NETNAH
月が満ちていた。
交差点の限りなく近い青に、ふたりはずっと佇んでいた。
意味の通らない詩ほどつまらないものは無い。
哲学書の一片に書かれていたような陳腐な愛の言葉をつらつらと書き連ねて、おんなは綺麗な瞳を上に向けた。
「傘が欲しいわ、とおんなが呟いた。
雨は降っていないじゃないか、とおとこはもごもご返した。
あら、雨が降っていなければ、傘をさしてはいけないの?とおんなが問い返した。
おとこはしばらく考えて、そうだね、だけども僕ら、傘を持っていないよと答えた。
それでこの話は終いだった。」
おんなは交差点の赤を歩き出した。
おとこは慌てておんなの後ろを歩き出し、それからふたりは白い点の上で歩調を揃えた。
おんなは白いワンピースの裾を握りしめていた。
桜色の爪が充血していて、あんまり可哀想だと思ったおとこはおんなの手を握りしめた。
おんなはそれをちらりと一瞥すると、それからすうと透明な瞳をおとこへちらつかせた。
だめね、もっと、こっちへ、きて。
おんなは微笑み、おとこもつられて微笑んだ。
交差点の赤は黄に変わった。
冷たいコンクリートの上で、木々がさわさわ揺れていた。
アスファルトから生えた根の堂々たるさまは圧巻であり、樹齢は恐らく千を超えているのが容易に見て取れた。
空は悲しいほどに黒く塗りつぶされ、辺りは真っ白に光り輝いていた。
おんなもおとこも自分の辛さを忘れて互いの幸せを喜ぶのだ。
おとこはふわりと浮かんだ。
それは終わりを示していて、だからおんなは悲しくなって引き留めようと手を伸ばした。
けれどもその爪の先が赤く染まっていたものだから、おんなは能面のような表情で、その指を下ろした。
おとこはおんなに手を伸ばした。
アネモネの花が揺れている。
おとこはおんなの手をそっと掴んで、握った。
アネモネが散る頃にはすっかりおとこは消えていて、おんなはまたひとり、交差点の限りなく近い青に佇んでいた。
「おんなはしばらく透明な瞳を上に向けていたが、雨も降らないその枯れた大地には、おんなのための涙は残っていないようだった。
おんなはまた歩き出したが、その足は既に木の根にとられていた。
おんなはしばらくそれを眺めていたが、おもむろに斧を取り出した。
全く以ておんなに感情はなかった。
月は半分に欠けていた。
あたりは赤く暖かくなり、おんなの視界は色がついた。
おんなは軽くなった髪を左右に振るように、さて、と上を向いた。
透明な瞳は白く濁り、そろそろおんなは死ぬのだろう。
だが終わりはやってこないのだ。
おんなは白く凍った息を吐き出した。」
そうして月が欠け、真っ青な夜が訪れた。
辺りは暗闇に育ち、世界はふんわりと焦げた。
夜は夜でなにもなく、朝はいつまでも訪れないが、やがてまた空は淡い黒に染まり、辺りは白く包まれた。
おんなはまた、交差点の遠く輝く青に佇んでいた。
おんなの手には傘が握られていて、おんなはしばらくそれを見てから、電柱に傘を立てかけた。
おんなの足はいっぽを踏み出したが、すぐにまた立ち止まった。
なにもない広い広い世界で、おんなはひとりぼっちではなかった。
おんなの髪は黒く染まり、カラスは白くなった。
おんなはおんなでいつづけるしかなかった。
なにもかもが正常で、おんなは静かに狂っていく。
おんなを救うものは多いのに、おんなは盲目なのだ。
「おんなはただ微笑んだ。
優しい微笑みに、誰も気づくことはないけれど。
おんなは笑みを絶やさない。
おんなのような思いは誰にもさせたくないから。」




