎる。大物への対処に限れば、スラグ装填自動散弾銃のほうがよほど頼りになる。
「なら大物以下の連中には、どんくらいのノックダウンパワーを見込める?」
「えーと……こう言えばわかりやすいかと。地球で最も実戦経験を積んでいる特殊部隊の人が556ライフルで近距離ドリルをするときは必ず、同一ターゲットに二発か三発撃ち込むそうです。さらに言うと、倒れた敵の傍を通るときは頭に一発」
「あんま威力は高そうじゃねえな」
「胸に二発でほぼ致命傷ですけどね」
「あたしはM4でいくかな」ケヴが言う。
「そんなに気に入ったんですか?」
「いや、CM4のが使いやすいんだが、一応の選択肢としてフルオート機能がほしい」
そういうことならば、とアキラはビルドを推す。反動がより滑らかでより堅牢な銃身を搭載したCM4上部レシーバーと、セレクトファイアのM4A1下部レシーバーの結合だ。
「できんの?」
「できます」念のためにテクニカルデータを開く。どちらも厳密な軍規格。どちらもH2バファー。ビルド費用制限内。「大丈夫。でもM4は引き金がアレなので、近距離用にしたほうがいいかも」
三〇〇メートル以内の〝近距離用〟自動小銃を用意するにあたり、ケヴが提案ビルドのM4A1クローンにEOテクと拡大鏡を装着する。アキラは単にCM4にACOG。といっても、ビルド費用制限――マジ鬱陶しい――を超えないよう、最初に買った軍規格一段間トリガーの下部レシーバーを流用し、夜戦の減音器マウントとしてショアファイア製三つ叉フラッシュハイダーに換装した、中距離用とはセットアップの異なるCM4だ。
射撃ドリル中、固定四倍率では一〇メートル以内の複数標的への対処に若干の困難を覚えて、トリジコン社の頑丈なマイクロドット、RMRをACOG上面にマウントする。ごく普通の接近戦用セットアップだし、良い考えだと思ったのだが、RMRの窓を覗くには鶴みたいに首を伸ばさなければならず、姿勢が崩れて使いづらい。ライフルを傾けるだけでマイクロドットを覗けるオフセットマウントを買い、RMRを引っ越しさせる。とても使いやすくなる。中距離用CM4で接近戦に突入したときの備えに(LPVOを一倍率に下げる暇すらない局面はゲームで腐るほど経験済み)、こちらにもオフセットマウントとRMRを装着しておく。
そのうちやろうと思ってアキラが失念していたことを、ケヴが提案する。
実戦的なマルファンクション解消ドリル。
やり方は、アキラはケヴの弾倉に、ケヴはアキラの弾倉に、実包と模擬弾をランダムに装填。模擬弾は三〇発中一発かもしれないし、五発、あるいは一〇発かもしれない。近距離射撃ドリルの最中に不発が発生したら即座にライフルから手を離し、バックアップ拳銃を抜く。そして事態が沈静化したのち、ライフルの不具合を分析、必要な手順で解消、ライフルを戦線復帰。至近に脅威の姿がない中距離射撃ドリルの最中に不発が発生したら、即座に不具合の分析とマルファンクション解消。これを体が自動的に反応するまで繰り返す。
短機関銃や自動散弾銃、ポンプガン、ハンドガンでもこの練習を行う。
同日の午後、難しい風のコンディションの中で初めて、アキラは五〇〇メートル標的に命中弾を送り込むことに成功する。
その瞬間まで、絶賛勉強中の射撃技術は単なる生存技術にすぎなかったのだが――
――遠い鋼鉄標的が〝コン!〟と美しい調べを返して――
――ぶわっと脳汁が溢れる。
長距離射撃がスポーツと呼ばれる所以を、多くの人が虜になるわけを、その中毒性を、アキラは骨の髄から理解する。命の危険に瀕したアドレナリンダンプに似ているようでいて決定的に性質の異なる、ひたすら爽やかな快感が脳髄を洗い、意識を白熱させる。生命感覚が全身に漲る。
……おもろい。
すげぇ面白い。
なんか手が震えてるんですけど。
風が変わって次弾は大ミス。次は……コン! モンスターカントリー以降は滅多に見られなくなっていた本物の微笑がアキラの頬を緩ませる。
おもろい。
カザルゥが自分で自分に銃の携帯許可を出した日の夕刻、複数の通知が届く。
山間部の記録的豪雨の影響により洪水が発生。被害状況に応じて想定安全区域を簡易広域マップ及びリアルタイム戦術マップに反映。現ビバーク地点を含む下流域では水害を察したモンスターが付近の山などへ避難を開始しており、コロニーの動向のみ、簡易広域マップ及びリアルタイム戦術マップに反映。洪水の予想到達時刻は一九時プラスマイナス半時間。今回の大規模浸水により本来は近づくことすら無謀な地域(怪物が巣食う大小の街や迷宮出入り口が多いらしい)を新たな脱出ルートとして選択可。
アキラはリアルタイム戦術マップを開く。
どうやら、この怪物エアポケットは水没するようだ。しかし三キロ北上すると地面が高くなり、安全区域を意味する蛍光ブルーの斜線。慌てなくても充分に間に合う。
簡易広域マップに切り替えると……おおう、一〇キロ四方の全コロニーが移動中。ブラウン運動のようなでたらめではなく、方向性を持って。およそ半数は東のチェゼロ山脈のほうへ。もう半数は西のエヴ=レテナ連峰に至る高地のほうへ。ごく一部は領都レヴネントのほうへ。
「こいつらどうやって知ったんでしょうね?」アキラはどちらにともなく問う。「鉄砲水とかそういうの、まだ来てないのに」
「野生動物と同じだ」とケヴ。「化けモンは感覚が鋭い。災害が起きる前に姿を消す」
「二本脚も?」
「二本脚も。人間だって注意深いやつはかなり早い段階で察するぞ。水嵩は増えていなくても、鳥が消えた、虫が消えた、妙に静かだ、空気もヘンだ、なんかヤバい、みたいな感じで」
「そのとおり」とカザルゥ。「野生動物もモンスターも、そういった予兆を見逃さん。いるべき場所にモンスターがいないのなら、災害発生の秒読み段階だ。で、ルートはどうなっとるんだね?」
「どっちもどっちというか……」
新経路:メリットは移動距離の大幅な短縮。南北に国土を跨ぐかつての大穀倉地帯や大規模農業地をほぼ一直線に突っ切るロマネリク大街道を通ることで、現在地から約一八〇キロでゴール。デメリットは、新経路の周辺が台地であるため、洪水到達から五日ないし一〇日で表面水が引く見通しであること。よって、最短の五日で一八〇キロを踏破できなければ、ゴールテープを切る前に脱出ルートと怪物密集地を隔てる障害が消えて襲われ放題のリスク有り。
アキラは簡易広域マップの想定安全区域を指し示す。
「新ルート、広い一本道みたいに伸びてますけど……この台地に逃げ込んだり、取り残されたりしてるモンスターも相当数いるはずですよね?」
「ま、一匹もいないなんてことはないだろうな」とケヴ。
「道先にコロニーが丸ごと残っていても不思議ではないよ」とカザルゥ。
アキラは二人の顔を交互に見やる。
「そんな状況で一日三五キロ進めると思います?」
「わしらの武器と戦術と現状なら、その倍近く進めるかもしれん」カザルゥが言う。「ルート上に相当数がいようともモンスターは食い合いで数を減らすし、普段よりも過酷な環境で衰弱もする。水が引く前に一八〇キロの踏破は、かなり見込みが高いと言えよう」
「その一八〇キロなんですが……湖とかが溢れるにしても、水害の範囲、広すぎません? この情報、本当に信じて大丈夫?」
「信憑性はかなり高いとも」
「どのへんが?」
ケヴを凌ぐ野外知識を持つカザルゥから明快な答えが返ってくる。
内水氾濫。
モンスターカントリーのように地下水位が高い土地で河川が急激に増水すると、連鎖反応で地下水が地面から溢れ、外水氾濫との相乗効果によって浸水被害の程度と範囲が何倍にも、最悪数十倍にも、拡大するらしい。
なるほど。信じて良さそうだ。
そして旧経路:メリットはくされタイムアタック要素がないこと。デメリットの一つは、これまで使ってきた街道が低地を通るため、レヴネント以北の通行再開まで二週間から三週間かかる見通しであること。さらに、現在地からゴールまでおよそ二五〇キロのグネグネした道のりであること。
石橋を叩いて叩いて叩きまくって渡りたいアキラとしては旧経路に惹かれる。ボルトガンとAR15の練習をあと半月できるのも大きい。ケヴとカザルゥは別意見だ。
「訓練にあと二日くらいは、と考えていたんだが、さすがに最大三週間の足止めはな」
「うむ。モンスターが冬支度に入りだす」
「そうなりゃ雨でも連中は動き回る」
「餌を求めて湿地帯にも頻繁に出没するようになる」
「んで、こういう安全地帯は安全じゃなくなる」
「知っておるかね? 秋から初冬にかけて、冒険者の行方不明率が倍増するくらいだよ」
「ああ、資料で読んだことあるよ」
「こっちの感覚で今は夏のどのあたりです?」とアキラ。
「ここ北部は夏の終わり」ケヴがPDAのカレンダー機能を出す。「地球の暦でいうと、九月初旬を過ぎたら空気はもう秋だ。化けモンの活動高進状態の本格化は下旬と言われてる。伍長、合ってるか?」
「わしが読んだり聞いたりした限りでは。北部は専門外だから確かなことは言えんがね」
今日は九月二日。
怪物がハイパーアクティブになるまで二週間半。
とたんに旧経路の魅力が失せてくる。
「ぼくが人生で何かを学んだとしたら……事前調査と綿密な計画は物事を上手くやる基本だが時には慎重さを投げうって大胆にならないと切り拓けないことがある……これ、ガキのたわ言だと思います?」
「いいや」とケヴ。「それは単なる事実だし、今は後者だとあたしと伍長は言ってる」
カザルゥがうなずく。「一分たりとも無駄にできん。即時出発を強くお勧めする」
「だな。今すぐ出ねえと、台地に辿り着けなくなる」
三人は急いでテント諸々を撤収し、装備を整える。
生息数が多い人間サイズや鹿サイズの怪物用に、自動小銃を常時携行。より大型の怪物用に、施条スラグ装填自動散弾銃と10ミリ短機関銃を〝ベッド〟に固定。宵闇が訪れたときにバタバタしなくても済むよう、夜間戦闘装備をスロットに待機。
グロック10ミリの動作確認を行うカザルゥにアキラは尋ねる。
「朝から晩まで移動して実際、一日でどれくらい進めそうですか?」
「モンスターの件を除けば、地勢次第だね。もう一度、地図を見せてくれんか?」
アキラは簡易広域マップを出す。
等高線図からして――
「うむ、一度高台に出てしまえば、全体的なアップダウンは緩い。かつての領境に峠の一つや二つあるかもしれんが、日に四〇キロは堅いよ。適切な休憩とペース配分で五〇キロから六〇キロといったところだ」
「六〇はきつくないか?」とケヴ。「二頭ともジジイだぞ?」
「若駒のように走れんだけで、体力はそう衰えておらん。この一週間で疲れも取れておる。馬車も軽くなった。順調に進めば明々後日の夕方か、弥の明後日の朝には、ジェダイトの冒険者村で人心地ついておろう」
「いけますかね?」アキラはどちらにともなく尋ねる。
「質問すること自体、間違ってるぜ」ケヴが言う。「ただやるんだよ」
洪水の被害域拡大速度ときたら、大自然への畏敬の念に打たれるほど。
上流である北北東から河川沿いに浸水を意味する水色がみるみる広がって、小一時間後にはデジタルマップ上の出来事ではなく、物理現象となって眼下に現れる。
最初に聞こえたのは地鳴りのような音。
起伏の連なりから覗き見える遠い川が茶色に染まり、溢れ、低地を浸食しだす。半キロ以上離れているが、アキラは落ち着かなくなる。想定安全区域は更新されるたびに狭まって今や当初の六割。現実の地形もあまり慰めにならない。雑草に覆われている台地は、高いところで河川との高低差が一〇メートルほどなのだ。起伏だらけの自然環境の中ではただの誤差にしか思えない。怪物もそう感じたらしい。付近に一体もいない。
ケヴとカザルゥも憑かれたように現在進行形で拡大する水害の様子を見つめている。
ありふれた警句をアキラは実感する。
自然を侮るなかれ。
分刻みで広がる遠い水面のきらめきと、ボロい大街道と、両脇の野原を見比べながら尋ねる。「そのうちこの辺も水が噴き出す感じですか?」
「現時点ではその心配は低いの」とカザルゥ。
だが留意すべき点がある、と続ける。
「無駄な質問を省くために基本から教えてしんぜよう。一、ここはかつての穀倉地帯で、農地に適した黒土は高い保水性と、雨水などを効率よく地下に逃がす排水性を併せ持つ。二、たとえ地下水位が高くとも浸水区域との高低差が一メートルもあれば排水性は阻害されん。三、黒土の保水性を飽和状態にするような大雨がここでは降っておらん。よって、現時点では台地から内水が溢れる懸念は低いと言えよう。ただし、この辺りも大雨に見舞われようものなら、おわん型に数メートル低まっている地点が水で埋まる恐れがある。迂回しようにも、雨や内水でぐしゃぐしゃの草地ではまともに馬車を走らせることができん。立ち往生だ」
聞きながら、アキラは北東の空に目を向ける。
天を突かんばかりの入道雲。その黒い根本で数秒置きに黄色や紫色の稲光が瞬く。雷鳴は聞こえてこないが、相当荒れているようだ。
あれのせいでさらに増水したら、詰む。
数日中にこの辺りの天候が崩れても、詰む。
アキラの肩にケヴが手を置き、同じ方向を見やりながら言う。
「雨にはならねえよ」
「アウトドアの経験からくる勘?」
「うんにゃ。旅の守護神への信頼」
しばらくして想定安全区域の更新がやむ。マップ上でまともに地面が続いているのはこの高台だけだ。残りは緑色と水色が半々のパッチワーク。
「さて、どちらにするね?」カザルゥが尋ねる。「日中移動か、夜間移動か」
洪水の浸水規模を確認するまで保留にしていた点だ。
走行中の地面の様子や緊急事の脅威の位置といった状況認識力を優先する代償に、夜明けまでの待機/出遅れを甘受するか。一刻も早く出発して踏破速度を優先する代償に、昼夜逆転による状況認識力低下を甘受するか。
「夜間で」とアキラ。「水が引く日数はあくまで〝見通し〟だし。ミニマムの五日より早く引く可能性があるなら半日のロスは痛すぎるし。局所的にはもっと早く引いてもおかしくないし。この様子だとモンスターは……両棲モンスター、出ますかね?」
「出るかもな」ケヴが遠くに目を凝らす。「だが、流入していたとしても冠水範囲はクソほど広い。両棲コロニーの傍みたくうじゃうじゃってことはねえよ。不用意に水場に近づかなけりゃ、いきなり襲われる危険は低いだろうぜ。油断したりボーっとしたりしない限り、連中がこっちに気づく前に、こっちが先に連中に気づく」
「じゃあ、モンスターはあんまいないっぽいし。もし大量にいて夜間の対処が厳しいなら、そのとき日中移動に切り替えればいいし。だから夜間で」
「あたしも夜間」とケヴ。「ノッド、星明り、レーザー、サーマル、マップ、戦女神の指定ルート――こんだけ揃ってりゃ不意を突かれることも立ち往生することもねえよ。伍長の意見は?」
「もし誰かが日中移動と口にするようなら、あたう限りの弁舌を振るって説得するつもりでいたよ、わしは。ではお二人さん、馬の水を用意してくれるかね?」
ついでに腹ごしらえと歯磨きを済ませたとき、太陽が沈む。
夜戦用スロットのQSトランクを出して、三人はヘルメットを被り、各銃火器のセットアップを変える。カザルゥが減音器用耐熱ポーチから主に発射炎抑制目的のバニッシュ45を取り出して、グロック10ミリにねじ込む。アキラとケヴは、やはり発射炎抑制が主目的の馬鹿みたいに頑丈な556/223用減音器RC2を銃口にねじ込む。それから、赤外・可視両光線照射装置MAWLを、アバター経由で短距離用MC4に装着してIRレーザーを二〇〇メートル・ゼロに設定する。宵闇が深まるのを待ってNODを起動し、ヘルメットのキジK1、ライフルのMAWL、拳銃のミニIRの照射テスト。アキラとケヴはMC4がコンディション1(弾倉挿入、薬室に実包、安全装置ON)になっていることを再確認し、放出口カバーを閉じる。カザルゥはグロック拳銃のプレスチェック。
『チーム行動の手引』どおり三人はお互いの装備を点検し、準備完了の合図に親指を立て合う。
そして馬車がガタゴト進みだす。
「ノッド越しの運転、大丈夫そうですか?」アキラは御者台に尋ねる。
「視野が狭いこと以外、不都合はないとも」とカザルゥ。「街道の様子はちゃんと見えとる。事故りはせんよ、おまえさんと准尉が地形の急激な変化を地図で見落とさん限りはの」
そのマップによると、冠水は深い箇所で水深数メートル。とはいえ、遠い浸水区域と限定的な夜間視程が合わさり、NOD越しではいつもの夜景に見える。いつもと違うのは、夜泣き鳥の〝うーうー、あーあー〟や虫の音の不在。世界が終わったかのように静かだ。
動きもまるでない。
この三人と二頭以外の生物が死に絶えた錯覚を覚える。
すぐに間違いだと知る。
北上すること数キロ、レヴネントの表示が簡易広域マップの右隅に現れて、ほとんど見切れている市街地に複数のコロニー。船舶の交通と大量輸送に適した河の屈曲部に領都が築かれたため、等高線図から判断するに、建物の一階部分は完全に浸水しているはずだ。上階や屋上で肩を寄せ合う怪物の群れを想像したアキラは、害虫の巣に等しい嫌悪感を抱く。
さらに数キロ後、馬車を停める。ハラスの身体疲労と人間の眼精疲労を軽減するための、移動一時間につき休憩一五分のルーティンだ。眼精疲労に関しては念のため程度。白ファスファーは目が疲れにくい。マニュアルによると、合う合わないの個人差はあるようだが、今のところ、三人は白ファスファーの使用にまったく不便な思いをしていない。
軽い眠気を覚えたアキラは、普段は飲まないコーヒーを買う。さらにシュガーレスのスーパーミントガムを何粒も口に放り込む。ケヴはコーヒーの苦みを好まず――「湯で溶いた泥か、これ?」――濃い紅茶を淹れる。カザルゥはコーヒーを気に入るも、ミントガムを好まず――「刺激が強すぎてかなわん、口が痛い」――眠気覚ましに濡らしたタオルを首に巻きつける。
レヴネントが約一〇キロ真東になり、通り過ぎ、その直後に通知が届く。洪水関連の悪いニュースかと思いきや、素通りした標的コロニー群の符号が次に繰り越されるとの事務的な内容。アキラはほっとする。
標的符号の繰り越しの機会が訪れないことにも、ほっと息をつく。
何も起こらない。
本当に何も。
ちょっとした出来事といえば、台地がぐっと低まっている箇所で窪地にぽつぽつとプールが出来、左側の冠水区域がNODの可視距離に入ったことだけ。そこを通過してしまうと、プールが消え、暗い水面が遠のき、行けども行けども変わり映えのしない起伏と野原が続く。マップ上では、やはり怪物の巣になっている大小の街が表示範囲内に現れては消え、一度は、とある街のわずか八〇〇メートル西を通るも、冠水のおかげで何事もなし。ケヴの予想どおり両棲モンスターの姿もなし。
真夜中過ぎ、状況が少し悪くなる。
霧。
それも牛乳のような特濃。
両サイドの浸水区域で発生した濃霧が瞬く間に這い上がって来て、高台を包み込み、視程一〇〇メートル以下の危険な状況に陥る。ほどなくして吹き始めた冷たい夜風に散らされて視程が三倍から四倍まで回復する。
「チェゼロ山脈さまさまだ」とケヴ。
旧穀倉地帯と概ね並行に走る山脈から吹き下ろす山風がなければ、この季節のこの時間は通常、風が凪ぎ、濃霧に閉じ込められていただろうと教えられて、アキラはぞっとする。
「山風、やんだりします?」
「するよ。雨の日なんかは吹かないことが多い。東から南東の空、見てみろ」
チェゼロ山脈ののこぎり歯状の山影に齧られた星空をアキラは見やる。南寄りに雨雲が滞留しているが、真東は変わらず晴天だ。
「あたしの経験的に、もしあの雲が山脈に被っていたら、凪ぎだったろうぜ」
「雲、移動しますかね?」
「さあな。アルマ=クフがこのルートで行けるって言ってんだし、大丈夫なんじゃね?」
ケヴが右目側のポッドを上げてTIカメラを構え、すぐに目から離す。
「ダメだな。霧の流れ方によってはノッドより見えねえ。伍長、いけるか?」
「酷くならん限り安全に進めるとも」
風が弱まりはしないかと冷や冷やするも、むしろ強まってさらに視界が利くようになり、一時的に濃くなったり薄くなったりする霧にも慣れてしまい、何も起きず……何も起きないのは良いのだが、集中力の持続が難しくなる。頭をシャキッとさせておくためにカフェイン飲料をぐびぐびやり、雑談に耽る。
ケヴとカザルゥが尋ねるのは決まって地球のことで、特に技術力が爆発的に進歩した二〇世紀に質問が集中する。PDAや自動小銃といった技術の一端を前にしても、二人には夢物語のように聞こえるらしい。アキラの知識はとても限られているが、社会システムの変遷とその美点や問題点なら三日三晩話せる。道徳や人権や多用な価値観の高まりと表現の自由についても弁論大会で対戦話者をやり込められるレベルで話せる。教育や意識が多少向上したところで個人レベルから国家レベルまで依然として暴力的な衝突が絶えない点も話せる。でも航空力学? お手上げだ。
「世界大戦のときも言いましたけど、航空力学の根本原理は、流体力学っていう超ややこしい計算じゃないと理解も説明も不可能。ぼくはそんな高度な教育を受けてません。専門家でもよくわかっていないみたいだし」
「なまかじり連中が鉄の塊を自由に飛ばしてると?」とケヴ。
「いや、よくある冗談。えーとつまり、航空機が空を飛ぶ原理は解明されてるんですけど、どの原理が優勢なのかは議論が割れていて、単一のシンプルな理論に落とし込むのが難しいそうです。五歳児でもわかるように説明できないのならそいつは自分が何を話しているのかわかっていない。だから専門家もわかっていないっていうジョーク」
「航空機も興味深いが」とカザルゥ。「わしとしては宇宙についてもっと知りたい」
「こないだ話した宇宙開発の大雑把な流れ以外はさっぱりです」
「いやいや、訊きたいのは開発ではない。一世紀ほど前に望遠鏡が登場して以来、我々のあいだで宇宙を、この夜空を説明するモデルが幾つか提唱されてきたのだが、議論が紛糾しておる。まず確認しておきたいのだが、アキラくん、宇宙に関するきみの知識はどのくらいのものかね?」
「天文学者の遥か下。子供の頃に気になって調べた程度」
「では訊くが、太陽とはなんぞや?」
「恒星。アホみたく超高温で燃焼して光と熱を放射する巨大なガスの塊。地球とこの惑星の比率や太陽との距離が同一なら――身体感覚や環境からして同じなんでしょうけど――太陽の質量は三三万倍。直径は一〇九倍。体積は一三〇万倍。距離はここから約一億五千万キロ。光の速さで八分一九秒。日常的なスケールに直すと、太陽は一メートルの球体でこの惑星は一センチ、その二つがだいたい一〇〇メートル離れてる感じ」
「今の数字だと……光は一秒で約三〇万キロ。合っておるか?」
「合ってます」
「光の速度……なんたることだ。とても速いという曖昧な認識はあったが、数値化されるとは……」カザルゥが天を指さす。「では、あの無数の星の正体は?」
「太陽よりもずっと遠いほかの恒星」
指だけでなく顔も上向いたので、ケヴが注意する。
「伍長、よそ見すんな。事故るぞ」
「ああ、失敬」
カザルゥが前方に向き直って問いを重ねる。
「あれがすべて太陽であると?」
「と、本に書いてありました。例外は、この惑星のように太陽の周りを回る太陽系内のほかの惑星。そいつらは太陽の光を月みたく反射してます」
質問は続く。地球では月はどのようなものと解明されているのか、太陽系とはなんなのか、高倍率の望遠鏡で視認できる〝ぼやっとした白い雲のようなもの〟はいったい……。白い雲のようなものの正体である銀河と星雲の違いや、地球から一番近い星雲は約一四〇〇光年、天の川銀河から一番近い銀河は四万二千光年との答えを聞いたあと、カザルゥがケヴに尋ねる。
「准尉どの、想像つくかね?」
「太陽の段階で半分諦めた。理解できたのは、この全世界が超巨大な空間に浮かぶちっぽけな土くれにすぎず、その表面で右往左往するあたしらはとんでもなく矮小な存在ってことだけだよ。日常レベルじゃまったく意味をなさない知識だ」
「ロマンがないね。わしはわくわくしておるよ。いやはや……して、アキラくんや、宇宙開発は今後どのように進展すると予想されておるんだね? 具体的な目標などあるのだろうか?」
地球温暖化によって住環境と世界経済が致命的なダメージを受けなければ、数百年以内に月と火星を大規模に改良して移住する時代が来るかもしれないと話したとき、地平の空が白みだす。
「伍長、ハラスの体力的に、あと三キロいけるか? よし。緩い丘の上にビバークサイトがある。そこまで行ったら今日は終わりだ」
三、四日で踏破というカザルゥの予測は外れる。
原因その一、怪物との遭遇が増えだしたこと。その二、台地という狭い領域に押し込められた怪物の食物連鎖によって人間サイズを超える大小の群ればかりいたこと。その三、そうした大物には556の貫通力不足により自動小銃の射程と火力をあまり活かせなかったこと。その四、強力なれど単発の中口径ボルトガンで対処するには数が多すぎたこと。その五、経路の半ばで行き会った標高四〇〇メートル強、全長一二キロの峠道は、もともと棲みついていたのか、水害から逃げてきたのか、怪物が群れなす地獄の第三層のような有り様で、夜戦はさすがに無謀だからと朝方に攻略を開始して突破に丸一日を要したこと。
結果的にスラグ弾の出番が多くなり、散弾銃関係を立て続けに開放する。
着脱式箱型弾倉のポンプガンに続き、着脱式箱型弾倉のオートローダー。後者のアンロック一段階目で手に入る最高峰はセレクトファイアのAA12。ぶっちゃけ、もうこれ以上のショットガン開放は不要なくらい、使える。信頼性が馬鹿高い上、フライトコントロール弾では無反動レベル。スーパーホットな施条スラグ弾でさえ振動レベル。ずっと持ち歩くには重くてさっと構えにくいという点を除けば、接近戦では万能に近い。
そしてAA12の高火力がなければ三人は死んでいただろう。
一度は、体長四・五メートルの灰毛――触手の生えた超巨大なヒグマみたいなやつ――が突進してきて、それを間一髪で止めたとき、対熊用施条スラグ弾をフルオートで吐き出したアキラとケヴのAA12は二〇連ドラム弾倉がほぼ空になっていた。銃器の持ち替えや再装填が致命的になる僅か五秒前後の出来事で、装弾数が遥かに劣るチューブ給弾式自動散弾銃では間違いなく火力不足だったはずだ。
『怪物図鑑』が呼ぶところの羽虫――羽を広げた大きさが一メートル前後の肉食の蛾みたいなやつ――の群れが夜間に現れたときも、AA12が大活躍した。〝蛾〟はのろく、飛翔高度はせいぜい地上数メートルだが、拳銃弾などで羽に小さな孔がぽつぽつ開いた程度では元気に飛び続けのだ。〇〇番を装填した二〇連ドラム弾倉による鉛玉の壁がなければ、やはり三人は死んでいたかもしれない。
ちなみに、〝蛾〟は赤外線に反応しているようだった。IRイルミネーターがまさに誘蛾灯の役割を果たしているとアキラが気づいたのは交戦の真っ只中で、「IRイルムを初めて使ったときに虫のことがチラッと頭をよぎったじゃんか、実際立ち止まって使うと照射範囲やレンズに虫が集まってたじゃんか、虫型モンスターでも同じことになりかねないとなぜ予想しなかったんだ、このヘマ野郎」と自身の迂闊さを呪ったもの。
ともあれ、新経路の踏破はカザルゥが予想した倍の日数を要し、とうとう水が引き始めた頃になんとか水害地域を抜けて、ゴールであるデルマール王国のジェダイトまで二九キロの地点に到達する。ジェダイトの冒険者たちが良い仕事をしているのか、たまたまなのか、道先のコロニーの数がぐっと減る。
ケヴが二人に声をかけて、頭上の夜空を指さす。
「見ろ、羊雲が出てる。明日は七割方、雨になるぜ。今は真夜中近くで、一キロ先にビバークサイト。そこで提案がある。今晩はビバークサイトで休息、明日の朝に出発すんのはどうだ? そうすりゃ安全に移動できるし、冒険者の活動領域に入ったときに人目があるところで銃をぶっ放すリスクが減るし、不可解な射殺体を発見されて騒ぎになるのを避けられる」
「異議なし」とカザルゥ。
「ぼくも」とアキラ。「やっとですね。もうひと踏ん張りっていうか」
ケヴがアキラの肩を小突く。
「地球人、わかってると思うが、最後の最後まで絶対に気を抜くなよ」
「うむ、最後の詰めの甘さで命を落とした者は多い」とカザルゥ。「大冒険がもう終わるのではなく、これから大冒険を始めるくらいの気概でちょうど良いよ。緊張感を切らしてはならん」
「これ、ホントに雨ふるんですか?」
「賭けてもいい、降るよ。雲が増えてきてるだろ?」
「まあ、さっきよりは少し」
午前一〇時の気温二七度、湿度四八パーセント。
久々の二五度超え。
晩夏の最後のあがき。
草木の鮮やかな緑と、野花の青や黄が鮮烈だ。
散策と洒落込みたくなる素晴らしい風景だが、不穏な熱画像が気を引き締めろと警告する。
その日最初に対処を迫れられた標的コロニー、ノーベンバー7を見晴らす低い丘のふもとに馬車をつけてもらい、アキラとケヴは慎重に斜面を登る。隠密性が求められるため、今回ばかりはアキラも戦闘服姿だ。野球帽もやめて、頭部の輪郭をわかりにくくするブッシュハット。顔に迷彩ペイントまで塗ったくり、気分はさながらコスプレ野郎。
やろうとしていることはコスプレ野郎とはまったく違うが。
まばらな灌木を縫って頂上に出、藪の陰から二人は東のほうを窺う。
旧大穀倉地帯の北端だけあって、丘陵というほどのガクガクしたアップダウンは見られない。さりとて、地平線が五キロ先の平原でもない。両者の中間というか、柔らかい曲線で構成されたなだらかな起伏の連なりだ。
その連なりの先に、一〇分前にTIカメラで発見したとおり、小さな森の外で二ダース弱のサイクロプスが何か手足のある緑色の小山――ゴブリンぽい――を解体中。どうやら、食料調達から帰ったばかりらしい。遅い朝食だか早い昼食だかの集いには幼体の姿もある。成体よりも無邪気な振る舞いが目につくが、ちぎり取った緑色の脚を振り回すようなやつとは友達になれそうにない。
マジおぞましい、と胸の中で独り言ちるアキラの肩に手が載せられる。
ケヴがうなずいて寄越す。
ケツは任せろ、仕事にかかれ。
二人の取り決め:片方が狙撃手のとき、もう片方は監視要員。監視要員は、観測手のように標的選定や照準調整で狙撃手を補佐せず、三六〇度の警戒と緊急時の高火力支援に専心する。
そして役割は非固定。交戦毎に交替。
今回の狙撃手はアキラだ。
アキラはCM4を脇に置くと、狙撃セット用スロットのQSトランクから三脚を取り出して、地面にどっかりと座り込んだときにちょうど良い高さに調節する。三脚の架台にシューティングバッグを載せ、その上にHOWAを載せ、LPVOのレンズキャップを跳ね上げ、対物レンズ側に装着してある蜂の巣状の反射光防止フィルター、キルフラッシュが緩んでいないことを確かめる。キルフラッシュは鏡内像をちょっぴり暗くするが、陽気なウィンクのようにレンズを光らせて位置バレするよりは断然いい。
「一キロ南に別口。数は四」TIカメラで周辺警戒中のケヴが囁く。「ちょろちょろしてる。無印コロニーの位置関係からして、おそらくゴブ。でなけりゃ別の何か」
出しっ放しのQSトランクから気象計を取り上げたアキラの手が止まる。
「ほかは?」
「大丈夫。続けろ」
頂上を吹き抜ける風に気象計をかざし、左右に動かし、二重、三重にチェックした風向は、射撃方向の一二時に対して約一一時から一〇時。三〇秒間の平均風向は一〇時四〇分。風速は最小値一・二メートル秒、最大値二・九メートル秒。風速安定時の平均値二・三メートル秒。
続いてスタイナー製Mシリーズ1580双眼鏡を出す。中価格帯のライフルが一挺買えるお高い製品だが、MRADレチクルとコンパス内臓でキルフラッシュ装着可とくれば、用意しない手はない。脇を閉じた両手でがっちり構え、明瞭な鏡内像を得るために両の指で接眼レンズ側に覆いを作る。
射程の最初の三分の一、第一区間の野原を双眼鏡と肉眼で交互に見やる。
全体的な印象は、連続的な揺らぎ。短い草はほぼ動かず、長い草の先端のみ静かに揺れ、ぽつぽつ生えている低木や藪も葉が少し揺れている程度。短い草は静止しているわけではないが、風の通り道がぱっとわかるほどでもない……おそらく風速一・五メートル。
風が勢いを取り戻すにつれて揺らぎの印象が強まる。景色全体が一方向に波打ち、野原全体にさざ波が走り、風の通り道がはっきりしだす。高い草は上半分が揺れており、根本からしなるほどじゃない……おそらく風速三メートル。
風向も風速も、第一区間全域に目につく差異なし。もちろん、気象計の計測値に引っ張られて誤った評価をしていなければの話だが。
アキラは標的に双眼鏡を向けて焦点リングを回す。標的がピンボケするのと同時に、射程中間である第二区間にピントが合っていき、次第に鏡内像がゆらゆらして、陽炎がはっきりしだす。
陽炎のもわもわとした立ち昇り方は……風が弱まったときに数十度傾斜。風速〇・五メートルから一・五メートル弱。強まったときは四五度よりも少し深く傾斜。風速二メートルから三メートル強。腰を捻って双眼鏡をゆっくり水平に動かしくていくと、陽炎が横に流れずに〝沸騰〟する箇所に差し掛かる。風が吹いてくる方向だ。鏡内像のコンパスによると、〝沸騰〟範囲は方位四度から三二度。対して、射線は方位五九度。言い換えれば、射線一二時に対して一〇時から一一時に揺れ動く斜めの風。
というわけで、第二区間と第一区間の風に目につく差異なし。
けれども、標的付近の印象は、静けさ。あるいは、写真。草はこゆるぎもせず、木の葉も細い枝も不動。隆起とせり出した森林線に囲まれて風が遮られているのだ。ほぼ確実に空気の流れはあるはずだが、明らかに周辺環境に作用していないので、アキラは考慮から外す。
第一から第二区間の全体像とリアルタイム戦術マップを見比べる。
射線付近に、風を部分的に遮る丘・木立・森、なし。
射線付近に、風速を部分的に強める渓谷などの風の通り道、なし。
射線付近に、駆け上る風が圧縮されて速度を増す長く急な斜面、なし。
一般的には〝丘〟と呼ばれるこの高所も、四方はなだらなかスロープ。おかげで、約一五メートルの高低差にも関わらず射撃地点(高所)と第一区間終端(低所)の風速に差は生じていない。
QSトランクに双眼鏡を戻す手で、装填弾薬ごとに色分けしてあるMDT製一〇連AICS弾倉を手に取る。砂色の弾倉に込められているのは、このライフルシステムと相性が良かったホーナディ製一六八グレイン競技精度TAP弾。狩猟用弾薬がこめられている黒色の弾倉をHOWAから抜き、砂色のほうを静かにマガジンウェルに挿し込む。
全区間の風に……急激な変化は見受けられない。
一定のパターンで強まったり弱まったりを繰り返している。
どうも風速を過小評価する嫌いがあるため、強弱の中間値は単純に平均を取らず、強寄りの風速二・五メートル秒とアキラは看做す。小さな変化がわかりづらい風向は素直に中間値の一〇時半を取る。射線〇度に対して一〇時半は四五度。余弦に直すと約〇・七。よって、弾道に影響を及ぼす実行風速は一・八メートル秒。
そして射程を三分割した各区間の風が弾道に及ぼす影響度。
308口径の場合――射手によって現場で行う簡易メソッドの計算法や配分は異なり、アキラがゲーム時代から使っているのは――第一区間(射撃地点の風)の影響力が全体の五〇パーセント。第二区間(中間地帯の風)が三五パーセント。第三区間(標的の風)が一五パーセント。
最終的な見積もりは、左から右へ吹く一・五メートル秒の風。
丸めた寝袋入り登山用リュックサックをQSトランクから取り出して、腹に抱え、その上にストックの後端を載せる。焦点リングと視差ノブを調整してから、アキラは今一度、標的を肉眼で見やる。地球の日常生活では何の役にも立たなかった鋭い目と目測能力がここぞとばかりに輝く。ミスを誘う三大要素、マークスマンシップと測距と風読みのうち、ひとつを労なく潰せるのは射手にとって計り知れないほど大きなアドバンテージだ。
射距離は……真っ先に確認したとおり、約五二五メートル。
レールに装着してあるACIの目盛りは99。俯角一度。
となると、実際に重力が弾道に影響を及ぼす距離は約五二〇メートル。
ストックに貼り付けてあるほうのDOPEカード(TAP弾用)の補正値は、役割の違いから中距離用CM4のそれよりも詳細に記載してあり、着弾落差と着弾偏差は二五メートル刻み。アキラは射距離に近い欄とその前後の補正値をちらりと見やる。
0・1|500m 3・4|0・1
0・1|525m 3・7|0・1
0・2|550m 3・9|0・1
アキラの照準調整の通常手順――いかなる距離でも左右調整ノブは放置。下手にいじると風の変化に機敏に対応できなくなる。上下調整ノブは中距離以上では基本、使う。けれどもダイナミックな展開(複数の敵が突っ込んでくる)が予想されるときは、使わない。
二ダースの瞬足サイクロプス。ダイナミックな展開になるかもしれない。
FC‐DMレチクルの目盛りは詳細な部分でも〇・五ミル単位のため、ノブ不使用の微調整は感覚的に処理するしかなく、だいたいこのへん、と十字線を三・六ミル上にずらし、〇・三ミル左にずらす。頭の隅に、風が弱まったときの補正ミル数と、安定時に散発的に訪れる最大風速の補正ミル数を置いておく。
それから、束の間目を閉じて、オリンピックレベルの射手が実践している(と書いてあった)脳味噌ドリルを行う。想像の中でボルトを押して初弾を装填し、ボルトハンドルを下ろし、安全装置を解除し、右手は銃把をがっちり握り込まず、軽く触れるだけにとどめ、銃把の上に設けられているサムレストに自然な形で親指を預けてから、第二関節で曲げて鉤型にした人さし指先端の腹をそっと引き金に載せて、鏡内像の標的ではなく、微動する照準点に視線を据えると、そうと意識しないまま引き金が絞り込まれて、発射された銃弾が完璧な弾道で標的に吸い込まれる……
目を開ける。
「いつでもオーケー。状況は?」
「至近に脅威なし。しばし待て」
ケヴが無線で馬車のカザルゥに連絡を取る。
「伍長、始める。何かあれば報せろ」数秒耳を傾けてアキラに言う。「いいぞ」
アキラは鼻から息を吸って、口からゆっくり吐く。狙撃銃をセットした瞬間から、緊張は欠片もない。失敗への不安も恐れもない。加害に伴う罪悪感すらない。心の働きはただただフラット。もしかしたら、戦場カメラマンにとってのカメラレンズがそうであるように、スコープがろくでもない現実から自我を護る保護膜/第三者視点/客体化をもたらしているのかもしれない。ここ数日、日暮れ時や日の出直後の交戦でコンスタントに命中弾を送り込んだ六〇〇メートルよりも射程が短いからかもしれない。比較的簡単な地形と気象条件のおかげかもしれない。怪物を知能と感情のある生物ではなく、照準の調整に必要な計算対象/モノと看做しているせいかもしれない。
脳味噌ドリルのイメージをなぞるように右手を動かす。
ボルト、安全装置、銃把、引き金。
標的は、生肉むしゃむしゃ集団の一体の、逞しすぎる背中。
風の勢いが安定する。
発砲音と共に鏡内像がブレる。自分が撃ったと知り、毎度のことながら、軽く驚かされる。ブレが鎮まったゼロコンマ数秒後、アキラはスコープ越しに着弾の模様を認める。
体組織の飛沫がぱっと煙のように舞い、陽光に煌めいたのだ。
ただし、命中したのは標的の右隣のサイクロプス。新たな肉をむしり取ろうとした姿勢のまま、その昼ごはんの上に突っ伏して動かなくなる。本来の標的の広い背中を掠めた格好だ。
マークスマンシップの乱れのせいじゃない、とアキラは断定する。毎日のようにドライファイアを行い、毎日のように実弾を山ほど燃やしていれば、その辺りは自然とわかるようになってくる。
であれば、第一区間終端の風を読み違えたのか。もっとありそうなのは第二区間の風速か。確かなのは、推定よりも強い風に銃弾が押し流されたこと。風が変わってしまわないうちにアキラはボルトを操作して、〇・四ミルに増やしたホールドで次弾を放つ。
六秒前に命拾いしたばかりのサイクロプスが前のめりに崩れ――
――静止した自然物の一部と化す。
よく言われる自衛と狩猟の差だ。より厳密には、状況によって異なる獲物の身体反応とマインドセットの差。特に捕食者は、脅威や被食者を認めて攻撃態勢にあるときは信じがたいほどのしぶとさを発揮するが、リラックスしているときに不意を突かれると割合あっさり動かなくなることが多い。
撃ち倒した二体はピクリともしていない。
残党の半数が倒れ伏した同輩を覗き込み、もう半数が響き渡ったクラックの方向へ、こちらへ、顔を向ける。ピンポイントではなく、きょろきょろと。半キロも離れていれば音速衝撃派は広く拡散して反響し、出所の特定は不可能。
一体が立ち上がって太い両腕を広げ、大口を開ける。
時間差の咆哮が尾を引くように聞こえてきて……アキラは訝しむ。あれは威嚇しているのか。それとも理解不能な現象に対する恐怖の発露なのか。はたまた仲間を失った悲哀なのか。訝しみながらボルトを操作し、弱まった風に合わせてホールドを修正し、引き金を引く。
糸の切れた操り人形のように咆哮野郎がくず折れる。
ゲームならとっくに移動している場面(同一地点からの二発以上の狙撃は被デスのリスク爆上がり)だが、この世の地獄にも良い面がある。怪物は撃ち返してこない。
アキラはもう二発撃つ。
一発はミス。一発はヒット。
残りのサイクロプスが昼ごはんと倒れた仲間をほったらかして森の中へ駆け込む。そのまま奥深くのコロニーへ逃げれば良いものを、森林線の幹や下生えの陰から外を窺いだす。
アキラは距離と風のDOPEを調整してもう二体を仕留める。残党がさらに後退して……追撃終了。怪物どもはまだ見えているものの、無数の細い枝や葉が被っている。308は〝藪抜き弾〟とは程遠い。木の葉に軽く接触しただけで弾道が大きく変わってしまう。現に、最後に放った銃弾は小枝か何かを弾けさせて、標的の斜め後ろの幹に当たった。
射撃不能、とケヴに告げかけたとき、一体がそろそろと物陰から出てきて、倒れた仲間を引きずりだす。その行動に勇気づけられたのか、数体があとに続いて怪物版の救護活動を開始する。正常な世界であれば最良の美点である献身や同胞愛は、狙撃兵の辞書では愚かさと同義。格好の獲物だ。アキラは容赦なく二体を十字線に捉える。生き残りは今度こそ森の奥深くへと逃げ去る。
引き金から指を離す。
ライフル関連のアンロックの肝となる口径別の殺傷率を見る。撃ち倒した八体のうち、半数以上は存命。けれども、この距離で308の直撃を食らってはそう長くもたないだろう。射殺距離が一〇〇メートル伸びる毎に五〇ポイント加算される殺害ポイントは、ちゃんと一体あたり二七五増えている。
「似たような状況、見たことあるな」標的方向に単眼鏡を向けるケヴが言う。
「どんな?」アキラはHOWAの安全装置をかける。
「死角から魔術で遠距離攻撃を命じたとき、二本脚どもは、何が起きているのか理解できずにいた。まさに今の連中みてえに」
そりゃそうだろう、とアキラは思う。フィクションにどっぷりの想像力豊かな物知り地球人でさえ日常生活や職業生活の埒外に行き会うと多かれ少なかれ混乱する。類人猿よりも賢そうには見えない化け物なら尚更だ。
今しがたの銃撃の所見をメモ帳に走り書きしながら、尋ねる。
「ゴブっぽい連中、どうなってます?」
「東に向きを変えて移動中」ケヴがPTTボタンを押す。「伍長、今から戻る。同じルートだ。南南東九〇〇メートルの熱源に注意」
黒色弾倉に交換してから狙撃セットをQSトランクに仕舞い、蓋を閉じて消す。
二人は来たときと同じ慎重さで丘を去る。
お天気お姉さんケヴの予報は、今回もまた的中する。
青空から一転、暗く低い雲が増え、空模様が急速に怪しくなりだす。早めの昼休憩中にぽつぽつきて、出発から間もなく、本格的に降り始める。怪物の行動意欲を奪う恵みの雨だ。
そして簡易広域マップの左端に冒険者の活動領域が現れる。
砦ルート。
本降りなら一〇キロ近く先までそうそう銃声は届かないが、世に絶対はない。森と野原がモザイク状になっているこの開けた田園風の地形ならば、風向きと風速次第で届き得る。そして雨中でもうろつくへそ曲がりモンスターがいないとも限らず、三人は各自の銃火器に減音器を装着する。巡視隊との遭遇対策に迷彩ペイントを落として衣類も替える。カザルゥは初めて会ったときの冒険者風装束。ケヴも初めて会った日の平服。アキラはぼろぼろの奴隷ズボンとケヴのシャツと裸足。年長二人は革製のマントを羽織り、アキラは濃緑のポンチョ。久々の裸足は違和感がある。しかも小石を踏むと痛い。無敵状態が薄れてしまった。
積み荷が空なのは不自然、というわけで、ケヴがアーセナルに収納していた私物やエクサリオ兵の戦利品の中から、要らぬ詮索を受けない物品のみ御者台の背後に積む。
怪物にも巡視隊にも行き会うことなく、適宜ハラスを休ませながら進むこと三時間、脱出ルートが砦ルートに合流する地点に出る。遠目にも荷車を牽く冒険者グループが列を成している。荷馬車の姿もある。
「砦用物資の輸送隊だの」とカザルゥ。「比較的安全に歩ける雨の日になると、懐の寂しい駆け出し冒険者はよく荷運び依頼を請ける」
「地球人、見咎められないうちにそいつ脱いじまえ」とケヴ。
アキラはポンチョを脱いで、地球のフーディに似ていなくもないフード付きの上着をケヴに借りる。防水性能はないよりマシ程度だ。それから、ケヴと手分けして荷台の武器弾薬のほとんどをアーセナルに仕舞う。10ミリ改変版ローランドスペシャルのみ、ケヴとカザルゥがマントに下に隠し持つ。アキラは自分の拳銃と10ミリAUTO用アモカンを木箱に入れて、腰掛けの下に突っ込んでおく。
馬車が砦ルートの広い未舗装路に入る。
懐の寂しい駆け出し冒険者、ね。確かに二〇歳を超えているように見える者はほとんどいない。というか、中学生くらいの年恰好の男女ばかり目につく。華奢な体で過積載気味の荷車をえっちらおっちら牽いたり押したりしている。
久しぶりにたくさんの人の姿を見て、アキラは文明社会に帰還した実感を噛みしめる。くされ異世界のくされ後進文明とはいえ、文明は文明だ。
何十人もの冒険者とすれ違い、追い抜き、幾つもの砦を越え、野原と薄い森を何度か抜ける。雨にけぶる木立の上に崖が見えてくる。すでに夕刻。冒険者たちの帰宅ラッシュで人影がぐんと増える。今やくっきり聳えている崖と九十九折は、約三週間前に見上げたロフト冒険者村のそれとそっくりだ。
三人は未舗装路から逸れて、九十九折の手前の小さな木立でハラスを休ませる。長く緩い坂道に向かう途切れ途切れの列を見やりながら、アキラはケヴに小声で尋ねる。
「冒険者村に入るとき、身元確認とか荷物検査みたいなの、あります?」
「いや、ガッツリしたのはねえよ。どこぞの好事家に頼まれて化けモンの幼体を持ち出そうとする馬鹿に目を光らせてるくらいだ。エクサリオじゃそうだった。伍長、ほかの国ではどうなんだ?」
「どこも同じだよ。わしが滞在したどの冒険者村でもね」
こういうことらしい。
(1)超危険地帯であるこの世の地獄を横断して冒険者村から冒険者村へと、場合によっては国から国へと、移動する者など想定すらしていない。だから入場審査のみで充分。(2)戦利品を捌くにあたり、独占企業たる冒険者組合の専門職員または複数の組合指定業者による査定が最も公平で最も換金率が高く、その疑似市場によって働く競争原理が利用者に安心感すらもたらし、また組合および指定業者に複数の公的な第三者機関の監査が入ることで透明性を維持しており、加えて不正売買違反に対する厳罰措置もあり、密輸や闇取引の完全阻止には至らないものの、モンスターカントリー産の動植物や物品、ひいては冒険者組合の利益がいたずらに流出してしまわない管理システムが出来上がっている。だから怪物の〝外界流出〟に注意するだけで充分。
「モンスターが外に出たこと、あるんですか?」アキラは好奇心から尋ねる。
「あるとも。村を抜かれたのではなく、持ち出しによっての」
カザルゥが直近の事例を挙げる。およそ半世紀前に起きたレムシャイル樹海事件。その三〇年後に起きたピルヴィム卿事件。同時期のホーダム冒険者村事件。どの事例でも怪物が外界で繁殖するか逃げるかして多数の死傷者が出、事態解決に冒険者部隊はもとより国軍や領主軍までもが動員され、首謀者と関係者は一人残らず火炙りに処されたという。
「組合を解体されかねん責任問題だからの、冒険者組合は未遂犯にも厳格に対処しとる。実行した冒険者だけでなく、手を貸した自分とこの職員も捕縛して、問答無用で警吏に引き渡すんだよ。行き着く先は、広場で罪状が読み上げられての公開処刑だ」
「そういう事情なら、厳しく検査されそうですけど」
「門番に専門の検査官が混じっとるんだよ。酒造や調理、調香などに関連した加護を持つ、嗅覚が異様に鋭い者たちだ。荷車に積んだモンスターの死骸の中に幼体を隠しても、何かキツイ香りで誤魔化そうとしても、すぐわかるそうだぞ。彼らによると、二本脚と四本脚の子は数メートル離れた場所からでも独特の甘い香りがして、虫関係はすえた黴臭さがあるらしい」
人間麻薬犬みたいなものか。
「それでいくと」ケヴが横から言う。「あたしらは清潔すぎて、ちょっと怪しいかもな」
「おお、まさに。人波が途切れたときを見計らって、泥の臭いをつけておくのが良かろう。文字どおり嗅ぎつけられるやもしれんからの、銃もアーセナルに仕舞っておいたほうが良い」
三人はそうする。
汚し方が足りねえよ、とアキラは衣類や肌に泥を塗ったくられる。ぬかるみにハマった馬車を押して泥まみれになったという体だ。電子機器の独特な匂い対策に、アキラはアーセナルに自身の予備PDAとケヴの二機を入れ、残った一機は、薬草をパンパンに詰めたカザルゥの仕事鞄の奥深くに隠してもらう。
「PDA、バレませんかね?」
「たぶんな」とケヴ。「元々匂いが強いわけじゃねえし、連中が探してる臭いでもねえし、全部のポケットをひっくり返されることにはならないはずだ。怪しまれないようにフツーにしてろ」
「フツーにしてても、ぼく、人種的に怪しいのでは?」
ケヴが目をぱちくりし、ふっと笑み崩れる。「見慣れてたんでうっかりしてた。首輪、着けろよ。何か言われたら、あたしの奴隷ってことにするから」
「はい、ご主人様」カザルゥと荷台に上がってQSトランクを出す。
三週間ぶりに着けた個人所有奴隷の目印であるチョーカーには、窮屈さと懐かしさが半々。友人にして教師だった青年を偲ばずにはいられない。リラン……
ケヴが荷台に上がってきた音でアキラは我に返る。未舗装路をゆく冒険者たちのほうを気にしてから、ケヴが地図を見せてくれと言う。アキラは電子地図を出す。簡易広域マップ/カセリナ地図はもうお役御免。リアルタイム戦術マップに切り替える。脱出ルートはジェダイト冒険者村を抜け、道なりに数百メートル先で交わるイーミル街道に入り、ひたすら南下。
そこへ新着通知。ユーエリカ大陸地図および一〇キロ四方の簡易広域マップ。この見計らったようなタイミングよ。覗き屋エイリアンどもめ。ケヴに言われるまでもなくアキラは大陸地図を開く。
脱出ルートの終点は大陸中央部と南部の境目/国境線。どの都市からも離れた何もない地点だ。現地に行けば村や町や景勝地があるのかもしれないが、〝ここ!〟という目的地感や意図が見えてこない。
ケヴは違うようだ。
「なるほど」と独り言のように言う。「予想どおり。つーか、目立つ外見の地球の坊やを幾らかでも紛れ込ませるには、人種のるつぼの南しかねーわな。ルートから見て取れる限り……南部連合の勢力圏に入ったあとは好きにしろってことじゃないか、これ。終点で新たな神託があるかもだが。よう、簡易マップ、出してくれ」
アキラは大陸地図の現在地をタップする。
脱出ルートは四キロ南で街道を外れ、耕作地から林道に入り、南下。そして街道上にある〝チェッキングポイント〟なる表示を大きく迂回してから……
「やっぱそうなるか」とケヴ。「となると、夜間移動だな」
「しかあるまいて」とカザルゥ。
「どういうことです?」とアキラ。
ケヴがアキラに顔を向ける。
「おまえさ、この大陸の地方行政の仕組み、どれくらい知ってる?」
「さっぱり」
「地域差があるんだが、北部では基本、都市の門のほかに、主要な街道や橋や水路のあちこちに関所を設けて、徴税と不審者の排除を行ってる。通行税だけでも痛いんだが、あたしらにとって何より問題なのは、特定地域の通行手形を持っていないやつは通り抜けできないって点だ。そこの学者先生みたく皆から尊敬される社会的エリートでも、時と場合によっちゃ捕縛されちまう」
「さよう」とカザルゥ。「名と顔を知られとる土地なら顔パスやら何やら融通が利くんだがね、縁もゆかりもない外国で冒険者そのものの出で立ちでは、しかも認識票にある冒険者登録支部がはるか遠い地では、脇の甘い詐欺師に非ずんばスパイ扱いされかねん。身なりを整えて立場を証明しても、なんとかなるのはわし一人だ。連れだからといっておまえさんたちも一緒に通れるほど甘くない」
「あー、賄賂を渡して交渉とか」アキラは提案してみる。
ケヴが片頬で笑う。「旅の外国人に使える手じゃねえよ。鼻薬が利くのは一定の信頼関係があるときだけだ。つまり、徴税官と面識がある地元民や商人なんかに限られる」
「わしらのような正規の書類を持たんよそ者外国人が袖の下を試みれば」とカザルゥ。「拘束や投獄のリスクがとても高いよ。試してみる気にはなれんね」
話の流れからして無理くさそうだけど、とアキラは訊くだけ訊く。
「通行手形ってやつ、発行してもらうのはやっぱ難しい感じですか?」
カザルゥがうなずく。「不法入国の経緯を誤魔化しきれば、まあ、簡単ではないし時間もかかろうが、わし一人ならなんとかなる。しかしだ、ここでもやはり、おまえさんたちにも出国手形が発行されるわけではない。個別に入国経緯や見元確認の手続きが要る。尋問に近い形での」
ケヴがPDAに注意を向けさせる。「ルート見てみ。ここで街道から逸れて裏道を通ってるだろ? 戦女神公認で関所破りをしろってこった」
「できるんですか?」
「フツーにザル。通行税を払いたくないやつは誰でもやってる。時勢によっちゃ警備を強化してるが、全域をカバーするのは土台不可能だ」
「だから夜間移動継続?」
「そ。関所は夜、完全に閉鎖されて、監視の目が減る。あたしらにはノッドとサーマルがある。見回りがいたらすぐわかるし、ひでぇ悪路と相場が決まってる裏道でも、真っ暗闇でも、短い距離なら馬車で事故るリスクは低めだ。旅の守護神が選んだルートなら、泥やなんかでスタックすることはねえよ。これまでずっとそうだったようにな。それともう一個、別の理由がある。大陸の平時の治安については、どれくらい知ってる?」
「それもさっぱり」
「簡単に言うと、居住地の外は半無法地帯で、追い剥ぎや強盗団が横行してる」
「冒険者組合が失業者の受け皿になっとるんだが」カザルゥが補足するように言う。「誰にでもできる仕事とは言えんのが実情での。あまりの危険性ゆえに、心を折られる者が後を絶たん。心身を壊す者もおる。彼らの多くは元々、一獲千金狙いの食いつめ者や英雄願望の家出人だ。ほかにまっとうな方策も当てもなく、一定数が武装したまま道を踏み外して、裏社会の仲間入りをしてしまう」
「冒険者組合は犯罪者養成所、なんて揶揄されてるくらいだ」ケヴが皮肉っぽく付け足す。「組合の持ち出しで警備やら盗賊狩りやらに力を入れているようだが、イメージ回復作戦も治安回復作戦も、あんま成功してるとは言えねえな」
「公平を期するなら、組合支部近辺の治安維持にはそれなりに役立っとるぞ」
「なんであれ、外は外で危険なんですね?」とアキラ。
「夜間の移動や野営は自殺行為、が一般常識なくらいに」とケヴ。「真っ昼間でも単独行動は避けて、基本は集団行動だ。懐に余裕があれば皆で出し合って重武装の護衛隊を雇うのも基本のキ。昼間の主要街道ならそれでまあまあ安全にいけるんだが、絶対確実じゃない。つーのも、ただ走ってるだけで馬車が壊れたり、横転したり、泥にはまったりするガタガタの裏道を使うのは地元農夫や貧乏人や浮浪者で、商人みたく安全と速度を優先するやつは整備された街道を使うから。犯罪視点で言えば、骨折り損のくたびれ儲けになるのが裏道。羽振りのいい高価値標的でいっぱいが街道。警ら隊が巡回してる警備が厳重な区間でも襲われるときは襲われる。特に、モンスターカントリーの莫大な富が直接流れ出る冒険者村付近の街道はクソほど狙われる。そうなりゃ自衛のために銃を抜くしかないし、銃を抜くなら、目撃者の出にくい夜のほうがいい」
「人通りがない夜なら、悪いやつも少なかったり……?」
「でもねえよ。夜間に走る郵便馬車ってのがあってさ、ニュースや貴重品を運んでるんだが、そいつを狙う連中が徘徊してる」
「危険だとわかっててなんで夜走るんです?」
「あいつらのサービスが成り立ってるのは速度だから。昼間じゃ混雑しててトロトロ運転になる。だから襲われるリスクを承知で夜走ってんだよ」
そこへ、覗き屋エイリアンからまた通知。
近隣住民・犯罪者・浮浪者・旅人などの立ち寄り頻度から安全度を算出したビバーク地点情報の表示と、リアルタイムの情報更新。ゲームシステムそのままの対人戦の殺害ポイントと、ポイント増加条件。
「もしおまえが」とケヴ。「小人数の追い剥ぎで、街道を襲うとしたら、どうする?」
意図を察したアキラは少し考える。「あー、逃走の足にハラスをゲットして……怪しまれないようにフツーの恰好をして、もし街道にそういう場所があるなら、人目がなくて警備のゆるい地点をなんでもない顔でぶらついて、都合のいいターゲットが来たら、そばに隠れてる仲間に合図して、決行して、走り去る――とか。合ってます?」
答えずにケヴが質問を重ねる。
「じゃあ、おまえが数十人規模の強盗団のボスなら?」
「ボス? えーと、人数に応じた分け前のこともあるし……一度のリスクでがっぽりを狙うかな。可能なら、冒険者村とか街とかに内通者を確保すると思います。無理なら手下を送り込んで外から徹底的に情報収集。積荷と出発日とルートと行き先がわかったら……見通しの悪い場所は相手も警戒してるだろうし……ちっこい林とか起伏があるくらいの、相手が襲われるとは思っていないような地形で待ち伏せ。標的が来る前に馬車か何かの事故っぽく自然に街道を塞いで、そっちに注意を向けさせて、隠れていた本隊が側面から制圧――とか」
「わしなら前者に一〇〇点、後者に八〇点をあげるがね」とカザルゥ。「こちらの世相に通じておらんことを加味して」
「妥当な線だな」とケヴ。「地球人、おまえがいま言ったシナリオは、基本的には実際の手口と同じだ。おまえが把握していないのは、旅の最中に利用せざるを得ない宿屋の主人やそこの馬丁がグルで、金持ちの客がどんな荷物でどこへ行くのか、情報を売りまくってる点だ。それと強盗は、たとえ警戒されていても、手勢を完全に隠せる視界が悪い場所を好む。特に速度が落ちるカーブ。襲撃は……おまえの思考方法は兵隊のそれだな。攻撃対象が選り取り見取りで立ち往生を狙えるって点じゃ側面攻撃は理に適ってるんだが、連中の目的は虐殺じゃなくて、スムーズな金品の強奪だ。単にバリケードで道を塞いで、側面と後方から一気に包囲して、抵抗しても無駄だと悟らせるのが連中の十八番」
「地球装備があればそういう事態には滅多に遭わんだろうが、頭の隅に置いておきなさい」
聞けば聞くほど、とんだ世紀末じゃんか。
「強盗団て、実際どれくらいの人数で襲ってくるんです?」
「多けりゃ五〇人以上」とケヴ。「たいていは五人以下。場当たり的な単独犯もいる」
「襲われる頻度は? 人気のない場所に行くたびに〝カネを出せ!〟って感じ?」
「それじゃ無政府状態じゃねえか。馬鹿にすんなよ、地球人、そこまで酷かねえよ。ちょいちょい裏道を使う一千キロの旅なら、四、五回はお近づきになるんじゃないか、ってところだ」
なら〝V8を讃えよ!〟式の世紀末というより、メキシコのカルテル支配地域での日常生活レベルか、二〇世紀末葉にハーレム地区へうっかり彷徨い込んだ日本人観光客の愉快な一日、といったところか……?
ネット知識で危険度を推し量ろうとするアキラに、ケヴが続ける。
「こっちにはノッドとサーマルとライフルがあるし? 魔術師と加護持ち弓使いに注意しとけば楽勝だよ」
「魔法使いが強盗? 社会的に優遇されてるって聞いたんですけど」
「事情はどうあれ、誰だって居場所を失うときは失うモンだ」
実感のこもった言葉に、アキラはお姉さんが仕事と国を捨てたことを思い出す。
カザルゥが九十九折を見上げ、二人に顔を戻す。
「馬の休養も兼ねて、明日の夕方までゆっくりすることに異存はないと思うのだが――」
アキラとケヴはうなずく。
「――よくよく考えてみると、村での宿泊はあまり魅力がない。准尉どのはご存じだろう、冒険者村に限らずどこの宿でも、隙間風が吹き込むわ、ベッドは不衛生だわ、物を盗まれるわ、ときには赤の他人と相部屋を強要されるわ、ろくなことがない。高級宿でもこんな有り様だ。週単位で冒険者用の部屋を借りる手もあるが、空きがあるかどうか。あったとしても、物件によってはやはり気が抜けん。そういう次第で、どうだろう?」
カザルゥが簡易広域マップの一点を指さす。
イーミル街道を通り過ぎて西へ四キロ進んだ草原の青色ビバーク地点。
「ここでキャンプというのは? 湯を好きだけ使えて、清潔なテントで眠れる。もちろん交替で見張りは立てるが、宿や貸し部屋で過ごすよりも安全で快適だと思うんだがね」
「あたしらすっかり贅沢に慣れちまったな」ケヴがニヤリとする。「地球人、どう思う?」
「教授の話だけでもう冒険者村に泊まるのは〝うへぇ〟って感じ」
「なら決まりだ。伍長の案で行こう」
三人は馬車を出して、幅三〇〇メートルはあろうかという長い九十九折をのぼる。ヘアピンカーブを曲がること二回、最後の坂に差し掛かったとき、アキラはこの世の地獄の初日を想起する。高所から見晴らせる眺めも天候も異なるが、あの日の緊張と不安がありありと思い浮かぶ。その緊張と不安の大部分を占めていた人喰いモンスターどもを殺しまくった二三日間が脳裏をよぎる。
アキラは大いなる安堵の息をつく。
すると、張りつめていた糸がぷつんと切れる。
心身から力という力が流れ出て、ぐったり虚脱する。
向かいの腰掛けのケヴの眼差しも幾分ぼんやりとしている。
いつの間にか坂を上り切り、門を抜け、誰がそうなのか見分けがつかない検査官の注意を引くことなく門番たちの傍を通り過ぎる。ハラスの蹄の音と辺りの冒険者の足音が溶け合うようにして幅広の通路に反響する。表通りに出る。雨のせいか、冒険者組合支部の近辺を除いて人気がない。アキラとケヴの内心を代弁するかのようにカザルゥがしみじみと言う。
「正直なところ、生きてモンスターカントリーを出られるとは思わなんだよ」
ケヴが冒険者村の街並みを眺め回す。夢を見ているような、現実の出来事とは思えないかのような、そんな顔だ。アキラも見回す。居並ぶ建築群はロフト冒険者村とは趣が異なり、どの建物もログハウス風。どの建物も急勾配の三角屋根。どうやら、雪が多い地域らしい。
組合支部館の正面から伸びる大路の途中で馬車を路肩に寄せる。そこは通行人の姿がなく、店もなく、二階や三階の鎧戸はほとんど閉まっており、開いている窓にしても、憂い顔で通りをぼんやりと眺める暇を持て余した者の姿がない。戦利品の村外への持ち出しは冒険者組合支部が発行する許可証がなければ厳禁とのことなので、匂い対策の薬草詰め仕事鞄をアーセナルに仕舞う。
ふたたび馬車を出す。
腰元を気にしながらアキラはここでの暮らしを想像してみようとする。
「数千人を収容、なんですよね? 失業者の受け皿なら、辞めちゃう人が多くても、軽く数万人になりそうなもんだけど」
「おや、わからんのかね?」とカザルゥ。
「どんな理由が?」
「中と外でバタバタ死んどるからだよ」
おおう。
「中はわかりますけど、外?」
「お若いの、この二〇〇年で世界中の食糧事情が劇的に改善されたことはご存知か?」
「ええ、ケヴさんから聞きました。冷害と病害に強いモンスターカントリーの食べ物のおかげって」
「では、大々的な飢えがなくなった世界はどうなるか? 幼児の死亡率が低下し、人口が爆発的に増え、しかし働き口は限られ、余剰労働力は、大いなる自然の摂理として、莫大な富を生むモンスターカントリーに押し寄せる。どれほどの危険地帯か知れ渡っていようとも、最低限の分け前や恵みにありつけると信じて。まさに一四歳のわしがそうであったように。
そうした者らは薬も食料もないまま飢えや病、特に冬場の厳しさで、行き着く前に命を落とす。なんとか行き着いた者らも、若者はともかく、戦い向きの加護を持たぬ老人や怪我人は登録を断られる。ただの足手まといどころか、周囲の者を巻き添えにするからだ。病人と判明した者や病人と疑われる者などは、伝染病の蔓延防止にその場で村から叩き出される。冒険者村から排除されると、治安の管轄外や境界線にある野良スラムに流れ着くのが定番だ。寒さや飢えや病に苛まれながらね。そして目も当てられんほどの人数が亡くなっとるのだよ」
なんて世知辛い……
カザルゥが続ける。「無論、中は中で死傷率と失踪率が高い。戦闘にまつわる加護持ちのベテランですらあっさりいなくなる。持っておらん者など顔と名を覚える暇もないくらいどんどん露と消える。あとは、管理側の都合というやつだ」
「どんな都合です?」
「数万人規模にまで無秩序に膨れ上がるとな、避けて通れぬ問題が二つ出るのだ。一つは衛生面。河川から水路を切り開いた上下水道の機能や、大量に出るごみ処理の限界ゆえに、瞬時に疫病が発生して村全体が消滅してしまう。もう一つは治安の崩壊。監視が行き届く範囲を大きく超えることで、腹に一物ある者と不平不満の徒が組んで犯罪や暴徒化に繋がる。要は、村全体のスラム化だの。
そう、スラムと言えば、衛生と治安の維持という強い動機を持つ組合と領主は、冒険者村の周りに自然発生する野良スラムを発見次第、焼き払っておる。ほかにも、村で消費される物品の補給路や、出入り商人への警護戦力維持の限界点という厄介な点があっての、そういうあれやこれやで、今も昔も、組合は村の規模を拡大させたくないのだよ。馬車で三日以内の比較的近隣の出身者なら、通いを進められる。実績が安定しておる懐具合の温かいベテランなら、近場の農村や街に下宿するか家を買えとせっつかれる」
「やることがエグイというか、徹底してますね。つまり、焼き討ちのことですけど」
「金のなる木を管理しておるのだから、そりゃ徹底するとも。わしが組合の運営に責任を負う意思決定者なら同じことをしておるよ」
大路の先に冒険者村を囲う防壁の門が見えてくる。
ロフト冒険者村に入場したときは、門で積み荷を検査され、明らかに病人でも怪我人でも禁制品密輸人でもない若い二人連れということで「新規登録希望だ」とのケヴの一言であっさり中に入れた。ジェダイト冒険者村から退場するときも門で積み荷を検査される。明らかに不正売買の意図がなくメンバー構成に問題を抱えた他支部登録冒険者ということで「粘ったのだが、年寄りすぎて無理だと登録変更を拒否されたのだ、忌々しい」とのカザルゥの言葉で――この手の目論見違いは冒険者あるあるとの事前説明どおり――あっさり外に通される。
ジェダイト冒険者村を出て数百メートル後、アキラは上着とシャツをめくり、腹回りからぐるぐるとダクトテープを剥がして腰に隠し持っていたPDAを外す。事前にバイブレーション機能を切っておいたPDAの画面上で新着通知を告げ知らせる点滅。
【重要】
生命活動を終えた物質はQSトランクルーム経由でアーセ
ナルに収納可能です。自衛を迫られた際の事後処理にご活
用ください。
生命活動を終えた物質、ですか。
人間をモルモット扱いする宇宙人らしいなんとも素敵な表現じゃないか。アキラは小さくかぶりを振る。画面を見せられたケヴの双眸に鋭さが戻る。
「実際問題、死体を残さずに済むのはありがたいな」
夜道で人目を忍びながら死体を隠匿しようとしている自分の姿を想像してアキラはげんなりする。どうかそんなことになりませんように……
「こんな暇、ありますかね?」根が実際家なだけに願望を排して問う。
「ロケーション次第だよ。人目に付きにくい場所を選ぶ計画的な連中。たぶんいける。たまたま見っけた馬車を衝動的に襲う通り魔的なやつ。わからん。ほんと場所次第だ」
アキラは胸の中で繰り返す。
どうかそんなことになりませんように……
昼間の馬車旅ならロードムービー気分を味わえただろう。
夜でもそれなりに味わえるが、人の手が入っていない森や荒野を行くとき、つい怪物を警戒してしまう。モンスターカントリー終盤と地続きの観すらある。NODやTIカメラを通した風景では尚更。
けれども人の営みが現れるたびに〝外〟にいるのだとアキラは実感を改める。風に撫でられて波打つ刈り入れ途中の穀倉地、場所によっては数キロ置きに現れる集落や村や町、遠く通り過ぎる都市の壁……。文明社会へようこそ。
ちっぽけなデルマール王国からスカリベド王国へ入る直前、犯罪を目撃する。荷を背負った数十人とマスケット銃らしきもので武装した連中が木立の切れ目から切れ目へとこそこそ移動するのを発見したアキラは、すわ強盗団かと思い、二人に告げながらMAWLのIRレーザーでマークする。
「ああ、密輸だよ」カザルゥが小声で応じる。「蹄や車輪の音でとっくにこちらに気づいておろう。下手に停めると司直の手が伸びたと勘違いして襲ってくるかもしれん。このまま進むぞ」
「密輸?」アキラは銃口を下げる。
「大陸中央部から北部では物流機構の一部になっとる」
「密輸が?」
「社会科の勉強といこうか、お若いの。わしらが迂回してきた関所やすぐそこの税関では、通行税のほかに関税を徴収される。関税の対象はあらゆる商業的流通品だ。食料や農作物に始まり、酒、塩、砂糖、木材、鉱物、織物などの加工品に至るまで、すべてだよ。税率は領地や地域や都市によってバラバラときて、徴税請負人の中間搾取や不正徴収まである」
「それ、関所のたびに毎回?」
「そうとも」
「だから物価が爆上がりして、密輸?」
「そうとも。正規の流通品のみに頼ると庶民の多くは生活が成り立たん。逆に言えば、密輸品があるからこそ皆は平常な営みを送れる。生活がかかっとるからの、密輸だのなんだの、誰も気にしとらん。庶民はおろか、富裕層も頻繁に利用しておる。確かに歪んだ社会構造だがね、それが現実というものなのだよ」
「システムを変えちゃえばいいのに」
カザルゥがくつくつ笑う。「そう簡単な話ならとっくに試みられていると思わんかね? 国内関税は国家や領主の重要な財源なのだ。都市もそれぞれ関税既得権がある。密輸対策に新しい規範を導入するだの税率を下げろだのと無理やり抑え込むと、過激な反発や反乱を招きかねん。だから国は、システムを変えることはおろか、体裁としては密輸を取り締まり対象としながらも、完全な摘発には乗り出せんのだ。発見したら対処するが、根本を絶つところまではせん。というか、できん。現実問題、民の生活を支える密輸に国が頼っているような有り様だ。領主や役人の大多数は密輸組織と結託しておるし、民は密輸組織に協力しておる。まさに彼らのように。マップを見てみなさい。彼らが行く方向に村か集落があるはずだ」
「ありますね」
「一端そこに荷を隠して、頃合いを見計らって国境の向こうへ運ぶ算段だろうて。よくある話だよ、村ぐるみの協力なんてものは」
「じゃあ密輸組織は、非公式に市民権を得た犯罪者集団、みたいな感じですか?」
「ざっくりと言えば、そうなるかの。密輸にどっぷりの者もおれば、単なる協力者もおる。昼間はただの農夫、夜は密輸団の筋金入りの構成員、なんてこともざらだよ」
「マジですか?」
「マジだとも。それくらい広く、深く、根付いておるのだ。民衆の英雄というか、義賊的な存在として支持されているのは確かだね。だが、生ぬるい連中ではないぞ。護衛として強盗団を雇ったり協力したりする点からも、その本質がわかろうというものだよ。非協力的な者に暴力を働くことをいとわんし、裏切り者や密告者は躊躇なく始末してしまう。密輸経路を守るために旅人を襲うこともある。たまたま密輸の現場を見てしまった無辜の民を殺害することすらある。密輸・密売を収入源とする武装組織、というのが正しい定義だろうの」
ぼくの理解が正しいのなら、とアキラは思う。民衆を友とし、民衆の中を泳ぎ、民衆の中に隠れる、ゲリラ組織じゃんか。MAWLのIRイルムとレーザーを遠い人影に向け直す。
「そう神経質になるなよ」とケヴ。「連中だって揉め事は避けたいんだ。だから脇道を使って隠れるように移動してる。下手に血を流すとお目こぼしが利かなくなる。狭い裏道なんかで誰かが近づいてくるときは、連中のほうから脇によけてやりすごすのがフツーだ」
「こっちはノッドやサーマルでわかりますけど、相手が気づかずに鉢合わ――」
「ねえよ。夜だと馬車の音は半キロ先でも聞こえる。条件が良けりゃもっと遠くでも。こっちが前から近づこうが後ろから近づこうが、すっと脇によけて隠れる。官吏と勘違いするか何かして排除する動きを見せない限り、いちいちライフルを向けんな」
密輸組織は精励恪勤を信条としているらしく、一行は毎晩のようにその姿を目撃する。
スカリベド王国を南下中も、戦争の影響で絶賛厳重警戒中のロフト王国北西部から南西部部へと国境を接するフェリボ連邦に入るときも、西海岸の海運で栄えるフェリボ最南部に至る際も、毎晩のように。
いや、冗談ではなく、ほとんど毎夜だ。
一晩に数回もざら。
NODとTIカメラと詳細な地図を有す一行は、密輸団らしき集団を発見するなり、相手を刺激しないよう経路を変えて少し遠回りする。南下するほど刈り入れが進んで、相手が安心できる目隠しがどんどん少なくなったからだ。関所破りや税関破りで裏道を使うと、避けられないときもある。すると、ケヴの言ったとおりになる。道先の熱源の群れが木立や森の奥に消えるのだ。その地点を通過する際、アキラはNOD越しに、緑の奥深くからこちらを窺う無数の顔を見る。女もいれば、子供もいる。「子供は貴重な労働力で密輸も例外じゃない」と聞かされていなかったら、アキラは夜逃げ集団だと思っただろう。そして馬車が通り過ぎると、見張り役の子供がそれを確認したのち、大人たちが何頭もの荷を積んだハラスを引いて林道に戻り、どこだか知らない目的地への歩みを再開する。
けれども脱出ルートの最終夜、ケヴの言ったとおりにならなくなる。
そこは税関を大きく迂回するだだっ広い開放耕地で、借り入れ後の今は(ケヴやカザルゥによると)放牧地に転用されており、ゆるい大地の起伏くらいしか視界を遮るものがなく、一行に気づいたらしい道先の密輸団とおぼしい三ダース前後の熱源が三手に分かれて、数台の荷馬車は低い丘の向こうへ消えたものの、残りの熱源はその丘の頂上で迎撃態勢を取り、ここ最近、税関職員と激しく揉めでもしたのか、まったく警戒を解く様子が見られず、こりゃ仕方ないと引き返して別の道でさらに迂回しようとした刹那、ハラスに乗った二名が一行の馬車を側面と後背から襲おうと――
五分後、アキラとケヴとカザルゥはQSトランクルームに亡骸を次々と引きずり込む。
その数、一六。
命懸けの待ち伏せ要員に女子供が指名されることはないそうで、全員、大人の男だ。いかにも犯罪者という風体の者は一人もいない。ハルドガルド市で見かけた農夫と変わらない者もいれば、ごく普通に街の通りを歩いていそうな者もいる。〝生活に疲れた感のあるどこにでもいそうな大人の男たちだ。ただ、例外なく火打式のピストルやマスケットや刃物で武装していたが。彼らの夜目が利くよりも遥か遠くからの銃撃により発砲する暇があった者は数えるほどだが。
もし女性や子供の死体があったら、アキラは間違いなく吐いていたはずだ。
男の死体は……もう慣れてしまった。というか、約二週間前に真夜中の大街道で襲撃してきた四人組の強盗を撃退したとき、二本脚の怪物を射殺したときと同程度の感覚だった。すなわち、機械的。無。一〇〇名前後のエクサリオ兵と数千体の怪物の命を奪ってきた影響がどれほどのものか思い知らされて、薄ら寒い気分になったもの。動揺らしい動揺は、後処理のために死体に触れて不快感を覚えたことだけ。二度目の撃退の後片付けでは、まだ薄ら寒い気分があった。三度目も。四度目も。五度目の今回は……誰かが来る前に証拠隠滅しなきゃいけないのに数が多くて困る、という焦りと面倒臭さしかない。無造作に死体の脇や足首をつかんでは、QSトランクルームに引っ張り込み、手を離してどさりと落とす。トランクルームが自動消滅したら、死体のあった場所と引きずった跡にポリタンクの水を大量に撒いて、完全には無理でも、血痕を洗い流す。またQSトランクルームを出し、別の死体と一緒に空のポリタンクを放り込んで、また洗い流す。ただの作業だ。
「先行した人たち、戻ってきますかね?」アキラは尋ねる。
「恐らくねえよ」とケヴ。
「まあ戻ってこんだろう」と警戒要員のカザルゥ。「連中の最優先事項は密輸品だ。待ち伏せ要員も捨て駒になる覚悟でやっとる。それより、五キロ東に村があると言っておったろ? そこの住民のほうが心配だね。もし銃声が届いておったら、様子を見に来ないとも限らん」
様子を見に来た地域住民と行き会うことも、先行した荷馬車隊と鉢合わせすることもなく、四時間後にフェリボ連邦南端の国境を越えて、セルラワ王国に入る。カザルゥ教授の出生地にして、南部同盟最北端の小国。
脱出ルートはここで途切れており、新たな通知なし。
馬車が停まる。
「教授のご実家に寄って行きますか?」
「なんの興味もないよ」と情も涙もないことを言う。「そもそも山越えルートで道が厳しい。キツイ思いをしてでも旅程を何日か縮めたい者しか使わん悪路だ。しかも強盗が多い。ポルガ連峰のふもとを大きく回り込む新街道が良いよ。三、四日余計にかかるが、整備が行き届いておる。ところで、お二人さん」
カザルゥが御者台の隣に座るケヴと、荷台のアキラを交互に見やる。
「強盗やら密輸団やら、まだ気は抜けん状況だが、そろそろ未来の話をしても良いと思うのだがね」
未来、とアキラは空っぽの胸を見つめる。なんの計画もない。持ちようがない。いや、なくもないけれど、建設的なものじゃない。異世界という牢獄に閉じ込められた者が取り得る悪あがきの類だ。
未来。
未来か。
この世界で?
このクソ世界で将来設計?
何か考えなきゃいけないんだろうけれど……
「ちょいと考えてる不労所得のアイディアがある」とケヴ。
「ほほう」
「どんな?」とアキラ。
「そんきになったら教えてやるよ」
「して、アキラくんのほうは?」
答えを聞いたカザルゥが二つの申し出をする。アキラは前向きに検討すると応じる。付き合わせると教授の帰郷・帰宅が大幅に遅れてしまう個人的な用事を済ませたのち、必ず返事をする、と。
「アニレン公国は通り道みたいなもんですし、まず教授をご自宅に送り届けて――」
「いやいや、無用だよ。新街道沿いにあるティーゼンという街で下ろしてくれれば良い」言葉を継ごうとするアキラを片手で押しとどめて、「わしの鞄を出してくれるかね?」
鞄をごそごそしてカザルゥが数枚の証書を取り出す。
「通行手形だ」
「持ってたんですか?」
「わしがどうやって遥々ロフト北部の冒険者村に行ったと思うのかね? 通行税に今日のパンを左右される素寒貧の青二才じゃあるまいし、ちゃんと正規の手続きを踏んだとも。ただし、国家や領地の運営にまつわる統制ゆえに、通行手形は指定された特定地域の特定経路しか通用せんのだ。ティーゼンからなら、この手形で自宅に戻れる。あの辺りは治安も良い。馬車ですぐだよ。わしとしては、きみの返事を早く聞きたいのでね、だから心おきなく個人的な用事とやらを果たしてきなさい」
隣に顔を向けて、「准尉どの、先の申し出はあなたにも有効だよ」
「そりゃどうも。ほいで、地球人」とアキラを見やる。「用事って?」




